輸送ヘリの中は、落ち着くにはうるさすぎた。
ローター音。
金属の振動。
短い無線。
身体を固定していても、揺れが腹の奥まで響いてくる。
ユウは座席に身体を預けたまま、ようやくひとつ息を吐いた。
ついさっきまで部室でオムライスの話をしていた気がする。
それが今は、ずっと前のことみたいだった。
前方では、簡易表示端末に地形図といくつかの反応線が出たり消えたりしている。
だがユウには、その意味が半分も入ってこない。
「作戦内容を簡潔に共有する」
飛んできた声に、ユウは顔を上げた。
知らない隊員だ。
制圧群の人間らしい、張り詰めた空気をまとっている。
声には無駄がなく、周囲の誰も口を挟まない。
「対象反応を照合。ビナーと判明」
ユウは一瞬だけ眉を寄せた。
ビナー。
聞いたことはある気がする。
だが、知っているとは言えない。
「対象周辺では特殊砂塵が発生。現地近辺では通常観測機器、測定機器の反応低下が見込まれる」
さらに、わからない単語が増える。
「先行部隊は現地確認および導線把握を優先。後続は先行情報を受け、迎撃区画と誘導罠を展開する」
そこで隊員は一度言葉を切った。
「目的は討伐ではない」
ヘリの中の空気が、そこで少しだけ変わる。
「市街地に近づく前に対象を捕捉し、進路を外へずらす。あらかじめ定めた迎撃区画まで引き出し、街から切り離す」
ユウは隣を見る。
先輩は黙って聞いている。
アノミマスは小さく座ったまま、目だけを前に向けている。
自分だけが置いていかれているような気がして、少しだけ喉が渇いた。
「第8班《トレイス》」
その呼称に、ユウの背筋が反射で伸びる。
「現場における細部観測はお前たちに依存する。糸で位置を拾え。導線を見ろ。詳細は現地判断に委ねる」
説明は短かった。
短すぎて、かえって怖い。
ユウが口を開くより先に、先輩が短く言う。
「ユウ」
「……はい」
「降りたら迷うな」
「はい」
「アノミマスを見ろ。それで足りる」
その一言だけで、ユウは余計な問いをひとつ飲み込んだ。
全部はわからない。
でも、今の自分に必要なのはそこじゃない。
たぶん、そういうことだ。
その時、機体の奥から聞き覚えのある声が飛んできた。
「おー、ちゃんと乗ってるな」
ユウが振り返る。
「……相馬先輩」
相馬は固定ベルトを雑に締めたまま、片手を上げていた。
いつもの軽い笑い方。
だが今日は、その軽さだけでここにいるわけではないのがわかる。
「何ですか、その“ちゃんと乗ってるな”って」
「いや、こういう時に限って新人ひとりくらい置いてきそうだから」
「ひどいな!?」
「冗談だって」
「半分本気ですよね」
「半分なら、だいぶ優しいだろ」
その返しに、ユウは少しだけ力が抜けた。
たぶん今の自分は、見知った相手がいるだけで助かる顔をしている。
相馬はそのまま顎で外を示した。
「今回は俺が足をやる」
「足?」
「お前らを運ぶ側。まず大型ホバーに合流、そのあと第8班だけ切り離す予定だ」
ユウは瞬きをした。
「切り離す?」
「そ。重い本隊とは別で、先に見る役だってさ」
そこで先輩が短く補足する。
「本隊は街へ入れないための線を張る。俺たちはその前に動く」
「……なるほど」
そう言ってみたものの、半分もわかっていない。
ただ、役目が違う。それだけは掴めた。
相馬が肩をすくめる。
「勘違いするなよ。今回は倒しに行くんじゃない」
ユウはそちらを見る。
「え」
「街の近くで暴れさせないために、砂塵の外縁から先に引く」
「本隊は引き込んだ先で止める準備。俺たちは、その導線を作る側だ」
少しだけ、輪郭が見えた気がした。
戦う。
でも正面から潰しに行くわけじゃない。
まずは街から剥がす。
そのために、第8班は前へ出る。
その時、ヘリの側面モニタの映像が外部映像へ切り替わる。
ユウは思わずそちらを見て、少しだけ息を止めた。
「……でか」
機体の外。
自分たちの輸送ヘリの下に、大型のホバークラフトが吊られている。
平たい船体。
重い外装。
上面には簡易設備のコンテナらしきものや、折り畳まれたテント資材、固定されたホバーバイクの影まで見えた。
ただの輸送じゃない。
前進拠点ごと持っていくつもりだ。
「今回、先行部隊はあれが足になる」
相馬が何でもないことのように言う。
「簡易設備、観測資材、補給物資、全部積んでる。緊急出動だから雑だけど、その分早い」
「雑って言っていいんですか」
「言葉の問題だ。現場では役に立てば正義」
いかにもモービルらしい理屈だった。
アノミマスがぽつりと言う。
「……下、いっぱいある」
「あるな」
ユウも小さく返す。
大型ホバークラフトのほかにも、別の輸送ヘリが影のように並走しているのが見えた。
それだけで、今回がいつもの火種消しとは違うのだと嫌でもわかる。
「怖いか?」
不意に相馬が聞いた。
ユウは少しだけ間を置いてから答えた。
「……ちょっと」
「正直でよろしい」
「先輩は怖くないんですか」
「怖い時はある」
相馬はあっさり言った。
「でも運転してる時は後回しだ。怖がる暇があるなら、進路を間違えない方が先」
その言い方が少しだけ格好よくて、ユウは一瞬だけ黙った。
「何だその顔」
「いや、ちょっとだけ見直しました」
「ちょっとかよ」
そのやり取りに、アノミマスの口元がほんの少しだけ動く。
笑ったのかどうかは曖昧だったが、少なくとも空気は少しやわらいだ。
だが、それも長くは続かなかった。
前方から別の無線が割り込む。
『先行部隊、降下準備。地上風圧強。固定確認を急げ』
ヘリの中の空気が、そこでまた一段締まる。
ユウはベルトを見直す。
手袋の位置を確かめる。
端末を握り直す。
何が待っているのかは、まだうまく想像できない。
でも、今から地上へ降ろされる。
それだけは、はっきりしていた。
しばらくして、振動の質が変わる。
高度を落としている。
モニタの外部映像には、荒れた地表が映り始めていた。
土色。
岩肌。
そして、遠くにうっすらと漂う妙な霞。
砂塵だ。
普通の風で舞う砂とは少し違う。
濁っていて、重い。
空気そのものに、砂が溶けているみたいだった。
「……あれか」
ユウが呟くと、先輩が短く返す。
「たぶんな」
「たぶん、多いな今日」
「軽く言い切れる状況じゃない」
その通りだった。
ヘリがさらに高度を下げる。
大型ホバークラフトも一緒に降ろされていく。
金属音。
固定具の解除。
誰かの短い合図。
ユウは窓の外から目を離せなかった。
着地は乱暴ではなかった。
だが、やさしくもない。
重い振動が一度だけ機体を抜け、輸送ヘリの扉が開く。
外から乾いた風が吹き込んできた。
「降りるぞ!」
声が飛ぶ。
第8班もほとんど反射で立ち上がる。
地上へ降りると、まず音に圧倒された。
ローター音。
ホバーの駆動音。
資材を降ろす音。
誰かが指示を飛ばし、別の誰かが走る。
そこはまだ戦場そのものではない。
だが、戦場の手前だった。
一歩踏み違えれば、すぐ向こう側に落ちる。そんな空気があった。
大型ホバークラフトはすでに地面すれすれで安定している。
上には簡易テント、折り畳み設備、補給箱。
横では固定されていたホバーバイクが降ろされかけていた。
ユウはそこで初めて、そのバイクの全体を見る。
「……でかい」
ホバーバイクと呼ばれていたが、一人乗りの軽車両ではない。
細長い船体に近い。
五人は十分乗れそうで、側面には発煙弾とフレアのランチャーまでついている。
「探して、引いて、戻るための足だ」
相馬が近づいてきて言う。
「撃ち合うための乗り物じゃない。生きて戻るための足だ」
その言い方に、ユウは小さく頷いた。
大型ホバークラフトに乗り換えてからの移動は短かった。
本隊は速度を抑え、地表を滑るように進む。
周囲では別班らしい隊員が簡易設備を確認し、重装備の者が荷の固定を見直している。
誰もが急いでいる。
だが、誰も焦ってはいない。
焦れば死ぬと知っている動きだった。
ユウはその上で、落ち着かないまま周囲を見ていた。
遠くの空はまだ明るい。
だが前方の地平には、さっき見た砂塵がじわじわと広がっている。
近づいているのか、自分たちが飲まれに行っているのか、もうよくわからなかった。
「……あれの近くまで行くんですか」
「本隊はもう少し手前で止まる」
先輩が答える。
「街へ向かう線を封じる。その外で俺たちが先に導線を取る」
「そこから先、って」
「重い車体じゃ追いにくい。第8班は別で動く」
説明は簡潔だった。
簡潔すぎて不安になる。
だが今は、それに慣れるしかない。
大型ホバークラフトが減速した。
そこで本隊との一時分離が始まる。
「第8班、こっち!」
相馬がホバーバイクの横から手を上げる。
「早く! 本隊の停車時間を食うぞ!」
「ほんと、せわしないな……」
ユウが言いながら駆ける。
アノミマスは静かに続き、先輩はその後ろを切るように動く。
バイクの搭乗配置は自然に決まった。
前に相馬。
その後ろにユウとアノミマス。
さらに先輩と補助要員が乗る。
五人乗りの車体は見た目より安定していた。
だが、安定しているだけだ。
安心とは別物だった。
「しっかり掴まっとけよ」
相馬が言う。
「落ちたら拾いに戻る余裕はない」
「怖いこと言わないでくださいよ」
「大丈夫大丈夫。今日は落とさない」
「“今日は”が嫌なんですよ!」
そのやり取りの直後、車体が浮いた。
ユウの胃が一瞬だけ遅れる。
大型ホバークラフトの本隊から、ホバーバイクが滑るように離れていく。
後ろでは重い本隊がまだ前進を続けている。
だが第8班だけは、そこから斜めに別の線を取った。
ユウは思わず振り返る。
「……分かれた」
「そういう役だ」
先輩の声は短い。
「前見ろ」
ユウは慌てて向き直る。
前方には砂塵。
地形は荒れている。
視界はまだある。
だが先へ行くほど濁りが増し、景色の輪郭が少しずつ削られていく。
アノミマスはバイクの上でも静かだった。
でも、目だけはまっすぐ前を見ている。
「……ユウ」
「ん?」
「ここから、いや」
その一言で、ユウの背中に薄く冷たいものが走る。
砂塵の向こうには、何かがいる。
まだ見えない。
でも、いる。
そう思った瞬間、喉の奥がひりついた。
相馬が操縦桿を少し切りながら、いつもの調子で言った。
「さて新人。ちょっと面倒な散歩に行くぞ」
「散歩で済むやつですかね、これ」
「済まないだろうな」
あまりにも軽く返されて、ユウは逆に少しだけ息を吐いた。
わからないことだらけだった。
ビナーが何なのかも、まだちゃんとはわからない。
ただ、今から自分たちはその“見えていない何か”を街から引き剥がすために探しに行く。
それだけは、嫌でも理解できた。
ホバーバイクは砂塵の縁へ向かって加速する。
後方では本隊が止まり、迎撃区画を作るための準備が始まっていた。
前では、見えない何かが待っている。
ユウはグリップを握り直した。
全部はわからない。
でも、わからないままでも動くしかない時がある。
今日はたぶん、そういう日だった。