ホバーバイクは砂塵の縁をかすめるように進んでいた。
後方では、本隊の大型ホバークラフトが少しずつ小さくなっていく。
重い車体はあの位置で迎撃線の準備に入るのだろう。
だが第8班は違う。
今はただ、前へ出る。
風が横から叩く。
砂が細かく装甲を擦る。
視界はまだ残っている。
だが、先へ行くほど景色の輪郭が死んでいくのがわかった。
「しっかり掴まっとけよ」
前で相馬が言う。
「こういう地形は跳ねるからな」
「そんな軽く言わないでくださいよ。こっちはだいぶ必死なんですけど」
ユウが返すと、相馬は少しだけ笑った。
「最初はみんなそんなもんだって」
バイクが一度大きく揺れる。
ユウは反射でグリップを握り直した。
「俺もお前くらいの時は、バイクで好き勝手に走り回ったもんよ」
「今それ言います?」
「今だから言うんだろ」
「理屈が雑なんですよ」
「でも今のお前、肩に力入りすぎ」
ユウは舌打ちしかけて、それを飲み込んだ。
図星だった。
相馬の声はいつも通り軽い。
だが、車体の動きは雑じゃない。
砂を避け、岩の起伏を殺し、少しでも安定した線を選んでいるのが、後ろからでもわかる。
アノミマスは前を見たまま、小さく言った。
「……まっすぐじゃない」
「了解」
相馬が操縦桿を少し切る。
「右に振るぞ」
車体が滑るように進路を変える。
ユウは揺れに身体を持っていかれそうになりながら、どうにか姿勢を保った。
「これ、探すっていうか振り回されてません?」
「探す時は大体こんなもんだ」
「嫌な現実だな……」
先輩が後ろから短く言う。
「喋る余裕があるなら落ちるな」
「はい」
返事は思ったより素直だった。
余裕がないのは、もう自分でもわかっている。
しばらくはそんな調子だった。
相馬が前で軽口を飛ばし、ユウが半分文句を返し、アノミマスが短く方向だけ示す。
先輩は必要な時しか口を開かない。
砂塵の外縁を舐めるように走るバイクの上で、その小さなやり取りだけが妙に現実感をつないでいた。
だが、それも長くは続かなかった。
砂塵が濃くなる。
最初は遠くに霞んでいただけの色が、じわじわと視界の中へ入り込んでくる。
風が変わる。
乾いているだけじゃない。
空気そのものが重く濁って、鼻の奥にざらついた違和感が残る。
バイクの揺れ方も変わった。
相馬はもう、さっきみたいに頻繁には喋らない。
前を見ている。
必要な確認だけ。
進路と地形と、風の流れだけを追っているみたいに。
「相馬先輩?」
ユウが一度呼んでも、返事は短かった。
「前見てろ」
それだけだった。
ユウはそこで、妙な不安を覚えた。
ビナーが怖いとか、砂塵が嫌だとか、それだけじゃない。
あの相馬先輩が喋らなくなった。
それが一番、嫌だった。
バイクはさらに奥へ入る。
フレアランチャーの安全表示が振動で揺れ、発煙弾の固定具が小さく鳴る。
ユウは前方を見ながら、小さく唾を飲み込んだ。
「……先輩」
前ではなく、後ろの先輩に声をかける。
「何だ」
「これ……本当に、自分たちで誘導できるんですか」
問いの中身は、自分でも半分曖昧だった。
あれを本当に動かせるのか。
本隊の罠まで引けるのか。
いろんな不安がまとめて口から出た感じだった。
先輩の返事は短い。
「できるようにする」
「いや、それはそうなんですけど」
「本隊が罠を張る」
「はい」
「私たちはそこまで引く」
先輩は一拍置いて、淡々と言った。
「だからお前は見失うな」
ユウは黙る。
「全部わかろうとするな。今は糸だけ見ろ」
その言い方が、少しだけ腹に落ちた。
わからないことは多い。
多すぎる。
でも、全部をわかる必要はない。
今の自分に必要なのは、目の前の役目だけだ。
前でアノミマスが小さく言う。
「……まだ、切れてない」
糸のことだ。
ユウはその言葉で、少しだけ呼吸を戻した。
「聞いたな」
先輩が言う。
「はい」
「なら動ける」
短い。
でも、それで十分だった。
相馬がそこでようやく口を開く。
「悪いな新人。ここから先はちょっと喋ってる余裕ない」
「……それ、今言われるの嫌なんですけど」
「だろうな」
相馬の声は軽くない。
だが、落ち着いてはいる。
その落ち着きが逆に本物で、ユウは余計に肩へ力が入るのを感じた。
風がまた強く吹く。
砂塵の中へ、少しだけ深く入った。
視界の端で、機器表示のいくつかが不安定に瞬く。
端末を見なくても、まともじゃないのはわかった。
「機器、やっぱ死んでるんですか」
「死んでるって言い方は雑だが、機嫌は最悪だな」
相馬が前を見たまま答える。
「だからお前らが前に出てんだろ」
ユウは小さく息を吐く。
そうだ。
機器が使えない。
だから第8班が出ている。
それだけは、ようやく自分の中でも言葉になってきた。
その時だった。
アノミマスが、前を見たまま少しだけ身体を強張らせる。
「……いる」
全員の空気が、そこで一段沈んだ。
相馬が速度を少し落とす。
「方向」
「……前。少し左」
バイクがなだらかに進路を変える。
ユウは前を見る。
砂塵。
濁った景色。
揺れる地平。
そしてその奥で、何かがおかしい。
最初に来たのは振動だった。
低い。
腹の奥へ沈んでくるような、重い揺れ。
風ではない。
エンジンでもない。
地面そのものが、遠くから少しずつ踏み均されてくるみたいに震えている。
「……え」
ユウの喉が詰まる。
相馬はもう何も言わない。
先輩も黙っている。
アノミマスだけが、前を見続けていた。
砂の向こうで、何かが動いた。
輪郭ではない。
もっと大きい。
もっと曖昧で、それなのに存在感だけが濃すぎる。
影だ。
霞んだ砂塵の向こうに、巨大な影がある。
建物とか、兵器とか、そういう比べ方を頭が拒むくらいに大きい。
それが、ゆっくりとこちらへ向きを変える。
ユウの喉がひりついた。
「……いや、でか」
それしか出なかった。
大きい、なんて言葉で足りる相手じゃない。
見た瞬間、質問の方が消えた。
ビナーがどんなものか。
そんなこと、聞く必要はなかった。
見ればわかる。
本当に、その通りだった。
砂が舞い上がる。
振動がまた一段強くなる。
影の向こうで、何か巨大な構造がゆっくりと持ち上がった気がした。
ユウはグリップを握り直す。
指先が少し痛い。
「……先輩」
「何だ」
「あれ、ほんとに引っ張るんですか」
「そのために来た」
「いや、そうですけど」
返しながら、自分の声が少し上擦っているのがわかった。
相馬が短く言う。
「落ち着け。まだ見つかったわけじゃない」
「まだって」
「見つかったらもっと嫌なことになる」
慰めになっていない。
でも、たぶん本当だ。
アノミマスが小さく呟く。
「……こっち、見る」
その一言で、バイクの上の空気が凍る。
「相馬」
先輩の声が低く落ちる。
「ああ」
相馬が短く応じる。
さっきまでの軽口はもうない。
前だけを見る声だった。
「ユウ」
「はい」
「煙の準備だけしておけ」
ユウは反射で側面の発煙弾ランチャーへ手を伸ばす。
何だかよくわからない。
でも身体はもう、指示に従って動いていた。
砂塵の向こうで、ビナーの影がゆっくりと持ち上がる。
大きい。
怖い。
まともに相手をしていい相手じゃない。
それでも、逃げるだけでは終わらない。
ホバーバイクの駆動音が少しだけ唸りを上げた。
相馬が操縦桿を握り直す。
「さて」
声は低い。
でも、崩れてはいなかった。
「新人。ここからは本当に、振り落とされんなよ」
ユウは喉の奥の乾きを飲み込んで、小さく頷く。
全部はわからない。
でも、もう始まっている。
それだけは、はっきりしていた。