ビナーがこちらを見た。
そう思った瞬間、空気の質が変わった。
「来る!」
相馬の声が飛ぶ。
次の瞬間、砂塵の向こうで小さな光がいくつも分かれた。
「ドローンか!」
先輩の声とほぼ同時に、砂の幕を割って複数の影が飛び出してくる。
丸い。
小さい。
だが十分に速い。
しかも速いだけじゃない。機械じみた滑らかさで、一瞬でホバーバイクの進路を追ってきた。
「ユウ、右!」
「はい!」
ユウは反射でランチャーの安全を外す。
指が少し震える。
だが、止まる方がまずいのはもうわかっていた。
ドローンの後ろ、さらにその奥で細い火線が走る。
「ミサイルも来るぞ!」
相馬が怒鳴るより早く、ホバーバイクが横へ滑った。
内臓が一瞬だけ置いていかれる。
砂を削るように車体が傾き、ユウはグリップへしがみついた。
「ユウ!」
「フレア!」
先輩の声で、身体が先に動いた。
ユウは側面の発射装置を叩く。
次の瞬間、後方へ複数のフレアが散った。
赤い光。
熱の尾。
それを追うように、飛来していたミサイルの軌道がわずかにぶれる。
「相馬先輩!」
「見えてる!」
バイクがさらに切り返す。
フレアへ引かれたミサイルのうち二発が空中で逸れ、残りが後方の地面へ突っ込んだ。
爆発。
砂と岩片が後ろから叩きつけてくる。
「うわっ!」
「掴まってろ!」
相馬の声はもう軽くない。
短く、前だけを見た声だった。
アノミマスは風の中でも前を見続けている。
白い髪が乱れる。
だが、視線だけは切れていない。
「……まだ、こっち」
「了解!」
相馬が進路を合わせる。
だが、休む暇はなかった。
今度はドローンの射撃が来る。
細い光線と実体弾が混じったような火線が、砂塵を裂いてバイクの左右へ突き刺さる。
「発煙弾、使うぞ!」
「撃ちます!」
ユウは言いながら、もう片方のランチャーへ手を伸ばした。
発煙弾を発射。
濃い煙が横へ広がり、ドローン側の視界を一瞬だけ切る。
「左が薄い!」
先輩が言う。
「相馬、そのまま振れ!」
「任せろ!」
車体が大きく左へ流れる。
煙の陰をかすめるように走り抜けた瞬間、後方でドローンの追尾が少しだけ乱れた。
ユウは呼吸を整えようとして、うまくいかないことに気づく。
吸っても浅い。
吐いても足りない。
怖い。
ただ怖い。
それでも手を止めるわけにはいかなかった。
「本隊の位置は!?」
ユウが叫ぶように言うと、先輩がすぐ返した。
「機器は死んでる!」
「じゃあどうやって!」
「アノミマスだ!」
その短い一言で、ユウは隣を見る。
アノミマスは風の中で小さく目を細めていた。
「……ある」
「何が」
「……糸」
言葉は短い。
だが、それで十分だった。
出動前に積まれていた遺物。
本隊が持ち出した、神秘を発する目印。
機械じゃ拾えないものを、アノミマスは拾っている。
「本隊、まだ切れてない!」
先輩が言う。
「追えるぞ!」
その瞬間、ユウはようやくひとつだけ理解した。
自分たちは闇雲に逃げているわけじゃない。
糸がある。
引く先がある。
だからまだ、走れる。
だが、その理解を塗り潰すみたいに、地面が震えた。
低い。
重い。
腹の底へ落ちるような振動。
「……え」
ユウの喉がひりつく。
砂塵の向こうで、ビナーの影が持ち上がる。
輪郭はまだ濁っている。
だが、その巨大さだけはどうやっても誤魔化せない。
その影の中心で、光が集まり始めた。
ユウの頭が一瞬だけ真っ白になる。
「相馬!」
先輩の声が飛ぶ。
相馬は返事をしない。
もう言葉の段階じゃなかった。
ホバーバイクが横へ跳ねる。
いや、跳ねたように感じるほど無理やり地形を切った。
車体の側面が砂を削り、ユウの身体が大きく振られる。
次の瞬間。
ビームが走った。
音より先に光。
光より先に熱の気配。
ホバーバイクのすぐ横を、太い線が地面ごと貫いた。
直撃はしなかった。
なのに、その余波だけで視界が揺れる。
「――っ!」
ユウは言葉にならない息を漏らした。
ビームが通った地面は、抉れて終わりではなかった。
溶けていた。
砂も岩も、地表そのものが赤黒く崩れ、熱でどろりと形を失っている。
ただの砲撃じゃない。
ただの火力じゃない。
あれに当たったら終わる。
その結論だけが、理屈より先に脳へ叩き込まれた。
「……うそだろ」
手が止まりかける。
視界が狭くなる。
フレアの位置も、発煙弾の残数も、一瞬だけ全部どうでもよくなりそうになった。
その時だった。
「……ユウ」
小さな声と同時に、左手へぬくもりが触れた。
アノミマスだった。
片手で車体を支えたまま、もう片方でユウの手を握っている。
強くはない。
でも、逃がさない触れ方だった。
「……だいじょうぶ」
ユウは息を詰めたまま、隣を見る。
アノミマスは怖がっていないわけじゃない。
だが、糸を見ている。
まだ切れていないものを見ている。
「……糸、ある」
その一言で、ユウの頭の中の白さが少しだけ引いた。
終わってない。
まだ。
少なくとも、アノミマスの中では終わっていない。
先輩の声が落ちる。
「ユウ」
「……はい」
「戻れ」
その二文字が、びっくりするほど真っ直ぐ入った。
「ビーム見たな」
「はい」
「なら次は外すな。来たらフレア、煙、指示待ちだ」
「……はい!」
今度はちゃんと返せた。
相馬が短く言う。
「悪いな新人。ここから先、本当に揺れるぞ」
「もう十分揺れてますって!」
「まだ序の口だ!」
その直後、バイクがまた大きく傾く。
後方からミサイル。
ユウはもう迷わなかった。
フレア発射。
赤い尾が散る。
相馬が進路を切り、先輩がドローンを撃ち落とす。
アノミマスは糸を追い続ける。
バラバラに見えて、今は全部がひとつにつながっていた。
「本隊は!?」
ユウが叫ぶ。
先輩がすぐ返す。
「近い!」
「どっちですか!」
「アノミマス!」
アノミマスが前を見たまま言う。
「……右、少し。まだ先」
「聞いたな!」
「はい!」
ホバーバイクが砂塵の中を裂くように走る。
後ろではビナーの影がゆっくりと方向を変え、こちらを追ってきている。
見失えば終わる。
捕まれば終わる。
だが、本隊の糸はまだ切れていない。
それだけを頼りに、第8班は走る。
遠く、砂塵の向こうで別の光が瞬いた。
本隊側だ。
迎撃線か、罠の準備か、まだユウにはわからない。
でも、完全に孤立しているわけじゃないとだけはわかった。
それだけで、少しだけ足元が戻る。
「ユウ!」
「はい!」
「煙を一発残せ! 次の地形変化で切る!」
「了解!」
返しながら、ユウはもう一度だけ後ろを見た。
ビナーの巨大な影。
飛び交うドローン。
砂塵の中で光るミサイルの尾。
全部が、いつもの“危険”とは桁が違った。
だが、もう怯えて止まる段階は過ぎている。
アノミマスの手の熱が、まだ少しだけ残っていた。
ホバーバイクはさらに加速する。
前には本隊。
後ろにはビナー。
第8班の誘導は、まだ始まったばかりだった。