ビナーは、まだ立っていた。
絨毯爆撃。
重戦車の砲撃。
エンフォーサー部隊の火線。
そのすべてを受けながら、なお崩れきらない巨体が、砂塵の向こうでゆっくりと動く。
ユウは迎撃線の少し内側で、それを見上げていた。
近い。
それだけでもう嫌だった。
けれど、さっきまでのような“終わり”の感じは、今は少し薄い。
前には本隊がいる。
後ろにはまだ動ける線がある。
それがあるだけで、同じ怪物でも見え方が少し変わる。
ビナーの口部が、もう一度だけ光を集めかけた。
だが今度は、そこで止まる。
正確には、止めたように見えた。
ヴェクターのスタンニードルが待っている。
正面へ真っ直ぐ撃てば、また逸らされる。
それを、ビナーの側も理解したらしい。
「……やめた?」
ユウが呟く。
先輩は前を見たまま返した。
「一掃は諦めたんだろうな」
「諦める、って」
「別の手で来る」
その言葉を証明するように、ビナーの周囲で複数の光点が浮いた。
次の瞬間、空が動く。
「来るぞ!」
無線が飛ぶ。
ドローン群。
さらにその後ろから、いくつものミサイルの尾。
今度は一点を焼き切るんじゃない。
面で削るつもりだ。
ユウの喉がきゅっと締まる。
「うわ、まだ増えるのかよ……」
相馬が短く息を吐いた。
「数で潰しに来たな」
軽口ではない。
状況を見た声だった。
ビナーの周辺から放たれたドローンが、扇を広げるように散る。
その間を縫うように、ミサイルも降ってくる。
狙いはまっすぐ本隊だ。
「防空線、上げろ!」
『迎撃開始!』
無線の温度が一気に変わる。
前方で、複数のエンフォーサーが同時にパルスシールドを展開した。
半透明の光壁が幾重にも重なり、本隊前面へ薄い障壁の層を作る。
その後ろから、地対空誘導弾が空へ上がった。
白い尾。
鋭い上昇。
さらに対空ミサイルの発射音が重なる。
ユウは一瞬だけ目を見開く。
「……すご」
空そのものが迎撃していた。
ドローンへ突っ込む誘導弾。
ミサイル同士の空中爆発。
シールドに弾かれて散る破片。
それでも全部は止めきれない。
抜けてくる個体がある。
だから、次の層が受ける。
前衛のエンフォーサーがシールドの角度を変え、重戦車が副砲で近い目標を叩き落とす。
さらに別の班が空を切るように射撃し、低空に降りたドローンを潰していく。
「これ……」
ユウはその光景を見ながら、言葉を失いかける。
火種消しの現場じゃない。
対処でも鎮圧でもない。
これはもう、戦争だった。
先輩が短く言う。
「見るだけで終わるな」
「……はい」
「発煙弾、残数」
「二」
「フレア」
「三」
「切るな」
「了解」
返事をしながら、ユウは自分の位置と備えを確認する。
前に出ているわけではない。
だが、完全な見学でもない。
迎撃線の後ろで補助に回る。
それが今の第8班の位置だった。
アノミマスは前を見ている。
相変わらず静かだ。
でも、糸の先を追う目は切れていない。
「……本隊、まだ大丈夫」
「聞いたな」
先輩が言う。
「はい」
「なら崩れてない」
短いその言葉に、ユウは少しだけ呼吸を戻した。
空でまた爆発が走る。
抜けてきたミサイルの一発が、パルスシールドの外縁へ当たった。
障壁が大きく歪む。
だが砕けない。
その隙に、別方向から飛んできた対空弾が直撃し、ミサイルを途中で吹き飛ばした。
「うわ……」
ユウの目が自然に前へ引かれる。
受けている。
だが、ただ耐えているんじゃない。
層で受けて、層で落として、確実に数を削っている。
「レイヴンって……」
思わず漏れた言葉の続きを、相馬が拾う。
「こういう時はちゃんと怖いだろ」
「怖いっていうか、なんかもう……」
「引くか?」
「引きません」
「なら見とけ。勉強にはなる」
その言い方が少しだけいつもの相馬に戻っていて、ユウはわずかに口を閉じる。
ビナーの側も、ただ撃っているだけではなかった。
ミサイルの線が変わる。
ドローン群が分散し、本隊前面だけじゃなく、左右の薄いところを探り始める。
「賢いな……」
ユウが呟くと、先輩が返す。
「ただデカいだけの相手なら、ここまで面倒じゃない」
その時、無線へ穏やかな声が入った。
『右、少し厚いね。中央から一枚回そうか』
ヴェクター隊長だ。
『左線、シールド角を三度だけ上げて。そこへ二機流れる』
大きな声ではない。
だが不思議なくらい、戦場のざわつきの中でもよく通る。
実際、右側で受けていたエンフォーサーの一機が動き、中央の一枚が左へ滑る。
その直後、左側へ回り込もうとしていたドローン群が、ちょうどその移動したシールドへ当たった。
遅れて対空ミサイルが上がる。
爆発。
破片。
火線。
「……見えてる」
ユウは小さく呟く。
「当たり前だ」
先輩の返しは短い。
「あれが第6班の仕事だ」
本隊後方、左右中央に開いた三機のエンフォーサー。
スタンニードルランチャーを肩に残したまま、今は遠距離支援と指示の軸になっている。
ヴェクターは、後ろにいる。
なのに前線の形が変わる。
その不思議さに、ユウは少しだけ息を呑んだ。
前方では、重戦車群が再び一斉に砲撃を始める。
今度は防空の合間を縫うような撃ち方だった。
ドローンとミサイルの波を受けながら、それでもビナー本体へ火力を通し続ける。
砲撃が巨体の脚部付近を叩く。
装甲片が散る。
爆煙の奥で、ビナーの動きがほんのわずかに鈍る。
「効いてる……!」
ユウが思わず言う。
今度は先輩も否定しなかった。
「着実にはな」
その“着実”が、今はすごく重い。
一発で倒れる相手じゃない。
ひとつの手で片がつく相手でもない。
だから迎撃線全部で、少しずつ削る。
それが今、ようやく見えてきた。
だが、楽になるわけではない。
ビナーの側から放たれるドローンはまだ尽きない。
ミサイルの尾も消えない。
迎撃の爆発が空を埋め、本隊のシールドも何度も歪む。
そのたびに、別のエンフォーサーが前へ出る。
別の砲列が撃つ。
ヴェクターの指示が飛ぶ。
崩れない。
でも、楽でもない。
ユウはそこでようやく、真正面から受けるってこういうことなのだと理解した。
耐えるだけじゃない。
受けて、落として、返して、形を崩さず、少しずつ削る。
ただの根性じゃ絶対に無理だ。
アノミマスが小さく言う。
「……ビナー、ちょっとおそい」
ユウがそちらを見る。
「動きか?」
「……うん」
先輩が短く言う。
「蓄積してる」
つまり、本当に削れている。
ユウは前を見直す。
爆撃。
砲撃。
対空火線。
シールド。
そして、その全部の中でまだ立っているビナー。
怖い。
でも今は、あの時の無力感だけじゃない。
戦えている。
少なくともレイヴンは、ちゃんとこの怪物と戦えている。
その時だった。
ビナーの周囲で、また光が動いた。
ミサイルでも、ドローンでもない。
もっと重い何かの前触れみたいな光だ。
先輩が目を細める。
「……まだ切る気か」
ヴェクター隊長の声が、また静かに落ちた。
『次が来るね』
その声に、前線の空気がもう一段だけ締まる。
『焦らなくていい。順番に受けようか』
穏やかな声だった。
それなのに、その一言だけで本隊の輪郭がまた少し固くなる。
ユウは息を呑む。
防空戦は、まだ終わっていない。
むしろ本番はこれからだと、誰もがわかっていた。