カタフラクトの激突で、戦場の流れは確かに変わった。
突進軸を折られたビナーは、まだ立っている。
だが、さきほどのような一直線の圧は消えていた。
重戦車の砲撃が再び通り、エンフォーサー隊の火線も乱れずに重なる。
ヴェクター三機は後方でなお静かに構え、ビームの兆候だけを見逃さない。
ユウは迎撃線の内側で、それを見ていた。
もう何度目かわからない爆発が走る。
砂塵が巻き上がる。
ビナーの巨体がその中で揺れる。
それでも、すぐには誰も声を上げなかった。
倒れないかもしれない。
もう一度来るかもしれない。
ここまでの戦いで、それを全員が学んでしまっている。
「……まだ、来ますかね」
ユウが小さく言うと、先輩は前を見たまま答えた。
「わからん」
「わからんって……」
「だから警戒する」
その通りだった。
前線のシールドはまだ下がらない。
重戦車の砲列も崩さない。
誰も勝った顔をしていない。
ビナーは一度だけ頭を上げる。
その動きだけで、ユウの肩にまた力が入る。
だが次の動きは、これまでとは違っていた。
「……あれ」
相馬が目を細める。
「向き、変えたな」
ユウは思わず前のめりになった。
たしかにビナーの巨体が、迎撃線の正面ではなく、少しずつ別の角度へ傾いていく。
正面突破の姿勢じゃない。
再突進の構えでもない。
砂塵の向こうで、巨大な影がゆっくりと戦場から軸を外し始めている。
「撤退……?」
そう呟いてから、自分の声が少し早すぎたとユウは気づいた。
先輩は即答しない。
「まだ言うな」
「はい」
「本当に引くと決まるまで、終わってない」
その短い言葉で、ユウもどうにか口を閉じた。
前線でも同じ判断だったらしい。
砲撃は止まらない。
ただし無理に前へは出ない。
ビナーがまだこちらへ向き直る可能性を捨てていない動きだった。
ビナーはさらに角度を変える。
その動きは遅い。
だが遅いからこそ、不気味だった。
最後の一撃を狙っているのか、ただ退くのか、まだユウには判断がつかない。
無線へ、穏やかな声が入る。
『……追わなくていいよ』
ヴェクター隊長だった。
『向こうはもう、勝ち筋が薄いと見たんだろうね』
その言い方が、妙にすっと入ってくる。
『ビームは殺された。正面突破も止められた。ここで無理をする理由はない』
ユウは前方を見つめたまま、その言葉を頭の中で反芻する。
勝ち筋が薄い。
だから引く。
それは、人間の判断みたいだった。
あるいは、怪物であってもそれくらいは計算するということかもしれない。
ビナーの巨体が、ついに迎撃線から明確に軸を外した。
砂塵の中へ、ゆっくりと後退していく。
ドローンの数も減る。
ミサイルの尾も止む。
戦場の音が、一段だけ変わる。
それでも誰も、すぐには安堵しなかった。
重戦車は砲身を下ろさない。
エンフォーサーもまだ構えている。
ヴェクター三機もそのまま後方で待機を続けている。
ユウはその緊張が、逆にリアルだと思った。
こういう時って、映画みたいに一気に終わるわけじゃないんだな、と。
終わったかもしれない。
でもまだ断言できない。
その曖昧な時間が、じわじわと長い。
アノミマスが小さく呟く。
「……いやな感じ、うすい」
ユウがそちらを見る。
「ほんとに?」
「……うん。とおくなる」
その言葉を聞いて、ユウはようやく少しだけ息を吐いた。
アノミマスの糸が、もう遠ざかるものを追っている。
ならたぶん、本当に引く。
先輩もそこで初めて、わずかに肩の力を抜いた。
「……たぶんな」
「たぶん多いなあ、最後まで」
「確定するまで言い切らん」
「……はい」
でも、その“今は”で十分だった。
しばらくして、無線に最終確認が入る。
『対象、戦域離脱傾向を確認』
別の声が重なる。
『追撃不要。迎撃線維持のまま損耗確認へ移行』
そして最後に、ヴェクター隊長の声が全体へ入った。
『みんな、ご苦労さま』
その一言で、戦場の張り詰めた糸がほんの少しだけ緩んだ気がした。
『目的は達成だ。町は守れた』
ユウはその言葉を聞いて、やっと本当に理解する。
守れた。
倒したわけじゃない。
全部が終わったわけでもない。
でも、守るべきものは守れた。
それで十分だった。
『追撃は不要。各隊、警戒を維持したまま損耗確認と撤収準備に移ろう』
少し間が空く。
『本当によくやってくれた』
穏やかなその声は、無線越しなのに妙に近く聞こえた。
相馬がそこでようやく大きく息を吐く。
「……あー、心臓に悪い仕事だった」
「今さらですか」
「今だから言うんだよ」
声には少しだけ、いつもの軽さが戻っていた。
ユウも気づけば、指先に力が入りっぱなしだった。
グリップから手を離すと、少しだけ痺れている。
「終わった……?」
自分でも子どもみたいな確認だと思った。
でも、そう聞かずにはいられなかった。
先輩は前を見たまま答える。
「少なくとも今はな」
「今は、か」
「戦場でそれ以上を言うな」
「……はい」
でも、その“今は”で十分だった。
本隊のあちこちで、ようやく動きが変わり始める。
重戦車の再装填が止まり、代わりに弾数確認へ移る。
エンフォーサー部隊も一部がシールドを下ろし、損傷箇所を見始める。
簡易設備の方では、補給箱が引き出され、撤収用の準備も始まっていた。
戦いの終わりって、もっと劇的なものかと思っていた。
でも実際は違う。
終わったあとも、やることが山ほどある。
むしろそこからの方が忙しそうなくらいだった。
ユウはそこで、ふと前方を見る。
砂塵の向こうに、もうビナーの影は見えない。
さっきまであれほど大きかった存在が、今はもう地平の向こうへ薄れていた。
それが急に、妙に現実味を失わせる。
あんなのと戦っていた。
あんなのを、本隊は受け止めた。
自分たちはそこへ引いてきた。
今になって、少しだけ震えが遅れてくる。
「……ゆう」
アノミマスが小さく呼ぶ。
「ん?」
「……おわった」
ユウはその言葉に、ようやく少しだけ笑った。
「そうだな」
大きくじゃない。
いつもみたいに軽口を叩く余裕もまだない。
でも、それでも笑えた。
先輩が短く言う。
「ユウ」
「はい」
「ぼさっとするな。撤収準備だ」
「うわ、はい」
「そこで座るなよ新人」
相馬まで口を挟む。
「今座ったら立てなくなるぞ」
「そういうこと先に言ってくださいよ……」
「言ったら座らないのか?」
「ちょっと考えます」
「考えるな」
そのやり取りに、アノミマスの口元がほんの少しだけ緩んだ。
ユウはその顔を見て、小さく息を吐く。
まだ全部が終わったわけじゃない。
後始末もあるし、報告もある。
でも、町は守れた。
それだけは、もう疑わなくていい。
ユウは立ち上がり、端末を持ち直した。
砂塵の中で始まった戦いは、ようやくそこで終わった。
派手な勝利じゃない。
完全撃破でもない。
けれど、守るべき線は守り切った。
それはきっと、レイヴンにとって十分すぎる結果だった。
ーーーーーー
その頃、迎撃線の少し外では、別の意味でまだ騒がしい機体が一つあった。
特務制圧群〈エンフォーサー〉第4班《ウェッジ部隊》。
カタフラクトでビナーの横腹へ突っ込み、その突進軸を無理やり折った当の隊長機である。
「皆んな! 私がきた!」
大声が響く。
もっとも、それが全体無線に乗ることはない。
この隊長がこういう時にうるさくなることは、オペレーター側も最初からわかっている。
そのため回線は早々にプライベート側へ切り替えられており、周囲には届いていなかった。
「私が相手だ!」
本人は至って真面目だった。
だが、肝心のビナーはすでに向きを変えつつある。
「突進か! 何度でも止めてみせる!」
なおも気炎を上げる隊長に、オペレーターが冷静な声で返す。
『隊長、対象は後退傾向を確認。撤退と判断します。帰投準備に入ってください』
「まだ暴れない!」
『暴れてほしくはありますが、戻ってきません』
「そんな馬鹿な!」
『確認済みです。帰投します』
「待て! もう一回くらい来るかもしれないだろう!」
『来たらまた止めましょう。今は戻ります』
「くっ……!』
不満げな声は最後まで大きかったが、機体そのものは素直に反転した。
実力は本物。
人望もある。
だが、こういう時にやたら元気すぎるのが第4班《ウェッジ部隊》隊長だった。