帰投用のヘリに乗せられた時には、ユウはもう半分くらい何も考えられなくなっていた。
身体は重い。
頭も鈍い。
戦いが終わった実感はあるのに、気持ちの方がまだ少し遅れている。
ヘリの中は、行きと同じようにうるさいはずだった。
ローター音。
金属の振動。
短い無線。
でも今は、その全部が少し遠く聞こえる。
固定ベルトを引きながら、ユウはやっとひとつ息を吐いた。
「……つかれた」
口から出たのは、それだけだった。
向かいに座った相馬が少し笑う。
「ようやく言ったな」
「いや、だって今さらじゃないですか」
「今さら言えるくらいには戻ってきたってことだろ」
その返しに、ユウは少しだけ口を閉じる。
たしかにそうだった。
現場では、疲れたなんて考える余裕もなかった。
生きてるか、見失ってないか、それだけで精一杯だった。
先輩は壁際に寄ったまま、端末で簡単な確認をしている。
アノミマスはいつものように静かだったが、今日はさすがに少しだけ目が重そうだった。
ユウはその横顔を見て、小さく言う。
「……大丈夫か」
アノミマスは少しだけ顔を上げる。
「……うん」
「ほんとに?」
「……すこし、つかれた」
「そりゃそうだよな……」
その答えに、ユウは逆に少し安心した。
平気だと言われるより、今はそっちの方が自然だった。
ヘリの床には細かい砂が残っている。
靴の裏から落ちたもの。
装備に引っかかって持ち込まれたもの。
戦場の砂塵が、まだほんの少しだけここにもついてきていた。
ユウはそれを見ながら、ようやく今日のことを少しずつ思い返す。
ビナー。
砂塵。
ドローン。
ミサイル。
地面を溶かすビーム。
ヴェクターのスタンニードル。
カタフラクトの激突。
どれも大きすぎて、まだひとつの流れとしてはうまく繋がらない。
ただ、怖かったことだけは妙にはっきりしていた。
「相馬先輩」
「ん?」
「いつも、あんな感じなんですか」
「どのへんが」
「全部です」
相馬は一瞬だけ考えてから、肩をすくめた。
「いや、さすがに毎回ビナーはいない」
「ですよね」
「でも“余裕ないまま終わる”って意味では、まあ近い時もある」
「聞きたくなかったな……」
「安心しろ」
「何がですか」
「今回のはちゃんと嫌な方だ」
「フォローになってないんですよ」
そのやり取りに、先輩が短く言う。
「嫌な方だったのは事実だ」
「先輩まで乗らないでくださいよ」
「乗ってない。確認だ」
ユウは少しだけ顔をしかめる。
だが、その平常運転みたいな返しが今は逆にありがたかった。
誰かがいつも通りだと、こっちも少しだけ戻れる。
ヘリは安定した高度を取っていた。
窓の外には、さっきまでいた戦場が遠く薄くなっていく。
焼けた地面。
抉れた土。
簡易設備を畳み始めた本隊の影。
その全部が、上から見ると急に現実感を失っていた。
あそこで戦っていた。
そこへ引いてきた。
町を守った。
そう頭ではわかっているのに、実感はまだ追いつかない。
その時だった。
不意に機体がわずかに揺れる。
「……え?」
ユウは反射で顔を上げた。
何事かと思って外を見る。
ヘリの小窓の向こう、すぐ近くを巨大な影が横切っていった。
「うわ」
思わず声が漏れる。
大きな回転翼。
重い機体。
その下には、接続用のアームと搬送フレーム。
特務機体《エクドロモイ》だった。
ユウは一瞬だけ目を見開き、それから小さく息を吐く。
「……そっか」
相馬が横目で見る。
「何がだ」
「いや……カタフラクト、いましたよね」
「ああ」
「なら、それ運んできたエクドロモイが近くにいるの、当たり前かって」
相馬が少しだけ笑う。
「今さらそこまで頭回ったか」
「戦ってる時は無理ですよ」
「そりゃそうだ」
ユウは窓の外を見たまま頷く。
戦っている最中は、そんなことを考える余裕もなかった。
でも今になってようやく、任務全体の大きさが少しだけ頭へ入ってくる。
少しして、ユウはぽつりと言った。
「……カタフラクトが来るなんて、思いませんでした」
相馬の目が、少しだけ細くなる。
「初めて見たか」
「はい。資料とか映像では見たことありますけど……現物は初めてです」
思い出すだけで、まだ胸の奥が重くなる。
あの質量。
あの突進。
ビナーの巨体に横からぶつかって、戦場の流れそのものを変えた機体。
あれは、ただ大きいだけじゃなかった。
「……凄いですね、あれ」
素直にそう言うと、相馬は少しだけ苦笑した。
「凄い、で済ませていい機体じゃないけどな」
「ですよね」
「まあでも、初見ならそうなる」
先輩が端末から目を離さないまま、短く言う。
「本来、簡単に出すものじゃない」
「……ですよね」
「出た時点で、現場は普通じゃない」
その言葉で、ユウは改めて黙った。
そうだ。
あれが来たから助かった。
でも、あれが来る必要があった時点で、今日の現場はもう普通ではなかった。
エクドロモイは、何事もなかったように進路を変え、別方向へ飛んでいく。
おそらく回収か、追加搬送か、まだ別の仕事が残っているのだろう。
戦いは終わった。
けれど、レイヴン全体の仕事はまだ終わっていない。
ユウは窓の外を見ながら、小さく息を吐いた。
「……でかい任務だったんだな」
先輩が短く返す。
「今さらか」
「今さらですよ」
「遅い」
「今は許してくださいよ」
その返しに、先輩は何も言わなかった。
だが、否定もしなかった。
アノミマスが窓の外を見たまま、小さく言う。
「……まだ、みんなうごいてる」
「そうだな」
ユウも頷く。
「終わったけど、終わってない感じだ」
「……うん」
その言い方が妙にしっくり来た。
戦場のいちばん熱いところは終わった。
でも、そこから先の片付けも、報告も、確認も、たぶん全部大事なんだろう。
レイヴンは、そういう組織だ。
少しして、先輩が端末を閉じた。
「ユウ」
「はい」
「報告書、簡易版でいい。降りたら先に叩き台を作れ」
「うわ」
「うわ、じゃない」
「いや、絶対来るとは思ってましたけど」
「思ってたなら諦めろ」
「そこはもうちょっと労わってもよくないですか」
相馬が横で笑う。
「初大規模戦終わりで報告書か。ちゃんとレイヴンだな」
「笑い事じゃないんですよ」
「でもお前、あとで書けって言われるよりマシだろ」
「それは……まあ」
「今のうちに覚えてること吐いとけ。後で抜ける」
その言い方は軽い。
でも、ちゃんと現場を知ってる人間の言葉だった。
ユウは少しだけ黙ってから、小さく頷く。
「……わかりました」
返事をした時、ふと自分の手を見る。
砂。
細かい擦り傷。
力を入れすぎたせいか、指先がまだ少し強張っている。
アノミマスがそれに気づいたのか、小さく言う。
「……ユウ」
「ん?」
「……こわかった?」
ユウは一瞬だけ止まった。
軽く返そうとして、やめる。
今それを雑に流すのは、たぶん違う気がした。
「……怖かった」
口にすると、少しだけ身体の奥が静かになった気がした。
アノミマスは小さく頷く。
「……うん」
先輩はそのやり取りを聞いていたはずだが、何も言わなかった。
ただ少ししてから、いつも通りの調子で短く言う。
「次に動ければ問題ない」
ユウはそちらを見る。
「慰めですか、それ」
「確認だ」
「ほんとそういうとこですよ」
でも、その言い方が先輩なりなのも、もう少しわかってきている。
怖かった。
でも動けた。
それで今は十分だ。
相馬が椅子にもたれながら言う。
「まあ、初手であれ見て潰れなかったなら上出来だろ」
「潰れかけましたけどね」
「かけただけなら合格」
「基準が雑だなあ」
「生きてる現場の基準なんてそんなもんだ」
ユウは小さく息を吐く。
その息は、ようやく少し自然だった。
ヘリは静かに帰投を続ける。
誰かが寝たわけじゃない。
誰も気を抜き切ってはいない。
でも、さっきまでの張り詰めた感じは確実に薄れていた。
窓の外では、戦場がもうかなり遠い。
それでもユウの頭の中には、まだ残っている。
ビナーの影。
溶けた地面。
逸れたビーム。
横から突っ込んだカタフラクト。
静かに指示を飛ばすヴェクター。
全部がまだ熱を持ったまま、うまく言葉にならずに残っていた。
でも、焦って整理しなくてもいいのかもしれない。
たぶん今はまだ、帰る途中だ。
「……先輩」
「何だ」
「オムライス、今度でいいですか」
先輩が少しだけ間を置く。
「今作れる顔か?」
「無理です」
「なら今度だ」
「ですよね」
アノミマスが小さく言う。
「……つぎ」
「うん、次な」
ユウがそう返すと、アノミマスはほんの少しだけ頷いた。
それだけで、少し救われる気がした。
帰ったら報告書。
そのあと、たぶんまた色々ある。
でも、次の話ができるくらいには、今日を越えたのだ。
ユウはシートへ背を預け、目を閉じるでもなく天井を見た。
守れた。
怖かった。
疲れた。
でも、生きて帰っている。
それだけで、今は十分だった。
ヘリが基地へ降りたのは、それからしばらくしてだった。
ローター音がまだ耳の奥に残る中、ユウはベルトを外して立ち上がる。
脚は思ったより重かったが、動かないほどじゃない。
アノミマスも静かに立ち上がる。
先輩はいつも通り先に動き、相馬は最後まで軽い調子を崩さない。
「ほら一年、降りるぞ」
「その呼び方いつまで続くんですか」
「二年になるまでじゃね?」
「長いな……」
タラップを降りると、夜の空気が少しだけ冷たかった。
砂塵の匂いは薄い。
代わりに、機材と燃料の匂いが鼻につく。
ユウはそこで、少しだけ深く息を吸った。
帰ってきた。
ようやくそう思えた。
「ユウ」
先輩が短く呼ぶ。
「はい」
「アノミマスを連れて先に戻れ。報告書の叩き台はその後でいい」
「え、いいんですか」
「五分やる」
「短いなあ」
「長い」
ユウは苦笑して、隣のアノミマスを見る。
「行くか」
「……うん」
二人で少しだけ先に歩き出す。
背後では整備班や搬送班の声が飛び交っていた。
戦場は終わっても、レイヴンの夜はまだ動いている。
数歩進んだところで、後ろから相馬の声が聞こえた。
「なあ」
先輩の短い返事。
「何だ」
「お前、少し変わった?」
ユウは足を止めかけて、やめた。
聞こえてはいる。
でも振り返るほどじゃない、そんな距離だった。
「気のせいだ」
「いやあ、気のせいじゃないねえ」
相馬の声は、いつもの軽さだった。
「前ならもっと切ってたろ。あの一年の軽口とか、白いのの外向きな動きとか」
少しだけ間が空く。
「最近ちょっと待つようになったよな」
先輩は何も言わない。
ユウはその沈黙だけを背中で聞いた。
「……別に」
ようやく落ちた声は、いつも通り短かった。
「お」
相馬が面白そうに笑う気配がした。
「否定、弱くなったな」
「うるさい」
「まあ悪くないんじゃねえの」
今度の相馬の声は、少しだけ笑いが薄い。
「前のお前、ちょっと硬すぎたし」
先輩はそれにも返さなかった。
ユウはそこで、隣のアノミマスが小さくこちらを見上げたのに気づいた。
「……ユウ」
「ん?」
「……せんぱい、なにかいわれてる」
「そうだな」
「……かわった?」
ユウは少しだけ笑った。
「……かもね」
アノミマスは少しだけ考えるようにして、それから前を向いた。
「……なら、いい」
その言い方が妙に自然で、ユウは少しだけ目を細めた。
背後では、まだ相馬の笑い声がしている。
先輩はたぶん、面倒そうな顔をしているんだろう。
でも、それを今振り返って確かめる気にはならなかった。
ユウはそのまま前を向く。
ビナー戦は終わった。
けれど、その終わり方はきっと、ここで完全に閉じるものじゃない。
少しずつ変わっていくもの。
残るもの。
次へ持ち越されるもの。
そういうものも、たぶんある。
ユウは歩きながら、小さく息を吐いた。
疲れていた。
でも、少しだけ軽かった。
それが何のせいなのか、今はまだうまく言えなかった。