先生たちが店の裏口から姿を消したあと、現場には別の静けさが残った。
崩れた店内。
まだ漂う煙と粉塵。
床に膝をついたままのエンフォーサー。
その周囲で、黒装備の隊員たちが無駄なく動き始める。
撤収は、いつも通り迅速だった。
それが余計に腹立たしかった。
停止したエンフォーサーに取りつき、外装固定を解除し、排出された搭乗者を回収し、装備とログの保全を優先する。
誰も喚かない。誰も取り乱さない。
悔しさがないわけではない。ただ、それを動きの乱れに変えないのがレイヴンだった。
外から見れば、いつも通りの撤収だった。
だが現場にいる者ほど、その“いつも通り”が今は腹立たしかった。
「搭乗者、回収完了」
「機体ログ保全開始。シールド系統ショート、主系統停止確認」
「右側制圧線、収束」
短い報告が飛ぶたび、現場の空気が硬くなる。
認めたくない事実が、報告の形で積み上がっていく。
エンフォーサーが落ちた。
それも、学園内運用、制圧任務、対生徒案件で。
誰も口にはしなかったが、その事実の重さは全員がわかっていた。
「……動けます」
床へ膝をついたまま、排出された搭乗者が低く言う。
咳が混じっていた。喉に粉塵が入ったらしい。
「無理するな」
返したのは班長だった。
声はいつも通り平坦だ。
だが平坦だからこそ、苛立ちが逆に滲んでいた。
「機体が落ちた以上、お前一人立っても意味はない」
「ですが――」
「意味はない。今は下がれ」
短く切られて、搭乗者はそれ以上言わなかった。
奥歯を噛みしめる音だけが、小さく聞こえた。
少し離れた位置で、別班の隊員が店の外を確認している。
風紀委員会の車両灯が見えたのだろう、すぐに無線が飛ぶ。
「現着まで三十秒切った。撤収急げ」
「了解」
誰も命令に逆らわない。
それもレイヴンの普通だ。
だが現場にいた隊員の一人が、機体の横で低く吐き捨てた。
「……クソ」
自分で言って、すぐ黙る。
その言葉がもう一度空気を固くした。
班長が視線だけで制した。
注意も叱責もしない。
今さらそんなものに意味はないからだ。
エンフォーサーの外装固定が完了し、簡易牽引具が接続される。
回収は間に合う。
搭乗者も死んでいない。
任務目的から見れば、ここで引く判断も間違ってはいない。
だが、正しかったから納得できるわけではない。
現場の全員がそれを知っていた。
「左翼班、離脱開始」
「了解」
「後方遮断、三秒維持のち切断」
撤収手順は美しいほど滑らかだった。
悔しさすら、動きのノイズにはならない。
店の外へ出たところで、ローターの風が再び降りてくる。
上空の輸送ヘリが回収位置を維持していた。
赤い識別灯が一瞬だけこちらをなぞる。
「搭乗者から先に上げる」
「了解」
補助フックが降りる。
排出された搭乗者は一度だけ、崩れた店の方を振り返った。
そこにはもう、美食会の姿はない。
逃げた。
それ自体は想定通りだ。
レイヴンの任務は戦闘停止であって、逃走対象の深追いではない。
風紀委員会が近いなら、なおさらここで線を引くのが正しい。
正しい。
正しいが、苦い。
「乗れ」
言われて搭乗者はフックに手をかける。
上がっていく途中、下で機体を回収していた隊員の一人が、ぽつりとこぼした。
「……次は落ちない」
独り言に近かった。
誰に向けたのかも曖昧な声だった。
だが、聞こえた者は全員同じ顔をした。
否定しない。
肯定もしない。
ただその一言を、いったん胸の内へしまい込む。
今はまだそれを口にする段階じゃない。
風紀委員会の先頭車両が角を曲がるのが見えた。
タイミングはぎりぎりだ。
「回収完了。全員離脱」
「上空班、引き上げる」
最後に残っていた隊員たちが一斉にロープへ取りつき、黒い影が順に夜へ吸い上げられていく。
店の残骸と、壊れた床と、現着した風紀委員会だけが地上へ残された。
ローター音が離れる。
機内へ入った瞬間、ようやく誰かが息を吐いた。
重かった。
現場の空気が、そのまま機内へ持ち込まれていた。
搭乗者はヘルメットを外し、激しく咳き込む。
「ゲホッ……ゲホ……」
「水」
無愛想に差し出されたボトルを受け取って、乱暴に口をつける。
喉が焼けていた。粉塵と焦げた匂いがまだ鼻の奥に残っている。
「損傷は?」
班長が短く聞く。
「軽い打撲。排出は正常でした」
「機体は?」
搭乗者は少しだけ間を置いた。
「……防御系統ショート。安全制御が先に落ちました。主系統は保護優先で停止。完全破壊ではありません」
「だが、落ちた」
班長の声は淡々としていた。
搭乗者は答えなかった。
答えられなかった。
事実だからだ。
どれだけ理由を並べても、外から見える結果は変わらない。
エンフォーサーは落ちた。
それだけだ。
機内の壁に背を預けた別の隊員が低く言う。
「向こう、だいぶ喜んでたな」
誰も返事をしない。
だが全員が、その光景を見ていた。
金髪の大食い。
不機嫌そうな短髪。
妙に上品な女。
落ち着きのないもう一人。
そして、その中にいた大人。
あの瞬間、確かに向こうは勝った顔をしていた。
「まあ当然だろ」
別の隊員が答える。
「誰も倒せないと思ってたもんを落としたんだ。浮かれる」
正論だった。
正論だからこそ、機内の空気がまた重くなる。
班長はそれを一度聞き流し、端末を開く。
戦闘ログの回収進捗。センサー記録。損耗記録。
どれももう、次の話に入っていた。
「戦闘記録は支部へ直送。孤立の原因を洗い出す」
「了解」
「美食会の動きも再分類だ。いつも通りの散り方じゃない。教師が噛んだ分だけ別物になってた」
「……先生、ですか」
若い隊員がぽつりと口にする。
その呼び方に、機内の数人がわずかに反応した。
もう名前だけは回っている。
あの連邦生徒会長に呼び出された“大人”。
班長は端末から目を離さないまま言う。
「今回の主因は美食会だけじゃない。あの教師が、美食会の悪癖を勝ち筋に変えた」
「……対策、組みますか」
「もう始めてる」
短い返答だった。
それが、レイヴンの苛立ち方だった。
怒鳴らない。
机を叩かない。
落ち込む暇もほとんどない。
その代わり、次に同じ形を通さないための修正が、もう始まっている。
隊員の一人が、天井を見上げたままぼそりと呟く。
「次は、あんなふうにはいかない」
今度は誰も黙らせなかった。
否定もしない。
軽くも流さない。
ただ、その言葉だけが機内に静かに残る。
搭乗者はボトルを握りしめたまま、低く息を吐いた。
落ちた。
確かに落ちた。
経緯はいくらでも説明できる。
低出力設定だった。
無理な姿勢だった。
集中攻撃を受けた。
安全制御が先に働いた。
継戦より搭乗者保護を優先した。
全部事実だ。
だが慰めにはならない。
外から見えるのは、ただ一つ。
エンフォーサーが崩されたという結果だけだ。
そしてたぶん、それはすぐ噂になる。
一般生徒も、不良も、面白がって言うだろう。
“黒いのも落ちるらしい”と。
実際には、そんな連中が急に強くなったわけじゃない。
先生も、美食会も、今日みたいな噛み合い方もそう何度もない。
それでも、一度崩れた象徴は、一度崩れた事実として残る。
苦い記録だった。
だが、記録は記録だ。
飲み込んで、次へ回すしかない。
班長が端末を閉じる。
「支部へ戻る。今夜中に一次報告と改善案をまとめる」
「早いですね」
「遅い方がまずい」
その一言で終わりだった。
誰も異論を挟まない。
ローター音の振動の中、機体は学園支部へ向けて進路を取る。
窓の外、ゲヘナの夜景が流れていく。
搭乗者はぼんやりとその灯りを見つめながら、最後に一度だけ目を閉じた。
次は落ちない。
口には出さない。
でもたぶん、この機内にいる全員が同じことを思っていた。
悔しさを表に出すほど軽くはない。
けれど、忘れるほど鈍くもない。
沈黙の中で、誰かが低く言った。
「少しの間、ゲヘナが荒れるな」
班長は否定しなかった。
噂は広がる。
面白がる不良も出る。
自分たちでもやれると勘違いする連中も出るだろう。
だが、それで実力差が埋まるわけではない。
「……だろうな」
短い返答だけが落ちる。
その声には諦めも、焦りもなかった。
ただ、次に増える仕事量をもう受け入れている響きだけがあった。
特務執行装甲〈エンフォーサー〉(学園仕様)
ゲヘナ学園支部で運用される、学園内制圧向けの特務執行装甲。
レーザーキャノン、パルスガン、パルスシールドを主軸に、対生徒戦用の厳格な出力制限下で運用される。
その役割は殲滅ではなく、前へ出て威圧し、退路を制御し、短時間で戦闘を終わらせること。
レイヴンにとっては現場を閉じるための重い一手であり、不良たちにとっては「出てきたら終わり」の象徴でもある。