ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第5話 噂の値段

 

 噂は、火よりも軽く広がる。

 

 しかもゲヘナでは、火より軽いものほどよく燃えた。

 

 エンフォーサーが落ちた。

 

 その一件は、ほんの数日で学園中の空気を少しだけ変えていた。

 もちろん全員が正確な経緯を知っているわけではない。むしろ逆だ。知っている者ほど少ない。

 

 だが、事実だけは都合よく削られて広がる。

 

 黒い装甲が崩れた。

 レイヴンも絶対じゃない。

 やろうと思えばやれるらしい。

 

 そんな雑で軽い言葉だけが、一人歩きしていた。

 

 そして当然のように、馬鹿はそれを真に受ける。

 

「西区画で器物損壊と暴行。南側路地で集団抗争。第三商業棟前で車両暴走未遂」

 

 学園支部詰所の空気は朝から悪かった。

 端末を読み上げる声にも、疲れが滲んでいる。

 

「あと二件追加。風紀委員会から協力要請」

 

 誰かが小さく舌打ちした。

 

 昨日から似たような通報が続いている。

 一件一件は大きくない。だが数が面倒だった。

 普段なら風紀委員会だけで片付く程度の騒ぎが、短い間隔で散らばって起きている。

 

 班長は端末を受け取り、内容をざっと流し見た。

 

「風紀は?」

 

「西側と中央で手が埋まってる。南が足りないそうだ」

 

「……出る」

 

 短い判断だった。

 

「南区画の応援だ。今回は通常装備で十分」

 

 誰も異論を挟まない。

 挟むだけ無駄だからだ。

 

 装備確認をしながら、若い隊員がぼそりと漏らす。

 

「早速、噂に乗せられた馬鹿どもですか」

 

「そうだとしても、腕が湧いてくるわけじゃない」

 

 班長は淡々と返す。

 

「面倒が増えるだけだ」

 

 それが一番正確だった。

 

 出動準備は早かった。

 今回はエンフォーサーは出さない。通常武装の隊員だけで十分。

 逆に言えば、その程度の騒ぎだということでもある。

 

 黒い車両へ乗り込む直前、詰所の通信端末が鳴った。

 回線の向こうに出たのは風紀委員会の担当だった。

 

「こちら風紀委員会。南区画、状況悪化。予定通り応援を要請する」

 

「受理した。移動中だ」

 

 そこで一拍、妙な間が空いた。

 

「……最近、事件が増えた」

 

「知ってる」

 

「なら、少しは責任感じて動け」

 

 車内の何人かが顔を上げた。

 

 班長は表情を変えない。

 

「現場はどこだ」

 

 向こうが小さく息を吐く音がした。

 完全に喧嘩する気ではない。ただ苛立っているだけだ。

 

「南区画、旧倉庫通り。二十人規模。車両一台、発煙筒、打撃武器、粗製爆薬あり」

 

「了解」

 

「重装は?」

 

「今回はいらない」

 

 短く答えて回線を切る。

 

 車両が動き出す。

 窓の外を、朝のゲヘナが流れていく。いつも通り汚くて、いつも通り騒がしい。

 

 現場へ近づくにつれて、黒煙と怒声が見えてきた。

 旧倉庫通りの前では、不良生徒たちが好き勝手に暴れている。看板はひっくり返され、放置されたコンテナの上で誰かが訳のわからない勝利宣言みたいなことを叫んでいた。

 

「レイヴンも大したことねえんだよ!」

 

 聞こえてきた瞬間、車内が少しだけ静かになった。

 

「……いたな」

 

 若い隊員がぼそっと言う。

 

「想像通りすぎる」

 

 班長は何も返さず、ドアを開けた。

 

 黒い装備の隊員たちが降りる。

 それだけで、通りの空気が変わった。

 

 叫んでいた不良の一人がこちらに気づき、露骨に顔を強張らせる。

 だが後ろに仲間がいる手前、引くに引けないらしい。

 

「来たぞ、黒い集団だ!」

 

「ビビるな! どうせ落ちるんだろ、その装甲も!」

 

 近くの隊員が小さく鼻で笑った。

 

「今日は持ってきてない」

 

 その一言だけで、不良たちの顔が少し曇る。

 想定していた絵と違ったのだろう。

 

 班長は一歩前へ出る。

 

「武器を捨てろ。車両から離れろ。逃げるなら今のうちだ」

 

 声は低いが、怒鳴ってはいない。

 いつもの調子だった。

 

「は、脅しかよ!」

 

「警告だ」

 

 班長の視線が横へ流れる。

 それを合図に、左右へ散っていた隊員たちが自然に位置を取った。

 

 退路を塞ぐ。

 車両を囲む。

 高所を押さえる。

 

 やっていることは派手じゃない。

 だが、見ていればわかる。

 逃げ道がなくなっていく。

 

 不良たちの一部が焦り始める。

 

「お、おい……」

 

「囲まれて――」

 

「うるせえ! 行け!」

 

 誰かが投げた発煙筒が転がる。

 だが煙が広がる前に、黒装備の一人が蹴り返した。

 もう一人が車両のキーを撃ち抜く。

 三人目が突っ込んできた不良の腕をひねって地面へ叩きつける。

 

 早い。

 荒っぽく見えて、動きは整理されていた。

 

「南側一名制圧」

「車両停止確認」

「西路地、逃走二名」

 

「追うな。出口で止めろ」

 

 不良たちはようやく理解したらしい。

 噂で気が大きくなっていただけで、自分たちが急に強くなったわけじゃないのだと。

 

「くそっ、なんでだよ!」

 

 押さえつけられた不良へ、隊員の一人が淡々と言う。

 

「お前らが変わってないからだ」

 

 容赦のない言葉だった。

 だが事実でもある。

 

 通りの反対側から、風紀委員会の車両が滑り込んでくる。

 青い識別灯。複数名。

 タイミングは悪くない。

 

 レイヴン側の制圧は、もうほとんど終わっていた。

 

 最後に残った二人が路地へ逃げようとして、先に回っていた隊員にあっさり止められる。

 転び、叩きつけられ、数秒で静かになった。

 

 通りに残るのは、壊れた箱、横倒しの車両、座り込まされた不良たち。

 いつも通りの、つまらない終わり方だった。

 

 風紀委員会の先頭にいた生徒がこちらへ寄ってくる。

 通信で話していた相手だった。

 

「……早いな」

 

「間に合っただけだ」

 

「可愛げない返しだな」

 

 班長は答えず、不良たちの方を顎で示した。

 

「拘束はそっちでいいか」

 

「引き受ける。器物損壊と暴行、危険物持ち込みでまとめる」

 

「妥当だ」

 

 風紀側は小さく息を吐いた。

 

「助かったのは事実だ」

 

「なら十分だろ」

 

 軽い苛立ちは残っている。

 だが現場が片付いた以上、それ以上こじれる理由もない。

 

 隊員たちはもう後退に入っていた。

 長居はしない。現場は風紀委員会へ引き継ぐ。

 それがいつもの線引きだ。

 

 去り際、さっきまで威勢よく叫んでいた不良の一人が、押さえつけられたまま絞り出すように言った。

 

「……黒いのも落ちたんじゃねえのかよ」

 

 近くにいた若い隊員が、立ち止まりもせずに返す。

 

「落ちたよ」

 

 その一言に、不良の目がわずかに見開かれる。

 

「だから何だ」

 

 声は平坦だった。

 怒ってすらいない。

 それが逆に、残酷だった。

 

「お前らが勝てるようになる話じゃない」

 

 それだけ言って、黒い背中はそのまま離れていく。

 

 風紀委員会の生徒がそのやり取りを聞いて、ほんの少しだけ肩をすくめた。

 

「性格悪いな」

 

 班長は今度も答えなかった。

 ただ車両へ乗り込み、ドアが閉まる。

 

 通りの向こうでは、風紀委員会が慌ただしく後処理を始めていた。

 レイヴンの役目は終わりだ。

 

 車両がゆっくり動き出す。

 窓の外で、拘束された不良たちがまだ何か喚いている。だがその声には、さっきまでの勢いはもうない。

 

 後部座席で若い隊員がぼそっと言った。

 

「ほんとに荒れましたね」

 

「まだ序の口だろう」

 

 別の隊員が返す。

 

「噂が冷めるまでは、似たようなのが増える」

 

「面倒ですね」

 

「面倒だ」

 

 班長は短く認めた。

 

 だが、その声に焦りはなかった。

 

 騒ぎは増える。

 勘違いした不良も増える。

 風紀委員会の機嫌も少し悪くなる。

 仕事も増える。

 

 でも、そこまでだ。

 

 エンフォーサーが一度崩れた。

 その事実は消えない。

 けれど、それだけで学園の力関係がひっくり返るわけじゃない。

 

 噂には値段がある。

 今回の噂は、少しだけ高くつく。

 それだけの話だった。

 

 車内の誰かが小さく笑った。

 

「次はもう少し派手に調子に乗ってくれた方が、まとめて片付いて楽なんだけどな」

 

「そういうの、だいたい一番面倒な方向に転ぶ」

 

「知ってる」

 

 短いやり取りのあと、車内はまた静かになった。

 

 窓の外を流れるゲヘナの街は、相変わらず騒がしくて、少しだけ荒れていた。

 その荒れ方を見ながら、班長は次の通報一覧を端末で開く。

 

 仕事はもう、次に入っている。

 

 レイヴンにとっては、それが普通だった。

 




※第1〜5話の戦闘は、先生側とレイヴン側が互いの正体を把握しないまま発生した誤認戦闘です。
先生側からは「正体不明の黒い武装部隊」、レイヴン側からは「美食会に同行する身元不明の大人」と認識されていました。
後の事情聴取により、双方の間に誤認があったことはレイヴン上層部と連邦生徒会の間で確認されています。
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