第6話 別室
レイヴンに入って半年。
訓練期間の終わりは、ユウが思っていたよりずっと静かにやってきた。
大きな式があるわけでもない。
感動的な言葉が飛ぶわけでもない。
ただ、一定の訓練課程を終えた一年生たちが整列し、適性ごとに配属先を振り分けられるだけだ。
それでも、里屋ユウは緊張していた。
そりゃするだろ、と自分でも思う。
ここでようやく、訓練生から実働側へ回される。
前線補助か、護衛か、封鎖班か、輸送寄りか。
どこへ行くにせよ、ここから先は“見習い”では済まない。
列の前では、名前を呼ばれた同期たちが順に部屋へ入っていく。
みんな表情を固くしていた。
中には緊張より先にやる気が顔に出てるやつもいるし、逆に平然としているやつもいる。
ユウはたぶん、そのどちらでもない。
自分は普通だ、と思っている。
成績が悪いわけじゃない。
訓練についていけなかったわけでもない。
でも、飛び抜けているとも思わない。
レイヴン一年の中では普通。
良くも悪くも、それがユウの自己評価だった。
だから、普通にどこかの班へ入るんだろうと思っていた。
「里屋ユウ」
呼ばれて、ユウは一歩前に出る。
「はい」
案内役の隊員が無言で歩き出す。
ユウはその背中についていった。
最初の数歩は、別におかしくなかった。
だが途中で、ユウは少しだけ首をかしげる。
他の同期たちが入っていった部屋の並ぶ廊下を、そのまま通り過ぎたのだ。
さらに奥。
人通りの少ない、少し静かな通路。
壁の色まで冷たく見える。
胸の奥がざわついた。
――あれ。
――これ、どこ行くんだ?
嫌な想像が頭をよぎる。
普通すぎて、どこの班にも入れづらいとか。
訓練は終えたけど、正式配属は保留とか。
いや、さすがにそれはないと思いたい。
でもレイヴンの中で“普通”って、たまに普通に不安材料になる。
案内役は何も説明しない。
その無言が、余計にユウの考えを悪い方へ寄せた。
やばい。
これ、もしかして外されるやつじゃないか。
ユウは自分で自分に少し呆れた。
我ながら後ろ向きだ。
でも、そう思ってしまった以上はもう止まらない。
やっぱりもっと何か尖ったものが必要だったんじゃないか。
射撃でも、近接でも、判断でも。
エンフォーサーに憧れて入ったくせに、結局“普通の一年生”止まりだったんじゃないか。
そうこうしているうちに、案内役が立ち止まった。
「入れ」
短い一言。
ユウは小さく息を吸って、目の前の扉を開けた。
最初に見えたのは、人影だった。
高い。
それが第一印象だった。
ただ背が高いだけじゃない。立ち方のせいか、部屋の中にいるのに圧がある。
少し目つきが悪い。
綺麗とか怖いとかより先に、近寄りづらい。
制服の着崩しはしていないのに、なんとなく空気が鋭い。
年上なのはすぐわかった。先輩だ。しかもたぶん、あまり愛想のいい種類ではない。
ユウの中で、警戒が一段階上がる。
――終わった。
――これ絶対、怒られる部屋だ。
そう思った次の瞬間、その先輩の少し後ろに座る少女が目に入った。
そっちを見た瞬間、ユウは少しだけ思考が止まった。
白い、と思った。
部屋の中の机も、壁も、先輩の制服も、案内役の装備も、全部が黒とか灰とか暗い色でまとまっている。
その中で、少女だけが妙に白かった。
白に近い銀髪。
白い肌。
細くて、小さくて、静かな輪郭。
綺麗かどうかを考えるより先に、そこだけ色が違いすぎる、という違和感が来る。
年は近そうに見えた。
同じ一年か、少し下か。
でも、普通の生徒には見えない。
目立つつもりなんてなさそうなのに、存在そのものが浮いている。
少女はユウを見ていた。
じっと。
敵意があるわけじゃない。
でも歓迎でもない。
何かを見定めるというより、ただ静かに視線を置いている感じだ。
その目もまた、妙だった。
薄い色をしている。灰青、とでも言えば近いのかもしれない。
綺麗なのに、温度が薄い。
しかも時々、ユウじゃないどこかを見ているようにも感じる。
ユウは一瞬だけ迷って、とりあえず口を開いた。
「……どうも」
それがまずかったのか、正しかったのか、自分でもわからない。
少女は少しだけ瞬きをして、小さな声で言った。
「アノミマス」
名乗ったのだと気づくのに、ほんの半拍遅れた。
ユウが返そうとした時、背の高い先輩が先に口を開く。
「里屋ユウで間違いないな」
「は、はい」
「座れ」
短い。
ユウは素直に椅子へ座った。
座ったが、落ち着かない。
先輩は壁際に立ったままで、アノミマスは椅子に座ったままユウを見ている。
部屋の空気が、普通の班配属のそれじゃない。
「……あの」
ユウが恐る恐る口を開く。
「自分、ここで合ってますか」
先輩が少しだけ眉を寄せた。
「合ってる」
「……ほんとにですか」
「なんだその確認」
「いや、えっと……他の人たちと別の部屋だったんで」
正直に言うと、先輩は少しだけ黙った。
それから、あっさりと言う。
「お前は通常配属じゃない」
ユウの胃が少し縮んだ。
やっぱりか。
やっぱり普通すぎて――と考えかけたところで、先輩の次の言葉がその予想を外した。
「今日からお前、こっちだ」
「……こっち?」
ユウは目の前の少女を見る。
アノミマスは無言のままだ。
ただ、先輩の後ろに少しだけ体を寄せている。完全に隠れるわけじゃない。でも、近い。
ユウはそこでやっと気づく。
ああ、この子は先輩の後ろが安全なんだ。
先輩は腕を組んだまま、淡々と言った。
「アノミマスの同行担当。世話係兼、護衛補助」
「……は?」
思わず声が出た。
班配属じゃない。
想像していた前線補助でも輸送でも封鎖でもない。
そもそも“アノミマスの同行担当”って何だ。
「ちょっと待ってください」
「待たない」
「いやでも、なんで自分なんですか」
「上が決めた」
「それ一番困る答え方なんですけど」
先輩の目がわずかに細くなる。
怒った、というより、少しだけ見ている感じだった。
「お前ならまだ壊しにくいと判断された」
「……は?」
「威圧しない。詮索しすぎない。余計な癖が薄い」
「褒められてるんですか、それ」
「半分はな」
そこで先輩は短く言った。
「氷室シオンだ」
ユウは少しだけ目を瞬く。
「……あ」
「名前くらいは覚えろ」
その言い方がいかにもだったので、ユウは反射で思った。
いや、どう考えても先輩って呼ぶだろ、と。
シオン先輩、というのもしっくり来ない。
氷室先輩、というほど近くもない。
結局、先輩は先輩のままになる気がした。
先輩――氷室シオンはそこでアノミマスの方を見た。
「残り半分は、実際に会わせてみないとわからない」
ユウは思わずアノミマスを見た。
白い少女は相変わらず静かだった。
ただ、さっきより少しだけ視線が外れている。
ユウではなく、ユウの肩の少し上、空中のどこかを見ていた。
何もない場所だ。
でも本人は、何か見えているみたいな目をしている。
ユウは少し迷ってから、小さく聞いた。
「……えっと、何かあります?」
アノミマスは数秒置いてから、ほんの少しだけ首を傾けた。
「糸」
「……糸?」
「ある」
声が小さい。
聞き返したくなるくらい小さいのに、はっきり言っているのはわかる。
ユウが困っていると、先輩が横から言った。
「本人にしか見えないらしい。詳細は不明。気にするな」
「いや、気になりますよ」
「慣れる」
慣れるのか。
本当に。
ユウは頭の中で情報を整理しようとしたが、あまりうまくいかなかった。
白い少女。
小さい声。
見えない糸。
同行担当。
世話係。
護衛補助。
氷室シオンという名前の、目つきの悪い高身長の先輩。
ひとつも普通じゃない。
その時、アノミマスがほんの少しだけ先輩の後ろへ寄った。
完全に隠れるほどではないが、明らかにそちらを選んだ動きだった。
ユウはそれを見て、少しだけ納得する。
ああ、この子は自分に懐いてるわけじゃない。
ただこの先輩の近くにいるのが落ち着くんだ。
自分はその横にいる、知らない人でしかない。
それならまだわかる。
少しだけ安心した。
「……あの、ひとつだけいいですか」
ユウが言うと、先輩は顎で続きを促した。
「自分、別にアノミマスと仲良くなる自信とかないんですけど」
「ある必要はない」
「え」
「拒絶されなきゃ最初は十分だ」
ずいぶん低いハードルだった。
いや、低いのかこれ。
ユウが返答に困っていると、アノミマスが小さな声で言った。
「……普通」
ユウはそっちを見た。
「え?」
アノミマスは一度だけ瞬きをして、言い直す。
「あなた、普通」
ユウは数秒止まった。
褒められたのか、判定されたのか、よくわからない。
ただ隣で、先輩が少しだけ息を吐く音がした。
「そういうことだ」
「いや全然わかんないんですけど」
「そのうちわかる」
絶対わからないやつだ、と思った。
でもその一方で、ユウはほんの少しだけ変な感覚を覚えていた。
アノミマスの“普通”は、たぶんユウが自分で思っている“普通”とは少し違う。
ただ、それを今掘っても仕方がないのはわかった。
先輩が机の端に置かれていた端末を拾い、ユウへ渡す。
「今日から寮の部屋も移る。説明は後で送る」
「え、今日からですか」
「今日からだ」
「急すぎません?」
「もう決まってる」
ユウは端末を受け取った。
表示されているのは部屋番号と簡単な同行規定、アノミマス関連の注意事項。
文章だけ見ても普通じゃない。
その間も、アノミマスは先輩の後ろ寄りに座ったまま、時々ユウを見ていた。
まっすぐではない。
でも逸らしもしない。
警戒はしているけど、嫌ってはいない。そんな曖昧な距離だった。
先輩が最後に言う。
「質問は」
ユウは山ほどあった。
だが多すぎて、逆にどこから聞けばいいのかわからない。
結局、口から出たのは一番どうでもよくて、一番本音に近い言葉だった。
「……自分、やめさせられるんじゃなかったんですね」
一瞬、部屋の空気が止まった。
先輩が初めて、明確に変なものを見る顔をした。
「は?」
「いや、別室だったんで。普通すぎて向いてないとか、そういう――」
「お前、思ったより後ろ向きだな」
ばっさり切られた。
その直後だった。
小さく、ほんの少しだけ。
笑ったような息の音がした。
ユウは音の方を見る。
アノミマスだった。
口元が本当に少しだけ動いただけ。
でも、たぶん今のは笑った。
ユウはその瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
先輩はそれを見て、何も言わなかった。
ただ短く顎を引く。
「里屋ユウ」
「はい」
「今日からお前はこっちだ。まずはそれだけ覚えろ」
ユウは端末を握り直した。
普通の配属じゃなかった。
思っていたレイヴンの始まり方とも違う。
でも、ここで逃げる理由ももうなかった。
「……了解です」
自分は普通だと思っていた。
でも、その“普通”がここでは選ばれる理由になるらしかった。
そう返した時、アノミマスはまだ先輩の後ろにいた。
けれど、その視線だけは少しだけユウの方へ残っていた。
たぶん本当に、ここから始まるのだ。
ユウはまだ、何もわかっていなかった。
※ここから第8班の三人が本格的に動きます。
里屋ユウ
レイヴン訓練課程を終えたばかりの一年生。
自己評価は「普通」。
第8班ではアノミマスの同行担当兼、護衛補助を任されます。
氷室シオン
第8班所属の先輩。
無愛想で言葉は少なめですが、任務判断は的確。
アノミマスの護衛役でもあり、ユウからは「先輩」呼びです。
アノミマス
第8班の中核となる少女。
神秘由来の痕跡を“糸”として観測できます。
静かで口数は少ないですが、第8班の任務には欠かせない存在です。
第8班《トレイス》
神秘由来の異常や痕跡を追い、火種のうちに処理する班です。
派手に戦うというより、「大事になる前に止める」役割を担っています。