ゲヘナ特務執行隊「レイヴン」   作:ゴリさん39

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第7話 崩れない先輩

 

 新しい部屋は、思っていたより普通だった。

 

 もちろん、普通と言い切るには少し無理がある。

 同じ部屋にいるのが、目つきの悪い精鋭の先輩と、全体的に白くて静かなアノミマスなのだから、空気まで普通なわけがない。

 

 それでも、里屋ユウが想像していたような特別区画や隔離室ではなく、ちゃんと寮の一室だった。

 

 ベッドが三つ。

 机が三つ。

 収納が三つ。

 広くはないが、生活するには足りる。

 

 その部屋へ荷物を置いた直後、先輩――氷室シオンはユウに向かって言った。

 

「とりあえず、部屋のルール決める」

 

 声はいつも通り平坦だった。

 訓練課程で何度か相手をしてもらった時と同じ、無駄のない喋り方だ。

 

「ルールって、そんな厳しい感じですか」

 

「厳しくしないと面倒が増える」

 

 言い方は冷たいが、内容は案外まともだ。

 いや、この先輩はいつもそうだ。

 言葉が足りないだけで、やっていること自体はだいたい正しい。

 

 アノミマスは、そんな先輩の少し後ろに立っていた。

 ユウとはまだ距離がある。

 視線は時々こちらへ向くが、立ち位置は明らかに先輩寄りだ。

 

 先輩は指を折るようにして、必要事項だけを並べていく。

 

「門限と点呼は落とすな。危険物を机に出しっぱなしにするな。使った装備は戻せ」

 

「それはまあ普通ですね」

 

「お前は普通だからな」

 

「その言い方、便利ですね」

 

「便利だから使ってる」

 

 まるで悪びれない。

 ユウは少しだけ顔をしかめたが、否定はできなかった。

 

 先輩はそこで、アノミマスの方へ視線をやった。

 

「あと、こいつを一人にするな」

 

 ユウもつられてアノミマスを見る。

 

「少なくとも、お前が担当の間は勝手に置いていくな。移動する時は誰が付くか確認しろ。夜に出ようとしたら止める」

 

「夜に出るんですか」

 

「たまにある」

 

「たまにで済ませていい話ですか、それ」

 

「今まで済ませてる」

 

 済ませてるのか。

 本当に。

 

 その時、アノミマスが何もない空中の少し上へ視線を向けた。

 

「……糸」

 

 小さい声だった。

 

「今はあるのか」

 

「ない」

 

「ならいい」

 

 先輩はそれだけで会話を終わらせた。

 ユウだけが、やっぱり置いていかれている。

 

「えっと、今の確認必要なんですか」

 

「必要だ」

 

「詳細聞いていいですか」

 

「そのうち慣れる」

 

 ユウは小さく息を吐いた。

 この人、本当に“慣れろ”で押し切るなと思う。

 

 ベッドの位置を見た先輩が言う。

 

「ユウ、お前は入口側。アノミマスは窓側。私は真ん中」

 

 見た瞬間に意味がわかる配置だった。

 

「……壁役ですね」

 

「そうだ」

 

 あっさり肯定されて、ユウは少しだけ納得する。

 この人はたぶん、最初からこういう位置に立つ人なのだ。

 前に出る時も、部屋の中でも。

 

 最後に先輩はユウへ言った。

 

「無理なら無理って言え」

 

「え?」

 

「わかったふりするな。抱え込むな。できないなら聞け」

 

 その言葉だけは、ぶっきらぼうなのに妙にまっすぐだった。

 

「……はい」

 

「お前のことだ」

 

「わかってます」

 

 半分くらいしかわかっていなかったが、今はそれでいい気がした。

 

 アノミマスは相変わらず先輩の後ろ寄りだ。

 ユウに懐いているわけではない。

 でも、露骨に拒絶もしていない。

 

 それだけで、今は十分だった。

 

 少し部屋の空気が落ち着いたところで、ユウは先輩へ向き直る。

 

「……先輩」

 

「何だ」

 

「時間あるなら、訓練お願いしてもいいですか」

 

 先輩の目が、ほんの少しだけ細くなる。

 

「今日のうちにか」

 

「だめですか」

 

「だめじゃない」

 

 即答だった。

 

「十五分後、訓練場」

 

 それだけ告げて、先輩は踵を返す。

 訓練課程の時からそうだった。面倒そうに見えて、断るより受ける方が早い。

 

 ユウはその背中を見送りながら、小さく気を引き締めた。

 

 *

 

 十五分後。

 訓練場で向き合った先輩は、やっぱり隙がなかった。

 

 模擬用装備へ換装したアサルトライフル。

 背中のシールド。

 訓練課程でも何度か見た姿だ。

 

 だから初めてじゃない。

 でも今日は少し違った。

 

 今までは、訓練担当の先輩の一人。

 強いし、怖いし、一度も崩せたことがない相手。

 

 でも今日は違う。

 これから同じ部屋で暮らして、同じ任務で動く、自分の固定の先輩だ。

 

 だから、いつもより意味が重い。

 

「いつでも来い」

 

 先輩が言う。

 

 ユウは息を整えて踏み込んだ。

 

 最初の一歩は悪くなかったと思う。

 訓練課程の頃より足は速くなっている。

 タイミングも少しは読めるようになった。

 

 それでも届かない。

 

 先輩は下がりすぎず、逃げすぎず、必要な分だけ捌く。

 ユウの勢いを殺して、構えを崩し、気づけば逆に喉元か脇腹へ模擬銃口が来て終わる。

 

「踏み込みが浅い」

 

 短い指摘。

 

 ユウは一度距離を取った。

 まだ息はある。

 だが先輩は、本当に余裕そうだった。

 

「もう一本」

 

 ユウが言うと、先輩はわずかに顎を引く。

 

「来い」

 

 二本目。

 三本目。

 四本目。

 

 やるたびにユウは少しずつ崩し方を変える。

 正面。角度。間合い。引いてから入る形。

 でも先輩は、その全部に最小限で対応してくる。

 

 一度も崩れない。

 

 それがユウにはきつかった。

 

 勝てないことじゃない。

 届いていないことが、毎回きちんとわかるのがきつい。

 

「……っ、まだ」

 

「焦るな」

 

 短い声の直後、手首を押さえられる。

 次の瞬間には体勢が崩れ、ユウは床へ膝をついていた。

 

「崩したいなら、先に自分が崩れるな」

 

 ユウは息を荒くしながら顔を上げる。

 先輩はまだ立っている。

 シールドすら使っていない。

 

「……一回くらい、崩れてくださいよ」

 

 思わず本音が漏れた。

 

 先輩は少しだけ黙ってから言う。

 

「お前が崩せるならな」

 

 嫌味ではなく事実だった。

 だから余計に悔しい。

 

「もう一本やるか」

 

「……先輩、余裕ありますよね」

 

「ある」

 

「即答ですか」

 

「嘘つく意味がない」

 

 その正直さがひどい。

 でも嫌いじゃない。

 

 ユウが立ち上がると、訓練場の端に白い影が見えた。

 

 アノミマスだった。

 

 いつからそこにいたのかはわからない。

 ただ静かにこちらを見ている。

 いや、正確にはユウと先輩の間あたりを見ているようにも見えた。

 

「……見てますね」

 

 ユウがぼそりと言う。

 

「気にするな」

 

「先輩の後ろじゃない」

 

「たまにある」

 

 先輩はそれだけ言った。

 

 ユウはもう一度構え直す。

 

 その日も結局、一度も崩せなかった。

 

 訓練が終わる頃には、ユウの肩は重く、呼吸は荒く、額には汗が浮いていた。

 対して先輩は、軽く息を整えただけでいつもの顔に戻っている。

 

「悪くない」

 

 帰り際、先輩がぽつりと言った。

 

 ユウは少しだけ目を瞬かせる。

 

「……今の、自分に言いました?」

 

「他に誰がいる」

 

「初めて聞きました」

 

「初めて言った」

 

 それだけ言って歩き出す。

 ユウは少し遅れて、その背中を追った。

 

 出口近くで、アノミマスが待っている。

 視線は先に先輩へ向く。

 でも次の瞬間、ほんの少しだけユウの方も見た。

 

 何も言わない。

 小さい声も出さない。

 ただ立ち位置だけが、最初より少し違っていた。

 

 先輩の真後ろではなく、ほんの少し横。

 ユウから見ても、前より少し近い。

 

 それだけで十分だった。

 

 部屋へ戻るまでの短い廊下を、三人で歩く。

 

 前に先輩。

 その少し後ろにアノミマス。

 そして自分。

 

 普通じゃない部屋で、普通じゃない相手と暮らす。

 でもそれが嫌なわけじゃない。

 

 ユウは少しだけ痛む肩を回しながら思う。

 

 たぶんここから先、思っていたよりずっと長くて、面倒で、でも悪くない日々が始まるのだ。

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