部活動真っ只中の放課後。セシリアは廊下を俯きながら歩いていた。毎日のようにエミリアの元へと通って、声をかけることもできずに帰っていく。
射撃部の活動場所である射撃場は、緊張の糸が張り巡らされ、重苦しい沈黙に支配されていた。沈黙の中で銃撃音が響く。ここでは、銃を軽々しく扱う者は存在せず、部員の表情はどれも鋭く真剣な眼差しを持っていた。神経を疲弊させるような重圧が支配する空間に、彼女達の中には、力尽きたかのよにベンチに座り込んでいる者もいた。汗を流し、荒い息遣いが聞こえてくる。
部員でさえ雰囲気に当てられてしまうのだから、部外者であるセシリアには5分と持たない。毎日来ては、エミリアの勇姿を見ることかなわず、逃げ帰るしかない。
セシリアはため息を吐き出す。どうすれば、エミリアと話すことができるのか。いくら考えても答えはでない。でないのなら、誰かから知恵を借りるしかない。
プライドはあるが、分からないことや、どうしてもいい手が浮かばない時もある。そうなったら、セシリアは他人の手を借りることに、多少の抵抗を感じながらも頼ることにする。何時間かけてもできないことや、分からないことに縛られるのは時間の無駄だからだ。だからといって、思考を放棄するわけではない。新しい考え方を学んで、次の為の糧にするのだ。
セシリアはゆっくりとした足取りで保健室へと向かう。道中、ふくよかな体型にスーツを着込んだ男性とすれ違った。どうして、このようなところにこんな男性がいるのだろうと、セシリアは疑問に思った。
男性が柔和な笑みで会釈をしてきたの、セシリアも会釈を返した。もしかしたら、どこかの企業からやってきた人かもしれない。そう考えれば、納得が行く。
セシリアは男のことを頭の片隅に追いやった。自分とは関わりのないことだろうから。
それよりも、エミリアに近づく方法だ。セシリアは何か方法を得るため、もしくは何か糸口が掴めるかと考えて、保健室の扉の前に立った。ノックする為に上げた腕はやけに軽かった。
どうしてこれが、こんなところへとやってくるのか。手のひらの上に、のうのうと存在している指輪。緑色の機械じみた指輪もどき。
手を傾けて、指輪をデスクの上に落とす。このまま消えてほしいと願うのだが、それはありえないだろう。世界に500しか残っていない貴重品がそうそうなくなってしまうはずがない。そこらへんの指輪とはあり方が違うのだから。
私はほうじ茶に口をつける。喉を通る液体の味なんて理解できないほど、頭がおかしい状態にあるが関係ない。いつも通りの行動をしている。それだけでも今の私には必要なことである。
「はてはてさてさて、一体何すればいいのか?」
保健室に漂う雰囲気はモヤモヤと不透明で重苦しいものだ。このままでは、真っ暗な気分がこびり付いて駄目になりそうだ。一時的にこの部屋を出たほうがいい。
思い立ったが吉日という言葉に魅せられて、椅子から立ち上がろうとするが、それは中断せざるを得なかった。
「失礼してよろしいでしょうか?」
ノック音が響き、最近聞きなれたセシリアの声が聞こえてくる。言葉も
私は椅子に座り直して「どうぞ」と声をかける。その際、デスクの上に転がっていた指輪を咄嗟に掴んで白衣のポケットの中に隠す。引き出しの中に隠すことも考えたが、開ける時に聞こえてくる音に、注意を向けられてしまうことを恐れた。資料を出し入れしてたと、言い訳できるのだが、それを思いつかないくらい思いつめていたようだ。
セシリアが部屋に入ってくる。表情が悩みを見せていることを見ると、またエミリアに声をかけることができなかったのだろう。諦めてしまえばいいのに。そう囁いてしまおうかと、何度も思った。だが、頑張っている人間にそんな言葉を投げるのも良くないだろう。
「相変わらずの負け戦だね」
セシリアがパイプ椅子を引っ張ってきて座るのを確認してから、私は笑顔を見せて言う。正直な話、今の私に、生徒との会話をいつもの調子で乗り切ることができるか心配だ。
私の見せる笑顔と言葉に、セシリアは肩を落として落ち込む。大丈夫そうだ。
「はぁ。一体どのようにすれば声がかけられるのでしょか?」
「取り合えず、おはようとでも言えばいいよ」
「それ以上の会話を望んでいるのですわ」
「……さようなら、とか?」
「おはようとレベルが変わっていませんわよ」
私の言葉に反応して言葉を吐き出すセシリア。段々と表情が普段見せるものへと変わっていく。私もいつも通りに言葉を並び立てることができている。
「そうではなくてですね、こう、簡単な世間話ができるような関係性になりたいですわ」
セシリアの理想を聞いた私は、そんな簡単なことでいいのかと思った。実に簡単な話だ。
「簡単な話だよ。あはは」
私はケラケラと笑う。その姿をセシリアがキョトンとした顔で見つめてくる。
「か、簡単な話?」
「そう、簡単な話だ。私はてっきり、セシリアちゃんが憧れを以てエミリアと接したいと思っていたけど、全然違ったんだね」
「え!? 全然違わなくありませんよ」
「……あら、そう。まぁ、聞きなさい。役に立つのかはともかくとして、一つ私からアドバイスをあげよう。それを利用するかしないかは、セシリアちゃん次第だ。では、エミリアと普通にお話したい、一緒の時間を共有したい。そう願うのなら、その強い憧れを捨てることが最善の策だと言っておくよ」
「は?」
私の答えに、セシリアの眼が点になる。すぐに眼を細めて睨みつけてくる。
「憧れをすてるなどということはできませんわ」
「じゃあ、せめてエミリアと接する時は、それを見せないようにしようか」
「見せないようにする…ですか?」
「そう、憧れの視線をあからさまに見せつけるのは相手によくないことだよ」
ピシリと固まってしまうセシリア。おそらく、自分の行動以前の問題で、憧れを全面に押し出していたことが原因だと理解できたのだろう。
「つまり、先生と生徒。それ以上それ以下の関係はよくないと?」
「そうだよ。教師と学生。その括りから逸脱しちゃいけない。その関係を維持していけば、いずれはエミリアの方から手を差し伸べてくれるよ。ああ見えて、優しいからね」
私の言葉に、セシリアは暫く黙り込む。自分なりに内容を理解して評価しているのだろう。私の言葉に従うのかどうか。
私は思案を巡らせているであろうセシリアを放って、ほうじ茶を飲む。今の自分が、いつも見せている自分と寸分違わぬか、セシリアに見抜かれてはいないかどうか。手応えからおそらく、バレていることはない。いつもの自分を演じきっていると胸を張って言えるだろう。
スライド式の扉を開けて、セシリアは保健室から出た。保健室前の廊下は閑散としていて物悲しい。扉一つ挟んだ向こう側は静けさの中に明るさがふわふわ舞っている。その雰囲気を遊姫が作り出していた。
ただ、何かが違う。セシリアはいつもの感覚ではないと感じた。あの保健室の中に違和感が存在していた。その違和感が何であるか、彼女にはまったく分からなかった。
とりあえず、セシリアは歩き出した。目的地など一切定めずに、歩くことを目的としてだ。
セシリアは遊姫の仕草や表情、話の内容を頭の中で思い出しながら、よく分からない違和感について考えた。そして、何故だか保健室にたどり着く前に見た男性を思い出した。男性がやってきた方向は保健室がある方向だった。
「何か関係があるのでしょうか?」
声を出してから、セシリアはハッとなって周囲に視線を巡らせた。大きな声を出すつもりがなかったこともそうだが、そもそも言葉にする気もなかった。幸い、周囲に人影はなく、言うつもりのない独り言を聞かれることはなかった。
セシリアは頭の中の考えを口にしないよう意識しながら、思考を続けた。
男性が保健室から出てきた。それを考えた時に、セシリアは保健室で感じた違和感に気がついた。
それは遊姫の表情と言葉遣いだった。話し始めはいつも通りだったと、セシリアは先ほどのやりとりを思い出しながら一つ一つ考えていく。ニコニコと笑顔の仮面を貼り付けているように見える表情。それが途中で変わった気がした。相談を始めて間もなくのことだったと、セシリアは思い出した。笑顔の内容が変わったのだと気がついた。
自分はもしかして遊姫の本質を見たのではないか? セシリアは歩きながらも脳の思考速度を上げた。
そして前方不注意で壁に激突した。