シャワールームに水の打ち付ける音がする。ざあざあ、よほど大きな声を出さなければ外に聞こえるのはその音だけだ。
「……はぁ」
シャルロットは大きなため息を吐きだした。シャワーノズルから溢れ出てくるお湯に巻き込まれて、足元へと落ちていく。
お湯に濡れた髪が額や頬に張り付く。多少の鬱陶しさを感じながら、シャルロットは裸体を湯で清める。
IS学園に転入して、まだ1ヶ月も経っていない。そう思うとシャルロットは再びため息を吐き出す。一日がとても長く感じてしまう。新しいもの、慣れない環境が自身の感覚を掻き乱して狂わしているのか。それとも、胸の内にある1つの重い事がそうさせているのか。それ以外のことも考えられるが、今のシャルロットには考えつかない。
「1日も長い。1ヶ月も長い。きっと1年も長い。それじゃあ、3年はどれだけ長いんだろう?」
3年までの1日が消費される度に、心が締め付けられていくのを感じる。もしも、シャルル・デュノアというISを扱うことのできる男子が存在しないことが知られてしまったら。もしも、シャルル・デュノアの本当の姿が、シャルロット・デュノアというどこにでもいるような少女だと知られてしまったら。僕は流されるままだったとはいえ、せっかくの居場所を失ってしまうかもしれない。
「僕は……シャルル・デュノアだ」
全てを知られ、此処を追い出されたらどうしよう。あそこに戻ることになったらどうなってしまうんだろう。
眼を瞑れば見えてくる。シャルロットをシャルル・デュノアと仕立て上げ、この場所に送り込んだ人物のまったく何も見えない笑顔。何を思ってこんなことをさせたのか、シャルロットには想像することができない。
「シャルロット・デュノアじゃ駄目なんだ」
シャルロット・デュノアはフランスの大企業『デュノア社』の社長、ジェドワード・デュノアと一般市民であるロッテ・ペローとの間に生まれた子供だった。シャルロットは両親の馴れ初めなど聞いたことがないので、両親の名前と2人の間に自分が生まれたということしか知らない。物心ついた時には母しかおらず、父親がいることをまったく知らなかった。父親の存在など最近になってようやく知ったのだ。馴れ初めなど知るはずもない。母が父の話を一度もしてこなかったことが原因かもしれないが。
では何故、父親の存在を知ることができたか。きっかけは母の死だ。交通事故にあった母が病院で亡くなってすぐに、シャルロットの元に男が訪ねてきた。40歳位の男で中肉中背をスーツに包んでいた。
男はジェドワード・デュノアと名乗り、シャルロットの父親だと告げた。
どこか父親という存在に憧れを抱いていたシャルロットは、父の申し出を受け入れてデュノアの人間になった。父親は優しかった。
シャルロットは父と2人で生活でするものだと考えていた。だが、デュノアの家に居たのは父だけではなかった。
ジェドワードの本妻、マリアナ・デュノア。妖艶な笑みを絶やさず浮かべている女性で、父とそう変わらない歳頃なのに、女性らしさをまったく損なっていない。
本妻という言葉は、シャルロットの母が父の愛人であり、彼女が妾腹であることを意味していた。
それでもシャルロットは暖かい生活が待っていると思っていた。父がそうであったように、マリアナも優しいと考えていたのだ。
しかし、シャルロットは考え方を改めなければならなかった。出会い頭に頬を引っぱたかれたのだ。その後にぶつけられた言葉は定番すぎて、シャルロットは雰囲気と合わせて今でも覚えている。
泥棒猫の娘が!
見下すような視線を思い出す度に体がぶるりと震える。シャワーによって体は熱を帯びるが、心の底からは冷気が漏れ出す。中途半端に混ざり合って体が微温くなっていき、気持ちが悪いと感じた。
シャルロットはそれでもシャワーを浴びた。今止めれば、体全体が冷気によって凍りつく気がしたからだ。
頭を振って冷気の根源を無理矢理追い出す。代わりに、1人の人物の顔を思い浮かべた。この気の抜けない空間において、唯一安らぎの場となっている保健室の主、月村遊姫。シャルロットが男と偽っていること知っている人。もしかしたら、教師の多くが男装していることを知っているかもしれない。だが、自分のことを男ではないと知っている人物は、シャルロットの中では遊姫だけしかいない。
転入初日の正午、自販機前にいた遊姫に男装を見抜かれたことから関係が始まった。関係と言っても、遊姫の方から積極的に歩み寄ってくるのではなく、シャルロットの方から保健室を訪れて、まったりとした時間を過ごすだけだ。特に贔屓されているなんてことはない。体育の授業やISの実習の時に着替えをする場所を借りるくらいだ。
それだけでしかない。だけど、シャルロットにとってはそんなにもあるのだ。あの一室に流れている空気は安心できる。
保健室の先生である遊姫の評価は決して高いものではない。学生も教師も、遊姫のいい加減なやり方やものの言い方を良くは思っていない。時間は守らない、職務を放棄して何処かへ出かける、治療は最低限と保健医以前に社会人としての常識に欠けている。
駄目社会人っぷりを惜しみなく晒す遊姫を、シャルロットは見下すことはなかった。遊姫は約束した。男装していることを黙っていると。『責任』という言葉を以て約束したのだ。
「……責任」
遊姫の口にした『責任』の一言には、目には見えない力があった。少なくとも、シャルロットにはそう感じ取れた。同時に、遊姫が何か嘘をついているようにも見えた。
どうしてそう思ったのか。
シャルロットは、普遍的に流れるシャワーの音を聞きながら考える。
自分と同じなのではないか。遊姫がついている嘘は。周囲に対して、自分の姿を偽って見せている。本当の自分を隠している。シャルロットが本当の自分を偽っているのと何ら変わらない。
あの『責任』という言葉を発した時の遊姫は、へらりとしていたのが嘘だったかのように雰囲気が一変した。それは、シャルロットの心を震わせた。
遊姫のことを考えると、心が暖かくなった気がした。体の内側に溢れていた冷気は消え去り、胸から熱がこみ上げて体中に回っていく。
今のシャルロットにとって、この暖かさは大切なものだ。自分だけが得ることのできる熱。体を清める時だけ、シャルロットはこの熱を渇望する。その為に彼女は嫌なことを思い出す。より熱を感じられるように、被りたくない冷水を浴びて体を冷やすのだ。
「僕は……まだ頑張れる」
シャワーを止め、シャルロットは浴室から出る。すると、目の前に同居人である一夏がいた。
「ああ、ちょうどよ――」
女性的な丸みを帯びた体付きのシャルロットを見た瞬間、一夏の言葉は中断された。シャルロットの思考も分断され、状況が上手く理解できなかった。
どうして、一夏が此処に。いつの間に帰ってきたの。そもそも何で脱衣所に。
混乱した頭は、現状をどう切り抜けるべきかを考えることができず、代わりに一夏が手に持っていた詰替用のボディーソープが眼に入った。
ああ、ボディーソープの替えを持ってきたんだ。
そう思い至ると、休息に脳が回転を始めて、今の状況がどれほどマズイものか理解できてしまった。
「きゃあ!?」
理解できたところで打開策などなく、シャルロットは目にも留まらぬ速さでシャワールームへと逃げだした。