山海経の書斎には、静かな風が吹き込み、キサキの髪を揺らした。彼女は愛用の扇子を優雅に閉じ、卓の上の書物を指し示す。
「まずは、以前も教えた基本構造を復習しよう。我食林檎。先生、この構造はどうなっておるかの?」
「ええと……主語が『我』、述語が『食』、そして目的語が『林檎』……だね」
「正解じゃ。漢文では述語は必ず目的語の前に来る。……これが返り点を生む根源なのじゃよ」
主語 + 述語 + 目的語
「次に補語についてじゃ。例文を見よ」
王於園
「ここでは『王』が主語、『於(~にいる)』が述語、そして『園(園に)』が補語となる。場所や相手を示す補語も、述語の後に置かれるのが鉄則じゃな」
主語 + 述語 + 補語(場所・相手・道具など)
「なるほど、場所も述語の後ろに来るんだね。……じゃあ、飾りの言葉はどうなるの?」
「ふふ、察しが良いな。修飾語は日本語と同じく『前から後ろ』へとかかる」
「良師常読書を見てみよ。『良(良い)』が『師(師匠)』を飾り、『常(常に)』が『読(読む)』という述語を飾っておる。ここは迷うことはなかろう」
「では、実戦的なコツを教えよう。真っさらな白文で述語を探すなら、二つの視点を持て」
「一つは『上』から見て主語となる名詞を探すこと。もう一つは『下』から見て、否定語の不や願望の欲、文末の置き字を探すことじゃ」
「例えば、我不読書……。まず不を見つければ、その下の読が述語だと確定する。すると自ずと、その下の書が目的語だと浮き彫りになるというわけじゃな」
「……すごいな、パズルを解くみたいだ」
「そうであろう。次は文末の矣や焉についてじゃ 。これらは文を締めくくる『薬味』のようなものだと教えたが、その直前には必ずと言っていいほど述語が鎮座しておる 。つまり、これらを見つければ、そこが文章の『終わりの句切れ』だと即座に判別できるのじゃな 。構造を見失ったときは、まず文末を見て、そこから逆算して述語を特定するのが、玄龍門に伝わる……いや、漢文攻略の鉄則よ 」
キサキは少し楽しげに目を細め、先生のすぐ隣へと歩み寄った。
「そして、先生が最も苦労するであろう『返り点』の予測じゃな。漢文は述語の後に目的語が来る 。例えば『故郷を愛す』であれば、漢文では愛故郷となる 。この、日本語とは真逆の並びこそが、レ点や一二点を生み出す原因なのじゃ 」
「愛(述語)の下に故郷(目的語)がある。……日本語で読むときは、下から上へと跳ね返らねばならぬ 。この『逆転』を頭の中で描けるようになれば、白文のままでも返り点が透けて見えるようになる。……ふふ、そうなれば、其方も立派な漢文の使い手じゃな」