盤上の反逆者   作:stein0630

1 / 7
1

白かった。

 

地平も、空も、怒号も、通信も、すべてが一つの色に塗り潰されていく瞬間を、ルルーシュ・ランペルージは見た。光ではなかった。あれは暴力の極致だ。世界そのものが理不尽に肯定した、絶対の白。

 

「――ナナリー!!」

 

叫んだ声が、返ってこない。

 

届くはずの場所は、もうどこにもなかった。

 

指先が空を掴む。何も掴めない。歯を食いしばる。脳が状況を理解するより先に、感情だけが裂ける。あり得ない。認めない。だが、現実は常に、認めるかどうかなど聞いてはくれない。

 

次の瞬間、白は砕けた。

 

砕けた、はずだった。

 

落下した感覚も、衝撃もない。ただ視界だけが切り替わる。まるで盤面を裏返したように。

 

黒と白。

 

どこまでも続く正方形の床。天井はない。星が近すぎる夜空の下、色とりどりの光が、薄い膜のように空間の縁を流れている。現実感のない、くせに妙に精密な世界だった。

 

そして、その中央に――いた。

 

小さな影が、白のマスの上に腰掛けている。

 

子供に見えた。見えるだけなら。

 

「おっと。思ったより早く立ち直るんだね」

 

ぱち、ぱち、と軽い拍手が鳴る。

 

ルルーシュは一歩も動かない。視線だけで周囲を測り、出口の有無、光源、遮蔽物、気配の数、相手の重心、声の響き方を一息で拾う。

 

「……ここはどこだ」

 

「質問が一つずれたなあ。普通は“お前は誰だ”からじゃない?」

 

「貴様が答える価値のある存在なら、次に聞く」

 

相手は笑った。面白がるように、ではない。試すように。

 

「いいね。そういうの、好きだよ。じゃあ答えてあげる。ここは、君の世界じゃない」

 

「そんなことは見れば分かる」

 

「うん。じゃあ今度はこっち。君は、死んだと思う?」

 

ルルーシュの目が細まる。

 

挑発だ。軽薄に見せかけて、反応を測っている。言葉の選び方、間の取り方、視線の置き方――子供の皮を被った、別種の捕食者。

 

「死後の世界にしては、趣味が悪いな」

 

「ははっ、合格。じゃあ二問目。僕は誰でしょう?」

 

ルルーシュは、そこでようやく一歩踏み出した。

 

床に音はない。黒白のマスは石にも木にも見えず、ただ“そういうもの”として存在している。正面の相手は王冠を被っていない。剣もない。だが、盤上の中心に座り、こちらに名乗らせる前に自分が問いを出した。その振る舞い自体が、支配ではなく主催を示している。

 

「権力者ではない。裁定者だ。少なくとも、この空間においてはな」

 

「続けて」

 

「そして、俺をここへ連れて来た側だ。俺が拒否できない地点に立たせ、なおかつ会話の形式を選ばせている。なら、貴様は案内人ではない。出題者だ」

 

相手は口元を吊り上げた。

 

「いいねえ」

 

「ゲームの主催者――いや」

 

ルルーシュは天を見上げた。

 

黒と白の盤面。星々。色の膜。現実の法則より、規則の匂いが濃い空間。そういう世界を、楽しげに整えて見せる存在。

 

「神、か」

 

子供が、にっこり笑った。

 

「正解。テト。こっちじゃ一応、神様やってる」

 

「一応?」

 

「そういう肩書きって、偉そうに言い切ると急に安っぽくならない?」

 

「なるほど。ふざけた神というわけか」

 

「ふざけてはいるけど、嘘は言ってないよ」

 

テトはぴょんと立ち上がった。年齢不詳の軽さで、けれどその一挙手一投足には、妙な“決定権”があった。

 

「ようこそ、ディスボードへ。暴力が役立たない、ゲームですべてが決まる世界へ」

 

その一言で、ルルーシュの表情がごくわずかに変わる。

 

暴力が役立たない世界。

 

それは、一瞬だけ、ある少女の願いに似ていた。

 

優しい世界。誰も傷つかない世界。争いのない世界。かつて車椅子の上で、静かに笑っていたあの声が、遠くで重なる。

 

だがルルーシュは、その連想を表情に乗せない。

 

「……それは理想論だな。人は奪う。奪われれば憎む。憎めば争う。ルールを変えた程度で本質は消えない」

 

「うん、消えないよ」

 

テトはあっさり言った。

 

「だから面白いんじゃん。殺せない。殴れない。脅して奪えない。じゃあどうする? 嘘をつく? 騙す? 誘う? 賭けさせる? 同意させる? それをぜーんぶ、盤の上でやる。命の代わりに、意思と知恵と欲をぶつけるんだ」

 

「……」

 

「君みたいなの、わりと向いてると思うよ。王様ごっこ」

 

その瞬間だけ、空気が冷えた。

 

ルルーシュは笑わない。怒鳴りもしない。ただ、視線だけが鋭くなる。

 

「ごっこ、だと?」

 

「違うの?」

 

テトは首を傾げる。

 

「王ってさ、立場じゃない。何を賭けて、何を背負って、何を盤に乗せるかで決まる。君はたくさん乗せてきた顔をしてる。でも、まだ一番重い駒の置き方が分かってない」

 

ルルーシュの瞼の奥で、熱が走った。

 

あの力は、命令の王権だ。目を合わせ、言葉を通し、相手の自由意思を塗り潰す。これまで何度も戦局を変え、同時に多くを歪めてきた力。

 

知らぬ世界で、知らぬ神を前に、それを試す愚は犯さない。

 

ましてや――一度きりの命令は、無駄にしていいものではない。

 

「俺をここへ連れて来た理由は何だ、テト」

 

「簡単。見たかったから」

 

「何を」

 

「力で世界を変えようとしてた王様候補が、力を使えない世界で何をするのか」

 

軽い声音だった。軽いくせに、核心だけは外さない。

 

ルルーシュは沈黙する。

 

テトはその沈黙を肯定と受け取ったのか、くるりと盤上を回ってみせた。

 

「いくつか教えとくね。ここじゃ、殺傷、戦争、略奪は禁止。争いは全部ゲームで決める。欲しいなら賭ける。勝ったら奪える。負けたら従う。シンプル」

 

「シンプル、か」

 

「うん。だから難しい」

 

テトは笑った。

 

「それで――君のその目の力。あれ、使えるよ」

 

ルルーシュの視線が一瞬だけ動く。

 

「ただし、世界のルールを飛び越えはしない。禁じられたことは命じてもできない。殺せないし、奪えないし、“同意が必要な場面”で強制を同意扱いにもできない」

 

「……なるほど」

 

「たとえば、その力で相手に“ゲームを受けろ”って命じても、誓約は成立しない。この世界は一方的な命令を合意として認めない。逆に、ゲームの中で、双方がそういうものも含めて盤に乗せたなら――話は別だけど」

 

「つまり」

 

ルルーシュは静かに言った。

 

「命令はできる。だが、命令だけでは支配にならない」

 

「そういうこと」

 

その答えは、厄介だった。

 

使えないわけではない。無意味でもない。だが万能でもない。むしろ、この世界では“強制”と“合意”の境界そのものが、最も重要な戦場になる。

 

面白い。

 

あまりにも面白くて、腹が立つほどに。

 

「俺は元の世界へ戻れるのか」

 

テトは片目をつむる。

 

「勝ち方次第」

 

曖昧な返答。だが、完全な否定ではない。

 

それで十分だ。

 

「ならば条件は揃った」

 

「お、切り替え早い」

 

「いつまでも喪失に跪いていられるほど、暇ではない」

 

ナナリーが死んだと、まだ認めたわけではない。

 

認めないからこそ、止まらない。

 

止まれば、終わる。

 

テトは満足そうに笑い、指を鳴らした。

 

盤の端に、いくつもの光の窓が開く。森。海。砂漠。巨大な都市。天空に連なる塔群。見たこともない種族たちのシルエットが、窓の向こうをよぎっていく。

 

「サービス。最初の配置くらい、自分で選びなよ。今の君に一番向いてる盤面」

 

ルルーシュは一つ一つを見た。

 

魔法を扱う者。翼ある者。獣の耳を持つ者。明らかに人間ではない種族たち。その中で、ひどく貧しく、ひどく小さく、ひどく脆い景色が一つだけあった。古びた城壁。くたびれた旗。内部から先に崩れそうな王都。

 

「そこか」

 

「どうして?」

 

「弱者の国だからだ」

 

ルルーシュは即答した。

 

「強者の支配構造は、外から切り崩すには手間がかかる。だが、追い詰められた弱者は、変革を必要としている。必要は最も強い賭け金だ。そこからなら盤面全体に手が届く」

 

テトは目を細めた。

 

「人類種の国、エルキア。今いちばん終わりかけてる国だよ」

 

「好都合だ。終わりかけているものほど、塗り替えやすい」

 

「言うねえ」

 

「王がいるのか?」

 

「ちょうど、空席になったところ」

 

テトの笑みが、少しだけ悪戯っぽく深まる。

 

「王冠が賭けられる直前だ」

 

その一言だけで十分だった。

 

ルルーシュは光の窓へ歩き出す。

 

「最後に一つ、神」

 

「ん?」

 

「この世界で、最も価値があるものは何だ」

 

テトは少し考えるふりをしてから、楽しそうに答えた。

 

「さあね。でも、少なくとも“命令”じゃない」

 

その返答に、ルルーシュは薄く笑った。

 

「なら、奪い甲斐がある」

 

光が反転する。

 

次の瞬間、冷たい夜気が頬を打った。

 

石畳。酒の匂い。人いきれ。遠くで鳴る笑い声と罵声。見上げれば、夜空には見慣れない星座が散り、月は一つではなかった。空気そのものが、あの世界とは別の密度を持っている。

 

ルルーシュは路地の影に立ったまま、数秒で周囲を把握する。

 

王都の外縁か、あるいは下町。建物の質は低い。だが、完全な荒廃ではない。人は生きている。生きて、疲れ、笑い、騙し、食っている。国家が弱っても、人間はすぐには死なない。

 

通りの角に掲げられた木札へ目をやる。

 

そこに記された文字を、彼は読めた。

 

不自然なほど、当たり前に。

 

一、殺傷、戦争、略奪を禁ず

二、争いはすべてゲームの勝敗で解決されるものとする

八、ゲーム中の不正が発覚した場合、敗北とみなす

 

「……親切設計だな」

 

異世界の言語を理解できることにも、法の概要が街角に掲げられていることにも、意図を感じる。あの神の趣味か、この世界そのものの仕組みかは知らないが、新参には都合がよかった。

 

問題は、無一文だということだけだ。

 

「そこの兄ちゃん」

 

声をかけてきたのは、酒場の軒先で三枚の札を弄んでいる男だった。三十代半ば。愛想のいい笑顔。爪の手入れが妙に綺麗で、目だけが笑っていない。

 

「見ない顔だな。旅人か? 腹減ってるなら、ちょっと遊んでいかないか」

 

机の上には三枚の札。赤が一枚、黒が二枚。単純な当て物らしい。周囲には数人の野次馬。勝ったり負けたりしているように見えるが、顔ぶれは妙に固定されている。

 

ルルーシュは男ではなく、観客の一人に視線を置いた。痩せた若者。札が動くたび、無意識に右肩が揺れる。

 

仲間、か。

 

「ルールは?」

 

「簡単さ。札を伏せて混ぜる。赤を当てたら勝ち。初回は二倍。兄ちゃん、運良さそうだしな」

 

「運を測る趣味はない」

 

ルルーシュは机に近づき、札ではなく椅子に座った。

 

「だが、情報と金は欲しい。賭け金を変更する」

 

男の眉がわずかに動く。

 

「へえ?」

 

「俺が勝ったら、今夜の宿代、当地の通貨と衣服、それから質問に三つ答えろ。俺が負けたら――」

 

ルルーシュは、自分の外套を指先で弾いた。

 

「これをくれてやる。見たところ、珍品だろう」

 

男の目が光る。異国の仕立て。装飾は控えめでも質が違う。売れば金になると踏んだのだろう。

 

「いいぜ」

 

「まだだ。追加ルールがある」

 

「……なんだよ」

 

「ゲーム中、卓につく者は俺と貴様だけ。観客は口を出さない。札に触れていいのは貴様の両手だけ。開始後、肘から先は卓上から離すな。違反は不正とみなす」

 

周囲がざわついた。

 

男は一瞬だけ痩せた若者に視線を流し、それから笑った。

 

「警戒心強いな」

 

「知らない土地で無警戒に賭けるほど、育ちが悪くない」

 

「いいだろう。受けてやる」

 

誓約の言葉が交わされた瞬間、空気がわずかに張る。

 

見えない何かが場を閉じた感覚。軽いが、確かだった。

 

男が札を伏せる。指の動きは滑らかで、手品師めいている。だが、速さそのものは脅威ではない。問題は、何を見せて、何を隠しているかだ。

 

一度目の混ぜ。

 

二度目。

 

三度目。

 

ルルーシュは札を見ない。

 

男の袖口を見る。右のカフス。わずかに厚みがある。いや、厚いのは左か。違う。厚みではない。角度だ。布が不自然に浮く瞬間がある。

 

四度目。

 

観客の痩せた若者が、右肩ではなく今度は視線を落とした。

 

合図は切った。なら、もう札の位置は関係ない。

 

「さあ、どれだ?」

 

男が笑う。

 

ルルーシュは中央の札に触れない。

 

代わりに、男の左手首を指さした。

 

「そこだ」

 

「は?」

 

「袖の中を出せ」

 

空気が止まる。

 

男の笑みが、初めて崩れた。

 

「何言って――」

 

「札を三枚で始めた時点で、勝負は三択だった。だが貴様は途中で一度、左袖を卓の縁に擦らせた。あの瞬間、赤札を掌から袖へ逃がしたな。机の上にあるのは、黒二枚と赤に見せるための空札。俺に選ばせた後で入れ替えるつもりだった」

 

「証拠が――」

 

「ある」

 

ルルーシュは冷ややかに言った。

 

「貴様が“札に触れていいのは自分の両手だけ”という条件に、妙に素直に乗った理由だ。手以外――袖口への逃がしを禁止されていないと踏んだからだろう。だが、もう一つ条件があった。開始後、肘から先は卓上から離さない。貴様はさっき、左前腕を一瞬だけ持ち上げた。観客が気づかない程度に。十分だ」

 

沈黙。

 

数拍置いて、野次馬の一人が吹き出した。

 

「おいおい、マジかよ」

 

「不正、発覚じゃねえか」

 

「八番だ、八番!」

 

男が立ち上がりかけた瞬間、机の上の札がばさりと散った。袖口から赤札が一枚、情けなく滑り落ちる。

 

どっと笑いが起きる。

 

勝負は終わった。

 

男の顔から血の気が引いた。誓約が成立した以上、言い逃れはできない。この世界では、不正は言い訳より先に敗北になる。

 

「……くそ」

 

「宿と金と衣服。それから質問だ」

 

ルルーシュは淡々と言った。

 

男は歯ぎしりしながら、革袋を机に置く。続いて、近くの店員に怒鳴って衣服を用意させた。酒場の二階に空き部屋もあるらしい。

 

周囲の視線が変わる。

 

珍しい服の旅人から、面倒な頭脳屋へ。

 

それでいい。舐められるよりはるかに使いやすい。

 

「質問は三つだったな」

 

「ああ」

 

「一つ。この国で、今もっとも高く賭けられているものは何だ」

 

男は苦い顔で答えた。

 

「王冠だよ。知らねえのか。先王が死んで、継承権持ちが揉めてる」

 

「二つ。継承権者は」

 

「ステファニー・ドーラ様……だった、って言い方のほうが近いかもな」

 

「だった?」

 

「勝負が近い。負けりゃ終わりだ」

 

「三つ。その相手は誰だ」

 

男が答えようとした、その時だった。

 

「その話、詳しく聞かせてもらえるかしら」

 

通りのざわめきが、一段だけ変わった。

 

振り向くと、入り口のところに一人の少女が立っている。長い金髪。赤みのある瞳。旅装に近い簡素な格好をしているが、布地の質と立ち方が庶民ではない。気丈さを表に出しているくせに、焦りが隠し切れていない。

 

ルルーシュは一目で理解した。

 

王族だ。

 

あるいは、それに準ずる立場。

 

男が顔を青くする。

 

「す、ステフ様」

 

「今の勝負、見てたわ」

 

少女――ステファニー・ドーラは、まっすぐルルーシュを見た。

 

感情は表に出ている。だが、完全に感情任せではない。目の焦点がぶれていない。追い詰められてなお、人を見る目は残っている。

 

「あなた、ただの旅人じゃないわね」

 

「そう見えるか?」

 

「少なくとも、ただのカモじゃなかった」

 

「それは光栄だ」

 

彼女は一歩近づく。

 

周囲の空気がぴんと張る。王族と素性不明の男。酒場の片隅にしては、盤面が急に大きくなりすぎた。

 

「あなた、名前は?」

 

ルルーシュは答えない。

 

その一拍の沈黙に、ステファニーは眉を寄せたが、怒鳴らなかった。代わりに、言い直す。

 

「……お願い。話をしたいの」

 

ルルーシュの目が、ほんの少しだけ細くなる。

 

命令ではなく、依頼。

 

追い詰められているくせに、その線だけは踏み越えない。

 

面白い女だ、と彼は思った。

 

「断ると言ったら?」

 

ステファニーは息を呑み、それでも視線を逸らさなかった。

 

「その時は」

 

迷ってから、彼女は言った。

 

「その時は、ゲームで勝って、あなたの時間をもらうわ」

 

酒場の空気が、今度は別の意味で沸いた。

 

ルルーシュは、ようやく笑った。

 

薄く、だが確かに。

 

「なるほど」

 

その笑みには、皮肉と興味と、わずかな愉悦が混じっていた。

 

「ようやく、この世界らしい誘い文句が来た」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。