「なるほど」
その笑みには、皮肉と興味と、わずかな愉悦が混じっていた。
「ようやく、この世界らしい誘い文句が来た」
酒場のざわめきが、一段深くなる。
ステファニー・ドーラは一瞬だけ肩を強張らせたが、逃げなかった。強がりではなく、逃げる余地がないのだろう。追い詰められた人間特有の切羽詰まった目をしているくせに、その奥には妙な頑固さが残っている。
ルルーシュはそういう目を知っていた。
守りたいものを持っている者の目だ。
「なら、受けるわね?」
「条件次第だ」
「……何でも言って」
即答だった。
即答した後で、彼女自身がそれを危ういと理解したらしい。唇を噛み、わずかに眉を寄せる。だが撤回しない。撤回できないのではなく、しないのだ。
ルルーシュはその反応だけで、彼女の質を一つ測った。
浅慮ではある。だが、不誠実ではない。
「いいだろう。なら形式を変える」
彼は立ち上がり、机の上の札を指先で払った。代わりに、店員が置いていった小さな木片を三つ、こちらへ寄せる。
「一時間を賭けるには、少々長い。まずは前哨戦だ」
「前哨戦?」
「貴様は俺と話したい。俺は貴様と、この国の事情を知りたい。なら、互いの欲しいものを賭ければいい」
周囲の野次馬たちが、面白がるように身を乗り出した。
ディスボードの住人は、他人の修羅場より他人のゲームのほうが好きらしい。健全なのか不健全なのか、判断に困る価値観だ。
「ゲームの名は――そうだな。“三片の真実”でいい」
ルルーシュは木片を一本取り、酒場の隅に転がっていた炭筆で短く印をつける。
「互いに三つの文を用意する。内容は自由。ただし、自分が知っている事実、あるいは今の自分の意思に限る。そのうち二つは真実、一つだけは虚偽」
ステファニーの目が動いた。理解は早い。
「質問は?」
「相手に対し、一つだけ許可する。質問への答えは、虚偽も可能だ」
「え?」
「当然だろう。質問まで真実で縛れば、ただの確認作業になる。これは、答えそのものではなく、嘘の置き方と、真実の混ぜ方を見るゲームだ」
「……なるほど」
「最後に相手の虚偽を一つ選ぶ。正解した方の勝ち。両者正解なら引き分け、両者不正解でも引き分けだ。勝者は要求を通す」
「要求って」
「貴様が勝てば、一時間。俺は貴様の話を聞く。質問にも答える。負ければ、今夜から明朝まで、俺に王都の保護と行動の便宜を提供しろ。加えて、俺の質問に答えてもらう」
ステファニーは少し考えた。
「……名前は?」
「勝った方だけが聞けばいい」
「ずるい」
「戦略的と言え」
彼女はむっとした顔をしたが、すぐに息を吐いた。
「いいわ。受ける」
「では」
ルルーシュが木片を三つ並べる。
「誓約《アシェンテ》」
ステファニーも、わずかに遅れて唱えた。
酒場の空気が、目に見えない膜を張ったように変わる。何度目かの感覚だが、やはり不思議だ。ルールがただの口約束ではなく、世界そのものに刻まれる。
ならば、この世界で最も重要なのは、剣でも銃でもなく、定義だ。
ルルーシュは木片に三行、迷いなく書いた。
一方、ステファニーは途中で二度ほど筆を止めた。考えている。考えながらも隠せていない。良く言えば素直、悪く言えば、表情に書いてある。
やがて互いに木片を伏せる。
「先に見るのは?」
「同時だ」
三枚が裏返される。
ステファニーの木片には、整った文字でこうあった。
一、私は先王マハコート・ドーラの孫である。
二、この国の王位継承戦で、私はまだ一度も負けていない。
三、私があなたに声をかけたのは、勝てる人材だと判断したからだ。
ルルーシュは視線を流すだけで読み終えた。
先王の名が出た。王族であることは確定。二つ目は王位継承戦の現況。三つ目は接触理由。いずれも、今この場で意味を持つ。
悪くない置き方だ。
真実と虚偽の距離も近い。素人の雑なフェイントではない。
「次、あなた」
ルルーシュの木片には、こう記されていた。
一、俺はこの国の王冠に興味がある。
二、俺は元の世界へ帰る方法を探している。
三、俺には、どうしても生きて再会しなければならない相手がいない。
ステファニーが、そこで息を止めた。
目が揺れたのは三つ目を読んだ瞬間だ。感情を動かされた。なら、そこは餌になる。
「質問は一つだったな」
ルルーシュは肘を組んだまま言う。
「先に譲ってやる。お姫様」
「……お姫様じゃないわ」
「なら、何だ」
「ただの挑戦者よ」
即答。反射で出た否定には、人間の本音が混じる。
「それが質問か?」
「違うわよ」
ステファニーは不機嫌そうに睨んでから、すぐに視線を木片へ落とした。
どれを聞くべきか、迷っている。三つ目に引かれているのは明らかだった。だが、そこへ直進するほど愚かでもない。自分の感情が相手の誘導に乗ることくらいは理解している。
「……二つ目」
彼女は言った。
「あなた、本当に“元の世界”から来たの?」
「本当に、とは面白い聞き方だな」
「答えて」
「答えは“はい”だ」
即答してやる。
真実でも虚偽でも成立する答え方だ。重要なのは、答えに込めた迷いのなさだ。ステファニーは目を細め、言葉よりその出し方を見ようとした。だが、その時点でもう遅い。
「次は俺だ」
ルルーシュは、彼女の三文を見たまま問う。
「三つ目。“勝てる人材だと判断したから”とあるが――判断材料は、さっきの勝負だけか?」
ステファニーが、そこでわずかに硬直した。
ほんの一拍。
それだけで十分だった。
彼女は、すぐに答える。
「……いいえ」
「ほう」
「最初に見た時から、普通じゃないと思った。服装も、立ち方も、周りの見方も。あの札師を暴いたのは決定打だったけど、それだけじゃない」
答えそのものは滑らかだった。
だが、そこでルルーシュは確信する。
彼女は今、最も守りたい部分を隠した。
札師の件以前から目をつけていたのは事実だろう。だが、それだけではない。もっと切実な理由――彼女は、“勝てる人材”を探していたのではなく、“縋れる最後の可能性”を探していた。
判断ではない。祈りだ。
そして、祈りは当人ほど上手く偽装できない。
「いいだろう。では、選ぶぞ」
「ちょ、ちょっと待って。こっちもまだ――」
「もう十分だ」
ルルーシュは彼女の木片を指で叩いた。
「虚偽は二つ目。“この国の王位継承戦で、私はまだ一度も負けていない”」
ステファニーの瞳が開く。
「な、なんで」
「一つ目は真実。血縁をわざわざ偽る意味が薄い。三つ目も、表現を厳密に取れば真実だ。貴様は俺を“勝てる人材”と判断した――いや、そう判断したことにしたい。少なくとも、その意志は本物だ」
「……」
「だが二つ目だけは違う。貴様は、すでに何かを失っている。立ち方に余裕がない。酒場に出入りし、見知らぬ男に公然と声をかける王族がいるものか。正攻法で余裕があるなら、城で人を選ぶ。貴様はそれができない地点まで追い詰められている」
静まり返った酒場で、ステファニーは唇を噛んだ。
図星だ。
「継承戦そのものに負けたのか、前段で支持基盤を失ったのかは知らない。だが、“まだ一度も負けていない”だけは、今の貴様の顔と噛み合わない」
彼女は何か言い返そうとして、結局言葉を失った。
観客の一人が、小さく息を呑む。
ステファニーはゆっくり目を閉じ、次いで開いた。
「……正解よ」
その宣言と同時に、場の空気がかすかに揺れる。世界が勝敗を認めた印だった。
「ま、待って。じゃあ私も選ぶ」
「いいとも」
ルルーシュは頷いた。
彼女は今度こそ長く迷った。三つ目が気になって仕方ない顔をしている。だが、それに飛びつけば負ける。そう分かっているから苦しむ。
「……三つ目」
やがて彼女は言った。
「“再会しなければならない相手がいない”。これが嘘」
「理由は」
「あなたの目」
ルルーシュの眉が、ほんの僅かに動く。
「二つ目は、本当か嘘かまだ分からない。でも、一つ目は多分本当。あなたは王冠に興味がある。そういう顔をしてる。だけど三つ目は――違う」
ステファニーはまっすぐ言った。
「あなた、さっき“元の世界へ帰る”って言葉を見た時より、“再会しなければならない相手がいない”を見た時の方が、少しだけ冷たくなった。そんな人が、誰もいないはずない」
酒場の空気が、また揺れた。
引き分けではない。勝者の確定でもない。ただ、彼女の答えが、世界の規則に触れている感覚。
ルルーシュは数秒、彼女を見た。
そして、笑った。
「正解だ」
どっと周囲が沸いた。
両者正解。よって、引き分け。
……だが、引き分けは引き分けでしかない。
「ルール通りなら、要求は通らないわね」
ステファニーが言う。悔しさと安堵が半分ずつ混ざった顔だ。
「いいや」
ルルーシュは指先で机を叩いた。
「引き分けなら、交渉だ。貴様は俺と話したい。俺は貴様の事情を知りたい。利害は一致している」
「……最初からそれが狙い?」
「世界は勝者だけで回っているわけではない。引き分けをどう使うかで、器量は出る」
ステファニーは半眼になった。
「性格悪いわね」
「今さら気づいたか」
彼女は大きく息を吐いたあと、椅子を引いた。
「分かった。城に来て。少なくとも、ここで話すことじゃない」
「ようやく賢明な提案が出たな」
「でも、保護と便宜はまだ約束しない。そこは交渉」
「構わん。こちらもまだ、貴様に値札をつけていない」
「ほんっと腹立つ」
そう言いながらも、ステファニーはどこかほっとした顔をしていた。
王都の夜風は思ったより冷たかった。
酒場を出ると、喧騒は少し遠のき、代わりに石造りの建物が冷気を蓄えた匂いを放ってくる。ステファニーの手配した馬車は質素だったが、紋章だけは古い格式を残していた。王都における彼女の立場をそのまま形にしたような車だ。名目は高い。実入りは低い。
向かいに座ったステファニーは、揺れる灯りの中でじっとルルーシュを見ていた。
「まず確認。あなた、本当に名前を言う気ないのね」
「必要になれば言う」
「信用できない」
「信用は、名乗りで得るものではない」
「じゃあ何で得るのよ」
「結果だ」
即答だった。
彼女は舌打ちこそしなかったが、したい顔はした。
「……いいわ。じゃあ、私から話す。私はステファニー・ドーラ。先王マハコート・ドーラの孫。祖父が死んで、王位継承戦が始まった」
「継承権は直系だからか」
「血筋だけじゃない。この国では、王位はゲームで決まる。そういう遺言が残されたの」
「先王らしいな」
「らしい、って何よ」
ルルーシュは窓の外を眺めたまま言う。
「国を盤に見ていた人間だ。王位すら固定資産にしない」
ステファニーは眉をひそめた。
「……祖父を知ってるみたいな言い方」
「知らん。だが、少し匂う」
「匂う?」
「貴様の祖父は、愚王と呼ばれていたんだろう」
ステファニーの肩が強く震えた。
「誰から聞いたの」
「聞いていない。見れば分かる」
ルルーシュは淡々と続ける。
「王都の外壁は古いが崩壊していない。市場も完全には死んでいない。王族の馬車は貧しいが、民衆が絶望で沈み切ってもいない。つまりこの国は、“終わりかけている”が、“とうに終わっていた”わけではない」
「……だから?」
「だから、先王は本当に無能だったわけではない」
ステファニーの呼吸が、止まる。
「貴様の顔を見れば分かる。世間は祖父をそう呼び、貴様はそれを否定したい。だが否定する材料がない。違うか?」
彼女は答えなかった。
答えないこと自体が答えだ。
「普通に考えれば妙だ。弱い人類種の王が、ただ無策にゲームを重ねれば、とっくに国は消えている。だが消えていない。なら、失ったものと引き換えに、別の何かを残したはずだ」
「何を……」
「まだそこまでは断言しない」
ルルーシュは彼女へ視線を戻した。
「だが少なくとも、祖父は敗北そのものを恐れていなかった。そして貴様は、敗北の形だけを見て、そこに込められた意図までは継げていない」
その言葉は、鋭かった。
ステファニーは反発するように顔を上げた。
「継げてないって、そんな簡単に言わないで。私はずっと見てきた。皆が祖父を笑って、国を売ったって言って、それでも私は信じたくて……でも、何を信じればいいのか、最後まで分からなかった」
最後の一言だけ、声が震えた。
ルルーシュは黙る。
そこで安い慰めを差し挟むほど、彼は甘くない。
「継承戦の相手は誰だ」
数拍置いてから、彼は訊いた。
ステファニーは表情を立て直した。
「クラミー・ツェル。人類種の少女よ。でも背後に森精種――エルフがいる」
「確証は」
「ない」
「なら、ある」
「どっちよ」
「貴様が“ない”と言う時の顔は、証拠が足りないだけで、結論は出ている顔だ」
「……むかつく」
「事実だろう」
ステファニーは視線を逸らし、窓の外へ吐き捨てるように言った。
「祖父の遺言で、王位決定戦は公正なゲームで行われるはずだった。でも、あの子の周りだけ、何かがおかしい。相手が不自然に判断を誤る。盤面の読みが狂う。私は証明できなかった。でも、絶対に何かある」
エルフの魔法による介入。
ルルーシュは即座にそう結論したが、口にはしない。断定は証拠を伴って初めて武器になる。
「ゲーム形式は」
「明日、最終選定。内容はまだ公表されていない。相手側が選ぶ可能性が高い」
「不利だな」
「分かってるわよ」
「だが、致命的ではない」
ステファニーが顔を上げた。
「……どういう意味?」
「相手が勝てる形式を選ぶなら、そこには癖が出る。癖は読むためにある」
馬車がゆるやかに減速した。
窓の外に、古びた王城の輪郭が見える。豪奢というより、持ちこたえているという印象の城だ。誇りはある。余力はない。
門が開く。
その時、城門前に停まっている別の馬車が視界に入った。白を基調にした流麗な車体。飾りは控えめなのに、質が露骨に違う。貧しさを隠せない王族の車と違い、こちらは“余裕”そのものを形にしたようだった。
ステファニーの顔から、血の気が引く。
「……最悪」
「来客か」
「来客なんてもんじゃない」
門前に立っていた少女が、こちらへ振り向いた。
淡い色の髪。人形じみた整った顔立ち。年若いくせに感情を削いだような目つき。背後に控えるエルフの女は、柔らかな笑みを浮かべながら、周囲すべてを観察している。
クラミー・ツェル。
そして、森精種。
「遅かったですね、ステファニー様」
クラミーが、冷えた声で言った。
「こんな夜更けまで、王都の酒場巡りですか。王位を目指す方にしては、ずいぶん余裕がある」
「……何の用よ」
「ご挨拶です。明日の前に、一応」
一応、と言いながら、その声音には勝者の余裕が滲んでいる。
背後のエルフ――フィール・ニルヴァレンが、にこやかに会釈した。
「不躾に失礼いたしますわ。ですが、明日は大切な日ですもの。お顔だけでも拝見しておきたくて」
ステファニーは奥歯を噛んだ。
怒りではなく、屈辱だ。力任せに殴れない世界では、こういう笑顔の方がよほど刃になる。
クラミーの視線が、そこで初めてルルーシュへ向いた。
「……そちらは?」
「関係ないわ」
ステファニーが即座に遮る。
その反応で、相手の興味が深まる。
未熟だな、とルルーシュは思った。守ろうとするほど、そこが弱点になる。
クラミーは一歩近づいた。
「ずいぶん珍しい格好ですね。異国の方ですか?」
ルルーシュは答えない。
代わりに、ゆっくり馬車を降りた。
石畳に靴音が落ちる。
その一歩だけで、場の視線が自然と集まる。演出は、意識してやるものではない。必要な時に必要なだけ、空気の主導権を奪う技術だ。
「関係ない、か」
ルルーシュは、薄く笑った。
「それは少し違うな。少なくとも、明日の貴様らにとっては」
クラミーの目が細くなる。
フィールの笑みが、僅かに深まった。
「へえ?」
「名も知らぬ男が、王位戦前夜に、ステファニー・ドーラと同じ馬車から降りてくる。関係がないと本気で信じるほど、貴様は鈍くないだろう」
ステファニーが横で息を呑んだ。
クラミーは沈黙し、次いで小さく鼻で笑う。
「大きく出ますね。ですが、明日の勝敗に部外者が関われる余地はありません」
「部外者、か」
ルルーシュの笑みが、わずかに鋭くなる。
「なら、明日までに内側へ入ればいいだけの話だ」
空気が変わった。
ステファニーが勢いよく振り向く。
「ちょっと、あなた――」
「黙っていろ」
低く言われ、彼女は思わず口を閉ざした。
クラミーはそのやり取りを見て、逆に警戒を強めたらしい。感情の薄い顔が、少しだけ硬くなる。
フィールだけが楽しそうだった。
「面白い方ですこと。けれど、王位戦に参加する資格は簡単には得られませんわよ?」
「資格なら、作ればいい」
「どうやって?」
その問いに、ルルーシュはステファニーを一瞥した。
「それを決めるのは、これからだ」
彼はそう言って、城門の内へ足を進める。
置いて行かれかけたステファニーが慌てて追う。
背後でクラミーの声が飛んだ。
「あなた、名前は」
ルルーシュは振り返らない。
ただ、肩越しに一言だけ残した。
「明日、貴様が知る必要のある名だけを名乗ってやる」
城門が閉じる音がした。
夜気が遮られ、石造りの廊下の冷たさが代わりに肌へ触れる。
ステファニーは数歩先で立ち止まり、振り返ってルルーシュを見た。怒っている。呆れている。だがそれ以上に、理解が追いついていない。
「あなた、何を勝手に――」
「勝手ではない」
ルルーシュは歩みを止めずに言う。
「今から貴様と正式にゲームをする」
「は?」
「条件は単純だ。俺が明日の王位戦に関与するための権利を要求する。対価として、俺は貴様を王にする」
ステファニーが完全に言葉を失った。
しばしの沈黙の後、ようやく絞り出した声は、怒声にも悲鳴にもなりきれなかった。
「……はぁ!?」
「無論、ただし条件がある」
ルルーシュはそこで初めて立ち止まり、彼女を正面から見た。
「貴様は俺に従え。疑問は持て。反発もしていい。だが、盤の上で俺の指示を捻じ曲げるな」
「ちょ、ちょっと待って、何でそんな話になるのよ! そもそもあなた、何者――」
「さっき言ったはずだ。名は必要になれば名乗ると」
ルルーシュはわずかに顎を引いた。
「そして今、必要になった」
王城の燭台が、彼の横顔に長い影を落とす。
黒衣の輪郭が、その影ごと床へ伸びる。
「聞け、ステファニー・ドーラ。俺は王を知っている。王冠の重さも、民衆の愚かさも、敵の悪意も、味方の裏切りも、その全部を知っている」
声は静かだった。
静かであるがゆえに、逆らいにくい熱を帯びていた。
「そして何より――負け方を知っている」
その一言で、ステファニーの顔色が変わった。
ただ勝つと言う者はいくらでもいる。
だが、負け方を知っていると断言する者は少ない。
それは敗北を経験した者か、敗北を計算に入れる者だけの言葉だ。
「だから問う。貴様は、王になりたいのか。それとも、祖父の名誉を回復したいだけか。あるいは、滅びかけたこの国を延命したいだけか。全部欲しいと言うなら、その順番を決めろ」
ステファニーは答えない。
答えられない。
図星だからではない。今まで、それを一つにして考えていたのだ。王位、祖父、国――区別せずに抱えていたからこそ、何から守るべきか分からなくなっている。
ルルーシュはその沈黙を見て、内心で小さく頷いた。
まだ磨ける。
致命的に遅くはない。
「今夜、答えを出せ。貴様が何を王座に乗せたいのかを」
そう言って、彼は背を向けた。
「その答え次第で、俺は貴様の王を演じるか、あるいは――貴様を王にするための仮面になる」
ステファニーは呆然とその背中を見送った。
長い廊下の先で、ルルーシュは一度も振り返らない。
ただ、その横顔だけが、まるで最初からこの城の影に居場所を持っていたかのように、自然に闇へ馴染んでいった。