盤上の反逆者   作:stein0630

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「なるほど」

 

その笑みには、皮肉と興味と、わずかな愉悦が混じっていた。

 

「ようやく、この世界らしい誘い文句が来た」

 

酒場のざわめきが、一段深くなる。

 

ステファニー・ドーラは一瞬だけ肩を強張らせたが、逃げなかった。強がりではなく、逃げる余地がないのだろう。追い詰められた人間特有の切羽詰まった目をしているくせに、その奥には妙な頑固さが残っている。

 

ルルーシュはそういう目を知っていた。

 

守りたいものを持っている者の目だ。

 

「なら、受けるわね?」

 

「条件次第だ」

 

「……何でも言って」

 

即答だった。

 

即答した後で、彼女自身がそれを危ういと理解したらしい。唇を噛み、わずかに眉を寄せる。だが撤回しない。撤回できないのではなく、しないのだ。

 

ルルーシュはその反応だけで、彼女の質を一つ測った。

 

浅慮ではある。だが、不誠実ではない。

 

「いいだろう。なら形式を変える」

 

彼は立ち上がり、机の上の札を指先で払った。代わりに、店員が置いていった小さな木片を三つ、こちらへ寄せる。

 

「一時間を賭けるには、少々長い。まずは前哨戦だ」

 

「前哨戦?」

 

「貴様は俺と話したい。俺は貴様と、この国の事情を知りたい。なら、互いの欲しいものを賭ければいい」

 

周囲の野次馬たちが、面白がるように身を乗り出した。

 

ディスボードの住人は、他人の修羅場より他人のゲームのほうが好きらしい。健全なのか不健全なのか、判断に困る価値観だ。

 

「ゲームの名は――そうだな。“三片の真実”でいい」

 

ルルーシュは木片を一本取り、酒場の隅に転がっていた炭筆で短く印をつける。

 

「互いに三つの文を用意する。内容は自由。ただし、自分が知っている事実、あるいは今の自分の意思に限る。そのうち二つは真実、一つだけは虚偽」

 

ステファニーの目が動いた。理解は早い。

 

「質問は?」

 

「相手に対し、一つだけ許可する。質問への答えは、虚偽も可能だ」

 

「え?」

 

「当然だろう。質問まで真実で縛れば、ただの確認作業になる。これは、答えそのものではなく、嘘の置き方と、真実の混ぜ方を見るゲームだ」

 

「……なるほど」

 

「最後に相手の虚偽を一つ選ぶ。正解した方の勝ち。両者正解なら引き分け、両者不正解でも引き分けだ。勝者は要求を通す」

 

「要求って」

 

「貴様が勝てば、一時間。俺は貴様の話を聞く。質問にも答える。負ければ、今夜から明朝まで、俺に王都の保護と行動の便宜を提供しろ。加えて、俺の質問に答えてもらう」

 

ステファニーは少し考えた。

 

「……名前は?」

 

「勝った方だけが聞けばいい」

 

「ずるい」

 

「戦略的と言え」

 

彼女はむっとした顔をしたが、すぐに息を吐いた。

 

「いいわ。受ける」

 

「では」

 

ルルーシュが木片を三つ並べる。

 

「誓約《アシェンテ》」

 

ステファニーも、わずかに遅れて唱えた。

 

酒場の空気が、目に見えない膜を張ったように変わる。何度目かの感覚だが、やはり不思議だ。ルールがただの口約束ではなく、世界そのものに刻まれる。

 

ならば、この世界で最も重要なのは、剣でも銃でもなく、定義だ。

 

ルルーシュは木片に三行、迷いなく書いた。

 

一方、ステファニーは途中で二度ほど筆を止めた。考えている。考えながらも隠せていない。良く言えば素直、悪く言えば、表情に書いてある。

 

やがて互いに木片を伏せる。

 

「先に見るのは?」

 

「同時だ」

 

三枚が裏返される。

 

ステファニーの木片には、整った文字でこうあった。

 

一、私は先王マハコート・ドーラの孫である。

二、この国の王位継承戦で、私はまだ一度も負けていない。

三、私があなたに声をかけたのは、勝てる人材だと判断したからだ。

 

ルルーシュは視線を流すだけで読み終えた。

 

先王の名が出た。王族であることは確定。二つ目は王位継承戦の現況。三つ目は接触理由。いずれも、今この場で意味を持つ。

 

悪くない置き方だ。

 

真実と虚偽の距離も近い。素人の雑なフェイントではない。

 

「次、あなた」

 

ルルーシュの木片には、こう記されていた。

 

一、俺はこの国の王冠に興味がある。

二、俺は元の世界へ帰る方法を探している。

三、俺には、どうしても生きて再会しなければならない相手がいない。

 

ステファニーが、そこで息を止めた。

 

目が揺れたのは三つ目を読んだ瞬間だ。感情を動かされた。なら、そこは餌になる。

 

「質問は一つだったな」

 

ルルーシュは肘を組んだまま言う。

 

「先に譲ってやる。お姫様」

 

「……お姫様じゃないわ」

 

「なら、何だ」

 

「ただの挑戦者よ」

 

即答。反射で出た否定には、人間の本音が混じる。

 

「それが質問か?」

 

「違うわよ」

 

ステファニーは不機嫌そうに睨んでから、すぐに視線を木片へ落とした。

 

どれを聞くべきか、迷っている。三つ目に引かれているのは明らかだった。だが、そこへ直進するほど愚かでもない。自分の感情が相手の誘導に乗ることくらいは理解している。

 

「……二つ目」

 

彼女は言った。

 

「あなた、本当に“元の世界”から来たの?」

 

「本当に、とは面白い聞き方だな」

 

「答えて」

 

「答えは“はい”だ」

 

即答してやる。

 

真実でも虚偽でも成立する答え方だ。重要なのは、答えに込めた迷いのなさだ。ステファニーは目を細め、言葉よりその出し方を見ようとした。だが、その時点でもう遅い。

 

「次は俺だ」

 

ルルーシュは、彼女の三文を見たまま問う。

 

「三つ目。“勝てる人材だと判断したから”とあるが――判断材料は、さっきの勝負だけか?」

 

ステファニーが、そこでわずかに硬直した。

 

ほんの一拍。

 

それだけで十分だった。

 

彼女は、すぐに答える。

 

「……いいえ」

 

「ほう」

 

「最初に見た時から、普通じゃないと思った。服装も、立ち方も、周りの見方も。あの札師を暴いたのは決定打だったけど、それだけじゃない」

 

答えそのものは滑らかだった。

 

だが、そこでルルーシュは確信する。

 

彼女は今、最も守りたい部分を隠した。

 

札師の件以前から目をつけていたのは事実だろう。だが、それだけではない。もっと切実な理由――彼女は、“勝てる人材”を探していたのではなく、“縋れる最後の可能性”を探していた。

 

判断ではない。祈りだ。

 

そして、祈りは当人ほど上手く偽装できない。

 

「いいだろう。では、選ぶぞ」

 

「ちょ、ちょっと待って。こっちもまだ――」

 

「もう十分だ」

 

ルルーシュは彼女の木片を指で叩いた。

 

「虚偽は二つ目。“この国の王位継承戦で、私はまだ一度も負けていない”」

 

ステファニーの瞳が開く。

 

「な、なんで」

 

「一つ目は真実。血縁をわざわざ偽る意味が薄い。三つ目も、表現を厳密に取れば真実だ。貴様は俺を“勝てる人材”と判断した――いや、そう判断したことにしたい。少なくとも、その意志は本物だ」

 

「……」

 

「だが二つ目だけは違う。貴様は、すでに何かを失っている。立ち方に余裕がない。酒場に出入りし、見知らぬ男に公然と声をかける王族がいるものか。正攻法で余裕があるなら、城で人を選ぶ。貴様はそれができない地点まで追い詰められている」

 

静まり返った酒場で、ステファニーは唇を噛んだ。

 

図星だ。

 

「継承戦そのものに負けたのか、前段で支持基盤を失ったのかは知らない。だが、“まだ一度も負けていない”だけは、今の貴様の顔と噛み合わない」

 

彼女は何か言い返そうとして、結局言葉を失った。

 

観客の一人が、小さく息を呑む。

 

ステファニーはゆっくり目を閉じ、次いで開いた。

 

「……正解よ」

 

その宣言と同時に、場の空気がかすかに揺れる。世界が勝敗を認めた印だった。

 

「ま、待って。じゃあ私も選ぶ」

 

「いいとも」

 

ルルーシュは頷いた。

 

彼女は今度こそ長く迷った。三つ目が気になって仕方ない顔をしている。だが、それに飛びつけば負ける。そう分かっているから苦しむ。

 

「……三つ目」

 

やがて彼女は言った。

 

「“再会しなければならない相手がいない”。これが嘘」

 

「理由は」

 

「あなたの目」

 

ルルーシュの眉が、ほんの僅かに動く。

 

「二つ目は、本当か嘘かまだ分からない。でも、一つ目は多分本当。あなたは王冠に興味がある。そういう顔をしてる。だけど三つ目は――違う」

 

ステファニーはまっすぐ言った。

 

「あなた、さっき“元の世界へ帰る”って言葉を見た時より、“再会しなければならない相手がいない”を見た時の方が、少しだけ冷たくなった。そんな人が、誰もいないはずない」

 

酒場の空気が、また揺れた。

 

引き分けではない。勝者の確定でもない。ただ、彼女の答えが、世界の規則に触れている感覚。

 

ルルーシュは数秒、彼女を見た。

 

そして、笑った。

 

「正解だ」

 

どっと周囲が沸いた。

 

両者正解。よって、引き分け。

 

……だが、引き分けは引き分けでしかない。

 

「ルール通りなら、要求は通らないわね」

 

ステファニーが言う。悔しさと安堵が半分ずつ混ざった顔だ。

 

「いいや」

 

ルルーシュは指先で机を叩いた。

 

「引き分けなら、交渉だ。貴様は俺と話したい。俺は貴様の事情を知りたい。利害は一致している」

 

「……最初からそれが狙い?」

 

「世界は勝者だけで回っているわけではない。引き分けをどう使うかで、器量は出る」

 

ステファニーは半眼になった。

 

「性格悪いわね」

 

「今さら気づいたか」

 

彼女は大きく息を吐いたあと、椅子を引いた。

 

「分かった。城に来て。少なくとも、ここで話すことじゃない」

 

「ようやく賢明な提案が出たな」

 

「でも、保護と便宜はまだ約束しない。そこは交渉」

 

「構わん。こちらもまだ、貴様に値札をつけていない」

 

「ほんっと腹立つ」

 

そう言いながらも、ステファニーはどこかほっとした顔をしていた。

 

王都の夜風は思ったより冷たかった。

 

酒場を出ると、喧騒は少し遠のき、代わりに石造りの建物が冷気を蓄えた匂いを放ってくる。ステファニーの手配した馬車は質素だったが、紋章だけは古い格式を残していた。王都における彼女の立場をそのまま形にしたような車だ。名目は高い。実入りは低い。

 

向かいに座ったステファニーは、揺れる灯りの中でじっとルルーシュを見ていた。

 

「まず確認。あなた、本当に名前を言う気ないのね」

 

「必要になれば言う」

 

「信用できない」

 

「信用は、名乗りで得るものではない」

 

「じゃあ何で得るのよ」

 

「結果だ」

 

即答だった。

 

彼女は舌打ちこそしなかったが、したい顔はした。

 

「……いいわ。じゃあ、私から話す。私はステファニー・ドーラ。先王マハコート・ドーラの孫。祖父が死んで、王位継承戦が始まった」

 

「継承権は直系だからか」

 

「血筋だけじゃない。この国では、王位はゲームで決まる。そういう遺言が残されたの」

 

「先王らしいな」

 

「らしい、って何よ」

 

ルルーシュは窓の外を眺めたまま言う。

 

「国を盤に見ていた人間だ。王位すら固定資産にしない」

 

ステファニーは眉をひそめた。

 

「……祖父を知ってるみたいな言い方」

 

「知らん。だが、少し匂う」

 

「匂う?」

 

「貴様の祖父は、愚王と呼ばれていたんだろう」

 

ステファニーの肩が強く震えた。

 

「誰から聞いたの」

 

「聞いていない。見れば分かる」

 

ルルーシュは淡々と続ける。

 

「王都の外壁は古いが崩壊していない。市場も完全には死んでいない。王族の馬車は貧しいが、民衆が絶望で沈み切ってもいない。つまりこの国は、“終わりかけている”が、“とうに終わっていた”わけではない」

 

「……だから?」

 

「だから、先王は本当に無能だったわけではない」

 

ステファニーの呼吸が、止まる。

 

「貴様の顔を見れば分かる。世間は祖父をそう呼び、貴様はそれを否定したい。だが否定する材料がない。違うか?」

 

彼女は答えなかった。

 

答えないこと自体が答えだ。

 

「普通に考えれば妙だ。弱い人類種の王が、ただ無策にゲームを重ねれば、とっくに国は消えている。だが消えていない。なら、失ったものと引き換えに、別の何かを残したはずだ」

 

「何を……」

 

「まだそこまでは断言しない」

 

ルルーシュは彼女へ視線を戻した。

 

「だが少なくとも、祖父は敗北そのものを恐れていなかった。そして貴様は、敗北の形だけを見て、そこに込められた意図までは継げていない」

 

その言葉は、鋭かった。

 

ステファニーは反発するように顔を上げた。

 

「継げてないって、そんな簡単に言わないで。私はずっと見てきた。皆が祖父を笑って、国を売ったって言って、それでも私は信じたくて……でも、何を信じればいいのか、最後まで分からなかった」

 

最後の一言だけ、声が震えた。

 

ルルーシュは黙る。

 

そこで安い慰めを差し挟むほど、彼は甘くない。

 

「継承戦の相手は誰だ」

 

数拍置いてから、彼は訊いた。

 

ステファニーは表情を立て直した。

 

「クラミー・ツェル。人類種の少女よ。でも背後に森精種――エルフがいる」

 

「確証は」

 

「ない」

 

「なら、ある」

 

「どっちよ」

 

「貴様が“ない”と言う時の顔は、証拠が足りないだけで、結論は出ている顔だ」

 

「……むかつく」

 

「事実だろう」

 

ステファニーは視線を逸らし、窓の外へ吐き捨てるように言った。

 

「祖父の遺言で、王位決定戦は公正なゲームで行われるはずだった。でも、あの子の周りだけ、何かがおかしい。相手が不自然に判断を誤る。盤面の読みが狂う。私は証明できなかった。でも、絶対に何かある」

 

エルフの魔法による介入。

 

ルルーシュは即座にそう結論したが、口にはしない。断定は証拠を伴って初めて武器になる。

 

「ゲーム形式は」

 

「明日、最終選定。内容はまだ公表されていない。相手側が選ぶ可能性が高い」

 

「不利だな」

 

「分かってるわよ」

 

「だが、致命的ではない」

 

ステファニーが顔を上げた。

 

「……どういう意味?」

 

「相手が勝てる形式を選ぶなら、そこには癖が出る。癖は読むためにある」

 

馬車がゆるやかに減速した。

 

窓の外に、古びた王城の輪郭が見える。豪奢というより、持ちこたえているという印象の城だ。誇りはある。余力はない。

 

門が開く。

 

その時、城門前に停まっている別の馬車が視界に入った。白を基調にした流麗な車体。飾りは控えめなのに、質が露骨に違う。貧しさを隠せない王族の車と違い、こちらは“余裕”そのものを形にしたようだった。

 

ステファニーの顔から、血の気が引く。

 

「……最悪」

 

「来客か」

 

「来客なんてもんじゃない」

 

門前に立っていた少女が、こちらへ振り向いた。

 

淡い色の髪。人形じみた整った顔立ち。年若いくせに感情を削いだような目つき。背後に控えるエルフの女は、柔らかな笑みを浮かべながら、周囲すべてを観察している。

 

クラミー・ツェル。

 

そして、森精種。

 

「遅かったですね、ステファニー様」

 

クラミーが、冷えた声で言った。

 

「こんな夜更けまで、王都の酒場巡りですか。王位を目指す方にしては、ずいぶん余裕がある」

 

「……何の用よ」

 

「ご挨拶です。明日の前に、一応」

 

一応、と言いながら、その声音には勝者の余裕が滲んでいる。

 

背後のエルフ――フィール・ニルヴァレンが、にこやかに会釈した。

 

「不躾に失礼いたしますわ。ですが、明日は大切な日ですもの。お顔だけでも拝見しておきたくて」

 

ステファニーは奥歯を噛んだ。

 

怒りではなく、屈辱だ。力任せに殴れない世界では、こういう笑顔の方がよほど刃になる。

 

クラミーの視線が、そこで初めてルルーシュへ向いた。

 

「……そちらは?」

 

「関係ないわ」

 

ステファニーが即座に遮る。

 

その反応で、相手の興味が深まる。

 

未熟だな、とルルーシュは思った。守ろうとするほど、そこが弱点になる。

 

クラミーは一歩近づいた。

 

「ずいぶん珍しい格好ですね。異国の方ですか?」

 

ルルーシュは答えない。

 

代わりに、ゆっくり馬車を降りた。

 

石畳に靴音が落ちる。

 

その一歩だけで、場の視線が自然と集まる。演出は、意識してやるものではない。必要な時に必要なだけ、空気の主導権を奪う技術だ。

 

「関係ない、か」

 

ルルーシュは、薄く笑った。

 

「それは少し違うな。少なくとも、明日の貴様らにとっては」

 

クラミーの目が細くなる。

 

フィールの笑みが、僅かに深まった。

 

「へえ?」

 

「名も知らぬ男が、王位戦前夜に、ステファニー・ドーラと同じ馬車から降りてくる。関係がないと本気で信じるほど、貴様は鈍くないだろう」

 

ステファニーが横で息を呑んだ。

 

クラミーは沈黙し、次いで小さく鼻で笑う。

 

「大きく出ますね。ですが、明日の勝敗に部外者が関われる余地はありません」

 

「部外者、か」

 

ルルーシュの笑みが、わずかに鋭くなる。

 

「なら、明日までに内側へ入ればいいだけの話だ」

 

空気が変わった。

 

ステファニーが勢いよく振り向く。

 

「ちょっと、あなた――」

 

「黙っていろ」

 

低く言われ、彼女は思わず口を閉ざした。

 

クラミーはそのやり取りを見て、逆に警戒を強めたらしい。感情の薄い顔が、少しだけ硬くなる。

 

フィールだけが楽しそうだった。

 

「面白い方ですこと。けれど、王位戦に参加する資格は簡単には得られませんわよ?」

 

「資格なら、作ればいい」

 

「どうやって?」

 

その問いに、ルルーシュはステファニーを一瞥した。

 

「それを決めるのは、これからだ」

 

彼はそう言って、城門の内へ足を進める。

 

置いて行かれかけたステファニーが慌てて追う。

 

背後でクラミーの声が飛んだ。

 

「あなた、名前は」

 

ルルーシュは振り返らない。

 

ただ、肩越しに一言だけ残した。

 

「明日、貴様が知る必要のある名だけを名乗ってやる」

 

城門が閉じる音がした。

 

夜気が遮られ、石造りの廊下の冷たさが代わりに肌へ触れる。

 

ステファニーは数歩先で立ち止まり、振り返ってルルーシュを見た。怒っている。呆れている。だがそれ以上に、理解が追いついていない。

 

「あなた、何を勝手に――」

 

「勝手ではない」

 

ルルーシュは歩みを止めずに言う。

 

「今から貴様と正式にゲームをする」

 

「は?」

 

「条件は単純だ。俺が明日の王位戦に関与するための権利を要求する。対価として、俺は貴様を王にする」

 

ステファニーが完全に言葉を失った。

 

しばしの沈黙の後、ようやく絞り出した声は、怒声にも悲鳴にもなりきれなかった。

 

「……はぁ!?」

 

「無論、ただし条件がある」

 

ルルーシュはそこで初めて立ち止まり、彼女を正面から見た。

 

「貴様は俺に従え。疑問は持て。反発もしていい。だが、盤の上で俺の指示を捻じ曲げるな」

 

「ちょ、ちょっと待って、何でそんな話になるのよ! そもそもあなた、何者――」

 

「さっき言ったはずだ。名は必要になれば名乗ると」

 

ルルーシュはわずかに顎を引いた。

 

「そして今、必要になった」

 

王城の燭台が、彼の横顔に長い影を落とす。

 

黒衣の輪郭が、その影ごと床へ伸びる。

 

「聞け、ステファニー・ドーラ。俺は王を知っている。王冠の重さも、民衆の愚かさも、敵の悪意も、味方の裏切りも、その全部を知っている」

 

声は静かだった。

 

静かであるがゆえに、逆らいにくい熱を帯びていた。

 

「そして何より――負け方を知っている」

 

その一言で、ステファニーの顔色が変わった。

 

ただ勝つと言う者はいくらでもいる。

 

だが、負け方を知っていると断言する者は少ない。

 

それは敗北を経験した者か、敗北を計算に入れる者だけの言葉だ。

 

「だから問う。貴様は、王になりたいのか。それとも、祖父の名誉を回復したいだけか。あるいは、滅びかけたこの国を延命したいだけか。全部欲しいと言うなら、その順番を決めろ」

 

ステファニーは答えない。

 

答えられない。

 

図星だからではない。今まで、それを一つにして考えていたのだ。王位、祖父、国――区別せずに抱えていたからこそ、何から守るべきか分からなくなっている。

 

ルルーシュはその沈黙を見て、内心で小さく頷いた。

 

まだ磨ける。

 

致命的に遅くはない。

 

「今夜、答えを出せ。貴様が何を王座に乗せたいのかを」

 

そう言って、彼は背を向けた。

 

「その答え次第で、俺は貴様の王を演じるか、あるいは――貴様を王にするための仮面になる」

 

ステファニーは呆然とその背中を見送った。

 

長い廊下の先で、ルルーシュは一度も振り返らない。

 

ただ、その横顔だけが、まるで最初からこの城の影に居場所を持っていたかのように、自然に闇へ馴染んでいった。

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