散り際の鬼、再び咲き誇る   作:心ここにあらず

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五話

 

 

「――“全集中”……」

「お師匠……全集中とは、いったい……」

 

 過酷な修行の最中、荒い息を整えながら、行冥が綾之丞へと問いかけた。その大きな双眸には、目の前で圧倒的な力を見せつけられた者だけが抱く、深い探求の色が宿っている。

 

「……ふむ。お前たちは、鬼という化け物が常人を遥かに凌駕する強靭な肉体と異様な再生能力を持ち、中には『血鬼術』と呼ばれる、人間には到底真似できない妖術の如き異能を操る者がいることを知っているな」

「「……はい」」

 

 

 綾之丞は冷徹な黄金色の瞳を細め、静かに言葉を継ぐ。

 

 

「通常、何の力も持たない生身の人間が、ただの武器を手に奴らに対抗することなど万に一つもあり得ない。そんな圧倒的な理不尽に対抗するために、歴代の鬼殺隊士たちが血を吐くような研鑽の果てに編み出した対抗策――それが、『全集中の呼吸』だ」

 

“全集中の呼吸”

 

 それは、鬼殺隊士が鬼の頑強な頸を断ち切るためだけに磨き上げた、唯一にして絶対の技術。肺を極限まで拡張し、大量の酸素を一度に血流へと送り込むことで、心拍数と体温を意図的に跳ね上げる。そうして引き出された爆発的な身体能力と体力は、常人には不可能と思える神業の戦闘を可能にする。

 

 

「そして、この呼吸を極めることで、鬼殺隊士はただの肉体強化に留まらない、各自の『特別な力』を振るうことができるようになる」

「「特別な力……ですか」」

「言葉で聞くより、見せたほうが早いな。……少し、見てみるか」

 

 

 行冥と歳玄、そして綾之丞の立つ山頂の稽古場に、ピリリと張り詰めた静寂が落ちる。

風が止み、周囲の草木すら息を潜めたかのような静まり返った空間。

綾之丞は、ゆっくりと腰に差した刀の柄に右手を添えた。

 

 

「……よく見ておけ。これが――本物の“呼吸”だ」

 

スゥ……と、深く、長い吸気。その瞬間だった。周囲の空気が、まるで物質として形を変えたかのように一変した。

重圧が、重力そのものが何倍にも跳ね上がったかのような錯覚。

 

(……っ!? なんだ、この気配は……!)

 

 歳玄の背筋に、冷たいものが走る。

ただ息を吸い込んだだけのはずだ。それなのに、目の前にいる男の存在そのものが、人間という枠組みを逸脱した“別物”へと変貌していた。

 

「――全集中」

 

地を蹴り砕いた瞬間、綾之丞の姿が視界から完全に“消えた”。

 

「――なっ……!?」

 

 歳玄が驚愕に目を見開いた次の瞬間には、十間(約十八メートル)先にある巨大な岩の前に、綾之丞の姿があった。

 

神速の抜刀が披露される。その刃風の音が、あまりの速さに遅れて周囲に届く。

 

音もなく、岩が斜めに滑り落ちた。まるで最初からそう分かれていたかのように、断面は鏡面のように滑らかで、静謐を保ったままだった。

 

「……これが、“特別な力”だ」

 

ゆっくりと刀を鞘に納めながら、綾之丞が振り返る。その呼吸は乱れていない。

 

 

「筋力、速度、動体視力、反射神経……すべてが人間の限界を超えて引き上げられる。だが、それだけではない。呼吸により体内の血流を完全に制御し、酸素を全身の隅々の細胞にまで行き渡らせる。極限まで研ぎ澄まされた肉体と刃こそが、あの鬼どもの硬い肉を断ち切る唯一の武器となるのだ」

 

 

歳玄は、ただ目の前の光景に言葉を失っていた。

 

 

(今の動き……人間のものじゃねぇ。新選組の頃に見たどんな達人とも違う。あれは、技の領域を超えた……理不尽の域とも言える……)

 

 

 行冥もまた、その巨大な胸を大きく上下させながら、静かに息を吐き出していた。

 

 

「……ただの剣技ではない。命を削り、肉体を燃やし尽くすような……業だ」

「そうだ」

 

 

 綾之丞の黄金色の眼が、二人の若者を深く射抜く。

彼は一歩、二歩と、二人に歩み寄った。

 

「呼吸を極めるということは、自らの肉体と精神を完全に掌握するということだ。恐怖も、激痛も、死への迷いも――すべてを心の奥底へ呑み込み、どんな状況下でもなお動き続けろ」

 

綾之丞の声が、重く、低く響く。

 

「それが出来ぬ者は、一瞬の躊躇で鬼の餌食となり、地獄の底で泣き叫ぶことになる」

 

重い沈黙が、その場を支配する。

それは脅しではない。かつて無数の仲間を失ってきた男の、血に裏打ちされた真実の言葉だった。

 

 

「……だが」

 

 

綾之丞は、ふっとわずかにその口元を緩めた。その厳格な顔つきに、かすかな期待の色が混じる。

 

 

「その地獄を越え、呼吸を我が物とすることができたなら――」

 

綾之丞はまっすぐに二人を見据えた。

 

「お前たちは、“人でありながら、鬼を屠る頂きの存在”となれる」

 

その言葉を聞いた瞬間、歳玄の小さな拳が、ガタガタと音を立てるほどに固く握りしめられた。

内に眠る土方歳三としての闘争本能が、熱い血潮となって全身を駆け巡る。

 

「……やるぜ」

 

歳玄は、狂気と決意の入り混じった不敵な笑みを浮かべ、はっきりとと言い放った。

 

「俺は、その力を完全に身につける。あんな化け物を、俺の手で引き裂くために」

 

行冥もまた、静かに、だが揺るぎない決意を込めて深く頷いた。

 

「……御指導願いたい。この身がどうなろうとも、私は進み続けます」

 

二人の強い意志を受け止め、綾之丞は満足そうにゆっくりと頷いた。

 

「いいだろう。……ならば、まずは“呼吸を絶やさず保つこと”だ」

 

綾之丞が告げた次なる試練は、あまりにも過酷だった。

 

「昼の間も、夜の静寂の中でも、眠りにつくその瞬間すらも――“全集中”の呼吸を途切れさせるな。常に体内で血を巡らせ、肉体を極限まで研ぎ澄まし続けろ」

「「……っ!?」」

「それが、鬼殺隊への第一歩だ。四六時中呼吸を維持できぬようでは、実戦で鬼の血鬼術の前に一瞬で気位をへし折られる。……できるようになるまで、木刀を振るうことは許らん」

 

 

静かに、だが絶対に覆らない命令として告げられたその言葉は、彼らにとって文字通りの地獄の始まりだった。

だが、それは同時に、あの夜の絶望を乗り越え、鬼の首を取るための唯一にして不可欠な道だった。

――こうして、常軌を逸した地獄のような修行の幕が上がったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆

 

 

 

 

それから、早一年の歳月が流れた。山頂の稽古場。荒い息を吐きながら木刀を構える行冥の姿があった。その筋肉は一回りも二回りも大きくなり、圧倒的な質量と重厚感を纏っている。

 

 

「……まさか、ここまで短期間で追いついてくるとはな」

 

木刀を下ろし、綾之丞が感嘆の色を浮かべながら呟いた。

 

「……お師匠のご指導があってこそであります」

 

行冥は深く頭を下げる。

 

この一年で、行冥は鬼殺隊の五大流派の一つ――大地を揺るがす「岩の呼吸」の型をその巨体に叩き込み、ついに師である綾之丞の現役時代に並び立つほどの境地へと到達していた。

 

すでに綾之丞は数年前に現役を退いているとはいえ、その実力は衰えていない。その男に並んだ行冥の強さは本物だった。今や、あの夜に寺を襲ったようなただの鬼であれば、行冥の振るう一太刀で文字通り両断できるほどの技量を身につけていた。

 

 

――では、もう一人の少年、悲鳴嶼歳玄はどうだったか。

 

 

「才気、気迫、技術、どれをとっても素晴らしい。……いや、剣士としての技量や戦闘勘にかけては、すでに私や行冥すら凌駕し、完成されていると言っていいほどの領域だろう」

 

 

綾之丞は、少し離れた場所で素振りを続ける歳玄を眺めながら、複雑な表情でそう評した。

 

「……」

 

当の歳玄は、満足していなかった。

汗を拭うこともせず、鋭い眼光で木刀を振るい続けている。

 

「……ただ」

 

綾之丞が小さく息を吐く。

 

「……鬼殺隊の剣士としては、まだ致命的に半人前だな」

「……ちっ」

 

歳玄は舌打ちを一つ零し、動きを止めた。

 

「まだ、“馴染みの型”は見つからないか?」

「……あぁ」

 

 鬼殺隊の剣士たちは、呼吸を通じて体得した力をベースに、それぞれ独自の「型」を構築し、鬼を葬る。大きく分けて「岩」「雷」「風」「水」「炎」の五大流派が存在し、剣士たちは自らの資質や身体の特性に合わせ、その派生や独自の型を完成させていく。

 

 行冥は言わずもがな、その圧倒的な巨体と強靭な骨格に相応しい「岩の呼吸」を極め、絶対的な守りと破壊の戦闘形態を完成させていた。

しかし――歳玄は違った。

 

 現在、歳玄は基礎として「水の呼吸」の型をひと通り修め、実戦でも運用している。しかし、その肌感として、水の呼吸の持つ「柔軟性」「流麗さ」の理合いは、どうあっても自分の魂の根底にしっくりと馴染まないことを自覚していた。

水の流れのように受け流し、相手の力を利用して制す。それは優れた剣術の理ではあるが、新選組の副長として泥臭く、実戦の只中で敵の急所を容赦なく断ち切ってきた土方歳三の「実戦剣」の本質とは、どこかズレていた。

 

 

「こればかりは、他人が強制してどうにかなるものではない……。行冥は予定通り、来たる『最終選別』に向かうといい。君の技量と岩の呼吸の練度なら、すぐに合格して戻ってこれるはずだ」

「……ありがとうございます。ですが、歳がここに残るのならば……」

「馬鹿野郎、兄貴」

 

歳玄が、冷たい声音で言い放った。

 

「俺の心配をしてる余裕があるなら、さっさとあの藤の山を攻略して鬼を何匹か殺ってこいよ。……俺は分かっているさ。今の俺じゃ、まだ足りねぇ。技も、力も、そして何より――あの化け物を確実に屠るための“牙”の形が、まだ定まってねぇんだ」

「歳……」

 

 

行冥と綾之丞は、複雑な思いを込めて目の前の少年を見つめた。

当の本人は決して認めようとはしないが、その場にいる二人からすれば、真に恐るべき「怪物」とは、他ならぬこの悲鳴嶼歳玄その人だった。

 

齢十一歳。まだ体が完全に成長しきっていないにもかかわらず、純粋な剣の技量、殺気、戦闘中の状況判断能力だけを取れば、彼はすでに師である綾之丞すら凌駕していた。

 

 

 この二人が歳玄相手に優位に立てる数少ない要素といえば、呼吸の練度と、大人の男性としての絶対的な体格・腕力差くらいのものでしかなかった。

 

(……それに、何より恐ろしいのは)

 

綾之丞は心の中で冷や汗を流しながら、歳玄の本質を分析する。

 

(歳玄が最も優れている点は、その類まれなる才気でも、驚異的な剣の技量でもない……。あれは、戦闘において相手を確実に命のやり取りへと引きずり込み、一片の迷いもなく斬り捨てるための――“必ず殺すという狂気の殺気”だ)

 

 

 立ち合いにおいて、目の前の相手を本気で「殺す」という明確な殺意と覚悟を抱いて向き合える人間など、平和ボケしつつあるこの大正の世には、もはやほとんど存在しない。

日夜剣を握り、命懸けで鬼と戦う鬼殺隊士ですら、極限の修羅場をくぐり抜けて「柱」の領域に踏み入れたごく一部の者を除けば、心のどこかで恐怖や慈悲を捨てきれずにいる。

 

 ましてや、人間相手の通常の稽古であれほどの殺気を剥き出しにできる人間など、異常としか言いようがなかった。

 

 

極め付けは、歳玄が戦闘の極限状態で見せるあの構え――“平青眼(ひらせいがん)”。

 

 

 あれは、かつて幕末の修羅場を駆け抜けた時代、実戦最強と恐れられた新撰組の血塗られた殺人術。

 

 

 その型を取った瞬間の歳玄から放たれる圧倒的な重圧は、まるで「本当に何人もの人間をその手で惨殺してきた」本物の修羅のそれだった。

狂気とも言える闘争心。斬り合いの只中で、死の恐怖を感じるどころか、むしろ歓喜に満ちたような危険な笑みを浮かべる。

それはまさに、“剣鬼”の所業に他ならなかった。

 

 

(そしてそれは……「鬼狩り」という残酷な生業を営む者にとって、最も必要とされ、そして最も危険な要素であるとも言える)

 

 

 そもそも、鬼という存在は人の理を外れた異形の怪物だ。

どれほど訓練を積んだ鬼殺隊士であっても、初めて本物の鬼の異形を目撃した瞬間、その悪夢のような外見と圧倒的な恐怖に気後れし、体が硬直して散っていく者が後を絶たない。

 

 ましてや、その上位に君臨する十二鬼月、そしてそのすべての頂点に君臨するあの「怪物」を相手にしたとき、柱クラスの者でなければ、戦う前からその強大なプレッシャーに心をへし折られてしまうのが常だった。

 

 その点において、歳玄にはその恐怖や躊躇が一切存在しない。

 

 コイツは、目の前にどれほど悍ましい鬼が現れようとも、少しの怯えも見せず、むしろ「殺すべき獲物」として冷徹に、そして楽しげに刃を突き立てるだろう。

もしかしたら、あの忌まわしい鬼の王を相手にしても、コイツは不敵に笑いながら斬り結んでみせるかもしれない。

 

 

 それほどの、底知れぬ剣の狂気が、この十一歳の少年の小さな肉体の内側には渦巻いている。

 

 

(鬼という明確な「矛先」が存在することを、喜ぶべきなのか……。それとも、いつの日かその矛先が向けられる先を失ったとき、この少年の暴走を止める術を考えておくべきなのか……)

 

 

綾之丞の胸中に、一抹の不安と、それを遥かに凌駕するほどの圧倒的な期待が入り交じる。

だが、今は迷っている暇などない。

この鋭すぎる刃が向かうべき方向は、ただ一つ――すべての元凶である「鬼」の首のみなのだから。




主人公の容姿なんですけど、ちるらん中盤のポニテ土方をちっちゃくした感じで考えています!いずれ成長したら原作土方歳三そのままになりますけどね!
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