ひざしが つよい ▼
砂浜でスプリントトレーニングに励むウマ娘たち。蒼穹の彼方から見下ろす太陽は、当人たちは勿論、監督するトレーナーの肌でさえ、日傘などお構いなしに焼いた。
「暑っちいなあ…」
砂を巻き上げながら突進するトワイライトホークをぼうっと眺め、トレーナーは団扇で風を作っていた。大気で、そして砂で温められた空気を多少動かしたところで熱風にしかならない。それでも、痛みすら伴う夏の暑さに何もせずただ立っていることなどできなかった。
もともとフィジカルに秀でているウマ娘である。柔らかい砂浜を難なく走破した彼女に内心感心していると、べしゃり、間抜けな音がした。トワイライトホークが駆け抜けていった跡。同じくトレーニングウェア姿のホープフライヤーが前のめりに砂を舐めていた。
「おうおう、火傷すんなよ」
アタマから、漫画みたいに前半身全面を砂に埋めている。ざあ、と白い砂を落としながら脇から引き上げられたホープフライヤーは、呆れ混じりの苦い笑顔をしていた。
「すみません、トレーナーさん…」
粒の小さい砂は服の中や靴にまで入り込んで、じっとりと汗ばんだ肌にもびっしりと貼り付いている。ウェアをバタバタとさせてそれらを落とすと、ホープフライヤーは礼を言った。
「トレーナーも居ねえし、あのバカ共が世話になってるから成り行き上一緒にいるが…。お前さんは砂を走るのはちょーっと早かったかもしれねえなあ」
ぶるぶると顔を振り、髪や顔に残った砂粒を払う。トレーナーから受け取ったタオルで顔を拭きながら、ホープフライヤーは力なく笑った。
「みたいですね。私はデビューを急いでる訳じゃありませんし。来年、できればいいかなって思ってますから。クラシックやティアラは中等部にいる年齢であればどこかで目指せるので。ただまあ―」
そこまで言って、ホープフライヤーは遠くで息を切らし、エルコンドルパサーの手を借りてようやく立ち上がるクラスメイトの姿へ視線を移した。
「こんなでも、私だってここに来るまでは負け知らずだったんです。自信やプライドなんてさらさらありませんし、自分は特別だなんて、ここにいるウマ娘たちの前では口が避けても言えません。…それでも、同い年のあの娘と同じトレーニングすらできないとなると―、流石に悔しいですね」
しつこく残る砂を煩わしく感じたらしい。ぱん、ぱん、と気持ち強めに服を叩いて、彼女はまた笑った。
自嘲気味のホープフライヤー。それもまたプライドや競争意識のひとつだとトレーナーは肩をすくめた。彼がゴール地点へ目を移すと、エルコンドルパサーたちが戻ってくるのがわかった。既に7、8本は走っているから、いい塩梅なのだろう。トワイライトホークはどうにか自力で脚を運んでいるものの顔は上気し肩は怒り、体力は限界に近いように見えた。
「さっきも言ったが、俺はお前さんのトレーナーじゃない。アイツ達が必要としているから、こうして一緒に監督しているだけに過ぎない。だからあんまりお前さんのこれからを左右する事あ言いたかねんだが…」
「トワイライトホークは生きる為に強くなきゃならなかった。お前さんがここにやって来るまでに経験した覚悟や挫折もまた多いだろうと思う。だがアイツはそれに生命そのものが懸かっていたんだ。お前さんがどう言おうと、アイツが迫られていた《強くならなきゃならない》はずっと重い。だから今のアイツは他の誰より走れてんだ」
ホープフライヤーは何も言わなかった。
「まあ、どうせ来年か再来年。お前さんがクラシックなりティアラなり目指すと決めたとき。それを獲る為なら死んだっていいって思う日が来るかもしれない。そうなったら、少しはアイツの気持ちがわかるのかもな。…悲しい顔すんなよ。12、13のガキにかける言葉じゃねんだ。アイツが生きてきた世界が特殊だったんだ。ここにいる他のウマ娘の殆どが、お前さんとおんなじようなこと考えてるだろうよ」
そのうちのごく一部が、4月に入学して6月にメイクデビューを懸ける、あのときトワイライトホークと走った同じバカ達なのだ。決して面と向かっては言わないが、アイツ達はここにいる同年のウマ娘たちとは眼が違った。自分の生きてきた世界の全てを走りに集約させようとする。控室ですれ違ったり、観客席から見ていたりして、彼女らの精神の成熟を覚えたのだ。
「とはいえ、そんなガキが自分からそうなりたくて手を伸ばしたわけじゃあるまいし。普通はそんな選択は迫られんもんだ。大丈夫。お前さんだけが遅れてるわけじゃねんだ。わかったらそんな辛気臭え顔やめて、アイツ達を迎えに行ってくれ」
はい、と小さくこぼして、ホープフライヤーはヨロヨロと頼りない足取りで駆け出した。トワイライトホークの脇を抱えて宿舎へ針路を採ったのを見届け、トレーナーも踵を返した。
「やあ」
?!?!?!
180度転身した先にはウマ娘が立っていた。足音も気配も無く。あまりに驚いたトレーナーは後ろへ飛び退き、砂に足を取られて尻餅をついてしまった。まだ高い太陽に熱せられた砂が尻を焼く。
「おや、これはすまないことをしたねえ」
くつくつと笑いながら、そのウマ娘は有無を言わさずトレーナーの手首を引っ掴むと、いちにのさん。ぐいと引き上げて彼を立たせた。
「人をおちょくるのも大概にしとけよ、この問題児が。砂浜に白衣なんて何考えんだ」
白衣のウマ娘は不適に笑って答えた。
「なに、ちょっと話がしたくてね。時間あるかい?」
宿舎に戻るまではな。トレーナーは苦い顔で砂浜を踏みしめた。
……
「それで?かの大科学研究者アグネスタキオン様ともあろう方が一介のトレーナーに何のようだ」
皮肉と侮蔑。言葉とは裏腹に1ミリの経緯のない態度でトレーナーは切り出した。
「ああ。あの問題児についてだね。彼女の体つきや同年のウマ娘との比較、そしてレースのローテーションから私なりに考えたことがあるんだよ」
アグネスタキオン自らも相当な問題児であることを棚に上げた発言である。今日は厄日だ。トレーナーは天を仰ぎ、諦めと皮肉の混じった深い溜め息で先を促した。
「そんな嫌な顔をしないでおくれよ。100パーセント善意さ。君がどうしてもって言うのなら?この後ちょっとだけ、ひと口でいいから、私の作ったものを飲んでくれてもいいんだがね…。ああ、先を急がないでおくれよ。か弱い乙女を置いていかないでくれ」
歩幅をとったトレーナーに追いつくと、アグネスタキオンは本題へ入った。
「メイクデビューのとき、ホープフライヤーくんにも訊ねてみたのだがね。…彼女、早熟なのかい?今の時点でのカラダの完成度と、圧倒的なレース。そしてなにより過密ローテーション。速ければ来年にでもピークアウトが訪れるかのような、そんな切迫を感じたんだ」
しり、と砂を踏んだトレーナーのサンダルがそのまま止まった。目を見開いてアグネスタキオンを凝視。それを受けた彼女はしてやったりと唇で弧を描いた。
「…何言ってんだお前」
「え?」
アグネスタキオンは徐々に気づく。トレーナーの表情は痛いところを突かれたようなそれではない。まるで本当に何を言われたのか理解していないような、心からの疑問符を表情にしたような、そんな顔だった。
「あ、あの問題児の衰えは早い。だ、だから、その前に勝てるだけ勝つ。そ、そういうことをしてるんじゃないのかい?」
トレーナーの顔にいよいよ困惑の色が強く出た。
「仕方ねえな…。あそこ、座れよ」
いつかグラスワンダーと会話したウッドデッキ。白い丸テーブルに青いパラソル。夏全開の特等席へタキオン先生をご案内差し上げた。
……
「飲めよ」
いつかのようにコーラとレモネード。アグネスタキオンは複雑な顔でレモネードを掴み、ストローを突き刺した。
「俺はアイツの目的を助けてるだけだ。その為に必要だったのが最速でのメイクデビュー、レースを介した実践トレーニング。だからああまで過密なローテーションになった。それ以上でもそれ以下でもない」
ほふへき?とストローを咥えながらアグネスタキオンは聞き返してきた。
「ぷは。あの問題児はそうまでして達成したい何かがあるというのかい?」
こっちの問題児も、甘いものを与えてしまえば17のガキに戻る。ニンゲンの世界に嵌めるならば、子供とはこうあって然るべきとも思った。そしてたとえ命を削るような戦いを経験しても、やはり彼女達は子供であるのだとトレーナーはほくそ笑んだ。
「詳しい話は長くなるんでな。アイツの目的はエルコンドルパサーの打倒。その為ににアイツはエルコンドルパサーに教えを請い、成り行きで俺の担当になった。早熟だとか晩成だとかは知らん。エルコンドルパサーは学園の最高学年だ。アイツは次の春―、エルコンドルパサーの卒業までにチカラを付けなきゃならんし、俺は付けてやらなきゃならん。それだけの話だ」
それは…、と言いかけ、アグネスタキオンはレモネードを吸う。ずぞぞ、という音が、もはや残っているのが氷だけだということを彼女に知らせた。
「それは、普通のウマ娘なら莫大な負担を強いかねない。カラダだけじゃない。ココロもだ。このままそれを続けては彼女はきっともたない。直接レースで勝つだけが超える道じゃあない。記録で、着順で。例えば凱旋門を獲ってエルコンドルパサーを超えることだって出来るんじゃないか?」
トレーナーはたまたま通りかかった使用人にひと言ふた事と小銭を渡すと、厳しい目をしてアグネスタキオンと対峙した。彼女の耳がぴん、と立ち、その雰囲気の変化を察する。
「ご忠告いたみいるが、それでも俺はアイツに手を貸す。俺も聞きかじった話でしかないが、どうもアイツは過去にエルコンドルパサーに敗けたことがあって、それで人生を変えられたらしい。悪い意味でな。今でこそああして遊んだりするが、自分の生き方を否定された憎悪を完全には捨てきれないはずだ」
「クラシックもティアラも重賞もどうでもいい。エルコンドルパサーを直接倒すことでそれから解放されるっていうんなら、トレーナーとして、アイツが少しでも満たされるように立ち回るだろ?」
とん、とアグネスタキオンの前にふたつめのレモネードが置かれた。驚いた彼女が視線を上げると、さっきトレーナーと会話していた使用人が軽く頭を下げ、足早に遠ざかっていく。
「次からは払わねえからな。…まあ、そういうこった。俺あ、子供には少しでも幸せで、前向きになって欲しいもんでな。面倒くさいオッサンのお節介だ」
椅子を引き、トレーナーは立ち上がってこの話を畳にかかった。じゃあな、とカラダを翻そうとしたとき、
「それは本当なのかい?」
アグネスタキオンの疑問が彼を止めた。わざわざ肯定してやる義理もないと感じたトレーナーは、そのまま足を進めようとして―、
「君の言うことはわかった。やり方もローテーションもすべて辻褄が合う。しかし、しかしだ。君たちは…、《メイクデビューをした年の次の春までは、同世代としか走れない》ことを忘れてはいないかい?」
それは完全に止められてしまった。次第に手は細かく震えだし、顔面からは汗が滴る。
知らぬわけでは無かった。言い訳が許されるならば―、代替案が出るまでタイミングをうかがっていたのだ。決して出てこないことを除けば完璧な作戦。
ゆっくりと、ゆっくりとアグネスタキオンへ向き直り、トレーナーは自ら引いた椅子へと再び座した。
「そうなんすよ。どうすればいいっすかね」
「わ、私に訊かれてもだね…」