府中。快晴の青空は夏のそれよりも深い。新馬戦や未勝利戦、古馬オープンなどで湧く観客に紛れ、浮かない顔のトワイライトホークは座り込んでいた。
「今のお前はエルのモチベーションを壊す」
今日は毎日王冠。エルコンドルパサーの引退レースである天皇賞へ向けた最後のステップである。いつものように控室へ帯同しようとしたとき、そうトレーナーに言われた。
控室から弾き出され、関係者席にすら座らせてくれなかったことを思い出して舌打ち。眼下のレースを眺める表情は、高校生くらいなら逃げ出してしまいそうなほど荒々しい。それでも努めて一連を忘れようと試みるが、苛立ちは彼女の心に巣食って消えることは無かった。
チームルームで揉めてから1ヶ月。ホープフライヤーはトレーナーの言うように「自分の意志で」ここに来ることはなかったし、トワイライトホークの見る限りでは共同のトレーニングにも顔を出しているようでもなかった。
連絡自体は取れているが、決定的な話をするといつものらりくらりと躱されてしまう。
移動教室や図書室などで出くわしたときに捕まえようとしても、ホープフライヤーはどさくさに紛れてどこかへ行ってしまうのだ。
表面上はいつもと変わりないように思えるが、クラスで言葉を交わすことが減り、食堂を共にすることも無くなった友人を歯噛みする思いで見つめていた。
「小鳥ちゃんさ、最近ホープとなんかあったの?」
夏前にようやくできた新たな友人たちはこぞって根を葉を掘ってくる。喧嘩したわけでもなく、すれ違いがあったわけでもなく、ただホープフライヤーの選択でそうなっているのだから、トワイライトホークに言えることは
「小鳥サンハヤメロ」
くらいしかなかった。
ホープフライヤーとの接触は難しくなったが、皮肉にも彼女のおかげで作られた関係性は保たれ、クラスで孤立することは無かった。レースでの実力やセレブレーションの奇行が大衆に受け入れられつつあるのと同時に、周りのウマ娘たちもその心の壁は意外と低くて薄いものだと理解したようだ。
日本語の理解と会話が深まったのもあり、今の彼女は「近寄ってはいけないヤバい奴」から「面白い変わり者」くらいの立ち位置に落ち着いた。
時間が経てば人間関係も変わる。そういうのを「ショギョウムジョウ」というらしい。自身にとって最も身近であった存在ですらその例に漏れなかったことを内心悔やみながら、トワイライトホークはマシになった学園生活を送っていたのだ。
そしてその傷心を抉るように、トレーナーから告げられた言葉があった。
「隠していたわけじゃねえが、お前とエルは同じレースを走れない」
放課後のトレーニングをわざわざ中断して開かれた1対1のミーティング。聞いたトワイライトホークのアタマは真っ白になった。
「お前がエルに対して向けている気持ちはよ。あのとき話聞くまで知らなかったんだ。お前をスカウトしたあの日、俺はお前とエルは単に仲が良いだけだと思っていたんだ」
……
トワイライトホークが初めて模擬レースで勝った日。トレーナーはグラスワンダーに差し向けられてそれを見ていた。問題行動は多々見られたが、グラスワンダーから自身の担当であるエルコンドルパサーの肝入りであることを説かれ、なによりトレーナーとしてのカンが「ある」と思わせたから、渋るエルコンドルパサーを押し切って契約したのだ。
すったもんだのスカウト劇から、トレーナーがトワイライトホークからコトのあらましを聞いたのはそれから2週間後。夏にもグラスワンダーから改めて打ち明けられたが、彼は自らの軽率な判断を心から後悔した。
エルコンドルパサーやグラスワンダーは、トワイライトホークを連れてくる前に彼女の全てを悪意なく破壊していた。特に実行役として彼女を敗かしたエルコンドルパサーへの執着と憎悪は激しく
「イツカコロス」
とまで言っていたのだ。
その舞台は用意することが出来ないのだ。どんなに早くデビューしたって、そのウマ娘は次の春まで同期としか走れないのだから。そして次の春、エルコンドルパサーはもう居ないのだから。
………
「エルの引退は秋の天皇賞。お前は―、年末のホープフルだ。暫くはエルを中心に見るから、先に言っておく」
じゃあ自分は何のために走ればいいのか。
結果論だが生活が変わって良かったとすら思っている。しかし、デトロイトの王座から引きずり下ろされた事実に対する遺恨はまた別の話で、いつか絶対に決着を付ける意思はあった。
それが叶わないなら―、ここに来てからの全てやこれからは、何処に繋がっているのだろう。
「騙されたと、思っていますか?」
どれだけ反抗心を育てたところで12や13のガキには何もできない。全てはオトナの決めたこと。絶望に支配されたトワイライトホークはアタマを抱え俯きそうになったとき、不意に上から声がした。
「…!」
グラスワンダー。トワイライトホークにとってはエルコンドルパサーと同じ、デトロイトで生きたそのすべてを否定された憎むべき仇敵であり。エルコンドルパサーと違うのは、彼女にだけは絶対に逆らってはいけないと本能が告げている、ということ。
「隣、失礼しますね〜」
まるで食堂を共にするかのようにフランク。彼女はトワイライトホークの隣へ腰を下ろした。
「日本語、上達したらしいですね〜。エルからよく貴女の話を聞きます。最近はお会いしませんが、あなたのお友達からもね」
お友達。それがホープフライヤーであることは容易く理解できた。疎遠になっていることをグラスワンダーは知っているのだろうか。ホープフライヤーは気まずくなって視線を逸らした。
「貴女がエルの下に着いてから、私はあまりお助けすることができませんでしたが〜。そろそろ、私やエルといった籠から飛んでいける。そうは思いませんか?」
ナンノ話ダ、とトワイライトホークは訝しがった。グラスワンダーは目に弧を描いたまま、レース場を見つめている。
「私から貴女に「prove you」と送ったことを覚えていますか?…それは貴女自身と、貴女のために居てくれる方達のおかげで成されたと私は思っています」
「貴女はもう「鷹」になれる。どこへでも飛んでいける。止まり木は、もう沢山得ています」
先頭のウマ娘がゴールを駆け抜け、観客が湧く。体操服を汚したウマ娘は満面の笑みで答え、手を振りながらウイニングランをしていた。
「…難シイ日本語ハ、ワカラナイ」
そうですか、とグラスワンダーは笑った。
「貴女はもう自分で選ぶことができる。それでも貴女が過去の清算を望むなら―、ひとつだけ、教えておくことがあります」
………
「Please give me to run U.R.A.FINALS!」
「また誰かに要らんこと吹き込まれたな」
毎日王冠の翌日、チームルームでひとりコンビニ弁当を広げていたトレーナーの元へトワイライトホークは突っ込んだ。
「お前が俺に何かを頼むなんて初めてだな」
口の中に入っていたウインナーをゆっくりと飲み込むと、彼は箸を置いて肩で息をするウマ娘に向き合った。
「座れよ」
大人しくパイプ椅子へ着くトワイライトホークを余所に、トレーナーはコーヒーメーカー。豆の挽かれる芳しさが部屋を満たす頃には、幾らかの菓子とマグカップを2つ盆に乗せて戻ってきた。
「ほら」
トワイライトホークのほうへ角砂糖を5つほど。そしてコーヒーフレッシュ。彼女は恨めしそうにトレーナーを瞥して、その全てをカップへ流し入れた。
「生きるか死ぬかのレースしてきてた割に、好みはガキだもんなあ」
甘いマドレーヌの粉を零しながら頬張り、甘くされたコーヒーで流し込む担当。苦笑しながらそれが落ち着くのを待って、トレーナーもカップへ口を付けた。
「グラスワンダーか」
もちゃもちゃと咀嚼しながらトワイライトホークは頷いた。長く深く重いため息がトレーナーから勝手に漏れる。コイツの背後にはいつもアイツだ。彼の心労はそこにもあった。
「お前の言いたいことはわかる。面倒だから細かくは聞かない。そして出るなとも言わない。ホープフルまでほぼほぼ丸々3カ月だ。身体も充分作ることができる。―何よりお前が決めたことだ、好きにやるといい」
聞いたトワイライトホークは目を輝かせて応えた。
「That...!」
「だが」
しかし彼はトワイライトホークのトレーナーであると同時にエルコンドルパサーのそれでもある。それが彼がどちらの味方もすることができない理由だった。
「前にも言ったようにエルは天皇賞が最後だ。それは変わらない」
椅子を蹴って立ち上がったトワイライトホークはそのまま固まってしまった。きっと「この期に及んでコイツは」などと思っているのだろう。しかし彼はそれでもよかった。トワイライトホークとエルコンドルパサーのキャリア。彼はそのどちらも守らなければならない。
その為なら担当に嫌われようが知った事ではない―、訳では無いが、仕方ないのだ。
「アイツヲ出サナイ理由ヲ、引退以外ニハナセ」
面倒臭えな、とトレーナーは頭を掻いた。
「オトナってのはな、面倒臭えんだ」
周知のことであるが、今この国に居るウマ娘で最も世界に近い位置へ踏み込んだのはエルコンドルパサー。瞬間的な成績だけでいえばシンボリルドルフすらも頭を垂れざるを得ない。
ゆえに「お上」の関心も非常に大きい。
学園に在籍する最後の年へ臨むにあたり、生徒会長という地位は(表向きは実力と実績をもって)手に入れた。この1年を駆け抜ければ強制的に引退することになる。
であらば死に場所を選びたいとの本人の意向で、それは秋の天皇賞に決まった。
凱旋門から1年が過ぎており、その時間をピークに彼女の時計は少しずつ遅れを取り始める。次走の毎日王冠、そしてラストランの天皇賞。その2走を「勝って」終わることがエルコンドルパサーの、そのトレーナーの、そしてURAの望みだった。そしてそれが彼女が「走れる」ことを維持し続ける限界であることを彼は悟っていたのだ。
「つまりだ。これ以上はエルのピークアウトを隠すことすら難しくなる。勝って去るっていうアイツの望みを叶えてやれなくなるんだよ」
ふう、と彼は息を吐いて、マグカップを煽った。
「お前のあの…、アレだ。「シウー」な。アレが誰のもんだかは知ってる。そいつがもし…、ボロボロんなって、シュートも決めらんなくなって、悔しさと未練に塗れて引退したら、嫌だろ」
彼女はこくりと無言で頷く。もうひと押しだとトレーナーは確信した。
「お前との付き合いも長いような気がしてるが、エルとの付き合いはもっと長い。お前には悪いが、お前とエルのどちらかを選ばなきゃならんとき、俺は迷わずエルを選ぶ。許せとは言わん。だが、そういうもんで―、」
なーにマトモなツラして説教してんデスカ!
ようやく諦めかけたトワイライトホークを最後に丸め込もうといったところで、背後から別の声がした。
ズカズカとチームルームへ押し入るエルコンドルパサー。マスク越しにもわかる憮然とした表情でパイプ椅子に座った。
「な―っ!エルお前バカ野郎!やっと話がまとまりかけてたってのに…!」
エルコンドルパサーのアタマを叩きながら、彼はその音が漏れてないか入り口の扉を確認した。当然ながらそれは開け放たれていて、鹿毛の尾が揺れながらフレームアウトしていったところだった。
同じ毛色のウマ娘など両手両足を5回使ったって足りないくらい此処には在籍している。だが、こういう時に現れて、カオを見せず、エルコンドルパサーをけしかけられる鹿毛などひとり以外に無く、トレーナーは今日何度目かわからないため息を吐いた。
「もう、面倒クサいから結論ダケ言いマス」
この言い回しも聞いたことあるな、とトワイライトホークは漠然と思った。
「ワタシの「競技ウマ娘」としての最後ハ天皇賞。ソレは変わりまセン。デスが年明けのイベント「URAファイナルズ」へは興行の成功を後押しする為ニ出走しマス」
「ソノ為のトレーニングはしまセン。ワタシは天皇賞で終わる。イベントはイベントとして、本気を出さないという意味でハありまセンが、そういう心持ちデ走りマス。―と言えバ、トレーナーは折れるしか無いっテグラスが言っテまシタ」
トレーナーに言葉は無かった。ただただ、面倒が大挙して押し寄せてきた、という気持ちであった。
「なあ、お前自分が何を言ってんのかわかってんのか?あの日お前が決めた死に場所は天皇賞だ。有マ記念、せめてジャパンカップまで伸ばしてくれとお上からの要求を「アイツが決めたことだから」って折るのに俺や学園がどんだけ苦労したか知ってんのか?」
いいじゃないデスか、とそれでもエルコンドルパサーは強気だった。
「それこそ「ワタシが決めたコト」なんデスから」
「お前…」
トレーナーが二の句を継ぐ前にエルコンドルパサーは椅子から立ち上がり、まるで野球でもするかよようにバットを構えるポーズをした。
「ワンサンやシゲオサンが、今打席に立っテ三振してモ、誰モ何モ言わないデショウ?」
ぷるん、と素人臭いスイング。それで打球を転がしたかのように、エルコンドルパサーはチームルームを出ていってしまった。
「何十年も前に引退した選手と、ラストランから3カ月のお前とで比べんなよ馬鹿が…」
トレーナーはブツブツとパソコンを開き、メールソフトを立ち上げた。
たったか、たったか、と小気味よくキーボードが文章を綴っていく。内容に満足いくのにそう時間はかからなかった。
その作業を見つめるトワイライトホーク。電源が切れ、黒くなったパネル越しにそれを彼は認めた。
「…。あー」
「人間ってのはな、面倒臭えんだ。エルとお上、付き合いで言ったらお上のほうが勿論長い。エルかお上かどちらかを選ばなきゃならんとき―、俺は迷わずエルを選ぶ。おかしいよな、人間ってのはな」