黄昏の星条   作:橋本みちか

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2度目の絶望

赤や黄色に染まった木々に雪が乗るという、11月ではおよそ有り得ない光景。そんな異常気象においても露ひとつ無い学園の芝。多数のスタッフが勤務を何時間も前倒しして対応してくれたおかげである。まるで真夏のそれを踏むのと同じようにトワイライトホークはコースを駆ける。年末のホープフルへ向けたトレニングのメインはモアパワーだ。

 

《ピピーッ》

 

右耳に着いたイヤホンから合図が鳴る。ほぼ同時に全速でコーナーを曲がりきった彼女はふうっ、と大きく息を吐き、ストレッチを巡航するようなペースへとその脚を落とした。そしてそのまま次のスタート地点へ向かう。

 

「ただのインターバル走では無いんですね」

 

その様を監督しているトレーナーの横にはさも当たり前かのようにグラスワンダーの姿があった。いつもの様に弧を描いた柔らかい目で、脚を進めるトワイライトホークを見つめている。

 

「あんた、同じチームだったか?」

 

うふふ、とグラスワンダーは意味深な笑みで首を振った。

 

「いいえ?私はただ、自分の見つけた石ころが正しく輝けるのかを見に来ただけですよ」

 

そうしてグラスワンダーはしゃなりとベンチへ腰掛けた。トレーナーのすぐ隣。

 

「つくづく解せんな、あんた」

 

18の子供に寄られていちいち揺れるタマでもない。彼は何事もなかったかのようにコーラを煽った。喉を通る泡がもたらす、いつもと変わらぬ炭酸の刺激。繰り返し、という概念が無く、時に手前の立ち位置を見失いそうになるこの仕事だが、このときだけは世界はいつも同じ場所にあると思い出させてくれる。

 

「3コーナーから4コーナーを抜けるまで大体16秒から17秒。見た感じですと、それを15秒で抜けるように―、走らせているのですか?」

 

グラスワンダーの考察は、このトレーニングの根幹、そのまさにダブルブルを射抜いた。やはり敵わない。コーラで冷えたトレーナーの吐く息は、それでいてなお異常に寒い秋の日に晒されて白く煙った。

 

「実際のレースは大体そんなもんだからな。他の奴らとダンゴになってそのタイムだ。ひとりで走るんなら、1秒は捲っとかねえと駄目だ」

 

「その『1秒』というのはどこから来たのですか?」

 

「あ?勘だよ、カ、ン」

 

あらあら、とグラスワンダーは頬に手を当てて笑った。

 

「あんたはいいのか。有マ記念、走るんだろ」

 

秋の天皇賞以来、彼はトワイライトホークに付きっきりであったが、そうしながらグラウンドには目を配っているつもりだった。その視界にグラスワンダーの走る姿が入ることは今日の今まで遂に無く、気にしていたと言えば嘘になるが、そうでないと言うには後味の悪い、そういう気持ちを覚えていた。

 

「能ある鷹は爪を隠す。ロクに走り込みもしていなかった『ように見える』ウマ娘が、テイエムオペラオーさんも、ナリタトップロードさんも、メイショウドトウさんも、スペちゃんも、キングさんも、みーんな纏めて撫で切ってしまうのって、面白いとは思いませんか?」

 

「それを今あそこで怖え顔して走ってるテイエムオペラオーの前で言ってこいよ」

 

あくまでグラスワンダーは薄く笑った。冷たい風がふたりの間を通って、ベンチに置かれていたコーラを倒す。じゅわあ、と炭酸が暴れる音がボトルの中で弾けた。

 

「嘘ですよ。私は確かに有マ記念への出走を決めましたが―、1着を獲ることには然程固執していません。…できなくなったのか、そうしたのかは、わからないのですけれど」

 

急に真剣な顔つきになったグラスワンダーはぽつりと語り始めた。いつも細められている彼女の瞳を認められるようになるのは、グラスワンダーが真面目な話をするか、本当に怒っているかのどちらかだ。

 

「私がこれから走る中山もそうですが―、競バ場所には、この歴史が始まって全てのウマ娘―、同じ頂点を志した同志の栄光と絶望、勝利と敗北、希望と怨嗟が宿っています。それを踏んで戦う私たちには、あそこはまさに戦場でした」

 

「ですが特に今年の夏あたりから、どうにもそれが美しく見えるようになったんです。風に凪ぎ、朝露に光る、誰も立ち入っていない芝。戦う場所でしかすぎなかったのに、その美しさを壊すことに申し訳なさを覚えるようになったんです」

 

グラスワンダーは脚元に生えていたタンポポ―秋口にあるのは珍しい―の茎を手に取り、しばし逡巡した後にその手を土に汚して、根元から抜いてみせた。

 

「それでは他の方たちに面目が立ちませんから、勿論、本気で走らせて貰いますけれど。特にスペちゃんとはね。ですが―、私がその為に特段何かをする日は、恐らく訪れないでしょう」

 

小さく開く花弁を指で遊ぶグラスワンダー。茎に付いていた小さな羽虫が驚いて飛んでいってしまった。

 

「ですから、これが、私にできる最後の仕事だと思いますので。どうか、止めないでくださいね〜」

 

そう言って立ち上がったグラスワンダーは、手のタンポポを丁寧に埋め直すと、まさに次のスパートに入ろうとしているトワイライトホークへ脚を向けた。

 

 

………

 

 

もう何周これを繰り返しただろうか。いい加減飽いてきたし、最初はたっぷりあったインターバルも、ここ10回程は疲労と回復のバランスが逆転していた。スパートを終えるごとに顎をあげ、ぶはあ、っと無様に息を吐き、よろよろとしながらも最後のプライドでペースを乱さずに巡航を始めた。

 

ファッキンマスクドビッチを倒すにはURAファイナルズの権利を掴むことが絶対条件。その選考基準でジュニア級のウマ娘が戦うには、ホープフルを獲ることは非常に大切だった。

 

アイツを今度こそ潰す。

 

その一心でトワイライトホークは重い身体を気力で動かし、次のスパート地点を目指す。

 

「ぜえっ、ぜえっ、―ひゅうっ」

 

息も絶え絶えにストレッチをひた走る。コーナーだけを15秒以内に抜ければよいというわけではない。45秒以内にストレッチを走りきって次の地点にたどり着かなければならないのだ。

ホープフルステークスにおいては最初のカーブを抜けてから3コーナーへ差し掛かるまでに30秒前後というデータがトレーナーにはあるらしい。トレーニングの本分であるスパートに重きを置いて、45秒であるとの説明も受けた。

その45秒が今のトワイライトホークにとっては、あの時のエルコンドルパサーよりも高い壁に感じる。残り10秒のブザーがイヤホンから鳴り、守らなければラインを崩すまいと彼女は歯を食いしばって先を目指した。

 

「―ッ?!」

 

根性で前を見据えた彼女の瞳が、目指すべき地点に人影を認めた。そしてその正体に気付くやいなや、トワイライトホークはギョッとした表情を浮かべて思わず停止してしまった。

 

「あらあら、勝手にトレーニングを止めるノはよくありませんね〜」

 

遠く―、トワイライトホークのトレーナーが座るベンチを見やりながら、その影の主は柔らかい口調で微笑みながらトワイライトホークを的確に刺した。

 

「精が出ますね」

 

やられる。

 

そう思ったトワイライトホークはトレーナーの方―、グラスワンダーと同じ方向へと顔を振ったが、彼は気怠げにベンチに座ってコーラを煽り、手で

 

「好きにしろ」

 

と合図していた。

 

「…。…。ナンダ」

 

自分を拾い上げてくれた恩人に対する敬意と、グラスワンダーという底知れぬウマ娘そのものに対する言語化し得ない恐怖と警戒。善し悪しの入り混じったなんとも不可解な声色でトワイライトホークは問うた。

 

「小鳥さん。―貴女に、2度目の絶望を教えてあげましょう」

 

入学試験から数えれば、ここへ来てから10ヶ月が経とうというところ。流石のトワイライトホークも、日本語にまみれた生活を送ることで多少は読み書きもできるようになってきた。

 

だから、グラスワンダーが何を言っているのかは理解できる。

 

しかしトワイライトホークの頭では、グラスワンダーが何を言っているのかがわからなかった。

 

「…。何ヲ…」

 

そういう間にもグラスワンダーは顎に手を当て、外目には可愛らしく、そして彼女を知る者にとってはこれ以上無く恐ろしい仕草で思案していた。

 

「…といっても、今の状態ではそれもままなりませんね〜。―いいでしょう。明日、グラウンドを生徒会で貸し切ります。無論1日中というわけにもいきませんから、時間を見て、ですけれど」

 

トワイライトホークの頭上にはいくつもの疑問符。まるでそれが見えているかのようにグラスワンダーは笑った。

 

「今日中にメールを入れます。それに従って―、明日、来てくださいね?」

 

うふふふふ、と薄気味悪い笑いを残して、グラスワンダーは踵を返ししゃなりしゃなりと校舎へと戻っていった。

 

 

………

 

 

19:27

グラスワンダー

《有マ記念を控えているのに何故かどうしてお暇な貴女達に朗報をお持ちしました丨

 

19:28

スペシャルウィーク

丨言うほど暇じゃないんだけどね》

 

19:28

【一】キング【流】

丨グラスさんが口火を切るなんて珍しいこともあるものね》

 

19:32

セイちゃん

丨セイちゃんは走らないけどね。…またアイツ絡み?》

 

19:36

グラスワンダー

《明日の14時半から2時間、第2グラウンドを生徒会で貸し切りました。せっかくですし並走トレーニングをしましょう丨

 

19:38

ELC.P

丨生徒会長は何にも聞いてませんけどね》

 

19:41

グラスワンダー

《知らせる義務はありませんよ丨

 

19:44

《1回くらいは走っておいてもいいと思うんですよね〜。是非お越しください〜丨

 

19:55

スペシャルウィーク

丨5人で走るの?》

 

19:56

セイちゃん

丨そう思うならスペちゃん、裏庭のタンポポと遊んでるといいよ》

 

19:56

スペシャルウィーク

丨酷いなあ》

 

19:59

【一】キング【流】

丨まあ、ただの並走トレーニングじゃないことは確かね》

 

20:04

グラスワンダー

《そんな大仰なことはしませんよ。ただみんなで走って、いま一度志をひとつしたいじゃありませんか〜丨

 

20:05

セイちゃん

丨その歯の浮くような耳触りのいい言葉、一体何処で覚えたんだろうね》

 

20:21

ELC.P

丨仕方ありませんね》

 

20:21

グラスワンダー

《エルは明日、この処理の後始末をお願いします。みなさんのトレーナーさん方にかなり無理を言って予定を空けて貰いましたから丨

 

20:22

グラスワンダー

《他の生徒さん方にもです。生徒会の名前を使って強引に借り切ってしまったんです。副会長の私では到底収まりがつきません丨

 

20:23

グラスワンダー

《こうしていれば、エルは並走の時間には間に合わないかもしれません。それでも、大変申し訳ないのですけれど、生徒会長の貴女が、その落とし前を付けるしかないのです。先に芝から降りたエルコンドルパサーさん丨

 

20:28

ELC.P

丨は?》

 

20:31

グラスワンダー

《オペラオーさんたちも使って構いませんから。彼女たちもそろそろ流れを覚えて貰わないと困りますし丨

 

20:39

ELC.P

丨は?》

 

 

………

 

 

「…。…。…それで、こうなるわけね」

 

セイウンスカイは苦笑―、苦い方が幾ばくか割合を占めるような表情でため息をついた。

 

午後2時半。生徒会によって急きょ借り切られたトレセン学園第2グラウンドには、当事者らを除いて人っ子ひとり居ない。前日の名残が冷たい風となって芝を撫でていった。

 

「ごめんねー、今日は誰も入れるなってグラスさんから凄く凄い言われてるんだ」

 

中でいったい何が行われているのか気になるのは当然のことであり、数十の生徒たちが事の推移を目にしようと入り口へ押しかけている。それを苦笑混じりに押し留めているのはナリタトップロードだ。

 

「トプロ先輩、次の生徒会長になるって本当なんですか?」

 

押しかけているギャラリーのひとりが、押し合いへし合いになり潰れそうになりながらナリタトップロードへ問いかけた。それを聞いた他の生徒の一部は興味津々に回答を待つ。ぎくりと痛いところを突かれたナリタトップロードは苦笑を崩さずに答えた。

 

「ほ、ほんとはオペラオーちゃんかアヤベさんがいいと思うんだけどね…。上の先輩が言ってるだけだから、ま、まだ、わかんないけど…」

 

何を言っているの、と群衆の中から声がした。その主が誰かが明らかになると、群衆はそこを起点にモーセが割った海のように彼女をナリタトップロードの元へ通す。長いウマ耳が憮然と揺れていた。

 

「オペラオーさんはアタマが悪い―、というかああいうヒトだから実務は向かない。私は暗すぎて人前に立てない。消去法でもあるけれど、そのふたりが持っていないものは全て貴女にある。これは何度も言い聞かせたでしょう?」

 

「アヤベさん…」

 

またそう言う、というような顔でナリタトップロードは安心したような息を吐いた。

 

「裏口の封鎖は完了したわ。ウマ娘のチカラなら無理矢理こじ開けることも出来なくはないけれど…、そうした後のことを考えられる人たちなら思いとどまるでしょうね」

 

「オペラオーは会長と愉快に謝罪行脚中よ。トレーナーといえど、凱旋門2着と年内無敗の世紀末覇王にアタマを下げられて異を唱えるわけにはいかないらしいわ」

 

テイエムオペラオーの暴走に血管をヒクつかせながら事を進めるエルコンドルパサーの絵が容易に浮かぶ。ナリタトップロードは視線を横へズラして現会長を哀れんだ。

 

「そしてトップロードさんがここに居る以上、誰も第2グラウンドへ立ち入ることは出来ないわ。貴女たちも諦めなさいな。…けれど―」

 

アドマイヤベガは東に立っている学舎へ首を回した。本校舎より少し離れたところに建っているそれは科学授業の実験や音楽の実習などで使われているが、外廊下から第2グラウンドをまるっと見渡せる位置にある。

 

「外から見られることまでは、私たちの手には負えないわね」

 

アドマイヤベガの視線に釣られ、一斉に学舎を見たウマ娘たちは、まるでイワシの群れがうねるようにそこへ向かって流れ始めた。ものの30秒もしないうち、ナリタトップロードの目の前にはアドマイヤベガしか居なくなってしまった。

 

「あ、ありがとう、アヤベさん…」

 

「私は碌でもない仕事なんてしたくなかっただけ。貴女の為じゃないわ、トップロードさん」

 

「そうだね」

 

まるで全てを見通すかのようなナリタトップロードの返答に、アドマイヤベガは僅かに顔を紅くした。

 

「わ、私はもう行くわ。もうさっきみたいにごった返すこともないでしょう。―来年、頼むわね」

 

最後の言葉はボソボソとしすぎてナリタトップロードの耳には入らなかった。それでも足早に『東の学舎』へ向かっていくアドマイヤベガの後ろ姿。

 

「結局、気にしてるんじゃん」

 

外階段を駆け上がって混沌を捌き始めるアドマイヤベガの声を聴きながら、ナリタトップロードは冷たい風に汗を攫わせた。

 

 

………

 

 

「疲れまシタ…。あと何人にこうして謝ればよいのデスカ…」

 

ゾンビのように背を丸め、腕を回してヨタヨタと歩くエンコンドルパサー。その助手として傍らに仕えるテイエムオペラオーは対象的に気力とオペラに溢れていた。

 

「しんみりしてはいけない!エル君!ボクらの使命は暴徒と化したウマ娘らを影で操るトレーナーの懐柔にある!そしてボクらの奏でる美しいオペラと最敬礼に誰も言葉を紡ぐことができない!ああなんと気持ちのよいことか!ずっとこのまま行脚していたい気分だよ!」

 

「そうデスカ…。おめでタイことデ…」

 

何故か第2グラウンドから遠い場所。なぜか東学舎から遠い場所ばかりでスケジュールが組まれている。それもこれもグラスワンダーの計画によるものだった。

 

「ワレワレだけグラスの並走から遠ざけラレ、こうして時間いっぱい謝罪行脚。あの小鳥サンの影を感じずにはいられナイのデス」

 

「ヒーローは遅れてやって来るものさ、エル君!副会長はその栄誉ある役をボクたちに与えてくだすったのだよ!それなら、それこそ時間いっぱい遅れて、壮大に現れてやろうじゃあないか!ヒーローらしくね!」

 

「その頃にハもう全テ終わってマスよ…」

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