「グラスちゃんのことだからただ並走するだけじゃないとは思ってたけど、まあ、そうだよね」
季節外れの冷えた風が吹きすさぶトレセン学園第2グラウンド。その中央にはグラスワンダーによって集められた5人のウマ娘が寒そうに身を寄せていた。
「私は、こうなると思っていたわよ」
「はいはい、キングはいつも正しいよ」
さしものキングヘイローも寒さにやや耐えかねて腕で身体を抱いている。
並走トレーニング。集められた者たちは皆この裏に込められた言外の意図を気取っていた。だから、エルコンドルパサー以外の生徒会正役員が揃った以外に、異分子がひとつ混ざっていても大して驚きもしない。
「よろしくね、えっと…、トワイライトホークちゃん」
スペシャルウィークが努めてにこやかな顔を作り、トワイライトホークへ手を差し伸べた。目一杯に開かれた掌から彼女の性格が伺い知れる。
「…ホーク、デイイ」
一方的に知られているだけの初対面。何故コイツはアタシのコトを知っているんだという警戒を若干孕みながら、トワイライトホークはその掌を取った。
「グラスさんの肝入りの娘ね。名前というか―、良い噂も悪い噂もさんざあがっていたから、私たちはよく知っているけれど」
貴女にとっては初めましてね、とキングヘイローは微笑んだ。
「そういえばエルはどうしたの?」
唯一この場に居ない生徒会役員。彼女たちのアタマであるエルコンドルパサーはテイエムオペラオーとの謝罪行脚を組まれ、学園中を奔走しているところだ。
「エルならもう間に合いません。この小鳥さんが目指しているのはエルですから。URAファイナルズでまみえるであろう彼女に、この場面を見られるわけにはいきません」
おくびもなく告げるグラスワンダー。宣告に近い口調でもあった。
「へえ。やっぱり、なんだかんだ言ってその娘の為なんだ。…だったらセイちゃんはやる気無くなっちゃうなあ。全部グラスちゃんの掌の上だもん。面白かあないよ」
両手をアタマの後ろに組んだセイウンスカイは踵を返して場を離れようとした。にし、と芝を踏む音と共にその脚がひとつ、ふたつと進んでいく。
「あら。これは私たちの特訓でもあるんですよ。特に『セイちゃんクラスの逃げ』を捕まえる練習なんて、そう易易と出来たものでもありませんから〜」
「セイちゃんだって、『私たちクラス』のウマ娘から逃げる練習なんて、そう易易と出来たものではないでしょう?」
煽られたセイウンスカイの脚が止まった。そのまま芝は右回りに削られることとなり、セイウンスカイは再び舞台に戻ることを決めた。
「私たちクラス、ねえ。グラスちゃんたち3人は確かにそうだけど、この娘はどうだろうね」
あくまで訝る視線を保ったまま、セイウンスカイは輪に加わり直した。
「a...」
剣呑な雰囲気を感じたトワイライトホークはただぼけっとそれを眺めているしかない。グラスワンダーの操る日本語が高度すぎて彼女にはさっぱり意味が理解できなかった。
「難しいことを言っているけどね。あのふたりはああしないと互いをリスペクトできないのよ」
トワイライトホークの目のブレを感じたか、その両肩をキングヘイローが覆い、眼前のやり取りを補足する。
respect…?というトワイライトホークの小さな問いかけに対し微笑みと共に頷き、今この時間に対する不安は全て杞憂であることを伝えた。
「さて。並走は1回だけということにしましょう。距離は2500の右。ここ第2グラウンドは中山と同じ構造をしています。この意味がわかりますね?」
有マ記念。グラウンドを構成するコースと、グラスワンダーの提示する条件がそれを指していることはトワイライトホークにも容易に理解できた。
「ねえ、セイちゃんは有マに出ないんだけど。これってセイちゃんが皆に付き合ってる以外に何かある?」
文句を垂れるセイウンスカイにグラスワンダーは厳しい視線を向けた。
「戦わない者に口無し、ですよ、セイちゃん。私たちは来たるレースに備えているだけです」
「貴女も引退するつもりはまだ無いんでしょう?春までの期間でどうするのかはわかりませんが、この時間の価値は貴女自身で見つけてください」
聞いたセイウンスカイは語気を荒げて芝を踏み鳴らした。
「走れるヒトたちはいいよね。卒業を控えたラストランは屈指の大舞台。有終の美を飾れるって訳だ。…で、その舞台に上がる資格すら無かった私は、何処で燃え尽きればいいのさ。教えて欲しいよ、まったく」
「止めなさい、後輩の前で。…それこそ『自分で見つけろ』よ、スカイさん」
いよいよグラスワンダーに詰め寄ろうとしたセイウンスカイを見たキングヘイローが間に割って入った。やはり高度なやりとりが理解できないトワイライトホークはスペシャルウィークに手を取られている。
「大丈夫だよ、大丈夫」
スペシャルウィークのその言葉だけが、この4人の世界が何もわからないトワイライトホークにとって、その中に居てもいいという許しだった。
………
自分たちしか居ない並走トレーニング。ギャラリーを全て排してしまった以上、設営を手伝ってくれる者などあるはずもない。結局残ったセイウンスカイとキングヘイローの指示で、トワイライトホークは出走ゲートを構成するひとつの部品を両手に抱えて歩いていた。
「さっきは大変なとこを見せたわね」
ヨタヨタしながらどうにか歩みを進めるトワイライトホークへ、同じく部品を―トワイライトホークの抱えているそれより数弾大きい―抱えたキングヘイローが寄ってきた。
「ふたりともああ言うけど、結局スカイさんは協力するし、グラスさんは自分から誰かを切り捨てることはしないの。だから『またやってるよ』くらいに見てていいのよ。そうね…、『I′m tired』といったところかしら?」
tired。疲れた、飽きた。それを聞いたトワイライトホークは僅かに緊張が解け、不安でへの字になっていた口角は少なくとも元通りになった。
スペシャルウィークをからかうのも、グラスワンダーに噛みつくのも、キングヘイローに対して子供のように駄々を捏ねるのも、セイウンスカイなりの友情の表し方なのかもしれない。
そう理解したトワイライトホークは、設営中に何度となく起こった言い争いに今度こそ関心を寄越さなくなった。
「私のこと好き?って聞いてくるめんどくさい彼女みたいだよね」
ガチャガチャと部品をいじりながらキングヘイローと談義していたところに、スペシャルウィークが入ってきた。
「そうね。いちいち試される私たちの身にもなってもらいたいものよ」
肩を怒らせてため息を吐き、キングヘイローは六角レンチでゲートの可動部分を締める。ギギギ、とナットがウマ娘のチカラによってカタチを歪められるのがトワイライトホークに見えた。
「それ、キングちゃんのトレーナーさんにも言っておこうか」
ぶっ、とキングヘイローが吹き出したのと同時に、絶妙な力加減で締められていたナットは不幸にもねじ切られ、吹っ飛んだ先の土くへに力なその身を横たえた。
「な、何を言うのよ!こ、後輩の前で!」
その勢いのままレンチを芝に投げ落とし、キングヘイローは音の出そうなほど素早く立ち上がった。
「はいはい、仕事しようねキングちゃん」
ねじ切られた部分にマイナスドライバーを力技で突っ込み、それを回して胴体を抜き去るスペシャルウィーク。ギリギリという金属の悲鳴が、そのままキングヘイローの羞恥のようであった。
「コレモ、見ナクテ、イイコト?」
顔を赤くするキングヘイローをぼけっと見据えながら、トワイライトホークはさっき教わったばかりの『処世術』を試そうとした。
「ううん。これを覚えとくと、キングちゃんはとっても可愛くなるんだよ」
スペシャルウィークは笑った。
「トレーナー…、tired?」
「うるさいわね!」
ああ、コイツらは皆ヘンなんだ。とトワイライトホークは感じたと同時に、ヘンにでもならなきゃ辿り着けない場所、というものを彼女たちという実例から垣間見ることになった。
………
設営されたゲートの外部フレームはなんとも形容しがたい台形をとっていた。
数歩離れた場所からその出来を見てグラスワンダーは苦笑。セイウンスカイは明後日を見ながらレンチを指で回し、キングヘイローは得意気だ。
「うまくは、いかなかったね」
スペシャルウィークが愛想笑いで総括する。
「開けばいいのよ、開けば!」
用途に特化した言い分とともに、キングヘイローが我先に1番ゲートへ入った。
「あれれー?キングちゃん、まだ誰がどこに入るか決めてないんだけどー」
キングヘイローの先走りという揚げ足を取りながら、当のセイウンスカイもちゃっかり2番ゲートに収まった。私はここを動きませんとばかりに閉じられた扉に手を当てている。
「まったく―。では私は真ん中にお邪魔しますね〜。小鳥さんはケガすると危ないですから、5番の1番外から往きましょうか〜」
スペシャルウィークを牽制しながらグラスワンダーはより内を取った。あまりにもあからさまなやり口にスペシャルウィークは苦笑して見送る以外に成す術は無い。そして縛られていない者はスペシャルウィークとトワイライトホークだけになった。
「あはは…、みんな、なんだかんだ言って本気なんだから」
あくまで笑顔を崩さないまま、極めて遠回しにスペシャルウィークはゲートの3人を刺した。
「じゃあ…、私が4番かな」
深呼吸したスペシャルウィークは目を閉じてゲートと相対した。1秒、2秒。その短い時間が、どうしてかトワイライトホークにとっては数倍にも長く思えた。
「じゃあ、ホークちゃん…」
「よろしくね」
再び目を開いたスペシャルウィークの顔を何の気無しに見つめていたトワイライトホークは尻もちを突きそうになった。事実2歩ほど後ずさりして辛うじて身体を支えられている。さっきまでとは違うスペシャルウィークがそこにいた。キングヘイローをからかってケタケタト笑う明朗な先輩などそこにはおらず、紫の瞳をした豪鬼がそこに立っていた。
ゆっくりと4番ゲートへ収まる鬼。半身を返してそれを迎えるグラスワンダーも、顔だけ向けるキングヘイローも、目だけ気にしているセイウンスカイも、数分前とは違う眼をしている。
個々と対面しても尻込みしてしまいそうだ。
それでもスペシャルウィークのそれは群を抜いて威圧的だった。見えないものが質量を持ってトワイライトホークを押し潰してくるような、そんな感じ。
「king...」
思わずトワイライトホークの口を突いた。彼女はわかってしまった。立場上のトップはエルコンドルパサーなのかもしれない。この4人のパワーバランスを上手く扱うフィクサーはグラスワンダーなのかもしれない。
実績ではエルコンドルパサーが上回るかもしれない。直接対決ではセイウンスカイやグラスワンダーに分があるのかもしれない。
それでも絶対的な『王者』はスペシャルウィークなのだと。
この数秒でトワイライトホークは理解させられた。努めて隣を見ないようにゲートへそそくさと入るか―、彼女たちの視線は前へ、向ける意識はスペシャルウィークを起点に内に向かうほど濃度を増していた。
歯牙にもかけられていない。
グラスワンダーは前日、トワイライトホークに『2度目の絶望を教える』と言った。トワイライトホークはその『絶望』を、何らかのカタチで戦い、己を打ち敗かすことだろうと思っていた。
そしてグラスワンダーのいう『有マ記念へ向けての調整』の為に呼ばれた他の3人。
本当にそうなってしまった。トワイライトホークはただそこにいるだけ。
こんなもの絶望でもなんでもない。そう感じるステージにすら立っていない。彼女はそう思った。あんなにも温かく迎えてくれた。努めて優しく入り口を開いてくれた。だがその『世界』への入り口は高く高く聳え立ち、トワイライトホークの小さな脚では到底踏み越えることは出来ない。
唖然呆然愕然のトワイライトホークを余所にゲートのタイマーはキリキリとカウントを進め、いつ開くやもしれぬそれへ向けて、彼女より内に構える4人の圧はもはや魑魅魍魎と云っても違いなかった。
………
そこからは、特に言うべきことは無い。
ゲートが開くスイッチの音を聴いたと同時にセイウンスカイが鼻を奪い、追走するスペシャルウィークとキングヘイロー。
不気味に後ろで状況を俯瞰するグラスワンダーの更に後方にトワイライトホークは置いていかれた。
中盤で4番手にまで落ちたスペシャルウィークだったが、最終コーナーにかかりだしたあたりでおよそ有り得ない爆発力をターフに叩き込んだ。まるで1歩ごとに芝が爆ぜるような災害的な末脚で全てを薙ぎ払い、最終的に2着のグラスワンダーに半バ身差を付けて勝利した。
トワイライトホークは終始後塵を拝することも許されず、レースに絡むことすら出来なかった。
「はあ、はあ、はあ…。こ、今回は私の…、私の、勝ち、みたいだね」
膝に手をつき、身体を折って喘ぐスペシャルウィーク。秋晴れだが冷えた空の下、熱を持った彼女は全身から薄い湯気を纏っていた。
「直近…っ、短距離、ばかり、走ってた、から、き、キツいわね…」
キングヘイローは立っているのもやっとのようで、用具庫の壁に手を着いてぜえぜえと肩を上下させている。
「敵わないかあ…。やっぱり…、走れるレースが、あるって、いいよね」
一方で最も体裁を保っていたのはセイウンスカイ。レースを引っ張った割に疲労の色は薄く、やや上気した顔で脚を伸ばしていた。
「本番では…、本番では、わかりませんからね。こればかりは…、はあ、ふう…」
グラスワンダーもキングヘイローの隣で用具庫に垂れかかり、胸に手を当てて息を整えていた。
そこから10と数メートル離れた、ゴール地点と程近い場所。何もないただの芝にトワイライトホークは大の字に倒れ、身体中から湯気を撒き散らしながら胸から腹、下半身に至る全身で呼吸に喘ぎ、酸素を求めていた。
「あれは…、ちょっと趣味が悪いんじゃないかな」
一向に立ち上がる気配のないトワイライトホークを流石に可哀想に思えたか、セイウンスカイはバツの悪そうな表情でグラスワンダーに説明を求めた。
「いいえ。こうなることはわかりきっていました。そもそも中等部1年生と私たち高等部3年生がまともにレースをして、勝負になるはずがありませんから〜」
グラスワンダーはいやにきっぱりと断じた。その目は開かれ、トワイライトホークを見据えている。
「彼女は因縁のあるエルを本気で倒そうとしています。そのために来月のホープフルステークスを勝ち、URAファイナルズへ出走する覚悟です」
「ですがそのレースは無差別級。言葉を選ばずにいえば小鳥さんたちは蹂躙される側にあります。それでも…、それでも戦うならば、貴女が越えようとしている壁はこういうものだと、教えてあげる必要があったと思うのです」
ひえ、とセイウンスカイは3歩程引いた。
「とんでもないや」
「更に言えば私たちもロートルに過ぎません。具体的にいえばオペラオーさんやトップロードさんに私たちではもはや勝てない。そしてURAファイナルズは多少特殊ですが勝ち上がり方式です。組み合わせによっては小鳥さんとエルは決勝まで交わることはありません」
「小鳥さんが『そこ』にたどり着くには最低限飛び越えなくてはならない壁。それがこれです」
すげえや、とセイウンスカイは舌を巻いて、ゲートの解体をひとり始めた。
「これであの子を心の底から可愛がっているんだから、とんでもないわよね」
グラスワンダーの隣で演説を聞いていたキングヘイローは頬を引きつらせながら苦笑していた。冷やされた身体は噴き出る湯気を滴る汗に変え、顔や手からぽたぽたと滴る。
その傍ら、未だに動かないトワイライトホークを心配したスペシャルウィークがいつの間にか駆け出していた。
「大丈夫?ほら、行こう」
彼女の肩を借りてどうにか立ち上がったトワイライトホークは、まるでバケツの水をかぶったように汗にまみれている。顔に張り付いた髪から生気を失っていない眼だけがギラギラとグラスワンダーを捕捉していた。
「それに」
セイウンスカイを追うキングヘイローを更に追いながら、グラスワンダーは前方に語りかけた。
「何よ」
振り返らずキングヘイローが答える。
「視野を、世界を、もっと広げてやりたいとも、思っていましたよ」
エルコンドルパサーだけがトワイライトホークの全てではない、と言いたかったのだろう。意図を理解したキングヘイローはふん、と鼻で笑った。
「本当に気に入ってるのね」