こん♪
かん♪
きん♪
こん♪
本日の終業のチャイムが鳴る。トレーニングへ向かう生徒、補習の為に別室へ移動する生徒、サークル活動の準備をする生徒。クラスに詰められた約40のウマ娘たちはめいめいに自分の時間を使い始めた。
夏以降、トワイライトホークはホープフライヤーとロクにクチも利けていない。どころか、目線すら合わせて貰えないほどに避けられている。入学試験でほとんど運命的な出会いをし、何の因果が同じクラス。酸いも甘いも一緒に越えてきたふたりは、今やただのクラスメイト以下の距離にまで遠ざかってしまった。
今日もホープフライヤーはクラスの喧騒を余所にさっさと教室から出ていってしまう。それをどことなく気まずそうに見送るトワイライトホークに、隣の机を使うウマ娘が話しかけてきた。
「アンタら夏からどうしたの?ケンカでもした?」
「イヤ…」
何もない。トワイライトホークから言えることは何もないのだ。これは彼女に起因することではない。ことの原因がそうであるわけでもないし、その解決手段を持っているわけでもない。すべてはトワイライトホークではなく、ホープフライヤーが進めなければならないのだ。
「でも最近、ホープちゃんの雰囲気変わったよね」
今度は後ろの席のウマ娘が会話に混ざってきた。
「秋の天皇賞の前くらいまでは死んだ魚みたいな目でゾンビみたいだったのに、今はちゃんと良い目をしてんじゃんね」
「隣のクラスから聴いたウワサだけど、模擬レースのあとからベルノ先生んとこにずっと居るらしいよ」
ベルノ先生。ちゃんと名前を言うならベルノライト先生。レースに生きる学園のウマ娘にとって直接的な関わりは薄いが、トワイライトホークと同じ、アメリカ仕込の技術科の教師だ。主に彼女たちが走るために使われているテクノロジー全般について、授業で扱っている。
彼の大アイドルウマ娘、オグリキャップと同じチームに居たこともあるらしい。
「技術クラブとかあったっけ」
「さあ」
「まあ、私たちは走るだけだし、技術的なことはあんまし関わり合い無いよね」
会話の中心だったはずの自身を余所に盛り上がり始めたクラスメイトたちの話を斜め聴きしつつ、トワイライトホークは用具を持って教室から抜け出し、グラウンドへ脚を向けた。
………
「…………Siiiiiiiiii!」
本日トワイライトホークに課せられたトレーニング。それは全速、全力、全開で倒れるまで走ることだった。
矯正されたフォームを保ちながら、肺が潰れそうになっても、視界が赤くにじんで目眩すらしても、止まることやペースを緩めることは許されない。文字通り倒れるまで走れ、という指示だ。
―いちばんキツいときに出る動きが、いちばん楽な動きなんだよ―
身体中を乳酸に支配されながら、トワイライトホークはトレーナーの言葉を反芻していた。何がキツいときだ。こんなの完全にサイコロジーじゃないか。技術も走法もクソもない。
「FUUUUUUUUUUUUUCK!」
そう叫ばずには居られない。ひとつ踏み出すごとに腕は倍重く感じ、ふたつ踏み出した脚はそのさらに3倍は重い。
グラウンドに出てきたときより明らかに陽は低い。どれだけ時間が経ったのか、コースを何周したか、考えることすら困難である。全身を体温で赤くし、顔を歪め、汗と湯気を噴き出しながら次のゴールラインを割ったのを認めると同時に、トワイライトホークは膝から芝の上に崩れ落ちた。
「―お、終わったか」
まるで隕石が落ちたときの煙のように地面から噴き上がる湯気。爆心地ではトワイライトホークが倒れ伏している。トレーナーは軽くそれを肩に抱えると、寮舎へ向かって歩みを進め始めた。
「聞けるか?」
「uh... fuck...」
そりゃ結構だ、とトレーナーは笑った。
「何も考えられないくらいに疲れてるとな、殆ど無意識に身体は動くもんだ。そこまでしてやっと、本当のお前さんが出てくる」
「die. fucker shit.」
トレーナーの右肩の上でボソボソと罵倒を紡ぐが、暴れる体力は既にない。トワイライトホークはまるで銃に撃たれたキジのように軽々と運ばれていた。
「部屋でエルが待ってるからな。今日イジメた身体を明日に残さないようにしような」
「シネ」
力ない罵倒とトレーナーの苦笑は、夕日と共に西の空へ消えていった。
………
「お帰りなサイ!―うわあ、すごいデスネ」
チームルームで彼らの帰りを待っていたエルコンドルパサーは、トレーナーの肩に担がれたボロキレのようなウマ娘を見てそれはもう全力で引いた。
「一体ナニをしたんデスカ…」
奥から急いで寝台を転がし、エルコンドルパサーはトレーナーからそれを受け取るとゆっくりと寝かせてやった。まだ息の整っていないトワイライトホークの腹が、体操服ごしにも分かるくらいにゆっくりと大きく上下している。
「あ?アレだよアレ。地獄のフォーム矯正トレーニング」
それを聞いたエルコンドルパサーは耳を後ろに倒して苦い顔をした。
「ワタシが引退した理由の2割くらいはソレだって言ったら、トレーナー、どうしマスカ?」
「デコピン百連発の刑だな」
うるさいデスネ、と反抗しながらエルコンドルパサーは棚から幾らかの瓶を取り出した。そのいずれにも透明な液体がたぷんと満たされており、漏れなくトワイライトホークの横へ並べられる。
「サテ。トレーナーさんは出ていってクダサイ。流石に恥ずかしいでショウカラ」
「あ?何言ってんだ。俺はトレーナーだぞ。指導者として教え子の身体ケアに立ち会う義務が「出ていけと言いまシタ」」
はい、すみません。とトレーナーはすぐに引き下がると、そそくさとチームルームを離れていった。
バタン、と扉が閉まり空気を吐くのを見届ける。エルコンドルパサーはそのまま寝台へ歩み寄ると、トワイライトホークの体操服を上下共に何の躊躇いもなく剥ぎ取った。
「…?」
衣類が剥がされ、外気に晒された冷たさでトワイライトホークの思考は徐々に纏まりを帯びてきた。ここは何処なのか。今自分はどういう状態なのか。
そして何をされるのか。
視界の端に見える茶色い瓶が、それを雄弁に物語っていた。
「…What?!」
反射的に上半身を起こそうとするが、それより前にエルコンドルパサーの手によって寝台へ押し戻されてしまう。そのパワーは本当に引退したウマ娘かと思わせた。
「大丈夫デスヨー。いつもよりチョーット強めにしといた方がよさそうデスネー」
「No! No way! Wait... Wait! Please Stop!」
全てを悟ったトワイライトホークの叫びはチームルームの分厚い鉄筋コンクリートに虚しく吸い込まれていく。
エルコンドルパサーの取り出した瓶の中身はマッサージ用の液体だった。ドロリとした透明なジェルを乱雑にトワイライトホークへ散らしていった。
「太腿から、いってみましょうカネー」
ぐっちゃっぐっちゃと両手で液体を練りながらエルコンドルパサーは笑う。それはレースの時にも見せない、獲物を狩るコンドルの眼差し。
「Hey! Hey you masked bitch shit!I'm sorry, so please stop!」
トワイライトホークの懇願も虚しく、エルコンドルパサーの両手は彼女の太腿に添えられ…、
ぐり。
「AAAAAAAAAAAGH!」
絶叫が木霊した。エルコンドルパサーの両親指はトワイライトホークの太腿、その最も凝り固まった箇所を的確に射抜き、抉り、そして掻き回した。
「HOOOOOOOOOOOOO! You mother fucking slut in a mask! ...I will never, ever forgive you! never...《このクソアバズレマスクが!絶対に…、絶対に許さないからな!絶対に…》」
ぐりいっ。
「UGHHHHHHHHHHHHHHHHH!」
ひとしきり太腿をほぐしたエルコンドルパサーの両手は、今度はふくらはぎへと滑っていく。
「Damn you!! I’m going to kill you! I’ll kill you for sure! Not out on the turf—right here, right now! right... 《クソッタレ!殺す!お前は絶対に殺す!芝の上じゃない。今ここでだ!今ここで…》」
ぎゅうううううううっ
「SHOOOOOOOOOOOOOOOOOUT!」
ジェームス・ブラウンも真っ青のシャウトが、防音が施されているはずの扉や壁を軽く越えて廊下まで響く。扉の外で待機しているトレーナーは、その度にびくりと身体を震わせることになった。
「アイツの指は効くが―」
痛っってえんだよなあ。
「Haa... haa... I... I'll have my revenge... You... just you wait...《復讐してやる…、お前…、今に見てろ…》」
太腿からふくらはぎ、そして足裏にいたるまで全ての部位を指圧され、全身から油汗を吹きながらトワイライトホークは悶えた。しかし脚はもう1本あるのだ。
エルコンドルパサーが彼女の左足に液体を塗ったくりはじめたとき、それに気づいたトワイライトホークはひどく取り乱した。
「There's more?! You're still at it?! Are you fucking out of your mind?!《まだあんのか?!まだやんのか?!正気かお前?!》」
サア、もうイッパツ、いってみまショー!
「WHAT'S THE―」
ぐりいっ。
「FUUUUUUUUUUUUUUUUCK!」
………
同時刻、生徒会室。
「…」
「……」
「………」
グラスワンダーに招集された後輩たちは室内の重苦しい空気に辟易とし、互いに目を合わせて傷を舐めあっていた。
「会長がいらっしゃらないようですが…」
アドマイヤベガとアイコンタクトを交わし、ナリタトップロードは意を決して沈黙を破った。無駄に広い室内に声が反響する。それが全て吸収されると、さっきまでと同じ静けさが訪れた。
「エルはあの娘に付きっきりです。今日の会合には来ません」
ああ…、とメイショウドトウが合点した。グラスワンダーが詳細を口にすることは無かったが、先日の生徒会正役員総出で挙行された、メイショウドトウやナリタトップロードら副役員まで動員した極秘並走トレーニング。何故か紛れていた一般の生徒と、夏の前からエルコンドルパサーのもとへくだったとする海外からの異分子。
そのふたりのウマ娘が同一であることはもはや公然の秘密であり、エルコンドルパサーが不在の理由としてあがる「あの娘」とはそのウマ娘を指すことは明白だった。
「生徒会の話を、生徒会長不在のまま進めるんだ?」
細めた青い瞳を鈍く光らせ、セイウンスカイはグラスワンダーを詰める。彼女には「また」グラスワンダーが実質的な決定権を握ろうとしているように見えてならなかった。
「どうしても来られないというのだから、仕方ないでしょう?…それに、そろそろ本当に煮詰めなければならない議題ですし。私たちの役目が終わった後の話ですし、生徒会としての看板が必要というわけでもありませんから〜」
だからって、とセイウンスカイは机に手をついて食い下がった。2つ隣のメイショウドトウがビクリと耳を立てる。
「あ、ごめん…」
気まずそうに視線を交わすふたりを余所に、グラスワンダーは上座のホワイトボードの前に立った。
「最終的にこれを決めるのは私たちではなく一般の生徒たちです。…ですが、指針はあったほうがよいと思いまして〜。トップロードさんたちは知らないかもしれませんが、私たちもこうして今があるのですよ〜」
これ以上事を荒立てるのは得策ではない。そう考え、セイウンスカイは苦虫を潰したような苦悶を浮かべて着席した。
「…さて。ナリタトップロードさん、テイエムオペラオーさんに、アドマイヤベガさん。そしてメイショウドトウさんも。今年の始まりから終わりまで、私たちを助けてくださり本当にありがとうございました。私たちの任期もひと月を切り、その責を引き継ぐ時期に入りました」
まるで生徒会長のような口ぶりでグラスワンダーは語る。いいえいいえ、と恐縮したナリタトップロード以外には、粛々と聞き入る者、考えのわからない表情の者、そして僅かな陰りを見せる者と、明らかに疑念と不信を向けている者だ。
「生徒会の正役員―、私たちのような者たちは、ご存じの通り選挙によって選ばれます。それには当然に立候補者が不可欠であり、それがなければ成り立ちません」
「ですから、こうして1年間を副役員として過ごしてきた貴女達を中心として、その話をしたいと思っています」
またしても沈黙が降りた。現正役員たちは苦笑と苦悶に別れたまま口を開かず、副役員らは恐縮と萎縮で身じろぎすらできない。
たっぷり2分はそのまま固まっていたところ、見かねたキングヘイローがため息と共に口火を切った。
「…という話なんだけど。やっぱり大事なのはやる側の意思だと私は思うし、グラスさんとしてもそうだから、この場があるの。あなたたちは―、どう思っているのかしら?」
いいじゃないか!とテイエムオペラオーが膝を打って勢いよく立ち上がった。
「ボクが知っている歴史だけだが、シンボリルドルフさんに始まり、エアグルーヴさんから、サイレンスズカさん、そしてエルコンドルパサーさんへ渡る生徒会長という主役。皆レースで圧倒的な成績を残してきたカリスマばかりじゃないか!」
「きっとこの学園を纏めるにはそうした箔が必要なんだろう!そしてボク達にはそれがある!世紀末覇王であるボクを中心に皆がひれ伏すような圧倒的な威光を作り出し、あらたな学園生活の統治に乗り出そうじゃあないか!そうは思わないかい?」
しん、と三度、静まり返る生徒会室。満足げに手を掲げて浸っているテイエムオペラオーにはこの沈黙の重みがわからない。
「…。あなたは秘密兵器よ。秘密兵器は最強でなければならないし、故に表に出すわけにはいかないから。わかるわね?」
アドマイヤベガが立ち上がってテイエムオペラオーの肩に手を起き、ゆっくりと言い聞かせるように力を込めて着席させた。
「秘密兵器!それはいい!最強であるボクに最も相応しい場所といえるじゃあないか!」
ふん、と鼻から勢いよく息を吹いて椅子にふんぞり返るテイエムオペラオー。彼女のアタマの中は既に「生徒会の最強の秘密兵器テイエムオペラオー、その英雄譚」がぐるぐると回りはじめ、以降の議論に参加する意思がないと客観的にもわかった。
チラ、チラ、と気取られないように視線を交わす副役員たち。一連の流れが皆の認識と相違ないことをわずか数秒で確認した。
「あのぉ…」
それからすぐ、メイショウドトウがおずおずと挙手をした。
「誰かが、やらなきゃだめ、なんですよね」
伏し目がちにキングヘイローを見やる。私はやりたくない、というよりかは、何故自分がここに居るのか、という疑問に似た自己卑下に瞳が潤んでいた。
「…そうね。これだけ多くの生徒がいるんだもの。それぞれ考え方は違うわ。でもね、それをどうにかしてひとつにまとめて、学園の総意を代表して矢面に立つ誰かは必要なの。…勿論、必ずしもそれがあなたである必要は無いのだけれどね」
キングヘイローが一拍置いたのと同時に、セイウンスカイが話に割り込んできた。
「そしてその総意を代表する誰かは、ほかの生徒たちはもちろん、他の学園の代表たちと肩を並べても見劣りしない、圧倒的な強さとカリスマが必要だよね。…ルドルフさんや、―エルみたいに、ね」
エルみたいに、と言った彼女の視線はグラスワンダーのそれを強く射抜いていた。
「立候補制を採っている以上は、ここにいない誰かであっても自由に役職を志すことができます。最初の話に戻りますが、少なくとも私は、あなたたちが適任だと思って、今ここに集まっていただいてるんですよ〜」
あくまでにこやかに回答するグラスワンダー。まるで汚いものでも見たかのようなセイウンスカイの侮蔑を意にも介さない。
「なーに言ってんだか。仮にこの中の誰かが立候補したら、もう誰も逆らえないじゃん。みんなそっちのほうがいいに決まってる。そして他の候補者なんて出てこないよ。どーでもいいんだから」
「指針、だなんて都合のいい言葉使っちゃってさ。ただレール敷いてるだけじゃないか、これは」
あら、とグラスワンダーはにこやかなまま首を傾げてみせた。
「セイちゃんだって、そのレールを1年間、律儀に脱線することなく走ってきたじゃありませんか。…みんな同じなんですよ。大事なのは、正当な手続きのもと選ばれたという事実。裏側は、知る由もありませんから〜」
ぎり、とセイウンスカイの歯が軋む。
「あの娘の入学の件といい、案内板の件といい、今日といい…。グラスちゃん、君は結果さえまともなら何をしてもいいと思っていないかい?!」
いよいよ我慢ならなくなった彼女は席を立ち、上座へ向かって詰め寄るとグラスワンダーに肉迫した。荒い呼吸がグラスワンダーの頬にかかる。セイウンスカイの瞳は操られていた怒りと不安、そして不信に青く燃えていた。
「…セイちゃんは」
それでもグラスワンダーは揺るがず、緩く弧を描いた瞳のまま、鼻の触れ合う程に迫られたセイウンスカイに語りかけた。
「私が、エルの皮を被って―、虎の威を借りてその役割を代行していたことを怒っているのですか?…それとも、セイちゃん自身が、私に踊らされていたという個人的なことで怒っているのですか?」
ナリタトップロードは慌てふためき、アドマイヤベガは呆れ混じりに瞑想に入り、メイショウドトウに至っては耳を前に畳んで議論から逃避を始めた。テイエムオペラオーは秘密兵器のまま、依然として未帰還である。
キングヘイローは複雑な表情でグラスワンダーたちをを見つめ、スペシャルウィークは何の感情もなく目の焦点竹をそこに送っていた。
「ど、どっちもに決まってるじゃないか!グラスちゃんのしていることは不誠実だよ!学園に対しても、私たちほかの生徒会役員に対してもだ!」
激昂してセイウンスカイは捲し立てた。マイクに向かってデスボイスを叫ぶ太った男のようにギラギラとキマった瞳を全開にして、攻撃意識と敵意を前面にグラスワンダーをなじる。
「…、はあ」
呆れというか、疲労というか。とにかく、少なくともいい意味ではないため息がグラスワンダーから漏れた。
「セイちゃんは私のしてきたことをわかっていますね?…で、その理由を考えたことはありますか?」
理由…?とセイウンスカイは一瞬怯んだ。しかし間もなく激情に掻き消え、その勢いのまま再びグラスワンダーを攻撃した。
「そんなの考えるまでもない!全てあのウマ娘の為だろう!入学の話も…、案内板もそうだ!君は、学園の為になるなんて大仰な話で塗り固めて、その裏で私情を挟んで自分の欲望を実現していたんだろう!私たちをダシやコマにしてさ!」
しん、と4度に沈黙。今まででいちばん重たかったが、今回のそれはすぐに破られた。
「それで…?それだけですか?例えば…、その話が本当だったとして。エルが生徒会長に決まったタイミングと、小鳥さんの入学が決まったタイミングと、ズレがあることに不自然さは覚えなかったのですか?」
う、とセイウンスカイは僅かにたじろいだ。ほんの数センチ、彼女の右脚が後ろへ下がる。それと同じだけ、グラスワンダーの左脚が前へと運ばれた。
「私がわざわざエルを生徒会長に据えて裏で実権を握り、セイちゃんやキングさん、新堀理事長までをその掌で踊らせて。それが本当に全て小鳥さんひとりの為だけだったと。繰り返しますけど本当に、そう思っているのですか?」
ぐ、とセイウンスカイは更に上体を後ろに反らし、左脚を引いた。そしてまた、グラスワンダーの右脚がそのぶんを詰める。
「…だ、だったら、だったら何だっていうのさ」
「浅い」
グラスワンダーは弧を描いた瞳を僅か開いた。セイウンスカイと同じ、青い光を帯びた瞳。それが幾重にも幾重にも屈折した輝きを伴って突きつけられる。
「私が小鳥さんひとりの為に校則を捻じ曲げ、理事長を説き伏せ、あなたたちを裏から糸を引くような真似をした。それは正しくはなかったのかもしれません。―セイちゃんの言葉をそのままお返しします。…だったら何だと云うのでしょう」
今度はグラスワンダーの右脚が前へ進んだ。それと同じだけ、セイウンスカイの左脚は下がる。離れては着き、着いては離れ。まるでつまらないダンスでも踊っているかのようだった。
「セイちゃんの言っていることは全て正しい。…ですが、セイちゃんはそこにあるものからでしか見えていない。私がなぜエルを会長に据えたのかも、なぜスペちゃんにそれを推薦させたのかも、全てあの小鳥さんの為だと、そう思っている」
「知らないことを中心に物事に対する考えを広げることは出来ません。仕方のないことですが―、それがセイちゃん、今回に限ってはセイちゃん自身の怒りの朝浅さなんですよ」
言われたセイウンスカイは負けじと左脚を踏み出した。グラスワンダーの右脚歯動かない。退かない。下がらない。
「知らない、知らない、知らないって…!そりゃそうだろう!君は私たちに何も言ってくれない!表面的な当たり障りのない話だけして、その裏はぜんぶ君がひとりで片付けてるじゃないか!それは私たちに引っ掻き回されたくないからだろう!」
しかしグラスワンダーはあくまで揺れなかった。怯みもブレもせず、青い瞳の光が冷たくセイウンスカイのそれとを往来している。
「言う必要は無かったのです。あなたたちが背負うことではありませんでしたから」
「それがアイツを都合よく育てるための口実だってのはわかってるんだよ!」
だいたい―、とセイウンスカイがいよいよ物理的手段に訴えそうになったとき、上座の席からガタ、と椅子が床を削る音がした。
「もういいよ、グラスちゃん」
突然の介入に驚いたナリタトップロードが思わずそこへ視線を送ると、その先で毅然と佇むスペシャルウィークとぶつかった。
「話を聞いてて、もしかしてとは思ったけど。今のでわかったよ」
そう言うとスペシャルウィークはふたりの間を、机の間をすり抜けて部屋の中央へと動いた。
「私のせいだったんだね」