黄昏の星条   作:橋本みちか

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わからないという壁

2月中頃。トワイライトホークは日本の首都圏にいた。日本の競技ウマ娘におけるエリート中のエリート、その更に上澄みだけが門をくぐることを許される、最高のトレーニング施設。その入学試験を受けるのだ。

 

灰色の空に雪こそないが、ウマ耳を掻っ攫っていく勢いの向かい風がトワイライトホークを襲う。えんじ色のコートのポケットに両手を突っ込み、首を引っ込めて寒さに震える。デトロイトの寒さも堪えたが、この国のそれはもはや痛みの域だと彼女は思った。

 

鉄と油の匂いにまみれたストリートに生きてきたトワイライトホークは、身銭を持たない。両親の顔すらも、シティの粉塵の向こうに消えた。家族のある、物理的にも心理的にも温かい生活とは無縁だったし、興味も無かった。そこに生きるニンゲンたちと同じように、奪い、脅し、倒して、その日をしのぐだけのカネやメシを手に入れていた。

 

ニンゲンよりフィジカルに勝るウマ娘。シティに点在する、同じ境遇どうしのウマ娘たちはカオを合わせれば徒党を組み、瞬く間に膨れ上がった。

辛うじて公共ワイファイに接続している盗品のスマートフォンを使い、コミュニケーションをとったり、略奪行為の計画を立てたりしていたのだ。

そういった行為を繰り返し、《生活》がうまくいくようになって、他のことを考える余裕が生まれてくるにつれて、彼女たちは少しずつ、ウマ娘本来のサガを取り戻してゆくことになった。

 

この中でいちばん速いのは誰か。

 

女三人寄れば姦しいというが、ウマ娘は3人寄れば走り出す。徐々に生きることに余裕を感じてきた彼女たちは、無意識に競争を求め出した。

 

手頃なグラウンドを略奪し、そこで各々のチカラを測る。そうして、いくつかある徒党の、あるいはその中の個人の序列が生まれた。

 

その頂点かつ中心だったのが、トワイライトホークであった。

 

暴力とフィジカル、そして速さで無理矢理纏め上げた集団。そこに信頼も何もない。強いものが、それより劣るものを支配しているだけにすぎない。だから彼女たちは、あの日エルコンドルパサーに後れたトワイライトホークを冷徹に見限ったのだ。

 

考えると胸糞悪くなる。トワイライトホークは頭を振ってネガティブを振り払った。

 

 

 

■□■□■

 

 

 

グラスワンダーからの連絡は早かった。トワイライトホークが敗れたその翌々日には、試験の日時、場所、内容など、当日の詳細がメッセージで送られてきたのだ。

そして極めつけに

 

《当面はこれで》

 

というひと言のもと、3000ドルぶんの電子マネーがペイアプリに送られてきたのだ。エルコンドルパサーに敗れた自身を小鳥と嘲り、自らは走りもせずに当事者を煽り倒す腐りきった根性のヤツだと思っていたが、どうにもいちど身内と見るや掌を返すらしい。

 

凱旋門賞で2着というエルコンドルパサーの傍らに居るということは、アイツも相当なやり手に違いない。《まっとうな》レースで勝っているならば、3000ドルなど小銭と同じだろう。トワイライトホークにもそれはわかってはいるが、こんなにも纏まった額のカネをいちどに手にしたことは生まれて初めてのことだった。

 

まともなものを食い、まともな服を着て、まともな宿で寝る。そのすべてが彼女にとっての心理的な安定をもたらし、敗北と挫折によって斬りつけられた精神を回復させた。

 

このまま知らぬ顔をして逃げてやろうとも考えた。が、ウマ娘という種族は、同族どうしの仲間意識が強い傾向にある。グラスワンダーがカネを動かしたのも多少なりそういう理由があるし、トワイライトホークはそれに絆されてしまった。

なにより、グラスワンダーが追っ手となることを考えると、あまりに分が悪いと思われる。

気づけば、そんな邪な考えはどこかに置いてきたようだ。

 

それから2週間ほど経過したころ、再びグラスワンダーから連絡が入った。

 

日本行きの航空チケット(支払い済)、試験までの滞在場所(支払い済)、最寄りのスポーツ店など、装備を整えるための情報、そして更に2000ドル。

 

トワイライトホークにこれ以外の選択肢は失われた。

 

 

 

■□■□■

 

 

 

「只今より、日本ウマ娘トレーニングセンター学園入学試験を行う!」

 

寒空の下、トレセン学園第1グラウンド。100人はくだらない入学希望者が整列させられ、試験官を前に気を付けをしている。

 

「試験監督のナリタブライアンだ。学園では体育の教員をしている。今日お前たちが受けるのは《推薦入学試験》だ。ここにいる全員、当学園の関係者のうち誰かから得た推薦を以て受験に臨んでいる」

 

トワイライトホークの周囲にいるウマ娘たちの眼は輝いていた。デトロイトの仲間たちのそれも同じではあったが、それぞれ《本能とチカラのままに生きる》ものと《当たり前に当たり前を享受し、そのうえで純粋に挑戦する姿勢》という、正反対の輝きだと思える。

 

「内容はひとつ!模擬レースだ。朝から希望のバ場と距離の調査をとったな?そのとおりに走ってもらう」

 

「順位は選考に関係ない。《勝てる》強さを見せろ」

 

その模様を、ほどなく離れた校舎の一室、生徒会室から観察する影がいくつかあった。

 

「オオー!本当に来ましたネ、小鳥サン!」

 

その中にトワイライトホークを認めたエルコンドルパサーは喜びに小躍りしている。

 

「エル。小鳥さんだなんて言ってはいけませんよ。彼女には《トワイライトホーク》という名前があるのですから」

 

「ケ?でもグラス、あのときアナタは―、」

 

「エル?」

 

「ハイ。」

 

半ば自分のことを棚に上げて、《小鳥》呼ばわりを窘めるグラスワンダー。あの日以来、彼女が自腹を切ってトワイライトホークの全てを支えたことは、この場の誰も知らないのだ。

 

「あの娘が、グラスちゃんのお気に入りなんですか?」

 

受験生たちの出走が近くなり、引き継ぎの資料を睨みながらニンジンを食っていたスペシャルウィークも話に入ってきた。

 

「らしいわね。どういういきさつかは、よく知らないけど。あと食べ過ぎよ、スペシャルウィークさん」

 

斜に構えて気にしていないふりをするキングヘイロー。しかしその目線はチラチラと窓へ移っては戻りを繰り返している。スペシャルウィークはそれを見て苦笑した。

 

「ふわあー、みんなおはよー」

 

もう間もなくというとき、おもむろに生徒会室の扉が開いた。やってきたのは、ここに居る《最強の同期》最後のひとりだ。

 

「おはようって―、セイちゃん、もう10時半だよ?集まる時間なんて決めてなかったけどさあ」

 

そうだよねー、じゃあ仕方ないよねー、とセイウンスカイは椅子に溶けた。外の出来事には興味も示さない。

 

「面白い娘がいてさ。外国のウマ娘なのかな、日本語が全っっっ然通じなくて。血の気も多いようだったし、グラウンドの場所教えるのに苦労したよ〜」

 

取り留めのない話である。取り留めないのだが、それを聴いたグラスワンダーの顔が、他に悟られない程度に、ゆっくりと青ざめていった。

 

 

 

■□■□■

 

 

 

「ナリタブライアンの言葉が理解できずにあわや出走取り消し。なんとか希望していたダート2000に間に合うも8人中6着。………、うむ…………」

 

模擬レースを終えたウマ娘たち。シンボリルドルフは後の面接試験に備えて結果を確認していた。

3月までは肩書のうえでは秋川やよいが理事長である。しかし、自分の退いた時期を最初に過ごすウマ娘を選抜するにあたり、

 

「 慧 眼 ! 新しい時代を作るウマ娘は、それを導く者が見出すといい!」

 

ということで、4月よりその椅子に座るシンボリルドルフと、その秘書となる予定のエアグルーヴがこの任を仰せつかっている。

 

グラスワンダーがわざわざ直談判に来る程の何かを持つウマ娘。そしてシンボリルドルフ自身も、ポケットマネーで渡航させたウマ娘でもある。どうやって今日までを生活してきたか、については不明瞭な点がいくらか残るが―、

 

「数字だけを見ると、尖った能力は見受けられませんね」

 

傍らに立つエアグルーヴが言った。

 

「推薦入学枠は10名。受験者は127名で、面接試験へ通すのは20名です。会長は―、そのウマ娘を、どうされるのですか?」

 

トワイライトホークの経歴や今日の成績、それに伴うナリタブライアンの所感の書かれた紙を取り、エアグルーヴは苦々しげにそれを眺めた。

 

速度、筋力、精神力、勝負勘、いずれにおいて特筆すべき点なし。

 

何故ここに居るのかわからない、凡庸なウマ娘とほとんど変わらない評価がそこにあった。

 

「…………。……………、……………………」

 

シンボリルドルフは沈黙を保ったまま静止している。瞳を閉じ、深く思案していた。

 

「…、わざわざ米国からやってきたウマ娘だ。このまま無碍に帰したくない気持ちはある。だが―、そのために枠を消費し、本来私たちと言葉を交わす筈だった誰かの将来を無為にすることも、これもまたできない」

 

「会長―」

 

頭を抱えて唸るシンボリルドルフに、エアグルーヴはただ寄り添うことしか出来ない。具申すべきことなどいくらでもある。だがエアグルーヴは理事長秘書であり、最終的にコトを決めるのはシンボリルドルフだからだ。

 

永遠にも感じた沈黙の末、だん、と両手の拳を卓に叩きつけ、シンボリルドルフは何かしらの決断をした。

 

「エアグルーヴ。さっき君の言った、《面接に進める人数》と《合格枠の数》。これは受験者に公開されているか?」

 

いいえ、とエアグルーヴはかぶりをふった。

 

「それを公開することは、受験者のパフォーマンスを下げる要因となりうるために、今回行わないこととなっています」

 

そうか、とシンボリルドルフはひとまず胸をなで下ろした。

 

「さっき選んだ20名。彼女たちは全員面接をする。その後、この娘との時間を取る。いささか職権濫用な気もするが、受験者が基準や具体的な数を知らないのならば表にはなるまい。10分後に該当者への通達、順次部屋へ入れよう。生徒会長も呼んでくれ」

 

 

 

■□■□■

 

 

 

やっちまった。これはもう駄目だ。

 

模擬レースを終えたトワイライトホーク。在りし日の眼光はどこへやら、借りてきた猫のような大人しさで会議室へ連れて来られ、隅にある椅子に丸まって頭を抱えていた。

 

まず連れてこられたグラウンドで、前に立つウマ娘が何を言っているのか全く理解できなかった。いくつかの集団に分かれて散っていくウマ娘たちのどれが何で、自分はいつ何をすればいいのか、わからなかった。

 

レースが進むのを見ていた。ただそれだけだった。自分の番はいつなのか、それもわからないし、訊ねようも無い。だって言葉がわからないのだから。

 

いくつか、ゲートの余るレースもあった。だが、それが自分に与えられた枠なのか、単に希望者がすくなかっただけなのか、そもそも何が行われているのかすらトワイライトホークにはわからない。

 

そうしていつかのレースになり、ナリタブライアンから無理矢理連れ出されて、わけも分からぬまま走らされて、結果惨敗。

 

グラスワンダーのよこした5000ドルが、トワイライトホークの心を今にも押し潰そうとしていた。

 

絶望感と敗北感、そしてグラスワンダーに対する申し訳なさに半泣きになっていると、部屋の扉が乱暴に開かれ、ナリタブライアンが入ってきた。

 

「あー、ご苦労さん。推薦入学試験はこれで終わりだ。結果は後日通達する。案内に従って帰宅してくれ。……あと、今から呼ばれた者、全部で21名だが、受験資格に不備が見つかったため確認すべきことがある。私に付いてこい。

7番

22番

24番

127番」

 

トワイライトホークのウェアには《127》とあるバッジが付いていた。だが彼女には《ひゃくにじゅうなな》という言葉がわからない。

 

動き出すウマ娘たちをただ見ているだけのトワイライトホークに何かを察したのか、ナリタブライアンはそのへんの紙を乱暴にちぎり、サラサラと何か書き込んだ。

 

「ホラ」

 

それを渡されたトワイライトホーク。現状が飲み込めずにその紙を見ると、乱暴な字で

 

《follow me》

 

と書かれていた。

 

 

 

■□■□■

 

 

 

21人のウマ娘が通された部屋は、さっきよりはふた周り小さい部屋。木の匂いと、ワックスのツンとした刺激臭が鼻を刺す。

学校という施設を知らないトワイライトホークにはそれはわからないが、一般的な教室だった。

 

「これから受験番号が若い順にひとりずつ、別室で受験資格の確認を行う。呼ばれたら来るように」

 

教壇に立つナリタブライアン。指示を出しながら粉まみれのチョークを手に取り、黒板に数字と矢印を記していく。

20の数字と矢印が黒板に書き出され、ナリタブライアンは最後に127を記した。

 

(よくわからねえが最後か)

 

これから何をするのか、日本語の不自由なトワイライトホークにはわからなかったが、ともかくそれが、一番最後だということはわかった。

 

ひとり、またひとりと、ナリタブライアンに呼び出されては部屋を出ていく。彼女たちがここに戻ってくることはなく、21人いた部屋は10数分でずいぶんと寂しくなった。手持ち無沙汰にスマートフォンを構っていると、隣から声をかけられた。

 

「すっごい、英語。あなた、英語読めるの?」

 

茶毛のボブ。前髪には大きめの流星が走っている。クリクリの瞳に大きな口は、いちどまともに顔を見れば忘れないような顔だった。

語尾が上がっているところを鑑みるに疑問を投げかけてきているのだろう、ということはわかる。だがトワイライトホークにはそこまでだ。

 

両腕を広げて肩をすくめ、《わからない》というポーズをしてみる。

 

「うぇ?あ、あー、きゃ、きゃにゅりーいんぐりし?」

 

日本的な英語を、精一杯ネイティブに寄せたような発音だった。

画面いっぱいの英字。これを広げて英語は読めませんでは本末転倒がすぎる、とトワイライトホークは思った。それをちゃんと突っ込む語彙は、とくにこの国の言葉は持ち合わせていない。

 

「a... ah... y, yeah」

 

途端、そのウマ娘は舞い上がった。

 

「すごい!英語読めるなんて!私なんて全然!やっとアルファベット覚えたくらいだよ!ところで、あなたはどこから来たの?」

 

日本語でまくし立てられてもわからない。いちいち考えていても仕方なくて、トワイライトホークはその大部分を聞き流していた。デトロイトの仲間にも同じタイプのヤツはいた。こうなるたびにイライラしていたのだが、目の前にいるウマ娘のそれはなんだか悪い気はしなかった。

 

さっきと同じように両腕を広げて、それでこのコミュニケーションを終わらせた。

 

あ、そっか…、わからないんだ…、とウマ娘は気まずそうに元の位置についた。

 

「次!108番!」

 

戻ってきたナリタブライアンにそのウマ娘が呼ばれて、トワイライトホークに手を振りながら部屋を出ていった。これでこの部屋にひとりだ。これからどこへ行くのかも、何が起こるかも、何をすればいいのかもわからないまま、しんとした部屋にひとり残され、焦りと不安でアタマがおかしくなってしまいそうだった。

 

時計の長針の指す数字がひとつ増えただけでも、今の彼女には永遠だった。ようやく現れたナリタブライアンに従い、長いこと閉じ込められていた教室から解放された。

 

長い廊下、ナリタブライアンの後をついていく。予測のできない状況に、トワイライトホークの眼は自然と警戒色を強めていった。

 

「…本来、お前はここまで来るべきものではなかったし、こうなった今も、私はそう思っている」

 

歩きながら、ナリタブライアンは小声で何かを言い始めた。

 

「さっきの試験では、お前に特別光るものを見つけることができなかった。お前をここへ連れてきたのは、あの人の意思だ」

 

「私には何が見えたのかまでは伝えられていない。だが、あの人の目に叶うならば、お前も何かあるのだろう」

 

「さあ、それを惜しみなく伝えてくるといい」

 

いつの間にか、重厚な扉の前に立たされていた。こつ、こつ、という恭しいノックの音の後、古い屋敷のような鈍い軋みをたてながら、ナリタブライアンによって扉は開かれた。

目の前には、自身が座らされるであろうパイプ椅子。その正面には仰々しいテーブルがある。奥に座るウマ娘は、目に見える事実は人並みなのに、まるで自らがアリにでもなったかのように巨大で、強靭で、とても太刀打ちできないと思わせる虚像を覚えた。

 

そしてその横に、忘れもしない、挫折と恥辱、そして屈辱のきっかけになったカオを見た。

色々借りのあるグラスワンダーよりも、コッチと先に再会することになるとは。

まるでずっと前から友達だったかのように振る舞うエルコンドルパサー。その不快な態度に、試験中から溜まりに溜まった様々なストレスもあって、つい、トワイライトホークはそれを言葉に乗せてしまった。

 

「Hey!元気してましたカ?」

 

「Get that mother fuckin′ masked bitch out of here right now!《そのマスク女を今すぐつまみ出せ!》」

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