「インフォメーションに言語を追加すべきだと思います」
「 「 「 「は?」 」 」 」
グラスワンダーの発したひと言。今月も特に変わったことはなく、同期5人和気藹々、他の4人が前回と同じようにカタチだけで済まそうとしている生徒会の月次定例会は、新堀までもを巻き込む大事に発展してしまった。
……
「―さて、今月も始めマスかネ」
目元のマスクを引っ張りながら生徒会室へ入ってくるエルコンドルパサー。ドカ、と生徒会長の椅子に座って息を吐き出す様は、放課後独特の倦怠と解放が交じった空気そのものであった。
「はしたないですよ、エル。そうまでしたいならマスクは外してしまいなさい」
椅子の前の方に座り込んでふんぞり返るエルコンドルパサー。呆れた声色でグラスワンダーが窘めた。たった数回しか開催されていない月次定例会にも関わらず、ここまではもはや様式美。他の3人もそれを微笑ましく見ているだけで、エルコンドルパサーも自身に向けられた冷たい視線をものともしていなかった。
手続きに則って立候補し、他のそれらより生徒からの支持を得られさえすれば、この学園の生徒会は誰でも入ることができる。新堀理事長が生徒会長であった頃は彼女を頂点とし、ひと学年下ながらも圧倒的な存在感や実績を持っていたエアグルーヴやナリタブライアンらが脇を固めることとなった。
その後エアグルーヴが禅譲を受け、さらにその跡を継いだサイレンススズカ。彼女のひとつ下、関係の希薄な彼女の数少ない、そして特別仲の良かったスペシャルウィークを筆頭に、その顔を使ってセイウンスカイやキングヘイロー、そしてグラスワンダーを生徒会に引き入れたのだ。
そして現在、フランスでの戦いを終え帰国したエルコンドルパサーをトップに据え、世代のまさに頂点である五傑をもって構成されているのが、現在トレセン学園生徒会なのである。
……
「ずっと思っテるんデスけど、どうしてワタシが生徒会長なんですかネ」
やれやれと両手を掲げてエルコンドルパサーがごちた。
高等部2年の春。サイレンススズカから生徒会長の椅子を打診されたのはスペシャルウィークだった。春の天皇賞でメジロブライトを破り、そのカリスマにかけてはかの新堀―、シンボリルドルフにも匹敵する。彼女の通る道はモーセの如く割れ、ウマ娘たちは最敬礼をもってその往く様を見送るのだ。
しかしスペシャルウィークは賢くなかった。背中を見せることはできる。それだけのものを背負っている自負もある。しかし、他の者らを導く才覚は、少なくとも彼女自身に覚えは無かった。悩みに悩み、彼女のコンディションは急降下。夏の宝塚はその影響でグラスワンダーに後れを取ることとなり、スペシャルウィークは自らをふたたび見つめ直す時間を必要としたのだ。
「悩んでも仕方ないじゃん。なるようにしかならないとセイちゃんは思うね。…私?私は嫌だね。役割は果たせると思うけど。その椅子に縛られんのも嫌だし、なによりスペちゃんを差し置いてなんて、学園の皆が認めてくれないよ」
書記のセイウンスカイ。
「あなたの言うことも理解できるわ。彼のシンボリルドルフさんのように万能な超人なんて数十年に一度かそのくらいだし、スズカさんもそれに片脚を突っ込んでいる。スペシャルウィークさんがプレッシャーに感じるのも仕方ないわ。でも、スズカさんのいちばん近くに居たのは他でもない貴女ではなくて?…でも、どうしても辛いときは、そう言うべきだと私は思うわ」
スペシャルウィークと共に副会長の任に就いているキングヘイロー。
宝塚での醜態で失望をさせてしまったグラスワンダー、そして戦場をフランスに移しているエルコンドルパサーを除くと、このふたりにしか相談することができなかった。
考えても考えても答えは出なかった―、いや、イエスという解にはどうしても辿り着かなかった。
この椅子は他の信頼と己の意思があってこそ座るものであり、誰かに譲られ、縛られるものではない。秋の天皇賞が近くなるにつれ、スペシャルウィークが依然抱えている「ノー」という答えはいよいよその両手に収まりきらなくなり、遂に腹を割ってサイレンススズカと話すことにしたのだ。
「……そう」
窓越しに遠くの景色を観ながらぽつりと呟いたサイレンススズカの目には、確かに哀しみの色があった。
「私は…、私は、誰かを導けたなんて思っていないわ。この学園も、エアグルーヴさんが作ってきたものを基礎に、その延長上に前進しただけ。スペちゃんは、スペちゃんが生徒会長じゃないこの学園に、何を求めているの?」
スペシャルウィークはしばらく考え込むと、やがて瞳に強い光を宿してサイレンススズカを見つめた。
「スズカさんの脚質は逃げ。そして私たちはあなたのひとつ下の学年です」
そうね、それで?―とサイレンススズカは無感動に話を促した。まるで、この答えに満足しなければ、どんな手段を使ってでもお前をその椅子に縛ると言っているかのように。
「逃げとは孤独だと誰かが言っていました。私たちは絶対にスズカさんをそうするつもりは無いのですが、どんなに頑張っても、結局あなたに追いつくことは出来なかった。そういう意味では、私たちはスズカさんに導かれたと言ってもいいと思っています」
「私たち4人…、エルちゃんも含めれば5人ですが、その中の誰も、ルドルフさんやエアグルーヴさん、そしてあなたのように、1人だけ抜きん出た何かを持っているわけではありません。…うーん、違うな。確かにマイルや中長距離は私たち5人が代わる代わる押さえてきました。この5人は、そのレベルまでいくとみんな同じなんです」
「セイウンスカイの逃げを私たちは許さない。スズカさんと違うのは、私たちが同じところにいるからです。勿論―、私たちの象徴、この学園の象徴として誰かをイチバンに据えなきゃいけませんが、それは絶対に私じゃなきゃ、なんてことは無いと思います」
そんなことは無いんだけど、と言いたげなサイレンススズカを無視して、スペシャルウィークは続けた。
「これからは私たちでこの学園を良くしていきます。ですから、この前の話、ホントに嬉しかったんですけど、一旦、ね?」
手を合わせて拝むスペシャルウィーク。彼女がその椅子に座れば誰も文句は言わない。実務などキングヘイローやグラスワンダーにやらせれば良い。サイレンススズカの中に次々と、スペシャルウィークが生徒会長に就いた後の計画が浮かんでは消える。
しかし当人がそれを是としないならば。
前の年、脚部不安を抱えながらもトレーナーに無理を言って出走した秋の天皇賞がサイレンススズカの脳裏にちらついた。
それに、先人のエアグルーヴやシンボリルドルフも言っていた。
すべてはウマ娘の意思による、と。
……
「秋の天皇賞をレコード勝ち、更に言えばワタシの敗けたモンジューにジャパンカップで先着して、もう生徒会長当確でしょ、みたいなスペちゃんを推薦人にするなんて」
もう半年が経とうとしているのに、エルコンドルパサーは未だにそれを愚痴っていた。
「ジャパンカップ1着よりも、凱旋門賞2着のほうが、みんなにとってはインパクトあるって思ったんだよ。それに、選挙の演説はジャパンカップの翌々日だったでしょう?その時点では、未来のことなんてわからなかったから」
自分がその椅子から降りたことを悟られてはならない。スペシャルウィークは苦笑して誤魔化した。
「そうですよ、エル。まして貴女でさえそう感じていたスペシャルウィークさん直々の推薦ですもの。受けないわけにはいきませんし、生徒の皆さんもそれに倣う他ないでしょう?」
にっこりと笑いながらグラスワンダーが話を纏めにかかった。スペシャルウィークの言い分を守りつつ、最もよい落としどころとして絵を描いたのは、エルコンドルパサーの凱旋門賞と帰国の報を知ったグラスワンダーだった。
彼女はこう思っていた。
スペシャルウィークはその椅子に座るのが最も良い。しかし当人がそれを辞退するならば、相応の代案、一般生徒すべてを納得させるだけのものが必要。
他の誰かが生徒会長に立候補しても、投票で信任を得られなければまた選びなおし。そして結局スペシャルウィークが祭り上げられる未来は見えていたのだ。
今の学園の序列、その頂点が誰かと訊かれたら、まず間違いなく全員がスペシャルウィークだと答えるだろう。春、秋の盾を制し、ついに日本総大将として凱旋門賞ウマ娘を迎え撃とうとしている彼女に代わるウマ娘などそうそう探せるものではない。
唯一、凱旋門賞を終えてフランスから帰国がしてくるエルコンドルパサー。他の誰かをあえてあげるなら彼女だろうか。それでも、もしそれが叶わぬならばスペシャルウィーク自身に推薦をさせ、自らが旗印となることを決めた。
もし事がグラスワンダーの思うままに進むならば、凱旋門賞2着のウマ娘が自分たちのアタマとなるのを、日本総大将に推薦させる運びになる。これ以上強い組み合わせは無い。
そして都合のよいことに、エルコンドルパサーはグラスワンダーにとって極めて扱いやすいウマ娘であった。セイウンスカイは実務はできるが束縛を嫌う。体よく彼女を解放してやり、エルコンドルパサーの手綱を自らが握れば、誰も傷つかない生徒会の出来上がりだ。
これが彼女の答えだった。
天皇賞の少し前。サイレンススズカと腹を割ったスペシャルウィークは関係を復元する目的も兼ねてグラスワンダーへ委細を報告した。
セイウンスカイやキングヘイロー、そしてメジロブライトを再び破り、秋の盾を獲ってくる―スペシャルウィークのいう《抜きん出た存在》に彼女自身がなること。グラスワンダーがスペシャルウィークに課した条件は苛烈そのものであり、スペシャルウィークのいう《横並び》にはほど遠いものであった。
レコード勝ちながらもステイゴールドとクビ差、という極めてハイレベルな勝利をもぎ取ったスペシャルウィーク。これを見たグラスワンダーは彼女の思いを遂げさせてやることを決意した。
それは自分が学園を牛耳る為でも、海外で偉業を成したエルコンドルパサーに然るべき扱いを与える為でも無い。
ただスペシャルウィークの背負う重荷を減らしたいが為に。結果としてエルコンドルパサーは帰国したため旗印はそちらになったが、計画にさしたる影響は無かった。スペシャルウィーク当人は自らの言い出した《横並び》の生徒会と思ったまま、エルコンドルパサーは本当に自分がただ祭り上げられたと思ったまま。そして他の皆も、何も知らぬまま。
グラスワンダーだけがすべてを被り、裏で糸を引くことにしたのだ。スペシャルウィークの理想を実現し、そして守るために。
……
「ですから、学園の各所に置かれているインフォメーションに、多言語、最も有用な例として英語の記述を足す必要があると思うんです」
「繰り返さなくてモみんな理解していマスよ、グラス」
にっこりと満面の笑みを湛え、それでいて物言わぬグラスワンダーがエルコンドルパサーを顔だけで刺した。
「ソレ、やめませんカ…」
耳を垂れるエルコンドルパサー。生徒会室に沈黙が降りた。
月次定例で集ってはいるが、エルコンドルパサーのアタマの中は夜のプロレス番組、スペシャルウィークは部屋で待っているニンジンたち。キングヘイローはトレーナーとの夕食に着ていく服に悩み、セイウンスカイに至ってはハルウララをおちょくる為の何某への思考に支配されていたのだ。
グラスワンダーを除く4人で視線を交わし合い、突如として降ってきた《生徒会らしい話し合い》を少なくとも今この時から排除すべく、目を擦ってみたり、片方だけ瞬きをしてみたりしてどうにかこうにか意思を疎通させた。
「そ、それって、どうしても今じゃなきゃ駄目?」
その全てをグラスワンダーに見透かされている気がして、ひとり勝手に進退窮まったキングヘイローが口を開いた。
「駄目です。貴女たちはこの手の真面目な話になるとすぐに逃げようとします。生徒会長であるエルですら。私たちは何のためにここに居るのですか?」
ぐ…、と4人は黙りこくった。彼女たちにはグラスワンダーのこの話が《正論にかこつけた、トワイライトホークという異分子への贔屓》だということが身に染みてわかっている。わざわざ学園の公的権力を振りかざしてまですることではないのだ。
「セイちゃん、ちょっとこの後用事があってさ…」
「それは、私たちの生活するこの学園のある趣旨について意思決定することよりも大切なことなのですか、セイウンスカイさん?」
「いいえ…」
セイウンスカイは諦めた。
「わ、私もこの後トレーナーさんとミーティングが…」
弱々しくキングヘイローが手を挙げて話した。
「それは大変。キングさんのこれからのトレーニングやレースについて貴女のトレーナーさんと話合いをするのなら、どうぞ今からでも行ってらっしゃい。……わざわざ駅前のイタリアンの予約を取ってまですることでしょうか。まあそのような日もありますかしら」
「ありません…」
キングヘイローも陥落した。
そしてスペシャルウィークは反論を諦め、エルコンドルパサーは机に突っ伏した。
「なんでワタシが生徒会長なんデスか、ホント…」
副会長は2度刺す。グラスワンダーの屈託のない、それでいて真っ黒に混沌を孕む笑顔がエルコンドルパサーを捕まえた。
「私では生徒の皆さんの道標にはなれなかったんですよ、エル。あなたやスペちゃん、そしてセイウンスカイさんやキングヘイローさんには、その道標となる象徴《トロフィー》がありますから。それを比べた結果、貴女の持つ銀色のトロフィーが、他の金色のそれよりも強く輝いていた、それだけです」
エルコンドルパサーは「モンジューに勝ったスペちゃんはどうなんデスか」と反論しかけたが、グラスワンダーの笑顔が更に黒く染まったのを見て、「モンジューに勝…」あたりで口を閉じざるを得なかった。
「わかっタ、わかりマシタよ。…それデ、どうして突然そんな突拍子モ無い事を考えついたんデスか?」
傀儡でも生徒会長である。本人はそうだとは理解していないが、ともかく挙げられた議題を裁くのは生徒会長の仕事なのだ。
「ええー、始めちゃうんだ」
文句を垂れるセイウンスカイ。エルコンドルパサーはマスク越しに彼女を睨んで制した。びくりと耳を立てて、セイウンスカイは議事録として保管してある大学ノートを机に広げる。これを合図に、グラスワンダーの《真っ当な議題の皮を被った極めて個人的な主張》の料理が始まった。
……
「ケ?!生徒会長?!」
エルコンドルパサーが帰国したその日。やや疲れた表情で学園の正門を潜った彼女を待っていたのは、ひとり佇むグラスワンダーの笑顔だった。
「そうです。エル。サイレンススズカさんが纏めているこの学園の秩序を、今度は貴女に引き継いで欲しいと、私はそう思っています」
秋の盾がスペシャルウィークへ齎された直後である。どこか冷たい秋風に吹かれるエルコンドルパサーの長い黒鹿毛。その表情は、マスク越しでもなお困惑を容易く読み取ることができた。
「ど…どうしてワタシなんデスか?1年も学園を空けテ、意気揚々と挑んダ凱旋門賞で敗けて帰って来タようなウマ娘を…」
ふるる、とグラスワンダーは頭を振った。
「そんなことはありません。貴女の持ち帰ってきた銀色のトロフィーは、日本のウマ娘界が前進した証。この国に居る貴女より前のウマ娘すべてが束になっても―、あのシンボリルドルフさんですら拓く事の出来なかった道を、貴女はゴール直前まで拓いたのです。そしてこれからは、その残りを誰かに拓ききってもらう為に動いて欲しい」
そ、そんな事言われたっテ…、とエルコンドルパサーはたじろぐ。帰国早々する話では少なくとも無かった。
「エル。貴女は私には無い物を沢山持っています。そしてそれは全て私が欲しかった物。突然こう言われたって想像がつかないのは理解しています。しかしそれならそれで構いません。エル。私は今サイレンススズカさんのもとで生徒会副会長として属していますが、彼女の跡、本当は私がその椅子に座りたいのです」
「だったラ、グラスがそうすればいいじゃないデスか」
にべもないエルコンドルパサーの反論に、グラスワンダーは耳を垂れた。
「組織の―、学園すべてというとても大きな集団のトップになるには、エル。願いや望みだけでは叶うに足りないのです。貴女以外の同期―、スペちゃんたちですが、みんな彼女を中心に集まり、生徒会としてサイレンススズカさんを支えています。サイレンススズカさんが生徒会長として立っているのは、その圧倒的な速さがカリスマ足り得たからです。エアグルーヴさんやシンボリルドルフさんがそうであったのは、圧倒的な強さがそれだったからです。……私には、私にはそれがない。朝日やたった一度の有マ、宝塚では、それには届かないのです」
ですから、とグラスワンダーはいつの間にか下がっていた顔を改めてエルコンドルパサーへ向け、強い決意を込めて言い放った。
「貴女がこの椅子で何をしたいか。それは座ってから考えてもよいと思います。言い方は悪いかもしれませんが、私の―、私の抱く理想を叶える為に、その盾になって欲しいのです」
「スペちゃんにも、セイウンスカイさんにも、キングヘイローさんでもない。今の日本のウマ娘、その到達点に居る貴女にしか頼めないことです、エル」