黄昏の星条   作:橋本みちか

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希望へ飛ぶ者

《turf 2000》

 

《dirt 1600》

 

《slope zone》

 

《beef curry》

 

 

入学試験の際にはどこに何があるのか、誰が何を言っているのかさっぱり理解出来なかったトワイライトホークであるが、正式に学園の門を潜った頃、その課題は物理的に、そして能動的に解決されていた。

校舎のインフォメーションや案内板、食堂に設置してある食券機にすら、日本語に加えてアルファベットが堂々と居座るようになった。そのお陰で、トワイライトホークは道に迷うこともなく、誰かにものを尋ねたりすることもなく、ひとりスイスイとグラウンドへたどり着くことが出来た。異国の地で自分の言語が記されているのはどこか安心できる。胸のすく思いで快晴の空を仰ぐが、彼女はこれが誰によってもたらされたのかまでは知らない。

 

グラスワンダーによる究極の依怙贔屓。米国からやって来たトワイライトホークただひとりの為の環境整備を、中長期的かつ大局的な利を述べて他を―、それと見抜いた生徒会役員たちや新堀理事長らを黙らせ、押し通した結果である。

 

……

 

「君の言い分は理解した。非常に興味深く、エルコンドルパサーくんの偉業やトワイライトホークくんの入学に伴い、学園自体のグローバル化を推し進めるという点については大いに評価できる」

 

口々に文句を言ったり、面倒な会議を避けるために逃亡を図ろうとする他の生徒会役員を全て黙らせた後、グラスワンダーはエルコンドルパサーを伴って理事長室へ出向いた。彼女の提案は概ね好意的に受け取られ、この計画は特に障害もなく進むものと確信を得た。

 

「しかし―、それを謳うのはいいが、なぜ敢えて《英語》に絞るんだい?意地悪な言い方かもしれないが、ここへやって来る可能性のあるウマ娘はなにも米国や英国圏から、という訳では無い。国の数だけ言語があるからな。…指摘したくはないが、これは君の個人的な感情が多分に含まれているのではないか?」

 

グラスワンダーの笑顔が僅かに引き攣る。その変化に《詰み》を勝手に感じたエルコンドルパサーは、ほら見ろ、という表情で彼女に耳打ちを始めた。

 

「ホラ、やっぱり理事長には勝てまセンよ、グラス。今ならまだ間に合いマスかラ。ね?」

 

エルコンドルパサーの具申。それを受けて暫し考えるような仕草をしたグラスワンダーは、やがて閃いた表情をするとエルコンドルパサーの耳へ自身の口を近づけた。

ナイショの話かと、エルコンドルパサーもそれへ耳を傾けていく。そうしてふたりの距離が最接近したとき、グラスワンダーは日常の会話より少しだけ大きな声で

 

「わっ」

 

とだけ発した。

 

ウマ娘は聴力に長けている。それこそ数10メートル先で自身のトレーナーが部屋から出てきた音を聞き分けることができる程。そんな耳に、少しだけ大きな声とはいえ、まとまった音を至近距離で浴びせられてはたまったものではない。

 

きいいいいいん、とエルコンドルパサーのアタマの中で耳鳴りが響く。うがあああ、と床で藻掻いている様を一瞥し、グラスワンダーは改めて新堀理事長へ向き直った。

 

「確かに言語を選択する余地はあります。理事長の仰るように、たとえばフランス語でもよいし、イタリア語やスペイン語だって書かれてもよいはずです。…ですが、留学するほどのレベルにあるということは既に世界と戦う領域に居る、ということ。私見に収まる話ですので恐縮ですが、そのようなウマ娘やヒトは、大なり小なり《世界共通言語》を操るものです。それはつまりイングリッシュ、英語であります」

 

「ここに居る我々の殆どは日本に生まれ、日本に育ったヒトやウマ娘たち。日本とは本当によい国です。わざわざ海の外に出なくても安全に暮らせるし、食べていくお金を稼ぐ手段だっていくらでもある。ですから、私たちは日本語以外の言語に対して疎いのです。だから先ほどのように《言語の選択を絞る》ことができない。私はこう思っています」

 

一部の隙すら無いようなグラスワンダーの圧倒的正論。ほう、と新堀理事長は圧のある笑みを浮かべて席を立った。

 

「世界基準か。それを私の前で宣うとはね。君は謙虚な娘だったという印象を持っていたが」

 

新堀理事長の放つ往年の圧に怯みもせず、グラスワンダーも負けじと笑みを黒くして同じく席を立った。

 

「ええ。そうですとも。サンルイレイで6着のシンボリルドルフ理事長」

 

しん、と理事長室に沈黙が降りた。新堀―、シンボリルドルフはこれ以上ない、ともすれば質量を伴う圧をグラスワンダーに掛け続けているが動じる様子は無い。むしろその出処である両の眼をしっかりと視線で捉え、逆に食ってやると言わんばかりに眉間を絞っていた。

 

「…、ふふふ、ははは、あっはっはっはっは!」

 

グラスワンダーの意思が固いと見るや、新堀理事長は声を張り上げて笑った。

 

「素晴らしい!木っ端だった過去ならばいざ知らず、皇帝と呼ばれ、学園の理事長となった私を知ってなおここまでモノを言う者がいるとは!」

 

ばん、と仰々しい長机に両手を叩きつけ、なおも新堀理事長はくつくつと笑っている。グラスワンダーはそれを何の感慨もなく、笑顔の貼り付いたまま眺めていた。

 

「…いや、すまない。過去に私に怯まなかった者は数える程しか居なくてね。久し振りに巡り会えて嬉しいとさえ思っているんだ。―そうだな、彼の凱旋門賞2着、世界に最も近いエルコンドルパサーがそう云うのだ。私もそれを推し進めさせて貰おう」

 

まるでレースを走りきったかのような、どこか爽快さすら感じられる笑顔を浮かべて、新堀理事長はグラスワンダーの依怙贔屓を承認した。

 

「ご英断、感謝いたします〜」

 

張り付いた笑顔を1mmも動かさず、グラスワンダーは頭を最敬礼の角度まで下げた。

 

「ふむ。本当に久し振りにしてやられた気分だ。トワイライトホークくんの入学の件といい、どうも私は君のことを誤解していたようだな」

 

そんなことはありませんよ、とグラスワンダーは謙遜し、胸元のリボンを直すような仕草をしてはぐらかした。

 

「どうやら今の生徒会は君が動かしていると見える。だが…、こうまで確固たる芯を持ちながら、なぜエルコンドルパサーくんの立ち位置に就かなかったんだい?」

 

納得の行く張りを取り戻したグラスワンダーのリボン。金属の飾りに付いた細かいホコリを指で払うと、彼女は再び新堀理事長を見据えた。

 

「私は《旗》を持ち合わせていないからですよ、理事長。だからこそのエルコンドルパサーですから」

 

それだけ言うと「失礼します」と再び最敬礼、グラスワンダーは踵を返して理事長室から去ろうと扉に手をかけた。

 

「待ち給え」

 

後方の空気が重くなったのを感じた。今日ここで感じたどれよりも重い。気を抜くと震え上がってしまいそうになるが、拳を握ってグラスワンダーは己を律した。

 

「この事実は生徒会の総意、つまりはそこのエルコンドルパサーくんの言葉でもある。しかし本質は全て君のそれだ。エルコンドルパサーくんの威を借り、凱旋門のトロフィーを盾に学園を作り替えるのもいいだろう。しかし覚えてくといい。虎の威を借りた者は、本物の虎に―、私には勝てない。君はただの狐だということを忘れないでくれ」

 

ドアノブにかけられたグラスワンダーの右手がカタカタと震えている。そのまま全身に伝染してしまいそうだ。二の腕、肩、とそれが上ってきたのを認めると、グラスワンダーは空いた手でドアノブごと右手を握り込み、息を大きく吐いて恐怖に震える五臓六腑を押さえつけた。

 

「確かに私は狐ですが、狐は狐でも化け狐だということを自負していますよ〜」

 

今度こそ失礼します、とグラスワンダーは新堀理事長に背を向けたまま、扉の向こうへ消えていった。

 

……

 

「準備はいいな?!ゲートが開いたら走り出すんだ!フライングすんなよ!」

 

遠くで大きな声を張り上げる教官のような男を、トワイライトホークはゲートの中から無感動に見ていた。

 

《まともな》スタートを切るためにゲートへ入るのは推薦入学試験以来。あのときは仕組みも何もさっぱりだったが、いち度見ればお茶の子さいさい。いずれ始まる《かちかちかち》というタイマー音に備えて聴覚を研いでいた。

 

入学してから数日、色々ひとりで試しているうち、試験で走ったダートよりも緑色の芝のほうが自身の脚に合っているような気がした。なにより踏み込んだ力をそのまま受け止め、前進するエネルギーへとそっくりそのまま返してくれる感覚が好きだった。

 

トワイライトホークを知る者はまず当人が何食わぬ顔で学園にいる事に驚愕し、そして次にあろうことか芝へ踏み出した事に唖然呆然とした。そうして遠巻きに見つめるウマ娘共など目もくれず、彼女がここにいる目的のひとつ

 

《打倒ファッキンマスクドビッチ》

 

の為、採れる手段すべてを採る意気込みであった。そのひとつが、今スタートを待つ模擬レースである。結果如何によってはトレーナーに見初められ、表舞台への道が開けるかもしれない。でなくても、ウマ娘の本能に従い己のチカラを周りに、エルコンドルパサーに見せつけるいい機会だった。

 

そして遂にタイマーが動き出す。タイミングは毎回ランダム。いつゲートが開くかはセットした本人にもわからない。

 

ちきちきちきちき…………ちんっ!

 

音の違和感と同時に地面を蹴り抜く。身体がぶつかる寸前、ほんの数センチの猶予を残してゲートは開かれた。

 

「SHIIIII」

 

誰よりも早く、誰よりも力強いファーストステップをその芝に深々と残してトワイライトホークはかっ飛んで行った。

 

……

 

「…で、こうなっているんデスね」

 

エルコンドルパサーは重い溜息を漏らした。夕刻の生徒会室、彼女をはじめ5人全員が揃ってはいたが特段急ぎの事項もなく緩やかに解散しようとしていたとき、その扉が叩かれたのだ。

 

「はい…。流石に暴れ出すことにはなりませんでしたが、私にはもうどうしたらいいかわかんなくて」

 

前髪に流星の流れる茶鹿毛のボブカット。そのウマ娘が手を繋いで連れてきたのは他でもないトワイライトホークであった。

 

「今のは何かの間違いだ、もう一度やらせろ、って聞かなくて。教官も大変そうでしたし…、その、この娘がグラスワンダーさんと仲良くしてたのを思い出して。はい」

 

状況を語るウマ娘。何でもない話ではあったが、その中の違和感にキングヘイローはいち早く勘づいた。

 

「あなた…、その娘の言っていたことがわかったの?」

 

それを聞いた他の4人の生徒会役員たちも、あっというような表情でそのウマ娘を見つめた。

 

「…?…、ああ、いえ、その。私、ホークちゃんとは入学試験のときから一緒で。クラスも同じだったからふたりで居ることが多いんです。確かにホークちゃんに日本語はまだ難しいし、会話らしい会話もできませんけど、それでもちょっとずつわかってきているみたいですね」

 

トワイライトホークと同じくらいの人間が異国の地に放り出され、異なる言語に囲まれた生活を送るとしたとき、その言葉の習熟にはかなりの期間がかかるといわれている。ヒトとウマ娘の種族としての差異を考慮しても、その期間がどれ程埋まるのかはまったくの未知数だ。

 

「…デスって、グラス」

 

それを受け、ふうと息を吐いたグラスワンダーはゆっくりと立ち上がった。

 

「なんか私、要らなさそうだから引き揚げるねー、そんじゃ」

 

その隙を狙って退散するセイウンスカイには目もくれずに、ローファーの踵を鳴らしながらトワイライトホークのもとへ。

 

「一体何があったんですか〜?それに―、あなはにはこの小鳥さんが何を言っていたか理解出来たんですよね?」

 

はい、とそのウマ娘は頷いた。

 

「全部が全部じゃないですけど。《ミステイク》とか《ワンモアラン》とか言ってたから、たぶんそういうことかなって」

 

入口で喋り倒すのもなんだと思い、グラスワンダーは道を空けてふたりを生徒会室へ招き入れた。

 

「とりあえず、入ってください〜。…スペちゃんやキングヘイローさん、もう大丈夫そうなのでここは結構ですよ〜。エルは残りなさい」

 

ホアァッツ?!とショックに椅子からずり落ちるエルコンドルパサー。それを見やりながら申し訳なさそうに手を振り、スペシャルウィークとキングヘイローは部屋を出ていった。

 

……

 

「ホークちゃん、3時くらいにあった模擬レースに出たんです。スタートは完璧で、他の逃げを取った娘たちを完全に置いてきぼりにしたんですけど…。その、本当に考えなしに走ってたのか、あとから追い抜かれちゃって。12人中8着にだったんです」

 

ああー、というようなカオでエルコンドルパサーはアタマを抱えた。グラスワンダーも笑顔を前面に張り付けてはいるが、きっと内心穏やかではない。

 

「それで、教官に食ってかかって。もう一度やらせろ、って。…彼女、模擬レースの出走の登録も私と一緒にしたから、このための手続きとかもたぶんわかってないんです。だから…」

 

エルコンドルパサーは皮肉たっぷりにグラスワンダーを見やった。それ見たことかと。

 

「冬のことを掘り返すのはやめなさい、エル。…ちょっと本人に訊いてみますね〜」

 

 

あくまで笑顔を張り付かせたまま、グラスワンダーは後ろで歯噛みしているトワイライトホークの方を見た。綺麗な弧を描いていたグラスワンダーの瞼。それがトワイライトホークを捉えた瞬間、武士すらも逃げ出しそうな眼光が彼女を突き刺した。

 

「Hey, bird. Why did you that?《なんでそんなことをしたんですか?》」

 

トワイライトホークは悔しげに口を開いた。

 

「I thought we could win with this. That's how it was in Detroit.《これで勝てると思ってたんだ。デトロイトではそうだった》」

 

グラスワンダーは首を横に振ってトワイライトホークをなおを詰める。

 

「That's not it. I'm asking why you persisted with the instructor.《そうじゃありません。なぜ教官に噛みつくようなことをしたのかと尋ねています》」

 

何かを言い出そうとしてはそれを止めて。トワイライトホークはそれを幾度か繰り返した。パクパクと動いては止まるその口をグラスワンダーは無感動に見つめている。

 

「―ふう。いいですか、小鳥さん。敗けを認めないことは勝者への侮辱です。ここはデトロイトではありません。今のあなたはここで走る資格すらありません」

 

「あなたの隣に居たウマ娘はあなたの敵などではありません。生活を共にし、共に高め合い、同じ目標へ向かって助け合う、仲間なのです。敗者には敗者なりの矜持があります。そろそろ考え方を自分本位から広げなさい。そこの娘の為にも。」

 

グラスワンダーの説法をきょとんと聞くトワイライトホーク。日本語の理解がほぼ無いに等しい彼女にとっては、グラスワンダーの言葉は呪文にしか聞こえなかったことだろう。当然、グラスワンダーもそれをわかってのことだった。

 

「―と、私が言っていたと。そこの娘に伝えておいてくださいね〜。…お名前を訊いてもよいでしょうか?」

 

「ええ?!」

 

突如話を振られたウマ娘は耳をバッと立て、ボブカットを逆立てながらグラスワンダーの顔を見た。

 

「す、すみません!わ、私は《ホープフライヤー》といいます!ホークちゃんと同じクラスです!」

 

「ホープフライヤーさんですか。…とてもよい名前です〜。きっとこれからも、そこの小鳥さんは貴女のことを頼ると思います。ゆっくりでいいですから、今私が言っていたこと、伝えていただけると嬉しいです〜」

 

し、失礼します!という半ば逃げるような挨拶と一緒に、ホープフライヤーとトワイライトホークは生徒会室から走り去っていった。

 

「結局ひと言も喋りませんでしたね、エル」

 

ふたりきりになった部屋の中で、グラスワンダーはエルコンドルパサーへ向けて微笑んだ。

 

「無理デスよ、ワタシには。アノ娘から嫌われてマスし」

 

両手を挙げて諦めのポーズ。少しずつ赤くなっていく空へ視線を移して、グラスワンダーはひとり笑った。

 

「黄昏の鷹と、希望へ飛ぶ者。願わくば、一緒にその翼を拡げて欲しくはありますね〜」

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