黄昏の星条   作:橋本みちか

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ステージと特等席

トワイライトホークの暴挙、模擬レース勝ち名乗り事件。わざわざグラウンドまで下りてきて、レースの推移を近いところで観戦していた生徒会は、めいめいにこの前代未聞の些顛末を見届けた。

 

芝や学園の環境に戸惑い、本当の実力を見失いつつあったトワイライトホーク。確かに彼女の脚は速い。しかしフィジカルだけで上位に食い込める程、この上澄みたちの混沌は易しいものではなかった。《競技》としてセオリーの確立された《脚質》。がむしゃらに前を目指すだけではない、勝ちを狙う手段である。それを知らないままでは、ここでは無力に等しかった。

自分に屈辱を与えた(と勝手に思い込んでいる)相手にアタマを下げてまで覚えた勝ち方。

速いと強いは別の話だということも学んだ。強いと速いはおおよそ比例しても、その逆は殆ど無いことも思い知った。そしてその数少ない例外も、エルコンドルパサーの伝手を辿って出会うことができた。

たとえ付け焼き刃であったとしても、それによってようやくもたらされた、当人にとっては待望の、感無量の初勝利である。

 

《ワタシがイチバンだ!》

 

最強を示すための、魂のセレブレーションは無情にも教官に遮られた。

 

「馬鹿者!練習のレースで勝ち名乗りをあげるヤツがあるか!」

 

トワイライトホークの口から誰もが知るあの咆哮が轟こうとしたまさにそのとき、呆れた顔をした教官は資料を丸めた紙筒をトワイライトホークのアタマへ向けて振り抜いた。

パス、という気の抜けた音。困惑の表情を浮かべた彼女の顔が教官の視線と合った。

練習とはいえレースである。確かに勝者は決まるし順位もつく。だかこれはあくまでデモンストレーションであって、それがそのまま彼女らの優劣には繋がらないし、そもそもここにおいては学生スポーツであり教育の一環。本来あるべきは圧倒や威圧ではなくリスペクトであるのだ。公に行われるレースでの勝ち名乗りも、あくまで観客へ向けるもの、と厳しく釘を刺される。らしい。

 

「No! No! Just want to prove!《違う!違うんだ!これは勝利の証明なんだよ!》」

 

などと不満げに喚き散らしながらコースの外へ引っ立てられていく様を見たエルコンドルパサーとセイウンスカイは腹を抱えて大笑いし、

 

スペシャルウィークは呆れ気味に苦笑、キングヘイローは腰に手を当てて憤りを見せ、

 

グラスワンダーは笑顔を張り付かせて固まっていた。

 

「あっはははは、ひい―っ!こ、これがグラスちゃんが学園巻き込んでも輝かせたい原石!いいよ、いいよ!素晴らしいじゃないか!本当に!」

 

トワイライトホークの姿が校舎へ消え、次のレースへ向けてのスタンバイが始まった。それでもなお笑いの止まらないセイウンスカイは引き攣る腹筋に手を当てて悶え苦しみながらグラスワンダーを煽り始める。エルコンドルパサーも同じようにして、息も絶え絶えに彼女の肩に手を置いた。

 

「コレは…!ひい、ひい、コレは想定外すぎマス!ふう―っ、磨くのが楽しみでタマりまセンよ!」

 

そんな低俗な煽りや励ましのようなものを受けながら、努めて笑顔を崩さないグラスワンダー。しかしその顔面には確実に地殻変動が起きていた。眉間には山谷が生まれ、ほほのプレートはぴく、ぴくと大地震を起こしている。つう、と一筋の汗が運河となってそこを流れた。

自らの胸元で、両の掌を上へ向けてお椀を作る。それをゆっくりと、しかし確実な意思をもってグラスワンダーはそれを自らの顔へ当てた。

 

「これはちょっと…、大変だね」

 

阿呆共の煽りを傍観していたスペシャルウィーク。ぱらぱらと点在するギャラリーのざわつきが収まらないのを見て、額を掻きながら笑った。

 

「ならずものの粋がりと採られるか、不良学生のお茶目な一面として受け入れられるか―、彼女の今後に影響するかもしれないわね。…レースにもとりあえず勝ったし、確実に前進はしたけれど。あの娘は競技ウマ娘としての本当の一步目にはたどり着いて居ないのよ」

 

腕を組み、眉間に皺を寄せてキングヘイローはごちた。視線の先には数人のトレーナーらしきニンゲンたち。トワイライトホークではない、つまり先のレースで勝てなかったウマ娘に対して行われているスカウトである。当然ながら、当人の消えた先を追うものは無い。

 

「そうだね。グラスちゃんには申し訳ないけど、あれをスカウトする強いトレーナーさんがこの学園にいるとはちょっと…」

 

スペシャルウィークは困ったような顔をして同意した。

 

「トレーナーが居なきゃメイクデビューにすら出られまセンからネ。…私?私ハただの先輩デス。教えるコトは教えマシタけど。そもそも籍の上でハ現役で、トレーナー資格モありまセンし…」

 

ふたりの視線がエルコンドルパサーへ向いた。その意味するところを理解した彼女は、横暴だと言わんばかりに両手を振って早口にまくし立てた。

 

「ふふふ…」

 

グラスワンダーのか細い笑い声を、他の4人の馬耳はそれは鮮やかに察知した。これまでの企て、その全てにおいて糸を引いてきた張本人である。彼女が一体何を言い出すのか。顔を覆っていた両手が離れ、曇りのない笑顔が再び白日に晒されるのを、固唾を飲んで見守った。

 

「ふふふ…、うふふふふふふ。そうですよ〜。エルやキングさんの言う通りです。トレーナー無きウマ娘は、競技ウマ娘としてのスタートラインにすら立てていませんよね〜」

 

誰も言葉を返さない。返せない。返せばそこから詰められ、何を背負わされるか分かったものではないからだ。

 

「《特定のウマ娘と特定のトレーナーが契約を結ぶような手引きをしてはならない》これは学園の校則でもあります〜。ですから私たち生徒会や他の誰かが、その権力や伝手を乱用してあの小鳥さんを拾い上げることは出来ないことになってるんですね〜。…そうでしたよね、エル?」

 

突如名指しされたエルコンドルパサーが跳ねた。耳と尾はビン、と垂直に伸びる。彼女が来日以来よく見ていたアニメ映画のような、下から上へ、尻尾から髪の毛へと逆立っていく、よく見た描写そのものの反応をしてしまった。

 

「ですから私、考えたんです。さっきの校則の縛りがありますから《不本意ながら》公的にあの小鳥さんを拾うことが出来ません。そして、教えることは教えるけれど、師弟なんて堅苦しいものではなく、ただの先輩後輩でいたいエル。それをどうやったら全て実現できるか。《エルの不本意をどうすれば解決できるか》考えていたんですよ〜」

 

ナ、何を言ってるんデスか、と踏み出したエルコンドルパサーを、グラスワンダーは片手を掲げて制止した。もう何度目か数えることすら億劫であるが、その瞳を見てしまったが最後、エルコンドルパサーには固まる以外の余地が無かった。

 

「いいんですよ、エル。…ですから、考えていたんです。《エルと小鳥さんが先輩後輩の関係を保ったまま、エルが小鳥さんに思う存分に持てるものを授けられるように》して、さらに《小鳥さんを籠から出す》にはどうすればいいか」

 

そこまで聞いて、グラスワンダーが何をして、何を言おうとしているのかを理解したキングヘイローとセイウンスカイ。ふたりはまるでホラー映画を見たばかりのような表情で顔を見合わせ、エルコンドルパサーの不運を悼んだ。

 

「もうそろそろ、いらっしゃる筈ですよ〜。…ほら、噂をすれば」

 

太陽とは逆の方向を指すグラスワンダー。エルコンドルパサーは恐怖に駆られながらも、ぎぎぎ、と音の立つ錯覚すらさせる動作で視線を移した。

 

「よぉ、エル!なんだか面白えことにカオ突っ込んだらしいじゃねえか!」

 

W H A T ? !

 

スーツの男。ちぢれたオールバックに無精髭。それを見たエルコンドルパサーは今日いちの叫び。魂の仰天が青空に消えていった。

 

「アレは少々やんちゃが過ぎるが…、確かに光るモノはある。なによりお前が見込んだウマ娘だ。だいぶ不安はあるが…、いいだろう、引き受けてやるよ!」

 

し、正気デスか?!と青ざめたエルコンドルパサーは狼狽して男の両肩を掴み、前後にガクガクと揺すった。冷たい汗が額や首から幾筋も流れ落ちている。

 

「違うんデスよトレーナー!アレは確かに私がチョット、ほんのチョットですよ?!ちゃんとしたウマ娘としての走り方を教えたダケなんデス!わざわざトレーナーが拾われなくたって…!」

 

スペシャルウィークは遂に笑いをこらえきれず撃沈、セイウンスカイはキングヘイローと顔を合わせて「そうなるよねえ」「わよねえ」などと苦笑している。それを一步遠くから、それこそ糸を引くようにグラスワンダーが傍観していた。

 

「良かったですね、エル?可愛い後輩を無事に鳥籠から解き放ち、なんの偶然か言葉のサポートも出来る。ただの先輩後輩として思う存分に世界レベルの走りをあの小鳥さんに叩き込めるわけです。素晴らしいですね〜」

 

遂にエルコンドルパサーはトレーナーに背を向け、しゃがみ込んで小声でボソボソと

 

「fuck... oh, my goddamn, fuck...」

 

と繰り返し喋るスピーカーと化してしまった。

 

「善は急げ、ってやつだな!なにしゃがんでんだエル、あの娘のトコに行くんだろ?しゃんとしろしゃんと!」

 

「うふふふふふふふふ」

 

エルコンドルパサーの担当トレーナーは彼女を抱えて立たせ、先頭に立って校舎へ歩き始めた。ヨロヨロとそれについていくエルコンドルパサーの更に後ろ、《保護者》であるグラスワンダーも一緒に。

彼女たちが後にしたグラウンドは、トワイライトホークが走ったレースの次の次、そのまた次が行われている最中だった。

 

……

 

取り残された3人。何の因果か先日起きた小競り合いの当事者たち。

 

正論をぶつけ糾弾し、

 

それでも大義があるのならとぶつかり合い、

 

5人の輪を乱すなど、双方平等に制圧した者。

 

既に過ぎたことという認識は共有しており、今更掘り返す程のことでも無いが、やはりそれを想起させる残り方ではあった。

グラウンドに居るはずなのに、他に沢山いるウマ娘たちやそのトレーナーらの喧騒から切り離されたような感覚。セイウンスカイは、己の清算をするなら今だと悟った。

 

「面白いもの見ちゃったね。そしてこれから―、面白くなってくんだろうね。それが全部グラスちゃんの掌の上だったとしても。…あ、言っとくけど私はそれには乗りたくないからね。あくまで他人事として、だからね」

 

そう、とキングヘイローは感慨無く相槌を返した。その視界には模擬レース。セイウンスカイなど入り込む余地すら無かった。

 

「無感動だなあ。よくないと思うよ、それ」

 

「何言ってるの。いちいち顔なんて見なくてもわかるでしょう?どれだけ一緒に居ると思ってんのよ」

 

セイウンスカイは両手を掲げて呆れた。

 

「まったくもう。酷いと思わないスペちゃん」

 

頬をわざと引き攣らせながらスペシャルウィークへ視線を移した。しかし彼女もまた模擬レースの―、正確には新人を視察する自身の担当トレーナーの動向にその注目を映していた。

 

「はあ―、もうね、お話になりませんよ、これじゃ」

 

(グラスちゃんの掌で踊るつもりはサラサラ無いさ。けれど、他のみんながそこで踊っている様を特等席で見させてもらうぶんには、これ以上楽しいことはないもんね)

 

背を向けて校舎へ入ろうとするセイウンスカイをキングヘイローは数歩追った。後方からやってくる芝の音にセイウンスカイは足を止め、その主へ語りかけた。

 

「どうしたの?そろそろ夕寝の時間なんだけど」

 

振り返りもせずに口を動かすセイウンスカイ。キングヘイローは彼女の柔い拒絶には動じず、そのまま追い越して正面へ回り込んだ。原料のわからない一流の香りが舞い、セイウンスカイの鼻をくすぐる。香を感じてまず出てくる単語がそれであることに彼女は微笑した。

 

「何よ。気持ち悪い笑顔。…その、ね。―悪かったわ」

 

恥ずかしさと後ろめたさの混じる、しかし意思の籠もった瞳でセイウンスカイを見つめる。そしてひと言を届けると、キングヘイローは踵を返し、寮へ向かって走り去っていった。

 

「…、へえ」

 

キングも謝るんだ。予想だにしない言葉。せかせかと足早に校舎へ戻るキングヘイローをぼけっと見送り、数秒を置いて我に返ったセイウンスカイは空を見上げた。初夏の空は薄青から白、そして暖かな橙色へと僅かに移ろう。

 

十分に明るい空は、黄昏と呼ぶにはまだ少し早かった。

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