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中華西方にある大国『秦』。
戦乱が日常と化したこの国の西端に、風を名に冠する一族。風の部族が暮らしていた。
その部族の長を祖父にもち、幼いながらも戦場に憧れ夢を馳せる一人の少女がいる。
「
まだ幼い高い声が、乾いた平原に響き渡った。
馬上で小さな体を目一杯伸ばし、はるか先の野営地へ向かって手をぶんぶんと振る少女。
つい先日、七歳になったばかりの――
その手には、祝いで貰った弓が握られている。
今の風藍からしてみれば少し大きいそれを、風藍は掲げてみせる。
「風藍様、あまりはしゃぐと落ちてしまいますぞ」
慌てて彼女の腰を掴んだのは、若い騎兵の護衛。
だが風藍は気にした様子もなく、さらに大きく腕を振る。
「だって、おじい様が見えるんです!」
「なっ! よく見えますな。ここからだとかなりの距離ですが……」
「おーい!」
「いやいや、無理でしょう隊長」
護衛たちが苦笑まじりにひそひそ声で語り合う。
「あれだけ固まって陣形を組んでいれば見えますって。お嬢が当てずっぽうで手を振っているだけですよ」
ここから軍の陣まで、ゆうに一里以上はある。
経験豊富な兵たちでも、旗の影が見える程度が限界だ。
だが、護衛長だけは少女の様子に目を細めていた。
「……風藍様は、本当に“見えている”のかもしれん」
「隊長? 何か言いました?」
「……いや、なんでもない。行くぞ」
子供の大雑把でなんとなくの感覚。
側から見ればそうかもしれない。けれど、時折風藍の視力の良さには護衛長も気付いていた。
「それにしても、相変わらずですね」
「何がだ」
「お嬢のおてんばですよ。まさか七つの誕生日に“戦場へ連れていけ”なんてねぇ」
「厳密には“見たい”と仰ったそうだ」
「とはいえ、それを許される風羅様も相当ですけどね。いくら護衛の俺らが居るからって」
護衛がぼやく。
風藍は、名門・風の部族の族長である老将。風羅の唯一の孫。
早くに両親を亡くし、物心ついた時には周囲は武将だらけだった。
だからこそ、女でありながら戦場への憧れを隠さない。
今日、誕生日の祝いとして「遠目から戦場を見せる」ことが許されたのも、風羅の特別な計らいである。
当然、危険のない距離。
矢も届かず、敵影すら見えぬ安全圏――のはずだった。
「おーい! お祖父様ー!」
風藍はもう一度、大きく手を振った。
すると。
「あっ!」
「……え?」
風藍の瞳がぱっと輝いた。
「どうされました? 風藍様?」
「お祖父様が、こちらを見てますよ! ほら、みなさんも手を振ってください!」
「は? いや、まさか……」
護衛たちは顔を見合わせる。
「……お前、見えるか?」
「見えるわけないでしょう。塊になっているのがやっとだ」
一里以上先の軍勢の中から、たった一人の将軍がこちらを見ているという。
そんなこと、ありえるわけがない。
「ほらほら、皆さんも!」
だが風藍の確信に満ちた表情を見て、兵たちは思わずその指す方角へ手を振った。
遠く、秦軍の旗がゆっくりと合図を送るように動く。
「!」
「……え」
「……う、嘘だろ」
「い、いや、前線に合図を送ってるだけだろ」
護衛たちは目を疑った。
見えるはずがない。
だが、確かに――老将・風羅がいる本陣の旗が旗を振っている。
まるで、七歳の少女の声に応えるかのように。
「ほらね! やっぱり見えてました!」
風藍が嬉しそうに笑う。
その笑顔に、護衛長はふと戦慄した。
――この子は、特別だ。
直感……、気配の察知。
戦に必要なすべての“勘”が、既に備わっているのかもしれない。
「……風藍様は、将軍になるやもしれんな」
護衛長は、そうぽつりと呟いた。
風の部族に生まれし少女。
まだ幼きその身で、戦場の風を正確に捉えた少女。
「わたしも。いつか、戦場に出て中華十弓に名を連ねます!」
この日――多くの兵が知らぬまま、ひとつの“伝説の始まり”が静かに幕を開けた。
その日の夜、風羅軍陣営では。
陣に戻った風羅は、風藍の護衛任務についていた兵たちから孫のことを尋ねられこう答えたという。
「うむ、確かに見えたな」
「本当ですか!?」
「歳はとっても、この目はまだ衰えてはおらぬ」
「じ、じゃあ、お嬢も将軍の姿が見えていたということ……なのですか」
「そうかもしれん。それに、風藍は耳も良いからな」
「耳、ですか?」
「戦場の音と声が風に乗って聞こえたのだろう。無い話ではない」
「それこそ、まさかですよ」
しかしそれが、風藍が“風に愛された子”と呼ばれる最初の逸話となったのである。