大王陣営と合流した一行は、夜陰に紛れて進んでいた。
木々の間を抜け、獣道を進むその道中。
「それで、敵の勢力は垢ほどなんですか?」
昌文君が、静かに口を開いた。
「……敵の戦力は、およそ八万だ」
その一言で、空気が止まる。
「な……八万ですと!?」
龍炎が思わず声を上げた。
無理もない。こちらは状況を知らなすぎる。
「そうだ」
昌文君は淡々と答える。
「そうだって、昌文君殿!」
「龍炎、落ち着いて」
風藍が制する。
「……し、失礼しました。ですが!」
龍炎は食い下がる。
「その話しが本当なら。八万に対して、こちらの数は……」
視線を巡らせる。
山の民、三千と嬴政側のわずかな兵。
そして、自分たち風藍隊。
「……五千にも満たない」
絶望的な差だった。
風藍も静かに口を開く。
「龍炎の言いたいことは分かるよ」
その表情は冷静だが、現実は理解している。
「正直、戦力差がありすぎる」
その時、横から声が飛んだ。
「だろ!俺もそう言ったんだけどよ!」
信と呼ばれる少年だった。
不満げに腕を組みながら続ける。
「なのによ政の野郎、この戦力差が“悪くない”とか言ってやがるんだぜ」
「……あの、昌文君殿。この少年は?」
龍炎が小声で尋ねる。
「随分と大王様と親しげですが」
風藍も視線を向ける。
ただの子供には見えない。
龍炎のいう通り、大王への態度も普通ではない。
「信だ」
昌文君が答える。
「元は下僕の身だが、……大王に向けられた暗殺者を倒せる程の実力は持っている」
信が鼻で笑う。
「へっ、説明雑すぎだろ」
「でも暗殺者を撃退できるなら、只者ではないですね」
「へへ!」
だが、すぐに真顔に戻る。
「それより、本当にあんた秦兵なんだな。女だけどよ」
彼の質問はもっともだ。興味津々といった様子。
「うん、そうだよ」
「貴様、藍様を侮辱するのか」
「んなことしねぇよ。ただ、すげぇなって思っただけだ」
「当然だろう。藍様はこの若さで三百人将なのだからな」
「三百人将? なぁ、壁の兄ちゃん、それってすごいのか?」
「当たり前だ。三百人を率いる隊長格だ。この若さ、さらに女の身でというのは偉業だ」
「す、すげぇ……」
「女……」
「ん? どうした、貂」
「な、なんでもない」
――そして。
信が前を見据えた。
「そんな奴がいるんなら、百人力じゃねぇか!」
その目には、確かな意思が宿っている。
「八万だろうが関係ねぇ」
龍炎が呆れたように笑う。
「簡単に言ってくれる……」
だが、その一言で空気がわずかに軽くなる。
「信くん。君の言いたいことは分かるよ。戦は数だけじゃない」
それは、風藍が戦で実際に経験したからこそ分かる。
けれど、この差は。
そう言いかけて、風藍は言葉を止めた。
「……いや、待って」
そんなことは、ここにいる人たちも分かってる。
それでも動こうとしているということは……。
「この戦の本質は、数ではない」
昌文君が再び口を開く。
「やっぱり、何か策があるんですね」
「風藍様?」
風藍は続ける。
「この戦力差で正面から戦っても勝てない。でも、大王様が言っていた“悪くない数字”。それが鍵になるはず……なんじゃないかな」
全員の視線が集まる。
昌文君が小さく笑った。
「驚いたぞ。さすがは風羅の孫と言ったところか」
「それは俺が話そう」
「大王……」
嬴政が口を開く。
「王弟・成蟜は、王都である咸陽を掌握している」
一瞬、言葉を切る。
「しかし、その背後には――」
空気が張り詰める。
「秦国右丞相、呂不韋がいる」
風藍の目がわずかに細まる。
――黒幕。
これは、ただの反乱ではない。
国そのものを奪う動きだ。
「だからこそ」
嬴政は続ける。
「この三千は、渡りに船だ」
視線が山の民へ向く。
先頭を進む王――楊端和。
「山の民が咸陽へ盟を結びに来たと思わせて奇襲をかける。それが唯一の勝ち筋だ」
風藍は静かに頷く。
正面では勝てない。
ならば、できることは一つ。
「内側から崩すしかない」
小さな呟き。
龍炎が笑う。
「それならば、得意分野ですね、風藍様」
風藍もわずかに笑みを返した。
「うん。私たち独立遊軍にとっては、打ってつけの作戦だ」
その時だった。
前方で動きが止まる。
「……着いたか」
昌文君が呟く。
視線の先。
朝焼けの中に、巨大な城壁が浮かび上がる。
咸陽。秦の王都だ。
その門は静かに、だが確かに開いていた。
「……入るぞ」
そう誰かが呟く。
一行はそのまま進む。堂々と。
山の民の装いで紛れ込みながら“想定外の侵入”。それも、誰にも止められることなく。
「……これが、王都」
風藍は見上げる。
巨大な城。
その奥にいるのは、王を名乗る者。
そして、王の座を奪おうとする者。
風が、わずかに吹いた。
ここからだ。
風藍は手綱を握り直す。
微かに吹いた追い風。
それは、この王都で嵐となる。