石造りの回廊。
細く、長い通路。
両脇を高い壁に挟まれ、逃げ場はない。
「ここが……本殿へと続く道」
風藍が呟く。
幼少期、一度だけ祖父である風羅に咸陽へ連れられてきたことのある風藍。
しかし、こんな抜け穴があることなど全く知らなかった。
そう思ったその先で――
「藍様……」
「うん、
異様な気配が立っていた。
「……来たか」
低く、重い声。
その場にいた全員の足が止まる。
回廊の奥。
そこには二十近くの兵がいた。
「あの人は……」
そのさらに奥、道が続く階段の上に腰掛ける一人の男。
長身で無駄のない体躯。そして携えられた剣。
「……左慈」
「壁さん、知ってるんですか?」
「ああ、肆氏の側近の一人だ」
肆氏……。竭丞相傘下の家臣と言われていたあの人か。
「お前らが……王に仇名す連中か」
ギリ、と刃を握る音が響く。
「王って……。この国の王様は嬴政様だよ」
「関係ない。ここから先は通さん」
空気が変わる。
ピリッ、と肌が裂けるような殺気。
(この人……強い)
風藍の背筋に冷たいものが走る。
「あいつ、他の奴らと違ぇな」
信が睨む。
壁がそれに低く答えた。
「当然だ。左慈は肆氏の片腕にして上級武官。竭氏傘下の歴とした将軍だ」
その一言で、空気がさらに重くなる。
「へぇ……。将軍、ね」
信が口角を上げる。
「信くん。この人は今までの刺客とかとは違うよ」
それと同時に、風藍も弓を構える。
「風藍」
「え?」
私を呼び止めたのは信くんだった。
「こいつには手を出さないでくれねぇか」
「なっ!?」
信の一言に、龍炎が割って入る。
名門の出自であり、主君でもある風藍。それに対して口を出したのは下僕の信。彼の態度に龍炎は黙ってはいられない。
「おい、信。藍様に向かって……」
「龍炎、いいよ」
「しかし!」
「大丈夫。信くんは十分戦力になるよ」
「ですが、あの敵を相手に一人でなど。状況が分かっているのやら」
確かに、時間との勝負というのは確かだ。
「……分かった」
風藍は前に出る信の方に手を置く。
「信くん。私たちは手を出さない。けれど、それは最初だけ。危ないと判断したら加勢するからね」
「ああ、十分だ」
聞き入れた彼は、一歩前へ。
「まさか将軍と戦えるとはな。思っても見なかったぜ!!」
一気に踏み込む。
ドンッ!!
石床が軋む。
「うおおおおおおおっ!!」
信の斬撃が唸る。
ギィン!!
「!」
だが――
受け止められた。
信の斬撃が左慈に届くことはなかった。
「なっ……!?」
左慈は、一歩も動かない。
ただ、剣を合わせただけ。
それだけで信の一撃を完全に受け止めていた。
「……軽い」
ボソリと呟く。ゾッ、とする一言。
「らあっ!」
信は立て続けに剣を振る。
早く、鋭い。
「ちっ!」
しかし、剣は当たらない。
「あれは本物だね……」
まさに門番。
「これだけの武将を、こんな場所に配置していたなんて」
「……私が行きますか」
「ううん、もう少しだけ様子を見よう。今は攻めて来ないけど、他の兵たちの動きにも気をつけたいし」
「はい!」
信と左慈の攻防に、敵味方全員の目が集まる。
「もしもの時は、私も左慈を狙う」
風藍の弓を持つ手に力が籠る。
次の瞬間。
ブンッ!!
「ぐあっ!!」
鍔迫り合いの末、信の体が吹き飛び壁に叩きつけられる。
「信!!」
貂が叫ぶ。
「くそっ……!」
信が立ち上がる。
だがその顔に、初めて焦りが浮かぶ。
腕が痺れているみたいだ。
信が決して弱いというわけではない。
あの若さで桁外れの剣術。将来が期待できる素質の持ち主であることは確かだ。
だが、次元が違う。
そう周囲の目には映る。
「雑兵は下がれ」
左慈が言う。
「誰が雑兵だ!」
しかしそれは、信に向けられたものではない。
「目障りだ」
「がっ!?」
その一言で、近くにいた山の民が斬られた。
一歩踏み込んだだけ。それだけで、首が飛ぶ。
「なっ……!速すぎる……!」
回廊という地形。
逃げ場はない。そんな空間に壁の驚きの声が響く。
左慈の目には、すでに信の存在はない。
風藍は弓を握りしめて、矢を抜く。
「ざけんな! 今の相手は俺だろうが!」
その光景を見た信が飛び出して左慈へと斬りかかった。
「信くん止まって!」
風藍が叫ぶ。
「!」
突然の声に、信の足が一瞬止まる。
瞬間、信の目の前を左慈の剣先が縦方向に一線。しかしそれは、信に当たることはなかった。
警戒し、信は左慈との距離を保つ為に飛び下がる。
「あ、あぶねぇ」
風藍が止めなければ、今頃信は真っ二つになっていたかもしれない。
「……ほう、俺の剣が見えるものがいるとはな」
左慈の視線が風藍へ向く。
「次はお前か」
同時に弓を構える。
「龍炎、周囲に警戒よろしくね」
龍炎は風藍の指示に、静かに頷く。
この狭い回廊。来ると分かっている矢を弾くことなんて、この剣士には造作もない。
正直、私の方が不利だ。
だけど、こんな場所でも、風が……流れてる。
回廊は閉じた空間。
だが、わずかな気流はある。
大きな変化は期待できないけど“柔の矢”も使えそうだ。
この男に、私の弓術が通用するかどうか……。
「来い」
放つ。
ヒュンッ!!
矢は一直線に、左慈目掛けて飛ぶ。
左慈は見切り、剣を振り下ろす。
だが、
「……!」
弾かれたかに見られた矢は、左慈の剣先を避けるように曲がる。
左慈がギリギリのところで、わずかに反応。
ズシャッ!!
急な矢の進路変更に、左慈は避けきれず左肩を射抜かれる。
「今のは……」
視線が風藍へ向く。
「ただの弓ではないな。いや、おかしいのは矢の方か?」
冷たい目。
「驚いた。そっちこそ、よく初見で避けれたね」
一撃で終わらせる為に、心臓を狙ったのに。
次の矢を背から抜こうとした時。
「遅い」
消えた。
「っ!?」
次の瞬間、目の前。
「藍様!!」
龍炎が割り込む。
ギィン!!
火花が散る。
龍炎の槍が、左慈の剣を捉えた。
「退がってください!」
「……邪魔だ」
ドンッ!!
「くっ!」
龍炎が腹を蹴られ弾き飛ばされる。
「龍炎!!」
風藍が歯を食いしばる。
(速い……強い……!)
あの龍炎の槍術に反応できるなんて。
その瞬間。
「どけぇぇぇぇ!!」
信が突っ込んで、再び斬りかかる。
ガンッ!!
不意打ちかに見られた剣もまた止められる。
「おい! 信!」
「うるせぇ! こいつは俺が……」
「左慈様を守れ!」
龍炎の登場に合わせて、今まで見ていただけの左慈直下の兵達が主人の危機に襲いかかる。
しかし――
「……今だ」
風藍が呟く。
ヒュンッ!!
飛行する矢。
今度は低く。しかも、床すれすれ。
“死角“
風藍の狙いは、戦場ではないこの距離で敵の目から逃れられる道筋。
敵兵の足元を抜けて、目標に突き進む。
ドスッ!!
「っ……!」
左慈の足にかすめる。
「これも避けるなんて。今度こそ、完全に当てるつもりだったのに」
確実な被弾。それが狙いだった風藍の矢。
しかし、足の速さが武器の左慈が足を狙われることは初めてではなかった。
「余所見してんじゃねぇ!!」
一瞬の隙をつき、敵を切り抜けた信が踏み込む。
ズバァッ!!
「!?」
浅いが、斬る。
「……ほう」
左慈が、ほんの僅かに笑う。
「連携、か」
空気が変わる。
一対一で始まった信と左慈の戦い。
いつの間にか、その攻防の中に風藍が割って入る。
「面白い」
ゾッ――
殺気が膨れ上がる。
「ならば――」
構え直す。
「二人まとめて斬るだけだ」
ドンッ!!
踏み込み。
回廊の空気が震える。
「来るぞ!!」
壁が叫ぶ。
「信! 風藍! 連携を崩すな!!」
「おう!!」
「はい!!」
「…………どうして何もしてない壁が指示出してるんだ?」
「そ、そんなことはないだろう貂」
狭い回廊。
最強の門番。対するは――
荒削りの怪物と、風を操る少女。
そして戦いは、さらに激しさを増していく。