血の匂いが、まだ残っている。
回廊には倒れた山の民たち。
ここへ辿り着くまでに、どれだけの犠牲があったのかを物語っていた。
「…………」
風藍は唇を噛む。
「コイツラハヨクヤッテクレタ」
バジオウが静かに言った。
「はい……」
彼の大きな手が、そっと風藍の肩へ置かれる。
止まっている暇はない。
そう言いたいのだろう。
だが。
仲間を見捨てるように先へ進まなければならない現実に、誰もが怒りを抱えていた。
「……っ」
その中で、信の拳が震える。
「信くん……」
風藍が呼びかけた瞬間――
ドッ!!
信が走り出した。
「信くん!」
「おい信!!」
慌てて全員が追う。
その先にあったのは、巨大な扉。
ここまでの回廊とは明らかに違う。
王宮の中心。
「もしかして、あれが……!」
次の瞬間。
ドゴォン!!
信が扉を蹴破った。
バキィィン!!
重厚な扉が吹き飛ぶ。
そのまま信を先頭に、一行は大広間へ雪崩れ込んだ。
「おおおおおおおおッ!!!」
怒号が響く。
先頭を走る信。
その背に宿るのは、怒りと殺意。
「藍様」
「うん、着いたね」
風藍は静かに前を見る。
玉座。
その先に――。
「……来たか、下民ども」
王弟・成蟜が座っていた。
豪奢な玉座に腰掛け、冷たい目でこちらを見下ろしている。
「成蟜様」
風藍が一歩前へ出た。
「もう逃げ場はありません。玉座を嬴政様へお返しください」
「出ていけ」
成蟜は吐き捨てる。
「貴様らのような虫けらが、我が宮を踏むこと自体が不快だ」
その言葉に、信の肩が震えた。
「……てめぇが」
剣を握る。
「やったんだな……!」
歯を食いしばる。
「仲間を……漂を――!」
漂。
信にとって兄弟同然だった存在。
同じ夢を追いかけ。
同じ飯を食い。
天下の大将軍になることを誓い合った相棒。
その漂は、嬴政の影武者として命を落とした。
信にとって、この男は。
絶対に許せない敵だ。
だが。
「だからどうした?」
成蟜は鼻で笑う。
「価値のない命が何匹死のうと、何の問題がある」
――その一言。
空気が凍った。
「てめぇ……ぶっ殺す」
低い声。
次の瞬間――
ドンッ!!
信が地を蹴った。
一直線に玉座へ向かう。
「おおおおおおおおッ!!」
ゾクリ――。
風藍の背筋に嫌な感覚が走る。
「信くん、待って!!」
「うるせぇ!!」
成蟜は動かない。
焦りもない。余裕すらある。
(おかしい……)
少数とはいえ、こちらは精鋭。
それなのに、あの余裕は――。
その時。
ギシッ……
天井から音がした。
「なに? 今の音……っ!?」
風藍が顔を上げる。
次の瞬間――
ドゴォォォォン!!!
巨大な影が落下した。
床が砕け、粉塵が舞い上がる。
そして。
「ゴォオオオオオオオッ!!!」
咆哮。
現れたのは、人とは思えない怪物だった。
「な、なんだよ……こいつ……!」
信が目を見開く。
常人の倍以上ある巨体。
筋肉の塊。
獣のような異形。
「ランカイだ」
成蟜が笑った。
「我を守護する獣よ」
「ランカイ。そやつらを殺せ」
「ゴォオオオオッ!!」
命令と同時に、怪物が動いた。
ドゴォン!!
床を砕きながら突進。
「龍炎!! 皆さんも避けて!!」
風藍の声で全員が散開する。
しかし――
ブンッ!!
ランカイの腕が薙いだ。
「ぐあっ!!」
一人が吹き飛ばされる。
「くそっ!!」
信が飛び込む。
「おおおおおッ!!」
ズガンッ!!
剣を叩き込む。
しかし。
「硬ぇ!?」
刃が弾かれた。
まるで岩だ。
「ゴォッ!!」
拳が振り下ろされる。
ドゴォン!!
床が陥没した。
「チッ……!」
「正面からじゃ削れないよ!」
風藍が叫ぶ。
「じゃあどうすんだよ!」
「ここは私たちに任せて」
風藍は隣を見る。
「龍炎!」
「は!」
龍炎が前へ出た。
槍を構える。
「時間を作ります!!」
「お願い!」
次の瞬間。
龍炎が真正面から踏み込んだ。
ランカイの腕を紙一重で躱し、その懐へ潜り込む。
「はぁッ!!」
ガンッ!!
槍が膝を打つ。
「ギィッ!?」
ランカイの体勢が僅かに崩れた。
「効いてる!?」
壁と河了貂が驚く。
龍炎は止まらない。着地と同時に再び踏み込み。
ガガガンッ!!
脚部へ連撃。
「ぐうぅぅ……!」
ランカイが嫌がるように腕を振る。
だが龍炎は冷静だった。
避ける。
潜る。
突く。
完全にランカイの注意を引きつけていた。
「すげぇ……!」
信が叫ぶ。
「龍炎の兄ちゃん、完全に引きつけてやがる!」
だが。
風藍は冷静に見ていた。
(このままだと、倒しきれない……)
龍炎の槍は通る。
しかし致命傷には届かない。
問題は、あの異常な硬さ。
けれど――。
(戦えない相手じゃない)
動きは単調。
予備動作も大きい。
なら、攻略できる。
その瞬間。
「ゴォッ!!」
ランカイが体当たりを仕掛けた。
龍炎がギリギリで回避する。
そこへ――
「今だろォ!!」
信が飛び込んだ。
「うおおおおおッ!!」
ズガンッ!!
横腹へ剣を叩き込む。
「ギィッ!!」
ランカイが揺れる。
だが浅い。
「くそっ、足りねぇ!」
しかし十分だった。
ランカイの視線が信へ向く。
その一瞬。
「風藍!!」
「うん!」
既に弓は引いていた。
(龍炎が時間を作って)
(信くんが崩した)
(なら私は――)
「通す!!」
ヒュンッ!!
矢が一直線に飛ぶ。
そして――
ズブッ!!
「ギィィィィッ!!?」
片目に突き刺さった。
絶叫。
暴れる巨体。
「効いたぞ!!」
風藍は確信する。
どれだけ硬くても、生き物である以上急所はある。
「まだだァ!!」
信が再び跳ぶ。
しかし――
ドゴォン!!
振り払われ、壁へ叩きつけられた。
「信くん!!」
血を流しながら、それでも信は立つ。
「ニッ……」
笑った。
「こいよ……!」
その姿に、風藍は頷く。
(この人は絶対に折れない)
「龍炎!」
「は!」
「もう一度、止めて!!」
「承知!!」
龍炎が踏み込む。
真正面から。
「ここで止めます!!」
ズドンッ!!
槍が喉元へ突き刺さる。
「ギィィッ!!」
仰け反るランカイ。
その瞬間――
「信くん!!」
「任せろォ!!」
信が跳んだ。
剣を両手で握り、全力で振り下ろす。
ズドォォンッ!!
「ぐおおおおおおおおッ!!」
巨体が揺れる。
そして、膝をついた。
大広間が震える。
「ぐ……うぅ……」
ランカイはもう立ち上がれない。
成蟜が叫ぶ。
「立て! ランカイ! 立たんか馬鹿猿!!」
だが。
信が前へ出る。
「今さら脅しが効くかよ」
風藍も静かに弓を下ろした。
「終わりです。成蟜様」
静寂。
「ば、馬鹿な……」
成蟜の顔が歪む。
ランカイが倒れた。
それはつまり、最後の切り札が消えたということ。
風藍の隣で龍炎が息を吐く。
「藍様。やりましたね」
「うん」
そして。
信が玉座へ向かって歩き出した。
「次は――」
剣を向ける。
「てめぇだ」
空気が張り詰める。
追い詰められた王弟・成蟜。
戦いはついに、決着へ向かおうとしていた。