戦場はすでに静まり返っていた。
「歓声が止んだようだな」
「僅かな兵によるこの速さでの鎮圧。さすがとしか言いようがないな」
風羅兵と龍の一族が虎の部族を打ち破り、勝敗は完全に決していた。
だが――
「……あの人たち」
「お嬢様?」
風藍は遠くを見つめていた。
「まさか……」
荒野の向こう。戦場から離れていく数人の影。
あれは、明らかにおじいさまの兵じゃない。
「あの人たち、逃げています」
「なに!?」
風藍の言葉に、護衛兵たちが振り向く。
「おい、見えるか?」
「いや、けど確かに砂煙は見える」
「早いな。馬で逃げているのか」
「風藍様。どうしますか?」
そう聞いたのは、風羅の兵ではなく龍の一族族長の嫡男、龍炎だ。
その問いに、風藍は少しだけ考えた。
「おい、なぜお嬢様様に……」
ほんの一瞬のこと。
だが、その目は真剣だった。
「……できれば、捕らえてください」
静かな命令だった。
「嫌な感じがします。あの人たちを逃がしてはいけません」
「はっ!」
龍炎が馬を震え立たせる。
「洹治殿。この場を頼みます」
「おい! まて、龍族の!」
洹治の静止を聞かずして、龍炎はあっという間に荒野を駆ける。
「……まったく、おい。お前たち、支援してやれ」
「「は!」」
護衛の騎兵が五人。一斉に馬を走らせる。
軍の中でも足の速い騎馬隊だ。土煙を上げて追撃が始まった。
洹治は驚いた表情で風藍を見る。
「それにしても、風藍様……」
「逃げる人がいるなら、理由があるはずです」
風藍は真っ直ぐ前を見ていた。
「すみません、洹治様……。しかし、ただの敗残兵なら、戦場に残るはずです」
「…………」
「でも、あの人たちは逃げました」
その意味を、風藍は理解していた。
「何かを隠しているかもしれません」
洹治は思わず息を飲む。
――この方は。
まだ子供なのに。
戦の空気を、理解している。
しばらくして、追撃に出た騎兵が戻ってきた。
「龍炎! みなさん!」
馬の後ろには――
縄で縛られた男が三人。
「風藍様! 捕えました!」
「しかも、本当に敵でした」
「ご苦労様です」
捕まった男たちは怯えていた。
一人が叫ぶ。
「や、やめろ! 俺たちはもう戦うつもりはない!」
「ただ逃げただけだ!」
「やはりそうですか」
風藍はゆっくり近づいた。
そして、しゃがみ込む。
「お嬢様!」
「ちゃんと縛られています。大丈夫です」
目線を合わせた。
「聞きたいことがあります」
静かな声だった。
「逃げていたのは分かりました。ですが、どうして逃げたのですか?」
男は黙る。
「っ! ……」
もう一度聞く。
「どうしてですか?」
男は歯を食いしばった。
「い、言えねえ」
「何故です?」
「言ったら……」
その時だった。
龍炎に肩を掴まれて引っ張られた。
「きゃっ!」
ドスッ。
突然、矢が飛んできた。
「なっ!」
それが男の胸に突き刺さる。
「がっ……!」
男はそのまま倒れた。
「敵襲!?」
「風藍様を守れ!」
護衛兵たちが叫び周囲を警戒する。
しかし、矢が飛んで来た方向に人影はもうすでにない。
「龍炎、これは……」
龍炎が歯を食いしばる。
「口封じですね……」
風藍は倒れた男を見つめた。
そして、静かに言う。
「やっぱり」
残る二人の男の顔が青ざめている。
「風藍様……」
風藍は立ち上がった。
「話してくれれば、命は助けます」
「本当ですか……」
男が震えながら言う。
「約束します」
風藍ははっきり言った。
「風の部族の名で」
その声に、男はついに口を開いた。
「虎の部族は……」
「ある男にそそのかされたんだ」
「男?」
「ああ、鎧を着た男だ」
龍炎が眉をひそめる。
「鎧……?」
男は続ける。
「そいつが言ったんだ」
『龍の一族の土地を取れ』
『そうすれば、さらに金と領地を与える』
風藍の表情が少しだけ変わる。
「その男は誰ですか?」
男は首を振った。
「名前は知らない。仮面で顔を隠していた。でも……」
男は震える声で言った。
「そいつの従えていた部下は、その男を将軍と呼んでいた」
「「!!」」
その場の空気が凍る。
龍炎が低く呟く。
「秦の……将軍だと?」
風藍は黙っていた。
小さな手を握りしめている。
「いや、秦軍とは限らないだろ……」
「いえ」
風藍が割って入る。
「この秦国の中枢圏に現れたという事は、秦の将軍とも十分に考えられます」
「そ、そんな……」
「では、やはりそいつが俺たちの里を」
――秦の将軍。
つまり。
これはもう、ただの部族争いではない。
秦国の将軍が今回の事に関わっている。
それだけで、一気に事の重大性が高まった。
考えているよりも、もっと大きな何かが動いている。
その時だった。
「あ! 殿がお戻りに!」
遠くから馬の音が響く。
風羅たちが戻ってきた。
「む。どうした?」
風羅が近づいてくる。
「と、殿。それが……」
洹治が状況を説明した。
話を聞いた風羅は、しばらく黙っていた。
そして笑った。
「秦の将軍か。……ふっ、面白い」
「おじい様?」
「殿! 笑っている場合では……」
「どうやら、やはりこの戦いは」
風羅は遠くの地平線を見る。
「ただの部族争いではないらしい」
風羅の考えは風藍と同じものだった。
「おじいさまも、何か思い当たるところが?」
「ああ」
どうやら、風羅の方にも収穫があったらしい。
そして風藍を見る。
「よく捕えたな。藍」
風藍は少しだけ嬉しそうに笑った。
「いいえ。龍炎やみなさんのおかげです」
「ふっ、そうか」
その目には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
戦場を見た者の目だった。
風羅は言う。
「龍の一族の件、儂が預かる。風藍は気にするな」
「……おじいさま」
「だが――」
風羅は意味深に続ける。
「この件、秦の中でも動くぞ」
風藍は静かにうなずいた。
その胸の奥で。
まだ見ぬ戦場への想いが、少しずつ膨らんでいた。
虎の部族敗北の報告がその男の耳に入ったのは、それから数日してからのことだった。
一人の部下が言う。
「将軍、虎の部族は壊滅しました」
男は静かに聞く。
「……原因は」
「想像以上の龍族の抵抗と、援軍によってです」
「武具を与えたというのに、使えん奴らだ。それで、その援軍というのは」
「風の部族です。その兵たちを率い血いたのは、族長である風羅」
「……そうか。あの老将か」
そして部下が続ける。
「それと」
「なんだ。まだあるのか」
「その場には、風羅の孫娘もいたそうです」
男の目が細くなる。
「孫娘?」
「名は確か……。風藍」
少し沈黙。
男は小さく笑う。
「ふふ、面白い」
「あの老将の孫娘か」
「どうしますか、将軍……」
「いや、今はいい。いずれ会うことになるだろうからな」
男は、不敵な笑みを浮かべた。
「とにかく、あの方に報告だ」
「は!」