ある日、エルフの世界に迷い込んだら 作:1669syakusyain
3月17日
私は月を見ている。春の夜風はまだ肌寒い。
あの日から1週間が経ち、身体はすっかり元気になった。今日、長らくお世話になった病院を退院し、国に用意された家に引っ越した。
とは言えども、家はその病院の隣に用意されていた。首都圏に移動となることもなく、住み慣れたこの街に残れるのは何より嬉しい。加えて駅の近くだと言うのだからこれ以上ない条件だった。
用意された家は、平屋の戸建てだった。まさしく「和」といった佇まいで、平安貴族でも住んでいそうだ。横幅はそれほど広くないが、奥へとすっと伸びる造りで、無駄のない静かな存在感がある。外壁は木を基調としており、落ち着いた色合いが駅近のスタイリッシュな雰囲気から逸脱していて異質だった。
庶民感覚としてはとんでもない豪邸だ。
玄関に入ると左側にキッチンがあり奥にリビングがある。私が家に入る前にすでに家具が用意されていて、キッチンには冷蔵庫や電子レンジ、炊飯器などが並べて置いてある。コンロはIHだった。
見当たらなかったので確認すると、備え付けの食洗機もあったのが地味に嬉しい。無くても良いものと思われがちだが、食洗機が有るか無いかで雲泥の差であることは4年間の大学生活で嫌という程知っていたのだ。
リビングの奥に進む襖を開けると、寝室とその奥に縁側と白砂で整えられた静かな庭があった。寝室は畳で出来ていて、左にはなんとも高そうな壺が置いてある。
庭は竹垣で囲まれた小さな空間だ。余計なものはほとんどなく、砂の上にいくつかの石と低い植え込みが配置されているだけだ。それなのに、不思議と物足りなさはない。むしろ、このくらいがちょうどいいと思える。
いっそのことこのまま住んでしまいたいと思うほどだ。
今、私は縁側から夜空に浮かぶ月を見上げている。というのもこの場所から見る月は格別でいくら見ても飽きないのだ。
駅の奥側には繁華街があり、それもあってかこの辺りは夜でも眩しいほどに明るい。しかし竹垣と我が家で区切られたこの場所だけは月の明かりのみが照らしている。
一人で月を見上げていると、病院生活が名残惜しく感じる。
担当医のハーツ、入院中遊んでくれた子どもたちには随分と元気をもらった。退院の話をすると彼女らは泣きながら引き止めてくれたが、いつまでも患者でいる訳にもいかないため、できるだけ早めに退院した。
彼女らと話したおかげでエルフの言葉も分かるようになり、現在では日常会話なら卒なくこなすことができる。本当に楽しい時間だった。
しかし、楽しい中でもどうしても残してきた家族や友人達を思い出す。彼らは今どのように過ごしているだろうか。元気にやっているだろうか。
夜空に浮かぶ月を見ながら1つ百人一首の歌を思い出した。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に出でし月かも」
阿倍仲麿(あべのなかまろ)は19歳の時に遣唐使として唐に行き、その才能から時の皇帝に気に入られ高位の役人になり、30年帰国できなかった。この歌は30年後帰国を許された時の歌だ。
望郷の思いを募らせた阿部仲麿が目の前の夜空に浮かぶ月と故郷の月を重ね合わせて読んだ歌だ。
しかし、彼は日本に帰ることは叶わなかった。この歌を詠んだ後に帰国のための船が難破した。以降、約20年を中国で過ごし、その生涯を終えた。私は彼を自分と重ね合わせて月を見上げていた。
私の家族は私と同じ月を見ているのだろうか。
私の友人は私と同じ月を見ているのだろうか。
冷蔵庫から取り出しておいたペットボトルを一気に飲み切る。
ここでの生活はとても楽しい。しかし、楽しいはずなのに胸の奥が痛んだ。きっと私は私の世界に帰るべきだ。
その時にもしもここでエルフ達と仲良くなりすぎてしまったら、きっとまた月を見上げながら同じ寂しさを感じるだろう。だから私はいつまでも患者のままではいられなかったのだ。
帰るための手がかりの中で一つだけ確かなことがある。それは私たち人間の世界へと来ていたあのエルフだ。ハーツに聞くと、倒れていたのは私だけらしく、そのエルフはいなかったらしい。彼女と会い、彼女を知ることは必ず私の助けになるはずだ。
しかし見つかるかわからないものを探し続けるよりも今できることをするべきだろう。
明日から出会うエルフ達とその会話から私は彼らを知る必要がある。
今日は3月17日、今日を除くと4月1日までちょうど2週間だ。