8000歳の『豚の帽子亭』のマスター 作:三日坊主の三太郎
翌日。
彩葉は、重い足を引きずって、どうにかこうにか、『豚の帽子亭』に足を運んでいた。足が重い理由?そんなのあのスケベマスターのせいに決まっている。
面接であんなセクハラ紛いな事をされたら、初日からバックれても世界は彩葉を味方すると思うが、彩葉のなまじ真面目な性格がそれを許さなかった。
そのまま歩いて行くと、『豚の帽子亭』の前に着いた。いつ見ても、周りの建物と比べて浮いている。
「はぁ…よし!」
数秒、もしくは数分あるいは数時間かもれない。まぁとにかく長い間扉の前で立ち止まる。一度息を整え、気合を入れて扉に手をかける。さぁいざ!となったとき。
「よ!扉の前でそんな立ち止まってどうしたんだ?」
中にいると思っていたメリオダスが、外で座っていた。思わぬタイミングで話しかけられたことにより、彩葉は折角整えた心がまた乱れてしまった。
「そんなところで何してるんですか!」
「見てわかんねぇか?サンマ焼いてんだよ。美味いぞ?食うか?」
そう言って、メリオダスは彩葉に七輪で焼いているサンマを向けた。丁度良い焼き加減で、食欲を唆る。七輪で焼いているということもあって、いい匂いが彩葉の鼻孔をつく。
彩葉は、色々突っ込みたいことがあったが、サンマの魅力に負け、言いたいことに蓋をした。
「……いただきます」
メリオダスから受け取ったサンマに齧りつく。
「どうだ?美味いだろ?」
ニヤニヤしながら、メリオダスが彩葉の顔を覗き見る。ちなみにだが、このセクハラマスターの料理はクソまずいで評判だ。食って吐かなかった奴が英雄扱いされるぐらいクソまずいで評判だ。一応マスターも、激マズとは言わないまでも、自分の料理はどうかと思っている。そんな料理と言ってはいけない最早劇物を食べた彩葉の反応は、想像に難くないだろう。
彼女の事を気遣い、オブラートに包んで言わせてもらうと、彩葉の乙女が大量に放出された。
〆
「ひどい目に遭った……」
乙女放出から復帰した彩葉が、口を拭いながらそう言葉をこぼす。流石のマスターも、放出した状態の彩葉を放置するわけがなく、掃除してやったり、水を用意したり、彩葉の介抱をしていた。当たり前の事だから自惚れるなよマスター。
「おっ?なんだ結構平気そうだな」
「平気なわけあるかぁ!!大体!どうしたらサンマを焼くだけであんな味になるんですか!」
申し訳なさを一つも感じさせないメリオダスに彩葉の怒りが爆発する。誰だって、乙女放出の原因が悪びれもなく接して来たらキレる。釈迦だったらキレないかも。
「う〜ん…ちょっと焼きすぎちまったかな?」
「あれは焦げとかの次元じゃないですよ……!」
彩葉がそう嘆くがメリオダスは、飄々とそれを聞き流し、彩葉を一人外に残して店の中に入って行く。
彩葉は呆然とした表情でその後ろ姿を見送る。この男は何なのだろう。乙女を解放させたくせに謝罪の一言もない。いやむしろ楽しんでいるようにも見える。
「ちょ、待ってくださいよ!」
自分が、置いていかれたということに気付いて、慌てて彩葉は店の中に続く。
彩葉が店に足を踏み入れた瞬間、視界が布で覆われる。
「なんですかこれ!?」
「お前の制服だ。俺の自信作だから大切に使えよ?」
制服を手に取り、広げてみると、圧倒的露出度のど変態マスターの性癖が前面に推し出た、『豚の帽子亭』の制服が姿を表した。
こんなものを着る奴はまともな精神状態をしていないと、断言できる。
「こんな痴女みたいなの着れないです!もっと別なのないんですか!?マスターが着ているやつみたいなの!」
「え〜それ結構好評なんだぞ?一回だけでいいから」
「……」
彩葉に葛藤が起きる。この制服を着るのはごめんだが、元々労働条件には、制服ありと書かれていた。流石にそれで嫌だからと着ないのは、自分が許せない。しかも、マスターはすでに一回でいいと譲歩してくれている。
「……本当に……一回だけですからね…」
「チョロ葉…」
「聞こえてますからね!?」
〆
「似合ってるぞ」
「嬉しくないです…そんなこと言われても…」
彩葉が制服の超短いスカートを手で下にやりながら、恥ずかしそうにそう言った。一方で、変態はカメラを手に、恥ずかしそうにしている彩葉の姿をパシャパシャと撮っていた。
通常時の彩葉なら、撮影をやめさせていたが、今は動いてしまったらパンツが見えそうなので、動けずにいる。
「もう脱いでもいいですよね!」
「え〜?」
「え〜?じゃない!脱ぎますからね!」
彩葉は半ばやけくそ気味に更衣室へと駆け込んだ。いや、駆け込もうとした。だが。
「待て待て待て」
後ろからメリオダスの静止の声が飛ぶ。
「まだ仕事始まってねぇぞ?」
「まさか、この格好で働けって言うんですか!?」
「当たり前だろ。制服だからな」
「労基に訴えますよ!?」
彩葉の魂の叫びが店内に響く。しかし店内には客が一人もおらず、マスターと彩葉の二人っきり。つまり証人ゼロ。完全敗北である。
「安心しろ。今日は客来ねぇから」
「じゃあ脱いでいいじゃないですか!」
「いんやダメだ。慣れが大事だ」
何に慣れろというのか。理解したくもない理屈を堂々と言い放つマスターに、彩葉は本気で頭痛を覚えた。
「……辞めたい」
「初日でそれ言う奴初めて見たな」
にししと笑いながらカウンターの向こうへ戻るメリオダス。その背中を睨みつけながら、彩葉は観念したようにため息をついた。
「……で、何すればいいんですか」
「お、やる気出てきたな」
「帰るために早く終わらせたいだけです」
即答だった。
「じゃあまず掃除だな。店の基本は掃除だ」
「それはまともなんですね…」
渡された雑巾を手に、彩葉は店内を見回す。
改めて見ると、『豚の帽子亭』の中は外観以上に奇妙だった。酒場なのに妙に生活感があり、かと思えばどこか戦場帰りの倉庫みたいな雑多さもある。統一感があるのか無いのか分からない空間だ。
「……ほんと変な店」
ぼそっと呟きながらテーブルを拭き始める。
キュッ、キュッ、と布が木目をなぞる音だけが店内に響く。
さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静かだった。
「……」
ふと、彩葉は気付く。
カウンターの向こうで、メリオダスが珍しく何もせずこちらを見ていた。初めてあったときのような全身を舐め回すように見る見方ではなくて、何か重要なことを探るような。
「……なんですか」
「もう少し小さくても良かったな……制服」
「よし今すぐ辞めます」
雑巾を握ったまま踵を返そうとする彩葉。しかしその肩を、メリオダスがひょいと軽く掴む。
「冗談冗談。半分くらいな」
「半分でもアウトです!!」
彩葉の全力ツッコミが店内に響く。だがメリオダスは気にした様子もなく、カウンターに肘をついて頬杖をついた。
「しかしまぁ、意外だな」
「何がですか」
テーブルを拭く手を止めずに問い返す。
「逃げねぇんだなって思ってよ。昨日のアレで普通来ねぇぞ」
アレ、とは間違いなくサンマ事件と制服事件をまとめた総称だろう。むしろそれ以外に該当する事件が多すぎて特定できない可能性すらある。
「……仕事ですから」
少しだけ間を置いて、彩葉は答える。
「途中で投げるの、好きじゃないんです」
雑巾を絞る音が、小さく鳴った。
「へぇ」
メリオダスは短く相槌を打つだけだったが、その声色は少しだけ柔らかかった。
「まぁいいや。じゃ次な」
「まだあるんですか!?」
「酒場だぞ?掃除だけで終わるわけねぇだろ」
そう言って、カウンターの下から木箱を取り出す。
「グラス磨き。割るなよ?高いから」
「先にプレッシャーかけないでください!」
恐る恐るグラスを受け取る彩葉。薄く透き通るガラスは、いかにも高級そうで手が震える。
「……絶対弁償とか言いますよねこの人」
「当然」
「やっぱり!!」
ぶつぶつ言いながらも、慎重に布で磨き始める。光を受けて、グラスがきらりと輝く。その様子を、メリオダスは黙って眺めていた。
「……なぁ」
「今度はなんですか」
「その制服、動きにくくね?」
「今さらですか!?」
彩葉の怒号が再び炸裂する。
「誰のせいだと思ってるんですか!歩くだけでスリル満点なんですけど!?」
「はは、いいリアクションするなぁお前」
「褒めてませんよねそれ!」
カラン。
店の扉についた鈴が、小さく鳴った。二人の動きが同時に止まる。
「……え?」
彩葉が振り向く。そこには、いつの間に来たのか、入口に立つ人影があった。
「ちゃーっす!店長今やってるかい?妻に家追い出されちまっ…」
「――っ!?」
彩葉は凍りついた。なぜなら。よりにもよって、この格好を初めての客に見られてしまったからである。事情を知っていれば、ただの…ただの?まぁ制服だが、知らない人から見れば、明らかにサイズの小さいパッツパツのまるで痴女…というか痴女そのものにしか見えない。
「……新人か?」
客の一言で、彩葉の理性が静かに爆発した。
「違います!!これは不可抗力です!!」
彩葉の名誉を掛けた弁解が、『豚の帽子亭』に高らかに響いた。
こうして――波乱しか予感できない『豚の帽子亭』での初勤務が、本格的に始まったのだった。