8000歳の『豚の帽子亭』のマスター   作:三日坊主の三太郎

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豚の帽子亭

「お?なんだ。もう来てたのか」

 

「遅いですよ。なんで店長であるはずの貴方が私より遅いんですか…」

 

「さてさてさ〜て、そろそろ店を開きますか〜」

 

「無視ですか…」

 

 

 そんな彩葉の声を無視して、外に『OPEN』の看板を立ててくる。しかし、現在の時間帯はまだ5時だ。一応定時だが、定時にきっちり帰れる優秀な社会人が、こんな変テコな酒場に来るわけもなく。

 

 

「店長…客、来ないですね」

 

「うちはもうちょい夜がピークタイムだからな。7時くらいになったらぼちぼち来ると思うぜ」

 

 

 店長はそう言いながら、木樽のビールジョッキを磨くのを片手間に何かを観ている。

 

 

「店長。それ何を観てるんですか?」

 

「ん?あ〜昔の看板娘から今日ライブをするから観てくれって言われてな」

 

「客がいないとは言え、仕事中にライブを観るんですか…」

 

「俺は店長だからいーの」

 

 

 まるで子供が万能の免罪符を掲げるかのような軽さで、メリオダスは言い切った。彩葉は思わず言葉を失う。いや、正確には言いたいことが多すぎて、どこから突っ込めばいいのか分からなくなったのだ。

 店長権限という言葉をここまで私的利用している人物を、彼女はこれまでの人生で見たことがなかった。

 

 

「そうだ。お前も観るか?」

 

「いや今仕事中…」

 

「店長がいいって言ってるからいーんだよ」

 

 

 そこまで言われてしまっては、観ないわけにはいかない。断ったところでどうせ「新人はノリが悪い」とか何とか理由をつけて観せられる未来が容易に想像できたし、何よりこの店長は人の話を聞かない。2回会っただけだが、身を以て彩葉はそう学んだ。小さくため息をつきながらカウンターへと歩み寄った。

 

 カウンター越しに差し出された端末の画面には、まばゆい照明に包まれたステージが映し出されていた。色とりどりのライトが絶えず動き、静まり返った酒場の空気とはまるで別世界で、同じ時間が流れているとは思えないほどの熱量だった。

 

 

「……え?」

 

 

 画面の中央でスポットライトを浴びているのは、煌びやかな衣装に身を包んだ一人の少女だった。

 

 その姿を見た瞬間、彩葉の心臓が跳ねた。

 画面の向こうで歌い、踊り、観客を魅了しているその輝き。それは、彩葉がずっと画面越しに追いかけ、憧れ、勇気をもらってきた存在そのものだったからだ。

 

 

「これ……ヤチヨ……?」

 

 

 絞り出すような声に、メリオダスが「お、知ってんのか」と軽い調子で応じる。

 

 

「知ってるも何も、私の推しです! え、ちょっと待ってください。さっき店長、この人のこと『昔の看板娘』って言いませんでした!?」

 

「確かにそう言ったな」

 

 

 彩葉の脳内の処理能力が限界を迎えた。

 推しの月見ヤチヨが、かつてこの酒場で看板娘として働いており、しかも目の前のセクハラマスターと知り合いであるという事実。実質NTRである。

 

 

「……うそ……うそだ……」

 

 

 膝から崩れ落ちそうになる彩葉を他所に、画面の中のヤチヨは、最高潮の盛り上がりを見せていた。

 その歌声が、言葉が、まるでこの場にいる自分に向けて放たれているような錯覚に陥る。

 

 

「……すごいです」

 

 

 先ほどまでの店長への不満も、すべてが彼方へと吹き飛んだ。

 配信が終わるまでの間、彩葉はただ、画面の中の光を食い入るように見つめ続けた。

 

 ライブの最後、ヤチヨがカメラに向かって満面の笑みでピースをした瞬間、彩葉の視界はじんわりと熱くなった。

 

 

「やちよぉ…やちよぉ…」

 

「そんなにいいのか」

 

 

 あまりの感動に体が溶けている彩葉に対して、呆れたようにメリオダスはそういう。

 

 

「いいに決まってます!ヤチヨの良さを知らないのは人生の10割損していると言っても過言じゃありません!これから店長にヤチヨの良さを知ってもらうために三日三晩話してもいいんですよ!?」

 

 

 鼻息を荒くして、彩葉がメリオダスの方に身を乗り出す。

 

 

「へいへい。今はその熱意をこっちの方に向けてくれ」

 

 

「マスター今やってる?」

 

 

 鈴を鳴らしながら、お客さんが店に入って来た。

 

 

「へーい。らっしゃーい。注文はいつものか?」

 

「あったりまえよ。それ以外まともに飲み食いできるもんがないからな」

 

「失礼な!俺だって豚の丸焼きぐらいならまともに作れるぞ!」

 

「そう言って前豚の丸焼きを注文した奴が救急車に運ばれたのをついこの前見たぞ」

 

「さてさてーさて。なんのことやら」

 

 

 メリオダスはわざとらしく視線を逸らし、口笛でも吹きそうな顔でグラスにビールを注ぎ始めた。『豚の帽子亭』には、一応料理のメニューもあるが、それを頼む人は、初見の人かあるいはただの命知らずの馬鹿だけである。

 

 店内に入ってきた客は、慣れた様子でカウンター席へ腰を下ろすと、椅子をきしませながら深く背もたれにもたれた。スーツの襟元は少し緩められ、肩からは一日の疲れがそのまま落ちてきそうなほど力が抜けている。それでも足取りは軽く、この店に来ること自体が習慣になっているのが見て取れた。

 

 

「お?なんだ新人か?」

 

「はい…本日から働かせていただいてる酒寄彩葉です…」

 

「はは!そんな堅っ苦しい感じじゃなくていいぞ。大体この店に来るやつはそういうのを求めてないからな!」

 

 

 男は豪快に笑いながらそう言い、カウンターへ肘を預けた。まるで、自分の家にでもいるかのようにリラックスし、注文の品を待つ。

 

 

「へいお待ち!『豚の帽子亭』特製のバーニャエールとツマミの枝豆だ!ついでにオマケの鳥肉も」

 

「はは。ふざけんな殺す気か」

 

「ちぇ」

 

 

 渋々と言った様子で、鳥肉を下げる。その表情にはまったく反省の色がない。むしろ「今回は失敗したか」とでも言いたげな、妙に楽しげな空気すら漂っている。しかし、出された方からすれば、生死を決めるので切実にやめてほしい。

 

 

「あの…店長…私の仕事って?」

 

「そろそろできると思うぞ」

 

 

 メリオダスがそう言った瞬間。勢いよく扉が開く。

 

 

「マスター!テーブル席空いてるかー?新人の歓迎会したいんだがー!」

 

「あいよー好きな所座りな」

 

 

ぞろぞろと入ってきたのは、三人組の男女だった。全員どこか仕事帰りらしく、スーツの上着を腕にかけていたり、ネクタイを緩めていたりと、いかにも「今日も一日終わった」という顔をしている。それでも表情は明るく、疲労よりも解放感の方が勝っているのが見て取れた。

 先頭に立っていた男が、店内を見渡してから彩葉の姿を見つけると、ぱっと顔を輝かせる。

 

 

「お、あの子か?新人って」

 

「たぶんそうじゃない?珍しくマスターが人雇ったって言ってたし」

 

「逃げなかったんだなぁ、新人」

 

「失礼だなお前ら」

 

 メリオダスがカウンター越しにツッコミを入れるが、まったく威厳がない。むしろ常連同士の軽口にしか聞こえず、店長と客というより、長年の飲み仲間の会話に近かった。

 

 彩葉は突然増えた人数と勢いに圧倒され、思わず背筋を伸ばす。視線が一斉に自分へ向けられる感覚に、軽く喉が渇いた。

 

 

「え、あの……いらっしゃいませ……?」

 

 

 少しだけ語尾が上ずる。すると三人のうちの女性が、くすっと笑った。

 

 

「硬い硬い。ここそんな店じゃないから大丈夫だよ」

 

「むしろ敬語使いすぎるとマスターが落ち着かなくなるぞ」

 

「それはない」

 

「いやあるな」

 

 

 即座に否定したメリオダスだったが、全員に同時に断言され、肩をすくめるしかなかった。

 

 テーブル席へ向かった三人は、椅子を引く音や荷物を置く音を遠慮なく響かせながら腰を下ろす。その騒がしさが、不思議と店に馴染んでいた。先ほどまでの静けさが嘘だったかのように、店内には人の気配と体温が満ち始める。

 

 

「ほいこれ。あのテーブルに運んできてくれ」

 

 

 メリオダスがカウンターにダンっと音を立てながら、三つのビールジョッキをを置く。

 

 

「え?いいんですか?まだ注文聞いてないですよ?」

 

「ここに来るやつは絶対これを頼むからな。これがうちなりの働き方改革ってやつだ」

 

 

 指をVにしながら得意げに言うが、絶対に違う。

 

 彩葉は心の中だけで小さくツッコミを入れながらも、目の前に並べられた三つのジョッキへ視線を落とした。グラスの外側にはすでに薄く水滴が浮かび始めており、持ち上げれば確実に冷たいのが見て分かる。見た目だけなら、どこに出しても恥ずかしくない完成度だった。

 

――見た目だけなら。

 

 

「……分かりました」

 

 

 不安を飲み込み、彩葉は両手で慎重にジョッキを持ち上げる。想像していたよりも重く、腕にずしりとした感触が伝わった。バランスを崩さないよう一歩ずつ歩き出すと、床板がわずかに軋み、足音がやけに大きく感じられる。背中に店長の視線を感じている気がして、妙に緊張した。

 

 テーブル席では三人がすでに談笑しており、仕事の愚痴らしき話と笑い声が混ざり合っている。その空気に割って入るタイミングを測りながら、彩葉は深呼吸を一つした。

 

 

「お、お待たせしました……」

 

 

 テーブルにジョッキを置くと、三人は同時に「おお」と声を上げた。

 

 

「新人ちゃん、名前なんだっけ?」

 

「酒寄彩葉です」

 

「彩葉ちゃんね。よろしく。あ、安心していいよ。この店、料理以外は全部当たりだから」

 

 そう言いながら、三人はジョッキを掲げた。

 

「新人歓迎ってことで——乾杯!」

 

 

 ガチン、と軽快な音が鳴る。その音が店内に響いた瞬間、不思議なことに彩葉の胸の奥にも同じような音が鳴った気がした。

 

 ほんの数十分前まで静まり返っていた店は、今や笑い声と会話で満たされている。グラスの触れ合う音、椅子が動く音、誰かが笑いすぎてテーブルを叩く音。それらが雑多に混ざり合いながらも、不思議と心地よいリズムを作っていた。

 

 

「おーい彩葉」

 

 

 メリオダスの声が飛ぶ。

 

 

「次、枝豆追加な。あと水も頼むってよ」

 

「はい、今行きます!」

 

 

 返事をした自分の声が、思ったよりも明るかったことに少し驚く。さっきまでぎこちなかった足取りも、今は少し軽い。

 

 カウンターへ戻る途中、彩葉はふと入口の扉へ目を向けた。

 

 外はすっかり夕暮れから夜へ変わり始めている。ガラス越しに街灯の明かりが灯り、通りを歩く人影も増えてきていた。

 

 ピークタイムは、これからだ。

 

 そしてきっと——自分の仕事も、ここから始まるのだろう。




彩葉はね。バイトで後輩の尻拭いなんてしないし。バイトで自分を隠さないし。やることなすこと全部幸せじゃなきゃいけないの

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