蛇足物語 作:ロバと子いぬ
「かぐやちゃん、本当に月に帰るの?」
プライベートボイチャで俺はそう尋ねた。これは確認だ。もしかしたら本人から否定が入るかもしれない……なんて、淡い希望を抱いた。
俺の問いに、かぐやちゃんは少しの逡巡もなく答えた。
「うん」
少しの気負いもない表情だった。
「彩葉から聞いたの?」
「そうだね。急に卒業って発表があったから、もしかしたらと思って聞いたんだ」
「あ〜、まぁノブはわかっちゃうよね〜」
たははと笑うかぐやちゃんはいつも通りに見える。いや、もしかしたら
「他のみんなは知ってるの? 芦花とか真実とか」
「んー、
「そっか」
酒寄さんからは、『ミーティングルームで話したことは内密に、かぐやちゃんにも当日まで伝えないように』と言われている。理由は知らないが、そう言われたならわざわざ言伝を破る必要はない。知らないと思うっていうのも変だしな。
俺がこのことを聞いたのはミーティングの時じゃないから俺が知っているのはセーフだろう。揚げ足取り? いやいや、俺が知らない気づかないの方が不自然だろう。
「本当に、帰っちゃうんだね」
「いやー、月の仕事放り出してきちゃったからさ。強制送還的な?」
かぐやちゃんはあくまで笑顔を崩さない。それがなんだか、痛々しく見えた。その笑顔が何かに重なって見えて……ああ、酒寄さんだ。数日前の、かぐやちゃんが月に変えるってわかったときの酒寄さん。あの辛そうな笑顔にそっくりだ。
きっと、酒寄さんがかぐやちゃんに影響を受けて笑顔になったように、かぐやちゃんも酒寄さんに影響をうけて、笑顔の作り方でも覚えてしまったのかもしれない、それが良いことなのかは、俺にはわからない。
「仕事って、かぐやちゃん月だと働いてたんだ」
「なんかトゲない? その言い方」
「いやいや、そんなつもりはないよ」
「ならいいけどさー」
そうやって軽口を叩きあう。きっと聞けばかぐやちゃんはなんでも答えてくれるけど、なんとなく助走をしないとなにも聞く気になれなかった。
「……月ってさ、味も温度も無いし、みんなずーっと同じことを繰り返してて、ちょーつまんなかったんだよね。始まっては終わり、終わっては始まる。その繰り返し」
「かぐやちゃんには辛そうだね」
「ほんっとにそう! そんなときにね、『窓』を見つけたの」
「『窓』?」
月の窓ってなんだ……?
「『窓』からはこっちの世界が見えたんだ。でね、この世界の人を見たらさ、みんな好き勝手に動いてて、複雑で、一回きりで、自由に見えた。……だからかぐや、月の世界を飛び出してこっちにきちゃったんだ」
「なんか、かぐやちゃんらしいね」
地球に来た理由が『自由に見えた』から、か。なんだか、かぐやちゃんらしい気がした。誰よりも自由で、誰よりも挑戦的な、ツクヨミのフリーダム。俺からのかぐやちゃんへの印象はそれが大きいから。
でも、かぐやちゃんはそれだけじゃない。聡くて、覚えがよくて、それで、他の人のことをよく見ている。それもかぐやちゃんだ。
みんな、かぐやちゃんに帰ってほしくないのは、かぐやちゃん自身ももわかっているんだろう。それでも、かぐやちゃんは帰ることを選んだ。……その心を直接聞かないと、俺は納得できない。
「かぐやちゃん」
「なーに?」
「かぐやちゃんは、本当にそれでいいの?」
俺は回りくどいことができないから、直接聞くことしかできない。どう思われるかとかは知らない。
「……」
かぐやちゃんはすぐには答えない、答えられない。笑顔も鳴りを潜めて、真剣な表情になっている。
「みんな、かぐやちゃんに帰ってほしくない、卒業してほしくないって思っている。かぐやちゃんだって、さっきの言い方的に帰りたいわけじゃないんでしょ」
「……」
「それに、かぐやちゃんは前に『ハッピーエンドが好き』って言ってた。こんな終わり方、全然ハッピーじゃないだろ。こんなのバッド「ノブ」
俺のその言葉は、かぐやちゃんに止められた。泣きそうな笑顔だった。
「それ以上はダメだよ」
「でも、かぐやちゃん」
「それ以上は、帰れなくなっちゃう」
俺の口に指をあてて、しーっとかぐやちゃんは笑う。やっぱり、見てられない笑顔だ。
「……じゃあ、帰らなければいいじゃないか」
「それはダメだよ」
「なんで」
思わず子どもみたいな口調になってしまった。まるでかぐやちゃんに叱られてるみたいな気持ちになる。……あんなに自由で叱られる側みたいだったのにな、かぐやちゃん。そんな、しょうがない子を見るみたいになって、大人みたいになっちゃって。
「月の皆に迷惑をかけちゃう。……それに、前に彩葉が言ってたんだ」
そう言ってかぐやちゃんは、空を見て語りだす。かぐやちゃんの目線の先には、ツクヨミに月のように浮かぶミラーボールがあった。
「『決まっていることが変わるわけじゃないし、受け入れて覚悟するしかない』……彩葉はそう言ってた。その時の
かぐやちゃんの表情は、大人びていて、遠くに行ってしまいそうに見えた。……とても綺麗な表情だった。
「かぐやちゃん……」
「だからさ、そんな風に言わないで。……これが私のエンディング! ちょー楽しく、運命に向かって走っていくの! ……ノブもさ、笑って見送って?」
かぐやちゃんは綺麗な笑顔でそう言った。それが、きっとかぐやちゃんの、酒寄さんの言う『覚悟』なのだろう。酒寄さんが『かぐやがそう決めたから。かぐやの気持ちを尊重したい』と言っていたのも理解できた。これは、こんなかぐやちゃんの姿を見たら、帰らないでなんて言えないかもしれない。
かぐやちゃんは、この終わりを『エンディング』と言った。ハッピーエンドとも、バッドエンドとも言わなかった。きっとかぐやちゃんもどちらとも言いたくなかったのだろう。だから、俺にも言われたくなかったんだろう。ハッピーじゃない、でも、バッドとも言いたくない。そんな思いが見て取れた。
「……そんなこと言われたら、何も言えないよ」
「あははー、でも嬉しかったよ? 引き留めようとしてくれてさ」
「俺じゃあ止められない、か」
「かぐやちゃんは誰にも止められないのだー」
わははとかぐやちゃんは笑う。今度の笑顔は、いつもと同じような笑顔に見えた。
そのあと少し雑談をして、そろそろ解散にしようかとなったころ、ふと改まって、かぐやちゃんがこちらに向き直る。
「ノブ」
その表情は真剣で、大切なことを伝えようとしていることが分かった。
「何?」
俺はまっすぐにその目を見返した。
「彩葉のこと、よろしくな」
そう言って、かぐやちゃんは花のような笑顔を咲かせた。
遺言のようだった。
「なんで、俺に……」
思わずそんな言葉が出てしまう。他のみんなにも言っているかも知れないけど。
「なんでって、そりゃ、むふふー」
かぐやちゃんがニタニタと笑う。
「ノブ、彩葉のこと好きじゃん」
それはいつか指摘されたこと。他人をよく見ているかぐやちゃんだから何も言わなくとも気づかれてしまったこと。
「彩葉"を"好きなノブと、彩葉"が"好きなヤチヨ。二人に彩葉のことを任せておけば、かぐやも安心して月に帰れるってもんよ」
「かぐやちゃん……」
「だから、ね」
「彩葉のこと、頼んだよ?」
その笑顔が、綺麗で……いや、俺が好きな酒寄さんの姿となぜか重なって、
頷くことしか、俺にはできなかった。