携帯のアラームで目覚め、支度を整えて荷物を持って予定の時間きっかりにロビーに行くと、アズマ教授とアサガオさんがソファで待っていた。3人でタクシーに乗って羽田空港第三ターミナルへ。車窓から飛行機がちょうど降りてくるのが見える。
アサガオさんがじっと見ているので「もしかして飛行機は乗ったことないんですか?」と尋ねると「ええ、乗ったことはないわ」と言うと教授が「迎えには二人で行けますよ」と宥めていた。昨日の面談でアサガオさんに日本国籍を与えるようお願いしたところハナザワ室長が手続きを引き受けてくれたそうだ。
それでも彼女は浮かない顔をしているように見えて「教授と離れるのは寂しいですか?」と訊いてみた。「ええ。わたしお料理苦手だから。外食ばかりしてたら太っちゃうかも」と予想外の不安要素だった。完全に教授がいないとダメな人じゃん。
タクシーが第三ターミナルに到着したら3階のチェックインカウンターへ。
アズマ教授をトレースしてパスポートとスマホ画面を見せて搭乗手続きをする。その後ちょっと進んでスーツケースを預けて搭乗券を貰う。ぼくにもできた!
「まだ時間はありますからご一緒に飛行機見物どうですか?」と教授に誘われ「お邪魔でなければ」と恐縮すると「邪魔なわけないじゃない」とアサガオさんに背中を押されてエスカレーターに向かう。上って上って5階までいく。
エスカレーターを降りると展望デッキが見える。「飲み物を買っていくので先に行っていてください」と教授が行ってしまったので、アサガオさんとデッキに出る。
国際線の飛行機がいくつも並んでいて、荷物を運ぶカートみたいなのがチョロチョロ走っているのが見える。「あそこに座りましょう」とアサガオさんに促されるままベンチに座る。昨日言えなかったがアサガオさんに言わなきゃいけないことがある。
「アサガオさんに教えてもらったのにおれの準備が足りなくて、人の命を危険に晒してしまったというか、結局、癌、治せませんでした」
「それはそうよ、癌を根治するのは難しいわ。といより病気を治すのは難しいのよ」
「一度は癌細胞を消せたけど、転移種子のことわからなくて。再発したって…」
「だったら少しでも命を繋いであげられたじゃない。そうやって救いたいって願って挑戦した気持ちは忘れないで?それは正しいことよ。治してあげたいけどって手を出さないのは偽善よ。そもそも、あなたじゃなきゃできないことだったのだから」
「でも、救おうとしたのは純粋な気持ちじゃなかったんです。おれの都合が良くなるから… 完全に自分のためだった。そんなだからきっと失敗したんです」
「馬鹿ねえ。自分のための行動が誰かの役に立つのならそれでいいじゃない。あなたその人が死んでもいいやと思っていたの?」
「いいえ。死んで欲しくないから。元気になって欲しかったから…」
「ほら、顔上げなさい」そう言われて顔を上げると、目の前には全てを見てきた人の顔があった。彼女の薄い緑色の眼差しはとても優しくて強くて温かかった。
バッグからティッシュを取り出して「涙はいいけど鼻水はいただけないわね」と笑って言った。「ですね」とティッシュを受け取り鼻をかんで、涙をぬぐった。
泣き腫らしたおれを見て戻って来た教授が驚いていると「わたしが泣かせたんじゃないわよ?」とアサガオさんが言う。「優しくされたのが原因だとしたら、それはあなたのせいです」と教授は微笑んで言った。「そんなのずるいじゃない」と彼女は口を尖らせて不満そうに言って笑った。
買ってきてくれたお茶を飲みながら、向こうでのスケジュールを確認する。
アメリカでの滞在場所はメリーランド州ボルチモア。NSAの本部がある街。
教授は最初の5日間で段取りをして帰国。その後、最後の5日間に様子を見に来るそうだ。タクシーの中で「迎えは二人で」と言っていたので最後の5日間はアサガオさんも一緒なのだろう。ハネムーンなのか終の棲家探しなのか。
検査期間は東京にいた時と同じような毎日になるそうで、NSAから通訳兼世話係が1人か2人ついてくれるらしい。教授のが不在の間は彼等とは別に日本人にも様子を見に行くよう頼んであるという。「ハナダさんもご存じの者ですよ」と。「誰なんですか」と尋ねても微笑むだけで教えてくれなかった。なんでもったいぶるんだ?
ちなみに午後の予定はないそうで、好きに過ごしていいそうだ。
ボルチモアの名物料理は蒸し蟹だそうで、独自のスパイスにつけて身を食べるらしい。話を聞いていたアサガオさんが「今夜はかに道楽に行こうかしら」と笑っている。外食ばかりで太るのが心配と言っていたのに蟹には抗えないらしい。
「そろそろ時間ですね。じゃあ一緒に下まで降りましょうか」
教授にそう言われ展望デッキから中に入り3階まで降りる。保安検査場の前でアサガオさんとお別れ。教授には「気を付けてね」と、おれには「また会いましょう」と声をかけ、トイレにでも行くかのように踵を返して去ってしまった。
「随分とあっさり行ってしまいましたね」と教授に言うと「衆目を集めるわけにはいきませんので」と当たり前のように言っていた。
保安検査場でボディチェックを受け、出国審査のところでパスポートを提出。
観光と言えばいいと言われていたので「観光です」と告げるとスタンプを押してくれた。その後、搭乗ゲートに向かいゲートが開くまで免税店をブラブラしつつ時間を潰す。日本の化粧品メーカーのショップにギフトラッピング用の風呂敷があったので、風呂敷だけ売ってくれないか訊くと対応しかねると言われた。それでも風呂敷が気になったのでオイルを買って風呂敷に包んでもらった。
搭乗ゲートに戻ると、ちょうど開いたところだったので飛行機に乗り込む。
モンテビデオからは護衛に挟まれてたなあと懐かしく思いながら教授と並んで座る。当然エコノミーだ。国というかハナザワさんはもうおれを特別扱いしてない。
教授はずっと窓の外を見ている。展望デッキにアサガオさんの姿を探しているのだろうか。特に見つけたような反応はないけれど。
そうしているうちに飛行機は滑走路を走り出し、アメリカに向けて飛び立った。
第六章【捜索編】了