男性の看護師が部屋に入るなり、あ!間違えちゃった!みたいな感じで妖怪くねくねナースは部屋を出て行こうとした。
てっきり不審者を捕まえてくれるものだと思ったが、さっき入って来た彼は彼女を見送るだけだった。
彼女はなんだったのか彼に尋ねようとするのを遮るように彼が話しかけてきた。
「ハナダさん、具合はどうですか?」
パウラさんより流暢な日本語で彼はそういった。
「あれ?日本語できるんですか?担当が変わったってことですか?」
「いえ、そういうわけではありませんよ」
彼は人懐っこい笑顔で答える。パウラさんより喋れるこの人は一体何者なんだ。
それよりさっきの彼女は放置でいいのか?
「さっきの方はなんだったのですか?看護師なんですか?」
「どこのどなたかわかりませんが、質タチが悪いですね」
彼は呆れた顔で小馬鹿にしたように小さく笑って、饒舌に話始めた。
「私はアメリカ国家安全保障局から派遣されてきました、ヨハンソンと言います。彼女は他国の、きっと中国かロシアのエージェントでしょう。
いや、それにしても雑なのでエージェントに雇われた者でしょうね。彼女を捕まえたとしても依頼主や組織まではきっと辿れないでしょう」
「アメリカのスパイ?まじで?名乗っていいの?」
びっくりしすぎて思ったことがそのまま口から洩れた。
「はい。スパイではないので。公務員ですよ、日本風に言えば」
「その、アメリカの方がおれになんの用ですか?まさか殺しに来たとか?」
心臓の音がドスドスと部屋中に響いてるんじゃないかっていうほど脈打っているが、どうにか余裕があるように振舞ってみている。
「いいえ、逆です。あなたを保護しに来たのです。日本ではあなたを守れないので」
「それってどういうことですか?」
「あなたがアメリカ人なら超法規的措置ですでに本国へ移送していますよ。先ほどの女性もそうですが、いくつかの国や組織があなたの身柄を狙っていますからね」
おいおい、やっぱり争奪戦が始まってるじゃあねえか!
ヨシオカさん早く大使館に匿って…
「えー?おれ海で溺れかけていただけの一般人なんですけど」
とりあえず評価を下げようとおもってトボケてみた。
「ではお尋ねしますが、どうやってウルグアイの海まで辿り着いたのですか?」
「それは急に浜ま…」
そこまで言いかけて彼の目が先ほどまでの友好的な目から真剣な目、いや、どこまでも探って一番奥の大事なものを知ろうとする眼差しになっていることに気が付いた。相変わらずにこにこしているが目だけおかしい。
「急に?どうしたんです?」
「いや、なんでもない。ありがとうって感じかな」
さっきまで暴れ放題だった脈が不思議となにも感じないほど落ち着いている。
少なくとも命を奪われるような狙われ方ではないのがわかる。
あの黒い穴だ、あれが原因で狙われるんだ。
無理矢理に拉致されてしまうのは抵抗しきれないけれど、身柄が欲しいなら交渉も可能だろう。だとしたら情報が一番守らなきゃいけないもののはず。まあ、一瞬だったしあの穴がなんなのか知らないけれども。
逆に相手に喋らせて、何をしようとしているのか知るべきだ。
固く喋らないと心に誓って、無言のまま彼を見据えた。
しばらく沈黙の時間が流れた後、彼の方から口を開いた。
「ふふふ。実に興味深いですね。仲間としてスカウトしたくなりましたよ」
「爪を剥がされる前に全力で日本へ戻るよ」
「あの女性の誘惑に負けていればそうなるでしょうが、我々はそんなことしませんよ。保護しに来たと言ったじゃないですか」
この状況下でこれ以上の情報は引き出せないと諦めたのか、彼は元の人懐っこい笑顔の目に戻ってドアに手を掛けた。
去り際に「日本政府が無能でないことを祈りますよ」と言って部屋を出て行った。
息を止めていたわけではないけれど、彼が出て行ってからぶはーっと大きく息を吐いた。まじかよ…スパイって…
わざわざウルグアイまで来ておいてこんなに簡単に引き下がるものなのか?