閉館間近の水族館をパウラさん本人と並んで歩く。腕は組んでくれない。
おれはたどたどしいスペイン語でどうにか会話を続ける。
「Sayo quiere separarse de mí.Ella cree que está interfiriendo en mi vida.(サヨはわたしと離れたがっています。彼女は私の人生の邪魔をしていると思っているようです)」
「Ella pidió un favor: ¿Partirte a ti y a ella en dos?(彼女はお願いと言った。二人を元に戻すことですか?)」
「Sí. Eso es lo que quiere Sayo. ¿Puedes hacerlo? Si puedes hacer eso, tengo una petición para ti.(はい。それがサヨの望みです。あなたにそれができますか?できるのなら、わたしからもお願いがあります)」
「Creo que es posible. Toma mucho tiempo. Hay que tener cuidado para no lastimarla.(できなくはないと思います。とても時間がかかります。彼女を傷つけるを避ける、慎重が必要です)」
それを聞いたパウラさんは少し思案してから、今後のスケジュールを提案してきた。まずは水族館を出てどこかで夕食を買って彼女の部屋で食べ、その際に彼女の話を聞く。あまり人には聞かれたくない話らしい。「
水族館を出て少し歩いてバーガー屋でバーガー諸々を買い込みホテルまで歩く。
どうしても言葉の壁がネックになり口数は少ない。こんな状態で話を聞いて理解できるのだろうか。というかそれでも話したい内容ってなんなんだ。
ホテルに着いて彼女のチェックインを済ませ、おれの部屋へ行き荷物を取ってパウラさんの部屋に行く。おれの部屋の一つ下のフロアで港側の部屋だった。が、ベッドが2つあってドギマギする。いや、まじで。あなたたち身体は1つじゃないか。
「Este hotel solo tenía Habitación con dos camasdisponibles. No te preocupes.(このホテルはツインルームしか空きがありませんでした。緊張しないでください)」
ですよね。ええ、ええ。わかっていましたとも。
パウラさんに座るよう促され、お互いベッドに座る。
「En algún momento, empecé a tener miedo de los hombres. No soporto estar en la misma habitación que un hombre. Quiero que sepas que eres especial.(私は、ある時期から男性を恐怖感じるようになりました。このように同じ部屋にいることはあり得ないです。あなたは特別です。それを知って欲しい)」
さあさあヒアリングが怪しくなってまいりました。なんとなくはわかるけど。
おれの表情から察してか、彼女はスマホを取り出し翻訳字幕を見せてくれた。
なるほどと思い、特別扱いに感謝の意思表示をするため手を合わせて頭を下げた。
その様子にぷっと噴き出した彼女は、いつもと違うけれどかわいい人だった。
そこからは口に出しながら文章を入力し、翻訳した字幕を見せ合うダブルチェックもどきな会話になった。そうすることでゆっくり喋るから聞き取りも楽になった。
『私の母は早くに亡くなり兄と私は父に育てられました。私が大学の医学部に合格すると父は故郷のパラグアイへ帰りました。具合の悪い祖母の面倒を見るためです』
『お兄さんは亡くなったと聞きました。いつまで一緒に住んでいましたか?』
『私が高校生の頃に兄は結婚して家を出ました。父が去り家に私だけになりました。まだ兄は生きていました。大学2年のときに恋人と一緒に住み始めました』
『その頃は男性が、恐怖ではなかったのですね』
『一緒に住み始めて1年経った頃、兄夫婦が交通事故で亡くなりました。マリアだけ奇跡のように助かった。私がマリアの面倒を見るしかありませんでした…』
東京ではあんなにマリアちゃんと仲良さそうな感じだったのに、引き取る選択が望んだことじゃないみたいな感じに聞こえた。
『そのときになにかがあった。マリアちゃんが彼と仲良くなれなかった?』
『最初は順調でしたが、彼が会計士の試験に落ちてから機嫌が悪くなり、家の中が悪くなりました。マリアは4歳でいつも泣いていました。そして彼は怒ります』
思い出したくない過去なのかもしれない。でも12時間もかけてボルチモアまで来て話しているってことは余程大事なことなんだろう。聞き洩らすわけにはいかない。
黙って次の言葉を待っている間、鳩尾のあたりがぐっと締まる感覚があった。そして額のあたりが妙に熱い。ここから先の話に緊張しているのだろうか。
『ある日ね、彼がマリアに手を上げたみたいなの。家に帰ったらボロボロだった。命に別状はなかったけれど入院するぐらいのダメージだった。けれど彼の方も無事ではなかったの。発狂してしまって精神科に入って、次の週には自殺したの』
パウラさんは左手で顔を覆いポロポロと大粒の涙を流している。それは辛いな。
抱きしめて背中をさするべきか、それともこのまま落ち着くまで待つか。
中間がいまの彼女にとって丁度いいのではないかと思い、空いている右手を両手で包んで落ち着くまで待った。彼女が嫌がらなくてよかった。
少し落ち着いたので手を離して夕食用に買ってきたものの中から水のボトルを取り出して渡す。そのとき彼女がぶつぶつと独り言を呟いているのが聞こえた。
「Sé…Sé…」と何度も繰り返している。「わかってる、わかってる」そんな感じ。
『いま、サヨさんと話していますか?』そう言うと、彼女は小さく頷いた。
『サヨがマリアを助けるために、彼に
ふと違和感に気付いた。なんでこんなに長い話がわかるんだ?パウラさんさっきからスマホ使ってないし。脳内で例の素粒子がなにかの働きをしたとしか思えないのだけど、それにしても突然なんで?おれが彼女の話を理解したいって思ったから?
『でも本当のピンチのときにはサヨさんが助けに来てくれたんですよね?』
話す方のスペイン語もいままでとは全然違うぐらいレベルアップしている。