おれのスペイン語が聞く方も話す方も急にレベルアップした。
どんな作用か知らないけれど、さっきの鳩尾とか額のあたりに感じた何かがキッカケになっている気がする。心なしかよく見えるしよく聞こえる感じもある。
つうかパウラさんが目をまん丸くしてこっち見てる。
『あなたのスペイン語、さっきまでとまるで違います。どうして?』
『わからないです。そうする必要があるって強く思ったら身体が応えてくれました』
『うふふ。あなたって本当に不思議。ぜんぜんわたしのタイプじゃないのに一緒にいると魅力的に見える。それもあなたの能力なのかしら』
パウラさんがいつものパウラさんに見える。笑顔が柔らかくなった気がする。
『ゲンゾウは事あるごとに女性に助けられる仕様みたいだから。それですかね』
『ゲンゾウね。サヨはずいぶん気に入ってたみたいだけど、未来のコミックスじゃ読みようがないわ。あ、そうだ、話の途中だった。どこまで話したのだっけ?』
『あなたがひとりぼっちになってしまったところです』
『そう、彼が自殺してマリアは入院中、サヨもいなくなってすごく孤独だった。研修でもミスばかりで私おかしくなったの。自律神経失調症だったと思う。食事も何もできないでいたらサヨが戻ってきてくれて、ずっと一緒にいるって言ってくれたの』
『それで魂が2つあるパウラさんになったんですね』
『そう。あの時に立ち直れたのはサヨのおかげ。だからわたしはサヨが望めばなんでもするつもりでいたけれど、あの子はそれが嫌みたい。パウラはパウラの人生を生きてって言うの。それであなたに別々にして欲しいって彼女がお願いをしたの』
『モンテビデオの時のように、サヨさんに触れるとバチバチって砕いてしまうかもしれません。それでも二人のお願いなら精一杯やって叶えたいと思います』
『ありがとう。じゃあそれは明日の朝からやってもらうとして、買ってきたものを食べましょう。もう冷えてしまったかもしれないけれど』
そう言って彼女は買い物袋の中から買ってきた惣菜やらチーズやらをデスクに並べる。ソファを持って来て椅子と並べてすごく狭いカウンターの店みたいな状態でディナーが始まる。普段はサヨさんとはどういう状態なのか聞いたり、マリアちゃんはサヨさんのことを知っているのかなど聞いた。
サヨさんが表に出てきたのは初めてとのこと。普段は頭の中で話しをするだけだから、誰も気付けないそうだ。マリアちゃんはサヨさんのことを知らないと思うが、一度だけ「パウラの中に誰かいるの?」と言われたことがあるらしい。なぜそう思ったのか尋ねても「なんとなく」としか答えてくれなかったそうだ。
パウラさんは食事をしながらカヴァを飲んでいるのだけどペースが早い。東京でも日本酒は飲んでいたけれどこんなスピードじゃなかった。まるで早く酔っぱらいたいとでも言わんばかりの飲みっぷりだ。案の定、フルボトルを1本空ける頃にはだいぶ酔っている感じだった。彼女はおもむろに立ち上がり、スマホで音楽をかけて踊り出した。
映画でこんなシーンがあった気がする。踊っている彼女を眺めていると手を差し出されて男も踊るっていう。そんで最終的に抱き合ってベッドにごろんていう。なんて思っていたら本当に手を差し出された。ど、どどどどどどど、どうしよう…
どうしようもなにも手を取るしかない。手を取って腰に手を回して音楽に合わせてふにゃふにゃ揺れている。踊っているんじゃない、揺れているんだ格好つけてな!とおれの中のバズライトイヤーがそう言っている。そしてベッドにごろんするとおれのサイドエフェクトが言っている。って、ほらみろごろんしたじゃん!
ベッドに向かい合って寝転んでいる。目の前にはほろ酔いのパウラさんがいる。
めっちゃ顔が近い。もう無理こんなの無理…
『ここは誰もいないから、セックス、ダメじゃない…』
そうですよね!と言いたいところだけれど、彼女の顔は真剣だ。
『断る理由は見当たらないけれど、そうする理由があるなら教えて欲しい』
『サヨに思い出をあげたい。彼女が妖精の姿になってしまったら未来永劫バージンのまま、好きな人と身体を重ねる喜びは体験できないから。彼女が恋したあなたになら、わたしの身体を通して喜びを与えられると思う』
とんでもない大義名分が降ってきた。こんなお誘いヒャッハーと喜ぶところのはずなのに、いまものすごく冷静に考えている。というか大事なことが抜け落ちている。
「サヨさん、表に出て来れる?」
本人がどう思っているのか確かめないなんてあり得ない。
選択権は彼女が持つべきだ。そもそも相手がおれでいいのかは置いといて...
「はい… ハナダさん。わたしです」
サヨさんはものすごくもじもじしている。パウラさんと同じだけ生きてるはずだけど思念体は歳を取らないのか?いやまあ初めてだからそうなるのか。
「パウラさんが言っていたことはわかる?サヨさんもそれを望んでいるの?」
ムードもヘッタクレもないが確認する。だって聞かなきゃわかんないし。
「それを女の子の口から言わせるのはとんだサド野郎だと思います。でもパウラにその時はいつも傍にいないでって言われて外に出て、戻ってきたら幸せそうにしているのを見ていて何があったんだろうっていっつも思ってて。わたしもあんなふうに幸せになりたい…です…」
涙を浮かべる彼女を見て、束の間めちゃくちゃ悩んだ。そして考えるのをやめた。
ほぼ無意識に彼女と唇を重ねていた。
そして朝チュンなのである。