朝起きる、隣のベッドにパウラさんの気配はなかった。
少しすると恰幅の良いおばさん看護師が朝食を運んできてくれた。
テーブルをセットしてトレーを置くときに、おばさんの手首に黒い髪ゴムがあるのが見えた。伸ばした髪が暴れ放題だったので髪を縛るゴムがずっと欲しかった。
「それ貰えませんか?」とおばさんの手首を指さすと「Si」と快くゴムをくれた。
髪を束ねて後ろでお団子を作ってゴムで縛ると「オー!サムラーイ!」とおばさんは手を叩いて喜んでくれた。グラシアス、おばさん。
朝食を済ませてしばらくするとヨシオカさんが看護師に連れられてやって来た。
部屋を移動した経緯を聞いていなかったようなので、侵入者のことを説明した。
ヨシオカさんは電話をすると言って部屋を出ていって、少ししたら戻って来た。
すぐに保護の必要があると認められたため、きょうの午後に大使館へ移送されることになった。結果的に妖怪とスパイがグッジョブだった。
移送の前に脳波の検査だけした。相変わらず暴走状態らしい。
考えまいと思っていたが、やっぱりこの世界は脳がバグって生み出している可能性があると考えてしまう。
都合良く大使館へ行けるようになったし、ヒロインに手を握ってもらえたし。
そもそもガチの諜報機関に狙われて特に危険な目に遭ってないのも都合良すぎだ。
フィクションにしては何も起きず退屈な入院生活なだけなんだけれども。
―――――――
昼食後、日の丸を付けた大使館の車が病院に到着。
通用口のようなところまで車椅子で運ばれ、そこから歩いて退院した。
宿直明けでお休みのはずのパウラさんがユニフォーム姿で見送ってくれた。
車に乗り込む前に手を合わせて感謝を伝えると、彼女は一つ情報をくれた。
「エンバサダ、ノ、トモダチ、ニ、オネガイ、シタ」
「え?大使館に友達がいるの?」
「Si。トテモ、カワイイ、デス」
彼女は笑ってウインクした。
この物語はハーレムにはならず、ヒロインがリレー形式で登場するらしい。
「そうなんだ。とにかく色々とありがとう」
「マタ、アイマス、ゲンキ、ナッテ」
身体が勝手に動いてパウラさんと軽いハグをしてお別れした。下心はない。
大使館の車の後部座席にヨシオカさんと並んで乗り込むと、車が発進した。
後で知るのだけれど、あの病院はモンテビデオの大学病院ですぐ近くにはエスタディオ・センテナリオがあった。第一回サッカーワールドカップの決勝戦が行われた世界的に有名なスタジアムだ。
大使館へはスタジアム側ではない大きい通りを使って移動した。車窓から見えるモンテビデオの街は、平らで大きいビルもそれほど多くなくガランとした印象だった。
大きい通りを少し走って右折したら、商業地区というより官庁街というような通りに出た。オリベスクと噴水が合体したようなモニュメントを通り過ぎてしばらく行くと日の丸の旗が見えた。あのへんが大使館なのだろう。
大使館はやや小じんまりとした建物で、敷地の周囲をぐるりとフェンスと有刺鉄線で囲まれていた。そこそこの年季が入った建物のようだった。
車から降りて大使館にの中に入ると、大使がお待ちですとヨシオカさんから告げられ、すぐに面談となる。
応接室のような部屋へ通されると、白髪短髪の政治家にいそうな見た目の男性がすでに部屋の中にいた。おれが部屋に入るとソファから立ち上がり挨拶をしてくれた。
「初めまして、ハナダさん。日本大使のシロサキです。どうぞお掛けください」
「初めまして、ハナダです。この度は迅速な対応に感謝いたします」
恭しく御礼を述べてソファに座ると、大使からいきさつと今後の説明があった。
今回の保護に関しては不審者の侵入の前から日本の研究機関からの要請で、いくつかの省庁が連携して保護に向けて動いていたそうだ。
そこへ例の侵入者騒ぎがあったため「人道的理由」という建前が使えるようになり、大使館で保護することができたということだった。
「戸籍謄本も見当たらないので正直手詰まりではありました」
大使はホッとした表情でつぶやくように言った。
「大使をはじめ、多くの方のお世話になっていたんですね。感謝いたします」
深々と頭を下げつつも、ヨハンソンが言っていた「日本が無能でないことを祈る」という言葉を思い出していた。あいつ本当に攫う気がなくてこの状況を狙ってたのか?だとするとこの大使も偉そうにしてるけど…いや、やめよう。
「研究者たちが今夜こちらに到着する予定なので、明日の午後に面談してもらいます」
「承知いたしました。ところで、どんな研究をされている方たちなのでしょうか」
「物理学を主に扱っている大学の教授たちです。あまり詳しくは情報が入ってきておりませんので、彼らに直接お尋ねください」
物理学者?ワープの研究かなにかなのか?
そんなもの国を挙げて研究しているのか現代科学って。