結ぶと解く   作:ながずぼん

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第142話 油断と遭遇

 本当にヨハンソンにからかうようなこと言ったアドラさんは、もう一段階、感情抑制の箍が外れたような気がする。良いのか悪いのかわからないけれど「ナニガアッタ?」とか針が飛んだレコードみたいになっているよりはよっぽどマシだ。

 洗面器を持ってくねくね踊っていた謎の女と同じ人間とは思えない。

 

「あの、アドラさんはもうなにか食べたんですか?お腹空いちゃって…」

 

「じゃあ、少し歩いたところにダイナーがありますから、そこで食べましょう」

 

「え?出歩いて大丈夫なんですか?」

 

「さっきヨハンソンと話をしましたが、ALPRの情報で追跡していればアッシュボーロのあたりを捜索しているはずだと。ここまで高速道路が繋がっていないので、仮に今朝シャーロットの監視カメラに映っていたとしても追い付いてくるのは出発してからになるでしょう」

 

「ひとまず攪乱作戦が上手くいっているんですね。じゃあダイナー行きましょう!」

 

 ちょっとぶかぶかのツナギの上からドカジャンみたいな上着を羽織って外に出る。

 すっかり雨は上がっていてちょっと寂しい感じの夕方になりかけの空だった。

 あちこちの倉庫にトレーラーが出たり入ったりしている様子を眺めながら大きな交差点まで歩く。けっこう遠いけれどなまった身体を動かすのに丁度いい。

 交差点の向こうに見える建物は警察の交通課だと教えられる。ちょっとビクッとしたが、普通にしているように言われダイナーのメニューについて話ながら歩いた。やはりパンケーキとスクランブルエッグとベーコンだろうと。

 

 交差点から300mほどでダイナーに到着する。おお、まさに映画とかに出てくる感じのドライブンみたいな店だ。中途はんぱな時間だからか店は空いている。4人掛けのボックス席に座る。例のセットはなかったが、パンケーキのセットがあったのでそれにした。注文を済ませたらアドラさんはトイレに行くと言って席を立った。

 

 閑散とした店内で少し離れた席に座る背広のおじさんと目が合った。50代の後半ぐらいか?指輪物語のローハン王が髭を剃ったような感じのおじさん。

 すぐに視線を外したが、おっさんはニコニコしながら自分のコーヒーカップを持っておれたちの席にやってきて隣に座る。ヨハンソンと同じで目の奥も笑っているように見えたが、胃がキュッとなるような不安を感じている。通路側を塞がれて逃げることもできない。見るとも見てないともいえない角度でおじさんの様子を窺う。

 おじさんはしっとりと落ち着いた声で、英語でなにか言ってきた。

 全然わからなかったが、とりあえず「No entiendo」とスペイン語で言ってみた。

 すると『おや?君は東洋人だと思ったが違うのかい?』とスペイン語で返される。

 

『わたしの父親はウルグアイ人です。母親はグアム生まれの日本のハーフです』

 

『そうかね。一緒にいたのは恋人かい?』

 

『いいえ。会社の上司です。あんな美人が恋人なら私は伝説の英雄になれます』

 

 やべえやべえと思いつつ、適当に話をしているとアドラさんが戻って来た。

 するとおっさんは対面の彼女に向かって英語でなにかを話し掛けた。

 アドラさんの目が大きく見開かれ絶句した。言い逃れできないことを言われた?

 おっさんは拘束してくる気配もないし、謎の威圧感はあるが敵意を感じない。

 ただおれたちが何者であるのか完全に見抜いているフシがある。アドラさんに戦う意思はなさそうだ。気を取り直してどう対応すべきか思考を巡らせているようだ。

 

 テーブルを覆っていた沈黙を破ったのは料理を運んできたウェイターだった。

 さほど愛想があったわけではないが「お待ちどうさま」みたいなことを言って食事の乗ったトレイをテーブルに置く。アドラさんがおっさんから視線を外さずにチップを渡すと「センキュー」と言って去って行った。

 

 じりじりした空気に耐えられず『これ食べていいか?』とおじさんに訊ねると『おっと、これは失礼。邪魔したね、温かいうちに食べてください』と席を立った。そして去り際に「サヨナラ」と日本語で言って店を出て行った。

 

 呼吸が止まっていたのか、おっさんが立ち去るとアドラさんが大きく息を吐いた。

 

「彼はどこから来たのですか?私たちは後を付けられていましたか?」

 

「いや、そっちのテーブルから移動してきました。最初は英語で話し掛けられたけどわからなかったから、スペイン語で返したら合わせてきました」

 

「彼はNSAでもCIAでもないでしょう。ここはバージニアではないから、おそらくFBIだと思う。だけど接触だけして何もしてこないのはなぜでしょうか?」

 

「アドラさんは彼女かって訊かれたのと、おれを東洋人だと思ったと言われました。アドラさんはなんで言われたんですか?」

 

「あなたのことをストックホルム症候群ではないのか、と」

 

 誘拐犯とか監禁している奴のことを被害者が好きになっちゃうやつか。

 

 ということは誘拐絡みの捜査をしていて足取りを掴まれて待ち伏せされたのか?

 いずれにせよ、おじさんは見逃してくれたわけだけど、接触の目的がわからなかったので余計に混乱している。しばらくおれもアドラさんも黙って考え込んでしまう。

 

 目の前に置かれたトレイに視線を戻すと、腹が減っっている感覚が戻ってきたので「とりあえず食べませんか」と言ってパンケーキセットに手を付ける。そんな状況だけれどパンケーキはうまかった。卵はふつう。ベーコンの代わりのハンバーグは見た目より肉々しくて美味かった。アドラさんも頼んだものを完食していた。

 

 何事もなければ珈琲を何杯も飲んで夜の眠気に備えたかったが、状況が状況なので食べ終わったらすぐに店を出て潜伏先である倉庫に戻ることにした。

 

 足早に倉庫に向かいつつ、何度も後ろを確認しながらちょっと回り道をして倉庫まで辿り着いた。

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