第156話 帰国と若者
アエロメヒコの旅客機が成田空港に到着する。
機内でフライトアテンダントさんから入国カードを貰い、書き方をスペイン語で尋ねて少しお喋りができたので、乗り換えだけだったメキシコ気分を補填できた。
降りる時にすごく愛想よくしてもらえたので言葉って大事だなと改めて思った。
飛行機を降りた先の窓から見える東の空に、ちょうど日が昇るところ。
日本に戻るのは数年ぶりぐらいの感覚だ。実際は40日ぐらいだけど。
入国審査でパスポートと入国カードを提出。外務省の意地悪がありませんようにと祈っているとポンとハンコを押してくれて無事に通過。
お土産もないので税関も緑のゲートを通過するだけ。
第一ターミナルの到着ロビーに辿り着く。早朝だし人もまばら。プラカードを持っている人もいない。いやいる、おれの名前が書かれたカードを持ってる人が。
20代半ばに見えるリスみたいな顔の彼に声を掛ける。
「あのう、それ、私の名前なんですが」
「あ、ハナダさんですか?僕は文科省のハヤセと申します。ハナザワ室長から言われて迎えに来ました。都内で室長が待っていますので車で送ります」
「ああ、そうなんですか。早朝からお疲れ様です。じゃあお願いします」
ハヤセ君は眠そうな顔をしながらハナザワさんの使いの者だと言って、車で都内まで運んでくれた。
出発すると「もうちょっと普通の時間に到着する便はなかったんですか」と尋ねてきたので、頼んでもねえのになんで文句言われなきゃいけないんだと思い「
「乗り換えがあってもよくないですか?僕、残業とかしてるんで朝早いのキツイんですよ」と今度は愚痴り始めた。
「そうなんですか、それは申し訳なかったですね、送ったら午前中は休めるようにハナザワさんにお願いしましょうか?」と厭味を言うと「え?やめてくださいよ!室長に向かってそんなこと言われたら、僕が怒られるじゃないですか。困るんですよねそういう余計なことされると!」とキレられる。
彼にいろいろ言いたいことはあったけれど、それは彼が経験を重ねて気づくべきだと思ったので「ああ、差し出がましいこと言ってごめんなさい」と謝っておいた。
都内に入るまで彼は鼻高々に外事室がいかに特殊な案件を扱っているのかとうとうと語り、その全ての説明において「まあ、公には言えないんですけどね」と言うので「へえ」とか「すごいですねえ」と大袈裟に相槌を打ってどんどん喋ってもらった。
都内に入り、これは日比谷の高級ホテルに向かっているんだなと気付いた頃、「ここだけの話ですけど、先輩の一人が調査対象者とデキちゃって駆け落ち状態になっている」と聞かされ盛大に噴きそうになった。必死で笑いを堪えて「けしからん奴ですね!」と言っておいた。いやあ、日本はまったく平和でよかった。
車寄せに車を停めて、意気揚々と先導するハヤセ大先生に続いてホテルのロビーに入ると、ハナザワ室長が待っていた。
ハヤセ大先生の尻尾が揺れているのが見えたがハナザワさんは「ご苦労様」と一声掛けただけでおれのところへ来て「本当に、本当に無事で戻って来られてよかったです」とがっしり手を握られてしまった。
誰も悪くない。誰も悪くないんだよハヤセ君。
「上でお二人がお待ちなんですが、その前に顛末を手短で構わないのでお聞きかせ願えませんか?ほんとうに簡単でいいので」
尊敬するハナザワ室長が、知らないおっさんにヘコヘコしているのを見てハヤセ大先生はすごく悲しそうな顔をして立ち尽くしてしまっている。
「いいですけど、まずは早起きして迎えに来てくれた彼を労ってあげてください」
ハナザワさんにそう言うと「ああ、そうですね」と言って「出迎えご苦労様、きょうはもう上がっていいよ」とハヤセ大先生を労った。彼は「え?」という顔をして不思議そうな顔でおれに頭を下げて去っていった。君に幸あれ!と思った。
ラウンジへ移動して珈琲を飲みながら逃走中の話をハナザワさんに聞かせた。
ヨハンソンやアドラさんの活躍がなければいまごろ捕まっていただろうし、FBIのスミス捜査官の存在が本当に大きかったと説明をした。
「それでも因果を解いたハナダさんには及びませんよ。メキシコのカルテルだって2人倒しているわけですし。いやあ、本当に凄い人だ」
「いやいや、おれなんて助手席で転寝してトイレの心配しかしていない役立たずですよ。全部お膳立てされて最後にちょこっと言われた通りに動いただけですって」
なんか雪合戦の頃からハナザワさんには偶像化されているような気がして怖い。
実際おれなんて本当に役立たずなんだからあまり持ち上げないで欲しい。
「ああ、そういえばクスメギはまだあっちに?」と訊ねると「ええ。私が帰国したときにハナダさんの状況を説明したらすごく心配していましたよ」と教えてくれた。
「後でスマホ買ったら連絡入れておきます。また殴られたらたまったもんじゃないので」と笑っていうと「殴られたんですか?クスメギ君に?」と訊かれ口が滑ったことに気付く。「いや、京都で連絡しなかったときにコツンて」と誤魔化した。
「それで彼、外事室を辞めるとかそういう話はしていませんでしたか?」
「はい。相談がありました。私は以前に彼を引き入れたことで彼の家庭を壊してしまいましたから、なるべくプライベートは尊重したいと考えています。ただ、彼は優秀な人材なので、はいそうですかとも言えず…」
ハナザワさんはクスメギが離婚した原因は自分にあると思っているようだ。