アズマ教授のワームホール講義はさらに続く。
「ワームホールそのものは観測されていませんが、その痕跡らしきものは過去にいくつか見つかっています。我々はそれを追ってこちらに来ていました」
十数年前からおおよそ一定の周期でワームホールの痕跡情報はあるらしい。
痕跡とは、ある地点で電磁波や放射線の異常が見られその対蹠点を調べると同じ異常が見つかるそうだ。自然現象とは考え難いため人工的に発生させている説もあるらしい。
発生予想時期の一月中旬に向けて観測のため過去のデータから予測地点を割り出すと、渡航の難しい日本の隣国だったため、そこの対蹠点であるアルゼンチン東南海を観測することにしたそうだ。
ところが洋上でモンテビデオ近海に発生したと連絡があり、急遽ブエノスアイレスへ引き返し、その途中でおれの存在を知りモンテビデオへ来たそうだ。
「時期は予想通りでしたが、位置が外れて浜松に発生したのです。こちら側も浜松の対蹠点よりも1000km近く内陸へズレが生じていました。発生原因が解明できていないので変化の原因も不明です。イレギュラーなのか新たな周期の始まりなのか」
黒い穴のワームホールが謎だらけなのはわかった。それとおれの話が繋がらない。
「ワームホールが特殊なのはわかったのですが、それを発生させたわけでもない私が特別視される理由が全く見えてこないのですが…」
「あなたはワームホールを”初めて通った人間”だから特別なのです。仮に足元の地面からマグマが噴き出たとして、それを浴びて生き残った人間がいたとしたら?」
「それは特別というか最早人間じゃないと思います」
「そうですね。ブラックホールにも時空の二つの領域を繋げる構造があるとされていてシュバルツシルト・ワームホールと呼んでいます。ちなみに人間がその中に入って生き残れる確率はゼロです」
「そうなのですか?先日観た映画だと主人公が最奥まで行っても生きていましたよ。五次元空間を経てですが」
「ははは、映画ではそうでしょうね。しかし現実に直径2mのブラックホールだとすれば、爪先が触れた時点で身体はパスタのように細長く引き伸ばされます。そのぐらいの強い力が働いているのです」
「でもあれがブラックホールのような性質でなければ、そうはなりませんよね?」
「はい。ですから性質を考察するためにも、あなたという存在が必要になります。あなたが特別なのか、または我々が追っているワームホールは人間が通過できるものなのか調べるために」
ああ、そういうことなのか。後から人類全員が通ることができたとしても、現時点ではおれ以外は通ったことがないから特別扱いになるわけだ。
おれが特別である理由がおれ由来でないことを知って、ちょっとガッカリした。
「ところで、お二人は研究機関の方だと大使からお聞きしていますが、ワームホールの研究を専門でやられているということですか?」
「いえ、私は本来の専攻が物理学ではなくて軍事科学です。既にあるものや未知の攻撃手段から、物理学や量子力学を用いてどのように防衛、また無効化するか、という研究をしています」
「へえ、そんな分野があるのですね。軍事科学… あっ、だから世界中が…」
キナ臭い言葉が出てきて、なぜ世界各国に狙われたのか理由がはっきりした。
「量子ワームホールを使えば機密情報も傍受ができません。そこへ通過できる人間が現れたとしたら、国や組織は彼のことを超常兵器とみなすでしょう」
「いくら私が通過できる人間だとしても、鉄砲玉になんかなりませんよ」
「そうさせないためにも日本政府に掛け合ってここへ保護してもらったのです。こうしてお会いして私の心配は杞憂に過ぎないとわかって安心しました。あなたがその気になれば世界は変わりますから」
世界が変わる、か。
そういえばこの世界で戸籍がないということは、存在しないはずのおれが存在している世界とも言える。それってパラレルワールドだったりするんじゃないのか。
「あの、パラレルワールドとか平行世界っていうものは存在するのですか?ワームホールの先は元の世界と似て非なる世界ってことはないですか?」
「パラレルワールドやマルチバースと呼ばれるものは、それが存在していたとしても我々の宇宙からは観測できず、そもそも物理法則が違うと定義されています。ですからハナダさんがいまいるこの宇宙がそれということはどうでしょうねえ。ははは」
「そうですよね、戸籍がないぐらいでマルチバースなわけないですよね、ははは」
初めてこっちから科学っぽいことを言ったからなのか、アズマ教授はマルチバースという言葉を口にしたときに「ほほう」という顔をした。
「ワームホールの件でもそうですが我々の考える前提や定義が違っている可能性もありますから、マルチバースの可能性もゼロではありません。それを考察するためにも検査や会議への協力が必要となりますので。ぜひ力をお貸しください」
検査をするにしても大使館では無理だろうから、帰国したらということなのか。
だとしたら早々に帰国の手続きが進む可能性が高いはず。
この人たちにすり寄ってとっとと日本へ帰ろう。そして家族を探そう。
テーブル越しに差し出された教授の手を「こちらこそ」と握った。
握手慣れしていないのかおずおずと手を差し出すウチヤマさんとも握手をした。