結ぶと解く   作:ながずぼん

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第193話 作戦と異臭

 午前4時に新宿に着く。西口のコインパーキングに停めてネットカフェで仮眠を取る。10時に下北沢だから9時半にアラームをセットすればいいかな。

 アラームで起きて新宿駅の南口まで歩き小田急乗り場へ。

 下北沢駅へ着いたのは10時過ぎ。サクラさんに連絡をして「いま駅に着いたごめん」と謝ると「慌てなくていいですからね」と気を遣ってくれた。

 

 サクラさんたちの事務所に着いたのは10時半ぐらいだった。

「すみません遅くなりました」と謝りながら事務所に入ると、年配の女性スタッフさんが「大丈夫です。先生も遅れているので」と笑って教えてくれた。

 少しすると「お待たせして大変申し訳ないです」と謝りながら先生が事務所に入ってきたので、「全く問題ないですよ」と笑って言った。

 

 「まず様子を見てきます」と先生が奥の部屋に入っていくと入れ替わりでサクラさんが事務室に来た。なんだか疲れた顔をしている。

 「お疲れさまです」と声を掛けると「このところ全然食べてくれなくて、けっこう限界に近かったです。来てくれて本当に助かります」と言われた。

 先生はともかくおれはまだ役に立てるかどうかもわからないわけで、お礼を言われるにはまだ早かった。トランス状態はコソ練してきたから大丈夫だと思うけど。

 

 少ししたら先生が事務室に戻ってきて、サクラさんが年配のスタッフさんに彼女の様子を見ているようお願いし、彼女が部屋から出たら作戦会議が始まる。

 

「彼女の精神障害は簡単に言うと強烈な自己嫌悪です」

 

 先生はそう言って脳のイラスト画像を見せて彼女の現状を説明してくれた。

 偏桃体が過敏な状態にあり、罪悪感と結びついた感情が少しの刺激で呼び起こされている。だから彼女の感情は常にネガティブとのこと。偏桃体、覚えた。

 また、前頭前野の働きが著しく低下しているので、自己肯定感がほとんど生まれない。本来はここで感情のブレーキがかかるのだそうだ。前頭前野、覚えた。

 そして、内側前頭前野から前部帯状回にかけてのネットワークが延々と「生きる意味がない」と彼女自身に言い聞かせ、この負の感情のループが前部帯状皮質などに回り、自律神経などに影響を及ぼしているのだそうだ。ここは…よくわからない。

 

 次に先生はおれの能力で何ができるのか詳細の画像を何枚も使って根気よくおれに説明してくれた。何回も勘違いした質問をしてしまったが先生は嫌な顔ひとつせず丁寧に答えてくれた。ハナザワさんが言っていた通り、負の感情のループを一時的に解除して先生たちがリハビリを行う時間を稼ぐことがおれの役割だった。

 だから半減させたりニュートラルなものは残したりして完全除去するもはない。

 

 ようやくおれの能力でやるべきことを把握した後で、正の感情を無理やり強化する方法もざっくり教えてくれたけれど、本命路線のバックアップとのことだったので本当にざっくりだった。そもそも処置の後に無理矢理な躁状態になるリスクが大きいのでやりたくはないそうだ。

 

 作戦会議が終わったら3人でキッチン南海へお昼を食べに行って、チキンカツ定食を注文しようとしたらメニューになかったので鶏ささ身フライとメンチカツの盛り合わせライスを食べた。2人は仲良く豚しょうが焼きライスだった。

 先生はどう思っているのかわからないが、サクラさんは先生のことをメーロリンな感じだった。「食べきれない」とか言ってライスあげてるし。お似合いだとは思うが、おかずが多くてライスが足りなかったのでライスはおれに寄越せと思った。

 

 事務所に戻って少し休んだらいよいよ3人で彼女のいる部屋へ入る。

 簡易ベッドの上でボサボサ髪の虚ろな目をした彼女が起き上がっている。この前は遠巻きに眺めただけだったけれど、きょうは傍らに腰かけて彼女の目をしっかりと見た。精気の抜けた能面っぷりは変わらないが、目が怯えていた。目玉だけ小刻みに震えている。

 

「先生、手を握っても大丈夫ですか?」

 

「おそらく身体に触れられることに拒否反応はないと思いますが、先に声を掛けて様子を確かめてからにしてください」

 

 「こんにちは、ハナダといいます。いまから手を握りますよ、嫌だったら教えてください」おれは彼女にそう声をかけそっと手を握った。なんて力のない指なのだろう。本当に生きてるのか疑わしいぐらい彼女の生命力や意思を感じない手だった。

 

 「様子を見てすぐ戻ってきます。そしたら一旦相談しましょう」と先生とサクラさんに言ってトランス状態になり彼女の頭の中へ入っていく。

 

 まずは目的地である内側前頭前野から前部帯状回にかけてのネットワークを目指す。先生が見せてくれた画像をイメージすると、頭の中央にある帯状の部位がわかった。中に入り込むようにイメージする。

 ズームして物凄く小さいものを見るような意識をする。

 アメーバーみたいなやつから生えた枝に棘がついている。それらが編み目のようにびっしり張り巡らされている。この中から負の感情をループさせている箇所を特定しなければならない。正常な記憶や感情を巡らせているものは解いてはいけない。

 

 視覚的には光の筋が走るのが見えるぐらいで特定には至らなかった。一度、現実世界に戻って先生にもう一度話を聞いてヒントを貰おう。

 

 おれは先生に見てきた彼女の脳内の様子を話した。そして負の感情が流れ続けてシナプス領域が長期強化されている部分にはどんなことが起きているのか話をもう一度聞いた。先生は話の中で「過剰なニューロンの発火」と言った。手掛りはそれかと思った。

 

 もう一度彼女の手を握り頭の中へ入る。さっきの光景まで辿り着き、焦げた臭いを探した。一つの細胞のシナプス領域の構造がはっきり見えるところまでいくと焦げた臭いが充満していた。おれがループを解く部位はここで間違いないだろう。

 

 軸索の先端から神経伝達物質であるグルタミン酸が放出されている。それをシナプス後膜にある受容体と呼ばれるものが受け取っているので、まずはそれを半減させるというのが先生の説明だった。チューリップのような形をしたものが粒を飲み込んでいる。

 あれに間違いない。()()と思いながら花弁に触れるとふわっと散った花弁は膜の中へと沈んでいった。こいつをとにかく半分ぐらいまで散らして回った。

 

 軸索先端からグルタミン酸が放出されるが、受け手が半減しているので大量の粒が行き場を失い霧散していく。ざまあみろと思った。あれは彼女の感情だけど、元々は彼女が投げつけられたクソ野郎どもの悪い感情だと感じていた。

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