世間話からの突然の朗報に理解が追い付かない。大使も人が悪い。
帰国ってなんだっけ?というぐらいポカンとしてしまった。
大使の説明によると、例の研究に共同参加している国々は帰国に問題ない反応だったが、参加はしていないが事情を知っている国があり、フランスやドイツをはじめいくつかの国がおれの身柄を強請のタネに貿易交渉をしてきたとのこと。
実のところ大使館で保護した時点で難民申請は形式程度の手続きであって、国籍だってすぐに取得できる状態だったらしい。
日本へ渡り所在がわからなくなることを各国は懸念するフリで関税やら輸出入に関する交渉をしてきて、それを取りまとめるのに時間がかかっていたそうだ。
「大変お待たせしました。我々も力を尽くしてきましたが、なにぶん前例のない交渉でしたので想定より時間がかかってしまいました」
「いえ、ほんとうに…ありがとうございます…」
頭を下げていると膝にぽとぽと涙が落ちてくる。
日本へ戻っても戸籍の通り家族はいないかもしれない。でも、もしかしたら家族に会えるかもしれないという期待が抑えられず胸が熱くなった。
顔を上げると、慈悲深い眼差しでおれを見る大使と、その隣で鼻を真っ赤にして泣いているサクラさんが滲んで見えた。あなたまで泣いてくれるのか。ありがとう。
「そこまで喜んで頂いているところに大変恐縮ですが、帰国までのスケジュールと帰国後にお願いしたいことをお伝えします」
「あっ、はい。すみません」
鼻を啜りつつ大使の説明に耳を傾ける。
帰国は来週あたりを予定している。
チャーター便が抑えられるか否か、給油地がアメリカかイギリスか、当面日本で滞在する場所の確保、そのあたりを一週間で調整してくれるとのこと。
そして日本に戻って一ケ月は、東京で研究者たちに協力してもらわなければならないと言われた。その後、時期は未定だが渡米して検査に協力するという条件だった。
すぐに地元へ帰れないのはもどかしいが、とりあえず住むところも金もないし、研究への協力は責務なわけなので異論はない、というような返事をした。
それに東京には奥さんの実家がある。暇を見つけて尋ねてみようと思った。
「帰国に際して警護は外務省警備対策室の二人がつきます。急な体調不良などに対応するために本来は看護師を同行させたいのですが、あいにくここにはおりませんのでサクラザワくんに同行してもらいます」
「よろしくお願いします。パウラからきっちり教わっているから安心してください」
赤い目で使命感に燃える彼女が頼もしい。脳波も通常だし何もないと思うけど。
「ありがとうございます。日程が決まるまではどう過ごしたらいいですか?今まで通りでいいんです?」
「フライトの前日に最後に大学病院で検査を受けてもらいます。異常がなければ予定通りに。それまでは今まで通りに過ごしてください」
「わかりました。短い間でしたが本当にお世話になりました。あと少しありますので、今後ともよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げて応接室を後にした。
ドアを閉めると廊下を駆けてぴょんぴょん飛び跳ねた。
はしゃぐおっさんを職員の方々が目撃していた。皆その様子を微笑ましく見てくれていたので皆に抱き着いて回りたかったけれど自重した。
―――――――
出発の前日まで、いつも以上にぴかぴかになるように一生懸命掃除した。
いつものルーティーンでゴリラと殺し屋に挟まれて大学病院へ。
いつものルーティーンで脳波検査。付き添うパウラさんはいつもと同じ様子。
いつものルーティーンでお昼はカフェテリアへ。
「ハナダサン、今日モ、チビート、デスカ?」
「Si。Chivito por favor」
いつものルーティーンでチビートをオーダー。
「出国前にパウラに会えてよかったですね。わたしお邪魔かな?」
いつものルーティーンでパウラとどうにかしようとしてくる。
「またそういう… 出発前にお礼が言いたいと思っていたから今日会えてよかったです。全部の感謝は伝えきれないけれど、Muchísimas gracias Paula」
「No es nada。私ハ、私ノ、仕事ヲ、シタダケ。サクラハ、ココニイナサイ」
「まあでも日本の夏休みに、パウラと一緒に日本に行きますけどね」
「え?そうなの?日本で会えるかな?」
「必ズ、連絡シマス。日本デ、会イマショウ」
勢いで会うとか言ったけど、奥さんヤキモチ妬くかな…