功労者でも職員でもないのだから見送りなんかないと思っていた。
けれども大使館を出るときには職員総出で一言ずつ贈られ盛大に見送ってくれた。
いつもの日の丸の旗のついた車の後部座席にゴリラたちに挟まれて乗り込むと、ヨシオカさんの運転する車は一路、カラスコ国際空港を目指して走り出す。
日本大使館から東の海沿いへ出て30分ほどでカラスコ国際空港に着く。大きなシェル状の屋根が近代的だ。ウルグアイで一番大きいとサクラさんが教えてくれた。
国際線のターミナルへ入り、チェックインカウンターでヨシオカさんが搭乗する全員分のチケットを受け取り、チケットと一緒にパスポートを渡される。
この時初めて新しいパスポートを受け取る。ちなみに住所は千代田区霞が関二丁目になっていた。暗に外務省かどこかの預かりの身分を示しているのだろうか。
保安検査場の前でヨシオカさんとはお別れ。戸籍を見つけられなかったのを残念がってくれた。病院へ来てくれただけでも一生分感謝してますと固い握手を交わした。
ボディチェックを受け、出国審査へ。ほやほやのパスポートを提出してスタンプを押してもらう。車を降りてからずっとゴリラと殺し屋がすぐ近くにいる。
日本への便はひとまずイギリス行きの特別便。通年このルートがあるわけではないらしい。ロンドンのヒースロー空港で乗り換えることになっている。
座席には特別な配慮があるわけではなくエコノミーで15時間飛ぶ。チャーター便というわけではなさそうだった。
搭乗までに少し時間があるようで、サクラさんは免税店へ。
大して金もないしゴリラと殺し屋が邪魔なので大人しくベンチに座る。
「オオクボさんとカワサキさんは日本に着いたら、またこちらへトンボ帰りなんですか?」
そもそも口数の少ない彼らがどこからやってきたのか知らないので尋ねてみた。
「いえ、私たちは通常はアメリカに駐在しているので、少し日本に滞在したらDCに戻ります」
「アメリカから来てくださっていたのですね。ありがとうございます」
「ダレス空港で乗り換えなら職務放棄して途中下車もあったかもしれないですね」
殺し屋みたいな顔していても冗談は言えるんだと驚いた。
世間話をしていると、いくつか袋を手に下げたサクラさんが戻って来た。
最後に搭乗すると聞いていた通り、周りに人がいなくなりいよいよ搭乗ゲートへ。
その際にオオクボさんにぼそっと注意を促される。
「乗り降りの際は決して離れないでください。どうしても身動きが取り辛いので」
「わかりました」と言って二人の警護に歩調を合わせ前後に挟まれつつ機内へ進む。
前目の中央列4人掛けシートに4人で並んで着席した。当然警護に挟まれている。
サクラさんはなにか話し掛けようとしている素振りを見せるが、警護が邪魔そうでそのうちに諦めた。具合が悪くなったら~みたいな話なのだろう。たぶん。
離陸時にぐんっと機体が上向きになる瞬間は何回乗っても慣れられないと思う。
既定の高度に達してシートベルトサインが消えたら、ようやく日本に帰れるんだなあと実感した。アディオス、モンテビデオ。
映画を何本か観て、何度か食事と転寝とトイレに行ったりして、まじ飽きた…となった頃ようやくヒースロー空港に着いた。機内でのトラブルはなく助かった。
最初にトイレに行ったときなんかゴリラが着いてきて、用を足している間おそらくドアの前に立ちはだかっていたと思われ、出てきたら乗客にジロジロ見られてなんだか恥ずかしかった。隙を窺う連中にはそういうのも効いていたのかもしれないけど。
いったん空港建物に入り階段を下りると乗り換え用のバスが待っていた。
どこまで行くのだろうと思うぐらい走ってようやく次に乗る旅客機に到着。
尾翼に赤い鶴のマークがあった。ここから日本の用意してくれたチャーター機だ。
初めてのビジネスクラス。足元めちゃくちゃ広いな!と感動した。最初は。
乗客に紛れがない理由でもあるのか、今度は二人掛けシートの隣にはサクラさんが座る。警護の二人はおれたちの前の席に座った。
「私、ビジネスクラス初めてです。ハナダさんは使ったことありますか?」
「まさか。初めてですよ。格差社会ってこういうことを言うんですね」
「ファーストクラスなんかもっと広いみたいですよ。いつか乗ってみたいです」
「そうですね… いや、そうでもないか。寝ちゃえばシートの広さ関係ないし」
修学旅行で初めて新幹線に乗る学生みたいな会話をしていると機体が動き始めた。
甲高い音を立てて滑走路まで幾度も曲がりながら走り、飛び立つ方向を向くとエンジンが轟音を立て始める。やがて一気に加速し強いGでシートに押し付けられる。
ぐんっと機体の頭が持ち上がるのを感じると、その姿勢のまま宙に浮いたのがわかる。
手汗がすごい。やっぱり何度体験してもこの離陸の感覚には慣れられない。
隣を見るとサクラさんが目を固く瞑ってめちゃくちゃ強張っていた。
安定飛行になりベルトサインが消えると、すぐに食事が用意された。
肉か魚か聞かれ迷わず「肉で」と答えると、隣から「ほんとに好きですね肉」と笑い声が聞こえた。CKBだって迷わず肉だと言う男になりたいって歌っているよ。
しばらくして機内の照明が落とされ就寝の環境が整えられた頃、修学旅行の旅館で暗い中ぼそぼそ喋るような感じでサクラさんが話し掛けてきた。
「なかなか帰国の話にならなかったじゃないですか」
「うん。まさか貿易交渉と絡められているとは思わなかった。長かったね」
「あまりにも待たせるから、私、ハナダさんと結婚してあげようと思ったんです」
「はい?結婚?」
「はい。養子になって私の戸籍に入れば日本国籍が手に入るじゃないですか」
この人の献身的な姿勢はちょっと危険領域に踏み込んでいると思った。
優しさに付け込まれて殴られて稼ぎを吸い取られる未来しか見えない。
「ああ、うん。ありがとう。でも自分を大事にしてください」
「でもハナダさんとの結婚生活を想像して、ないなーって思ったんです」
「え、あ、ああ、そう」
「帰れてよかったですね。ハナダさんもわたしも。おやすみなさい」
「あ、はい。おやすみなさい」
なんのカミングアウトだよ。ないなーって。
酷くないか、ないなーって。
わざわざ言わなくてもいいじゃんと思いつつ、サクラさんの献身が振り切れてなくてよかったと安心した。
大きなお世話だけど彼女には同情とか憐憫で自分の幸せを放棄して欲しくない。
もっと自分のことだけ考えていいと思う。
そう思って彼女の方をチラ見したら目が合った。
「寝顔を見せるつもりはありませんからね」
挑発的に笑いながらそう言われた。
別にそういうんじゃないんだけどな、と思いながら寝に入るために目を瞑った。
第一章【転移編】了