虚しくて悲しくて地面に横になって泣いていたら知らない間に眠っていた。
辺りが薄暗くなって寒くて目が覚めた。
今日も無為に一日を過ごしてしまった。なんの成果もなく日が暮れる。
洞窟の部屋に行ってベッドに横になる。食欲もないのでこのまま寝ることにする。
といってもさっき昼寝したばかりなので眠れはしないのだけど。
やることもないのでこっちの世界で遭遇した出来事を思い出していた。
アドラさんとアメリカを縦断したこととか、時間を巻き戻したこと。ヨハンソンのHIVを解いたり、東京で虚ろな彼女の脳内に潜り込んだこと。
アサガオさんの森の家で金庫を取ってきたこと、あの家が健在だった風景。
あの家で初めて水を解いて抱きつかれたこと…あの家で空間を摘まんで…!?
空間の膜を摘まんだ?あれはなんだ?あの膜ってなんなんだ?
ベッドから起き上がって部屋の中の空間を見る。膜がある。摘まむと捻じれて椅子がカタカタと音を立ててずるずると捻じれに引っ張られる。
これはなんだ?アサガオさんはなんて言ってた?この操作の先がワームホール?
ちくしょう、なんでこの膜に気付かなかったんだ。エルリカがいるうちにこれに気付いていれば説明が聞けたのに。八つ当たりなんかしてる場合じゃねえだろ。
不意にはっきりと家族の顔を思い出す。奥さんと二人の息子。三人が笑っている。
絶対に帰る。絶対にだ。こっちの世界に留まるとか二度と思わない。
いてもたってもいられず洞窟の外に出る。暗くてよく見えないけれど構わない。
トランス状態で空間の膜を見る。確かにそこに膜っぽいものがある。
この膜を波チャンネルの視界で見ると、とんでもないものを目にすることになる。
それは全てがランダムに明滅し揺らいでいる。けれども形そのものは規則正しく並んだ樹氷の森のようで、三次元の凹凸が空間全体を埋め尽くしていた。
「なんだ…これ…」思わず声にしていた。気味が悪く美しい、圧巻とはこういうことだと言わんばかりの光景だった。
世界はこんなふうに形作られていたことを知り、なんだか怖くなった。
とはいえ、こんなものまで操作できるのか知りたくて恐る恐る手を伸ばしてみる。
膜を摘んだときのように触れようとすると光の波は身を捩っておれの手を躱す。
何度やっても同じだった。あの波はおれの動きを察知して躱しているんじゃなくて、おれが動くことで波も動くように思えた。これじゃ一生触れない。
トランス状態を解いて洞窟に戻り今夜は眠ることにした。明日起きたら秘密の階段を降りて、下でエルリカを待とう。待っている間にあの樹氷みたいな光の波を観察してクセとか掴めれば何かが変わるかもしれないし。
なんの根拠もないのだけど明日エルリカが戻って来るような気がしていた。
―――――
翌日、目が覚めたらトイレを済ませて秘密の階段へ向かう。
階段まで辿り着いて降りようとしたとき、エルリカが荷物を背負って登って来た。
「あっ…、お、おはよう、エルリカ。戻ってきてくれたんだ」
「なんだ、一人になりたいんじゃなかったのか?私が戻って嬉しそうだな」
「ああ、あの時は本当にすまなかった。八つ当たりしてごめんなさい」
「ふっ。お前は大きな子供だから酷い態度も許してやろう。それで朝からどこへ行くつもりなんだ?まさか山を降りて逃げるつもりだったのか?」
「そういう意地悪言うなよ。おまえを迎えに行こうと思ってたんだよ。聞きたいことが山ほどあるんだ。たぶん干渉縞ってやつが見えたと思うから!」
「ああ。知っている。お前がその先に辿り着くのも知っている」
「え?なんで?こっから先に進めんの?なんで知ってんの?予知夢とか?」
「とにかくそこをどいてくれ。話は後で聞くから。それよりお前を励ますためにいいものを買ってきたからな。それを食べながら話をしよう」
道を開けてエルリカを登らせ、彼女について洞窟の方へ歩いて行く。
部屋に戻ると背負っていた荷物の中からテッテテーと言わんばかりのにやにや顔で恭しく四角い箱を取り出した。それは紛れもなくいいものだった。
「おいおいおいおい、ピザじゃねえか!」
「ピザではない。ピッツァだ!」
え?どうしてサンドイッチマン知ってるの?それとも素で言ってんの?
「少し冷めてしまったから温める」そう言ってピザに手を翳すと20秒ほどで湯気が上り始めた。火の玉を放つぐらいだからあり得るなとは思っていたが彼女は疑似電子レンジ能力が使えるようだった。これを人間がやられたらひとたまりもないだろう。
改めて恐ろしい女だと思ったが、魔法バトルでこれを使わなかったことを考えると、やっぱりアサガオさんの娘なんだなと、ちょっと安心した。
ほかほかの少し湿っぽいピッツァを頬張りながら、干渉縞について話を聞いた。
やっぱりおれが見たものが干渉縞の情報構造だったけれど、触れられなかった理由は聞いても全然わからなかった。一緒に揺れろとか意味わかんないことを言われた。
それでもワームホールを開くためにはあの光る波に触れなければならないわけで、ここで癇癪を二度と起すわけにはいかない。粘り強く質問を繰り返す。
「お前は観客ではなく舞台に上がれ」とか「歌に合わせるな歌え」とか挙句の果てには「空気を吸うのではなく、空気に自分を吸わせるのだ」と謎指導が続いた。
結論として「波に溶けろ」ということだった。いまおれが使える世界に溶けるトランス状態、あれをver.2に進化させる必要があるようだ。って、できるのか…?
エルリカは確信的に「できるんだ」と言って不敵な笑みを向けているけれど。