元の世界でお茶を齧っていた頃、人に連れられてちょっといい懐石料理の店に行ったことがある。寒いときに温めた石を懐に入れて空腹を凌いだぐらいの料理が懐石料理なんだとそこの店主さんが言っていたが、そこで出された料理は量こそ少な目だったけれど、見た目も味もそれまでに食ったことがないぐらい綺麗で美味しかった。
ここの店で出される先付や口取も、それに負けず劣らず美しく美味い。
「めちゃくちゃ美味しいです。おれの無作法が申し訳ないぐらい美味しいです」
「そうですか。そう言ってもらえるとお連れした甲斐があります」
その後、向附としてだと思うのだけれど刺身の盛り合わせが出てきた。
恥ずかしいぐらいあっという間に食べてしまった。手持ち無沙汰になるのを気にしてか教授に私の分もどうぞと勧められたが断った。それはさすがに卑しすぎる。
そう時間もかからず湯豆腐が運ばれてきた。超絶シンプルに中身は豆腐だけ。
続いて、焼物や酢の物、あと二品ほどお椀や小鉢のものが運ばれてくる。
「これで彼女たちもしばらく来ないでしょうから、そろそろお話ができます。あ、食べながらで結構ですからね」
そう言って教授は自身についてぽつりぽつりと話始めた。
教授は奈良の生まれで地元の小中へと通い、その後、京都の高校に入学する。卒業すると進学はせず、京都のスーパーに就職した。
「実家がそれほど裕福ではなかったし、私の学力もそれなりでしたから」
「それでも大学教授にまでなったんですから、就職後も相当努力されたんでしょう?」
「いえ。教授になったのはある方と出会って、そうなる必要があったからなんです」
スーパーで働く日々を過ごし、22歳の時にある女性と出会う。それが例の始祖の人だそうだ。自分より少し年上に見えるその人は不思議な容姿をしていて、月に一度しか来なかったがずっと気になっていた。そうはいってもなかなか声を掛けるチャンスも度胸もなく、来店する彼女を眺めるだけだった。
そんな日々が一年以上続いたある日、彼女の方から声を掛けられる。「ケチャップはどこ?」と。直近で棚の配置が変えられたから見つけられなかったようだ。
そんなことよりも初めて聞く彼女の声にアズマ青年の脳は痺れてしまい、ケチャップの棚に案内した際に意を決して名前を尋ねたそうだ。すると彼女は「アサガオよ、アズマさん」と名乗った。名前を呼ばれただけで嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
翌月、彼女が来店するとすぐに早退する。そして買い物を終えた彼女の後をつけたそうだ。どうしても彼女のことが知りたかったから。
「教授… けっこうやべえ奴だったんですね。ちょっと理解できないっす」
「いや、本当にどうしたらいいのかわからなかったんですよ。ははは」
ちょうどその頃、ご飯だとか汁物や締めになるものが運ばれてきた。
「では、続きを」
彼女の後をつけたアズマ青年は、最寄り駅が山崎駅であることを突き止める。
スーパーは洛西口駅の近くなので電車で30分かかる。なぜ彼女はそんなに時間をかけて遠いスーパーに通うのか不思議だったが、運命の仕業だと思った。
駅からは北へ、つまり山の方へ歩いていく彼女に気付かれないように見失わないように後をつけていく。先が行き止まりというか車は通れない登山道のようなところまで坂を上ったところで彼女を見失う。
直感に従い登山道へ踏み入れた瞬間「来ないで」と彼女の声が聞こえた。どちらの方向からということもなく聞こえたそうだ。
普通ならそこで怖くなる場面なのだろうがアズマ青年は、とにかく彼女に会いたくて、彼女の傍にいたくて声に出して「あなたを知りたいんです」と叫んだそうだ。
「もう帰れなくなるかもしれないわよ?」と姿が見えないまま声が届き「それでも構わない」と叫ぶ。すると頭を触られたような奇妙な感覚があった後、藪の中から彼女は姿を現し、ついて来るようにと手招きをして藪の中へ入っていった。
アズマ青年は彼女のすぐ後を追いかけて登山道を進み、さらに道とは呼べない道を進むと急に森が開けた場所に出る。そこには色とりどりの花が咲く庭があり、小さな洋風の家がぽつんと佇んでいた。
そこは不思議な空間で、空を見上げても木々でドームのように覆われているが、木漏れ日がいい具合に差し込んできて暗くはないそうだ。
「彼女は思念伝達も思考操作も得意です。私は物理なんかは成績も悪く学ぶ意欲もありませんでした。ですが、彼女にとって必要なことだったので、知識を与えてもらいました。植え付けてもらったという言い方のほうがわかりやすいですかね」
「教授の脳に彼女が知識をアップロードした、ということですか?」
「はい。ですが容量があります。私に元々の素養があればもっと彼女の言うことを理解できたのでしょうが、残念ながらそうはなりませんでした。ワームホールのことも、あなたが元いた世界のことも、私には説明ができないのです」
「いや、でも教授にはいろいろ教えてもらいました。今日だってコヒーレンス?のこと教えてくれたじゃないですか。知識はどこで手に入れても教授自身のものですよ」
「ありがとう。役に立てたなら嬉しいです。あなたに生きる強い意思と、能力者に対して動じない心構えが備わったと彼女に伝えたら大変喜んでいました。早く会いたいと」
「んー、自分じゃ成長している感じぜんぜんないんですけどね。ははは」
「明日は彼女のこと、よろしくお願いします。ではホテルまで戻りましょうか」
すっかりご馳走になり、タクシーでホテルへ戻った。
明日はいよいよラスボスとの対面だ。
第四章【輪郭編】了