第75話 森と美魔女
朝八時にロビーでアズマ教授と合流して挨拶を交わすと、出発前に申し訳なさそうに携帯をどこかへ預けてくれと言われる。
あ、GPSで彼女の居場所を特定されるのが困るということなのかと思い、じゃあ駅のロッカーに預けるようにしますと言ってホテルを出た。
タクシーで京都駅まで行き携帯の電源を切りロッカーに預け、JRに乗って山崎駅へ。
前の世界で妙喜庵待庵を見学しに来て以来だ。薄暗い二畳の茶室だけれど部屋の角の処理が絶妙で、境界が曖昧で自分を中心に奥行が把握できない空間になっている。
あの空間を『宇宙』と例えるのは言い得て妙だと思う。
駅からは教授の後について歩く。まあまあな坂を上りさらに登山道を進み、ついぞ藪へ分け入る。買い物に行くのに毎回これじゃ不便で仕方ないだろうに、なんでこんな山奥で暮らしているのだろうか。クスメギが徳島に仙人がいるって言っていたけど、同じ理由なのかな、それにしても歩きにくい。
しばらく進むと教授の話の通り、なんともいえない森のドームに出た。
その人と思わしき女性が花に水をやっている。その姿に目を疑う。
花に水をやっているのだ、手から。手から水を出している!
ちょっ、魔法使いじゃねえか。思考操作どころの話じゃねえ!
「いらっしゃい。お待ちしてたわ。ありがとう、タダヒトさん」
生成りのワンピース姿の彼女はパッと見て20代半ばに見えるが、次の瞬間もっと幼い?いや30代後半か?とわからなくなる不思議な容姿をしている。
顔の造りはヨーロッパの北の方の人っぽいが、アジアなのかラテンなのかそっちの血も混じっているようにも見える。情報量が多いというより情報が定まらない容姿だ。
「勘で言うけど、あなた、わたしの容姿が不思議だって思ってるでしょう」
「ええ。それよりも手から水出してるほうが不思議ですよね。それ魔法ですか?」
「あはは、正直なのね、よかったわ。見えないのだから正直でいてくれないと」
水を出すのを止めて、彼女は教授に紅茶を淹れてくるようお願いして、木でできた庭のテーブルセットを指して座るよう言った。
テーブルを挟んで会い向かいに座るなり、手を出してと言うのでテーブルに乗せると、両手を握って「早速で悪いのだけど、ちょっと試させてね」と言う。
次の瞬間、バチバチバチバチと細かい火花が視界いっぱいに広がり、びっくりして目を瞑ったけれど火花は見えたまま。そして、なにかに触れられた感覚があった。どこを触られたのかわからないが、ふわっと触れられたような、額のあたり?
そこで火花は止み、目の前には感極まった顔をした彼女がいた。手を強く握ってしまっていることに気付いたのでさっと手を離した。
「タダヒトさんの言う通りね。でも、お子さんがいらっしゃるのは見えた」
「ええ、男の子が二人。そういう力で頭の中を覗かれたのは初めてです。その力には強弱があるんですね」
「もう一度試させてもらっていいかしら?」
彼女はそう言い、返事も聞かずまた手を握るとパチパチと火花が見え始める。ちょっと痺れるような感覚も伴ってきたところで《初めましてアサガオです》と声が聞こえた。
耳から聞こえたのではなく脳天のあたりに声が降って来たような感覚があった。
火花が止んで視界が元に戻ると少しだけ放心したような表情の彼女が見えた。
「無意識であれなのね、興味深いわあなた。で、わたしのご挨拶は届いたかしら?」
「ええ。初めましてアサガオさん。覗くだけじゃなくて声も届かせることができるんですね。いままで会った二人には何もさせなかったのに」
「それはそうよ。あなた、ソレの使い方なにも知らないんですもの」
「それを聞くためにヒーヒー言いながらここまで山道を登ってきたんですよ」
「うふふ。そんなに焦らないでちょうだい。お話したいことがたくさんあるの」
気が付けばぎゅっと手を握ったままだったので、さっと手を離す。
「あら?照れなくてもいいのに。握っていたほうがお互いをよく知れるかもしれなくてよ?」
おれには聞きたいことが山ほどあるが、彼女の話はおれに理解できるかの方が心配だ。脳に直接知識を貰った教授でさえキャパオーバーだって言ってたのに。
そもそも、生物学やら物理法則やら量子論が始まったらお手上げなんだが…
彼女の話がいつ始まるのかと待っていると、教授が銀色のトレイに紅茶のポットとカップを載せて運んでくる。まるで爺やと令嬢のようだが、教授との出会いから換算すると彼女は若くても50代のはず。だがどう見てもそこまで歳を取ってるように見えない。
あれかこれが本当の美魔女ってやつか。手から水出すし。
「相手の考えていることがわからないって、すごく新鮮ね、タダヒトさん」
「でもハナダさんは素直な方ですから、感情が顔や態度に現れていますよ」
「じゃあ… いまあなたの考えていることは… 私の年齢についてよね?」
「ええ。教授が20代の頃に出会ったと聞きましたから。教授より若かったとしても、おれよりも随分と若く見えます。でもそれじゃ出会ったときが赤ん坊じゃないと計算が合いませんから」
名探偵おれの推理をふむふむと楽しそうに聞いているアサガオ容疑者であった。