残り4日。最終課題は「時空を歪ませる」ことだった。
これは電子もリズムも自我も関係ない。直感的に空間にシワを作ってやればいいんだと思った。
理論的に把握していたわけではないが、おそらく可能だろうと思い二人を庭に呼び出しておれの様子を見守ってもらった。
というのも、トランス状態になると客観的にどうなっているのか見えないからだ。
早速、鏡の訓練で覚えたトランス状態に移行する。世界におれが溶けていく。
ひどく歪んだ魚眼レンズで覗いているような奇妙な光景が目の前に広がる。
二人の方を向いてそこに膜があるかのように空間にシワを作って見せる。
どんな原理かわからないけれど、縮んだ空間に向けて小石や草が集まっていく。
それができたのは一瞬だった。急にへとへとに疲れて維持できなかった。
意識を戻してその様子を見守っていた二人に確認すると、最初に水を分解したときのようにお揃いで褒めてくれた。二人ともちょっと涙ぐんでいた。
なんだか父親と母親に褒められたような気分だった。
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期限まであと3日となった日から、アサガオさんは寝室に籠った。
最終日前日までに加齢を進行させるためだと言う。
部屋に篭る前「おばさんになっても愛してくれる?」と教授に訊ねるアサガオさんがすごく乙女でかわいらしく思えた。教授は「もちろんです」と笑顔で返事をした。
ここで失敗は許されないので、彼女が部屋に籠っている間に教授からテロメラーゼについてレクチャーを受けた。教授も専門外でアサガオさんからの知識の植え付けもないのでいろんな資料を見ながらの説明になったが、おおよそのことは把握できた。
というか、きっと結ぶ素粒子の塊が保護しているんだろうなと想像していた。
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最終前日、アサガオさんが部屋から出てきた。
すっかりおばさん、とまでは老けてなかったが部屋に籠る前よりは年を取っている。30代半ばといった感じ。老けた感じはしないが落ち着いた感じがする。
「やりすぎておばあちゃんになっちゃったかしら?」
「相変わらず魅力的ですよ。とはいえ容姿がどうあれあなたの傍にいますから」
教授の寄り添いスキルが発動しアサガオさんが乙女の顔をしたところで咳払いをひとつ。不老を止める作業を入る。作業と呼ぶほど簡単なものではないから、儀式と呼んだほうがいいのかもしれない。
二人の平穏な暮らしのため、きょうまでの恩返しのために気合を入れる。
最初に会って話をしたときのように庭のテーブルを挟んで向かい合って座る。
手を出してもらって、両手を軽く握り、意識を彼女の中へと集中させる。
Xの形をした染色体の端にあるテロメア。細胞分裂のときに短縮されるはずのテロメアを保護しているのがテロメラーゼという酵素だ。彼女のそれが過剰活性して不老の身体となっている。
染色体の一つ一つを解いていくわけにもいかないから、過剰活性の元となる信号を送っている場所を探り、そこを解くことにする。
トランス状態に入り、染色体の端部にあるテロメアそのものを知覚する。
次にテロメアにつながる筋というか繋がりがあることを知覚して、辿っていく。
なんだこれ?結晶なのか?ピカピカしたものがある。こいつが不老になる命令を出している本体だろう。結晶化しているこれが彼女の生きる意思そのものなのか。
雑に破壊すると彼女の生きる意思そのものが消失してしまうかもしれない。
結晶の奥にある神経細胞自体には触れないように、そっと結晶だけ解いていく。
結晶を解くとふわーっとした光になって溶けだした。1500年保持してきただけあってなかなか堅牢だけれど、なだめるように労うように少しずつ光に変えていく。
キラキラした光の粒はまさに彼女の命の輝きそのものだった。
どのくらいの時間が経ったのかわからないが、結晶は全て光になって消えた。
意識を現実世界に戻すと、目の前でアサガオさんがぽろぽろと涙を零している。
彼女の前髪にはメッシュを入れたように二センチぐらいの幅で金髪の筋が出現していた。なんだか最初からそうだったように思えるぐらい似合っている。
「ひとまず終わりましたよ。これで素直に年を取ってくれると思います」
「ええ。わかるわ。ありがとう、ハナダさん。本当にありがとう」
ここへ来て初めて名前で呼ばれた気がする。
「どのくらいやっていましたかね?」と教授に訊ねると「10分ぐらいでしょうか」との返事。それっぽっちなのか。一時間ぐらいかかっていたように思ったけど。
さて、ここからはアサガオさんとの共同作業になる。
彼女は加齢方向に細胞活性を再構築する。部屋に籠って行っていた作業だ。
その際におれは、DNAのエラーコードを探し出して解除したり、免疫系の過剰信号を抑制する。正直、頭では理解できない話だが彼女の内側の声を聞けばわかるだろう。きっと教えてくれるはずだ。
もう一度手を握り、アサガオさんに合図を送る。
トランス状態になり、彼女の内側に入るとなにか粒の塊が流れているような光景に遭遇する。二重螺旋の大きな川のような流れの中で粒は離散集合し順序を入れ替えながら流れていく。ウチヤマさんに教えてもらった塩基の配列がこれなのかもしれない。
その中に黒く濁った粒が隊列を乱しているのがある。きっとこれが彼女の言う「リスク」なのだろう。慎重に粒を押しのけると黒い粒はふわっと消えた。
その作業をしながら気になっていたのだが、二重螺旋の奥に光る糸でできた網がある。その中に赤く点滅をしている部分がある。こっちが免疫の過剰信号なのだろう。そっちは取ってしまうとまずい感じがしたから、そっとなだめるように触ってやると、青白い光に変わった。黒い粒と赤い点滅を探して対処していく。
気が遠くなるような時間を彼女の中で過ごし、集中力を切らさないように作業を進めると、粒の移動が見られなくなった。彼女の操作が終わったのかもしれない。
現実世界へ戻れるのか心配なぐらい長い時間、おれの意識は溶けていた気がする。