───『現実は小説より奇なり』なんて言葉がある。
読んで字のごとくだが、現実で起こる出来事は想像やフィクションで描かれた小説よりも複雑で波乱に満ちたものである、という意味だ。イギリスだか何処かの詩人が出典だったと思う。
俺も人並みに漫画は読むし、小説も苦手ではない。事実に基づいたドキュメンタリーやSF、サスペンス。文学小説や古典なんてのも色々読み漁っている。玉石混交というか、中には『ご都合主義』なんて言われるような、あまりにも出来すぎたストーリーもある。
だがそれは、現実から離れて作品という名の世界を楽しむには大いに必要なものでもある。何かと不条理の多いこの世の中だ、ヒロインのピンチに必ず駆けつけるスーパーマンや、時間ギリギリで解除できる時限爆弾、土壇場での超能力の覚醒。そんなコテコテのストーリーが好まれるのも、色んな人が『ご都合主義』を望んでいるからなのだろう。
ただ、先に述べた言葉のように、小説みたいな───ひいては小説よりも奇っ怪な『ご都合主義』やシチュエーションなんてものに出くわすなんて、そうそう有り得ないだろう。俺に言わせれば『現実は小説より非情なり』ってところだ。
…………長々と自分語りをしたが。
まあ、何が言いたいかと言うと───
「へっへっへっ……ダメだよぉ? キミみたいな女の子がこんな所にひとりで来るなんてさぁ! とりあえず、ちょっと一緒に来てもらおっか。大丈夫大丈夫、怖くないから!」
「ぁ、あの、困ります……」
ゲーセンの前でいかにもな不良に絡まれる女の子、なんていう状況に出会して少々現実逃避をしていたのである。
不良のタッパは170前後。学ランを着崩し、派手な色合いのシャツを見せているのだが……上着の袖から先が破り捨ててあるのは何でだ。そのエグいモヒカンも意味わからん。世紀末か?
対し、絡まれている少女は小柄で150cmくらいしかない。身体の線も細く、おろおろと慌てる様子も相まってハイエナに襲われるバンビのようだ。視線で周囲に助けを求めているが、現在時刻は20時過ぎ。ここのゲーセンは裏通りにあるので人通りも少なく、夜になればこういったゴロツキが屯していることも多い。
大きなため息をひとつ、肩に担いでいたバッグをその辺に放り投げる。
「さぁーて、オレと楽しく遊ぼうぜ───!」
「ひゃ……!? や、やめてくださ……っ!」
少女の手首を掴んで引っ張って行こうとした世紀末モヒカン。その手首を更に俺が掴んで動きを止めた。……細ぇな。鍛えている訳でもない、ただのヤンキーか。
「楽しそうだな。俺も混ぜてくれよ」
「あァ!? ンだテメ……ッ!?」
『お楽しみ』を邪魔されたことでイラついたのか、ドスを効かせた声音でメンチを切ってくる世紀末モヒ……めんどくせぇな、モヒカンでいいや。メンチを切ったモヒカンだが、俺の姿を見て若干ビビったような素振りを見せる。
俺の身長は188cm。モヒカンと比べれば20cm近くの差がある上に、筋トレで鍛えているお陰で肩幅も広く身体の厚みもある。それに付随して声はひっくいし目付きは悪いしで、とてもじゃないが高校生には見えない風貌だ。……自分で言ってて悲しくなるな。
ここで絡まれている女子を颯爽と助け出すのが王子様風のイケメンなら、少女漫画の冒頭としては百点満点なんだろうが。生憎、同級生の女子と話すよりも警察官に職質された数の方が多い。
「その子を放せ。で、お前もとっとと帰れ」
「はぁ? 今なんつったテメコラ。チョーシ乗んなよテメコラ。ちょっとデケェから何だっつんだよテメコラ。あんま舐めてっとッスぞテメコラァ!!」
「……聞こえなかったか?」
ぐっ、と手に力を込める。
本気でやればリンゴを握り潰せる程度の握力だ。勿論加減はしているが、それでもモヒカンの表情が苦痛に歪む。
「その子を放せ、って言ったんだ。それともこのまま何も持てなくなりたいのか?」
「い、ッ……! わ、分かった、分かったって!!」
怯んだのを確認して手を放してやれば、モヒカンは「覚えてろよッ!?」なんて小悪党丸出しの捨て台詞を残して逃げていった。言われずとも記憶力には自信があるんだ。次に会ったら腕の関節を増やしてやろうか。
夜闇に消えていくモヒカンの背中を見送って、ようやく絡まれていた少女に目を向けた。
まず目に付くのは膝下まであろうかというローズピンクの長髪。薄暗がりの中で淡く浮かび上がるそれを、左右で三つ編みにして流している。幼さの残る整った顔立ちと緩く下がった眉。やや潤んだ銀灰色の瞳は不思議な輝きを放っており、少女の雰囲気を何処か神秘的なものへ昇華させていた。
「怪我は?」
「ぁ、だ、大丈夫です。ありがとうございました」
「そうか。けど、女の子がこんな時間に出歩くもんじゃない。中学生なら尚更だ、親御さんが心配するぞ」
パッと見、目立った外傷は無さそうだが……流石にひとりで帰すのも危ないだろう。警察は流石にやり過ぎか? 家が近くなら送って行っても良いんだが、俺が一緒だと職質されそうだな。家族さんに連絡して迎えに来てもらった方が良いか?
などと解決策をあれやこれやと考えていると、下方から湿っぽい視線が突き刺さるのを感じた。目線を頭ひとつ分下げてみれば、柔らかそうな頬をぷぅっと膨らませている少女の姿。額面通りに受け取るなら『私、怒ってます!』の意思表示だが……何故だ。
「……どうした?」
「私、これでも高校生なんですケド」
「……………………そいつは、すまん」
高校生。
この草食動物みたいな少女が俺と同じ高校生。いや、俺も別の意味で高校生に見えないから人のことを言えた義理じゃないが。
「……失礼ついでに、何年生だ?」
「甘結もか、一年生です!」
むん、と胸を張って宣言された言葉に、俺は内心安堵した。良かった、これで俺と同い年とかだったら流石に人体の神秘を疑ってた所だ。というかご丁寧に名前まで名乗ってくれたが……雰囲気にぴったりの名前だな。
「潮崎隆、高三だ」
「えっ……? こ、高校生……?」
「……よく言われる」
「ぁぅ、いや、その! 別に外見がどうとかじゃなくて、背も高くて凄い大人っぽいから大学生とかかなぁなんて
凄いな、後半何言ってるか全然聞き取れなかったぞ。
「それに関しては俺も失礼な事を言ったからな、気にしなくていい。それよりも、家は近いのか」
「あ、その……家は、駅から遠くて。ご迷惑でなければ、家までご一緒してくれませんか……?」
そう言って此方を見上げる甘結の細い両足は、小刻みに震えていた。見るからに荒事とは縁遠そうな少女だ、その辺のヤンキーだって十分恐怖の対象になり得るだろう。男に絡まれた直後とあっては尚更恐ろしいはずだ。
俺としても、彼女を送っていくことに対して異論はない。この図体と人相の男が隣にいてもなお絡んでくるような奴はそうそう居るまい。問題は俺が居ることで甘結の精神に負担がかからないか、ということだ。
幾ら割って入ったとはいえ、俺とは出会って10分かそこらの関係でしかない。人となりもよく知らない男をと二人で夜道を歩く、と字面だけ見れば中々に勇気がいる行動ではある。ただまあ、彼女から話を振ってきた以上はある程度の信を置いてくれているのだろうが。
そこまで考えた上で、不安そうに待っている甘結に対して軽く肩を竦めてみせた。
「俺でいいなら、構わないが」
「え? 良いんですかっ?」
「……そんな脚の震えを見せられちゃあな」
「あ、ありがとうございます!……よかったぁ」
へにゃり、と。
俺の言葉を聞いて安心したのか、甘結は気の抜けたように笑った。
◇◆◇
「───着きました! ここです!」
「……随分と、立派な家だな」
歩くこと十五分ほど。
甘結と共に辿り着いたのは、白塗りの壁に囲まれた立派な武家屋敷? 日本家屋? だった。入口の横に物凄い達筆で『甘結』と書かれた表札もあるし、甘結のご実家には間違いない。ないのだが、このふわふわした少女と硬派な武家屋敷のイメージがどうにも繋がらないというか。
入口の格子から、ちらりと中を覗いてみる。
玉砂利の敷かれた庭園、綺麗に整えられた石畳、まばらでありながら荘厳に聳える松の木───そして、玄関前で仁王立ちする筋骨隆々な壮年の男。
色の抜けた、獅子のたてがみのような白髪と髭。気の弱い者ならひと睨みで気絶してしまいそうな眼光に、荒岩から削り出されたような厳しい顔つき。道着から覗く腕は金剛力士の如き太さで、筋繊維と血管が葉脈のように浮き彫りになっている。
『鬼』の視線がギロリと此方を向いた。それだけで全身の毛が逆立ち、冷や汗がぶわっと吹き出してくるのが分かった。無意識に脚が震え、腰が抜けそうになる。腹筋に力を入れて踏ん張ることで何とか耐えたが、正直今すぐにでも気絶してしまいそうだ。
そんな俺の様子を見て、『鬼』は僅かに目を細める。
「……ほう。倒れぬか、小童」
何か感心したような響きが籠っていたような気がしなくもないが、こちとらそれどころではない。何だって突然ラスボスと対峙させられているんだ俺は。
放たれる圧力だけで歪んでいきそうな空気を断ち切ったのは、後ろから響いた甘結の声だった。
「おじいちゃんストップ! この人は私を助けてくれたんだからー!」
刹那、突き刺さっていたプレッシャーが嘘のように霧散する。無意識に抑えられていた呼吸が復活し、膝に手をついてマラソンを走り切ったランナーのように酸素を求めて喘ぐように息を吸い込んだ。
文字通り肩で息をする俺の横を通り過ぎて『鬼』の前に立った甘結は、両手を腰に当ててご立腹の様相を見せていた。
「もうっ、誰彼構わず圧かけるのはやめてねって言ったでしょ! そーいうのは道場だけにしないとダメなんだから!」
「……うぬは危機感が薄い故、軽薄な男共に拐かされぬかと」
「私だってもう高校生なんだから。悪い人かそうじゃないかくらい分かるよ。大体おじいちゃんが毎回そんな事するから、私まだ男の子の友達できないんだよ?」
「…………ぬぅ」
すげぇ、あの鬼神みたいな御仁が若干居心地悪そうにしてる……! 甘結お前、実は凄い奴だったんだな……バンビとか言ってすまん。寧ろさっきまで俺がバンビの気分だったわ。
ともあれ、彼女を無事に送り届けるという目的は果たした。……何だか最後にとても疲れた気がするが。早いところ帰ってシャワー浴びたい。
「取り敢えず、大丈夫そうなら俺は帰るが」
「あっ、ご、ごめんなさい。助けてくれて、本当にありがとうございました。また、ちゃんとお礼させてください!」
「また会ったらな。じゃ……」
「待て小童」
帰れなかった。
お爺さんに呼び止められ、何事かと思って様子を伺う。まさか処されるのか。草履が石畳を擦る音が妙に響き、お爺さんが近くまで寄ってくる。至近距離で見ると益々迫力が凄い。小さい子が見たら泣き出してもおかしくないだろ。
戦々恐々としていると、お爺さんはごそごそと懐を漁り───手のひらサイズの小さな包みを取り出した。
「……孫が世話になった礼よ」
「……ありがとうございます」
見かけによらず、そこまで恐ろしい人ではないのかもしれない。むしろ、今の言動を見るにただの孫思いなお爺さんだ。過保護すぎるきらいはあるのかもしれないが。
一礼し、甘結邸を後にする。歩を進めつつ貰った包みを覗いてみると、中には色とりどりの金平糖が入っていた。
ひとつ摘み上げて口に放り込む。と、同時に。
「おやすみなさい───せんぱい!」
背中に届いた柔らかな声につられて、俺の口角も僅かに緩むのだった。